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毎年旧暦十月には出雲で神様の会議があって、日本中のほとんどの神様がそこへ集まるらしいと、この国の人間たちは無邪気に信じているようだが、それは事実である。
彼らは本当に毎年、十一月中旬、島根県出雲市大社町杵築東195の出雲大社に集合している。
遠路はるばる雲に乗り、全国各地からわざわざ出向いて顔をそろえる以上は、そこでなにがしかの儀式と談合が行われているのは間違いない。一説によれば全国の男女のマッチングサービス的なアレをしているとも、あるいは単に飲めや歌えの大宴会をしているとも、はたまた表ヅラは鷹揚に構えつつ御身のご威光ご霊験を競い合い比べ合い、いつ終わるとも知れぬマウンティング合戦を繰り広げているとも言う――。
実際のところどうなのかについてはまぁ、未来永劫招待状が届く予定もない畜生のワイなどには知る由もない話であるから、想像で語るしかないだろう。
なのでここからはワイちゃんの空想による、令和元年出雲におけるプチ弁天の、受難のひと幕となる。
「――莫迦にせんといてもらえますか! あたしやって、御使いの一匹や二匹おります!」
ガチャン、と荒々しく置かれた盆の上で徳利が鳴った。
無辺の広さの座敷のそこかしこで、さわさわと静かに交わされていた神々の会話が、その瞬間ぴたりと止む。
幼稚園生くらいの形をしながらも、とたとたと神々の間を走り回って懸命