「――ぶっ殺すぞ」
「ギョッ、ギョッ……。な、なんだ突然、口の悪い」
「丹吉、あのねぇ……。丹吉は確かに化け狸かも知れませんが、今はプチ弁天に仕える身、無暗に人間を化かしていい訳がないでしょう。ナメてんのか」
「な、ナメてなんかないですよ……。落ち着いてください、蛇」
「いちいち突っ込むのも面倒くさいけど、じゃあまずこの恰好は何ですか? なんで喪服のオッサンになってるんです?」
「いやその、だって、ワイは妖怪探しが仕事なんでしょ。そんでお前は忘術を使うから、やっぱ連想するのは〈妖怪ハンター〉とか〈MIB〉な訳で。となるとワイも、黒服がいいかなって……」
「それで俺をネクタイにしてるんですか」
「はい」
自分で言うのもなんだが、この恰好、結構似合ってると思う。
ただ、どっちかって言うと元が元だけに、稗田礼二郎というよりミスター・ブロンドっぽいかもね。その辺はまぁ仕方ない。ワイは五、六歩ほど軽妙なステップを踏み、キメ顔で虚空を指さす。
タハッ。どう……?
「いや、流石にマイケル・マドセンは無理。精々、西田敏行だと思いますよ」
「……〈刑事どん亀〉!!」
ワイはショックを受け、思わずちょっと泣いてしまい、ネクタイをガブガブ噛んだ。
犬歯が刺さり、蛇は身をくねらせる。
「いてててて――」
「取り消せ……、取り消せ!」
「いてて、いや、取り消したくても取り消せません。俺は神使だから、丹吉と違って嘘がつけない――」
「ああっ! コイツ、また先輩ヅラしやがったな! こんの野郎ゥゥ!!」
何でもかんでも思ったことを口にしていい訳ではない。西田敏行は確かに名優だが、スタイリッシュなイケおじでありたいと願うワイの理想とは合致せぬ。
くそっ。やっぱりまだ、化けぢからが本調子ではないのだろうか……。
「フゴッフゴッ。とにかくね、ここ数週間、弁天山周辺は散々歩き尽くしたけど案の定、妖怪のヨの字もない。となればもうちょい、この渋野町方面にも足を延ばしてみるしかないだろう。ワイの行動範囲がそのままプチ弁天の加護の範囲にもなる訳だし、それが広がること自体は、お前だって反対しないだろ」
「う~ん……」
「四の五の言わずに黙って巻かれてろ。……心配しなくても、帰りは徒歩で帰るから。もうバスは乗らない。さ、いこいこ」
ワイは入園料六百円を支払い、動物園の門をくぐる。
さっきのバス代もそうだが、この金はドングリではない。歴とした独立行政法人造幣局製造の、通常貨幣。ワイが間借りしている祠にも、ちょいちょい小銭が奉じられるので、それを普段から貯めてあるのだ。
このように、ワイはきちんと貯蓄ができるタイプの男だと思ってください。
安心してくださいね。
「誰に言ってるんですか?」
「黙れ」
寒空の下、ワイと蛇は人気のない園内をぶらぶら歩く。
変な鳥がいっぱいいるゾーンを抜け、カモシカがチラチラこっちを見る檻の前を過ぎ。
漸く到達したのが――。
「温帯プロムナード」
「……ここが目的地ですか?」
「そうだ。随分前になるが、とち子の視界で見て以来、いささか気になっておった」
コンクリートの壁で囲まれた展示区画。
壁に、「タヌキ」と書かれたポップが貼り付けてある。ホンワカパッパな雰囲気をアピールする手書き文字。
中に進むと、通路から見下ろす一段低い窪地に樹木が植えられ、ちんまりとした藪が作られている。
その木陰に丸まった、一匹の狸。
ワイの視線に気づき、そいつはこちらを見上げた。
細い鼻を持ち上げてスンスン、と鳴らす。
黒い毛並みに、潤んだ瞳。
ワイは一歩、彼に近づく。
二匹の狸が見つめ合う。
「…………」
「…………」
「――何見てンだてめぇここはオレの縄張りだぞやンのかオラァアアアアア!!」
「――あンだとそりゃコッチのセリフだこの糞餓鬼ブルァアアアアア!!」
「丹吉落ち着いてください」
「殺すぞ!! 殺すぞ!!」
「はぁあああ? 何? 何て? ただの狸が? ワイを? この化け狸様を?」
「丹吉落ち着いてください」
「殺すぞ! 出て行け! オレの家から出て行けクソジジイ!」
「ああ出て行ってやるよ! 出て行ってやるよ! お前はここでずっとレッサーパンダの前座やってろ! バーカ!」
プイッ、とワイは背中を向けてその場から走り去った。
めちゃくちゃムカつく餓鬼だった。
頭に血が上り、フゴフゴ言いながら周囲を見回す。さいわい他の客の姿はない。
まぁもし見られていたとしてもタヌキ語の会話、つまりワイと狸が甲高い声で鳴き合っていただけなので、問題はあるまいが……。
「ありますよ。つまみ出されますよ動物園から」
「……だって、なんか、無礼な……、腹立つ奴だったから。フゴッフゴッ」
「喧嘩になるに決まってるでしょう。会ってどうするつもりだったんです。同族だから逃がしてやろうとでも思ったんですか」
「フゴッフゴッ……」
いや、まあ――。
そうと決めて来た訳ではなかったけれども。
もし本人が出たがっているようなら、出してやってもいいかな、というくらいの腹ではあった。しかし、余計なお世話だったようだ。
「そりゃそうです。動物園というのは可能な限りストレスの少ない環境で、彼らを飼育している。食うには困らないし、病気になっても治してもらえる。野良なんかより遥かに長生きできる」
温帯プロムナードの出口で、ワイはフスーッ、と嘆息した。
振り返ると、そこに展示されているカワウソ二匹が目をまん丸にして背伸びし、キョロキョロとタヌキ舎の方の様子を窺っていた。
「……でもここじゃあ、自由がないではないか」
「自由って何です。未来が不透明なことですか」
「いや、その……。何だろう。あるがままの生、というか」
「彼は、あるがままに生きていますよ。囲いの外の狸たちと違いがあるとすれば、それは単に環境の差。人間が作る環境か、それとも他の野生動物や地形・天候が作る環境か、というだけの差でしょう。違いますか」
「…………」
ワイはトボトボと園路を歩く。
遠くの方に、孫の手を引く老人の姿が見える。
どちらも随分と厚着である。毛糸の帽子をかぶり、マフラーまでしている。
考えてみればこの季節に背広一枚というのは、少々奇異に見えるかも知れない。
ワイ自身は冬毛があるから平気だが、そもそもこのお目付け役のパイセンだって、神使でなければ冬眠している時季だろう。
ワイは化け装束の胸元に手を入れ、ぞろりと真っ赤なストールを引っ張り出し、それを巻いた。ネクタイが隠れたので、蛇の声が少しだけ聞こえにくくなった。
「ありがとうございます。少し寒かったので」
「別にお前のためじゃない」
真新しいミーアキャット舎は巣穴の断面がガラス張りになっており、土中で団子になって眠っている姿が覗き見出来る。
その隣で飼われているライオンは、人工の丘の上で――おそらく中にヒーターでも仕込んであるのだろう――こちらに股間を見せびらかしながら、ゴロゴロしている。
なんという巨大な顔面であろうか。腑抜けた表情をしてはいるが、その頭は人間一人では抱えられないほど大きく、流石にちょっとひるんでしまう。
見物用のベンチに六十代くらいの女性ふたりが座り、右へ左へと転がる肉食獣の睾丸を眺めながら、のんびり世間話をしていた。ワイはそそくさとその前を通り過ぎた。
さらにその先のフラミンゴも、自分達に与えられたスペースの中で思い思いに集まり眠っている。
冬の動物園。
飼育され、呑気に昼寝をする動物たち。
「……丹吉は、人間を動物だと思いますか」
「そりゃあ、思うよ。あいつらだって交尾して子を産むんだし。根は畜生と同じだ」
「なら一方で、猿が道具を使ってエサを獲るのは、不自然だと思いますか」
「……それは、蟻の巣穴に棒を突っ込むみたいなアレを言ってんのか? エテコウが何を使おうが、別にあいつらの勝手だろ」
「だとしたら、この世の人間たちの所業もすべて、自然だということになります。そこにあるのは程度の差だけで、本質は同じもの」
「チッ。御高説を頂戴しなくてもわかってんだよ、そんなことは」
人が為すこともまた、世の理の一部。
ここへ来る途中バスの前を横切ったトマコ、つまり鼬も、さっきは助かったが、毎日のようにどこかで車に轢かれて死んでいる。
狸も轢かれて死んでいる。
だからどうという話ではない。この世とはそういうもの。
ワイは肩をすくめた。
「わかってんだ。色んな動物が一緒にいれば、死ぬ奴も出るさ……。また同時に、意図せざるとも他の動物によって、助けられてる奴もいる。可哀相な奴もしあわせな奴も、全部自然の輪の中――見えざる掌の上。それだけのことだろ」
「はい」
「……妙だな。ワイは、人間どもが思い上がってると腹が立つ性質なんだが。ついついワイまで連中を、自然の外にいるように見てしまう。良くも悪くも、特別扱いしてしまう」
「それは丹吉が結局、人間のことが好きだからでしょう」
「はぁ?」
「俺たちはそもそも、人間がいなければ存在しませんしね」
(つづく)
作品紹介・あらすじ
丹吉
著者 松村 進吉
定価: 1,870円(本体1,700円+税)
発売日:2022年07月04日
現代に蘇った卑俗な化け狸が、この世の不平と悪を斬る!? 令和版狸合戦!
「語られなければ信じる者も減り、信じられていなければ存在もできない」
かつて赤殿中と呼ばれた化け狸・丹吉は、エッチな悪事によって徳島市方上町にある弁天山の卑猥な形の岩に封じられた。暇をもてあます丹吉は、弁天山に通い詰める松浦とち子を通じて現代社会の見地を得る。ある日、神々の会合で馬鹿にされたプチ弁天は、悔しさを晴らすために丹吉の肉体を復活させ、神使〈候補〉として妖怪退治を命じた。だがこの時代にアクティブな活動をする妖怪はいない……。ひとまず受肉時に破けてしまった殿中を縫ってもらうため、とち子のもとに向かった丹吉とお目付け役の蛇はSOS を察知。セクハラ男からとち子を救うべく田舎道を疾走する。丹吉は無事に神使になれるのか、はたまた岩に逆戻りか――。怪談実話のトップランナーが満を持して放つ、冒険活劇!
人間とは、神とは、妖怪とは、信仰とは――。
真心と下心が錯綜する性悪狸の愉悦と煩悩!
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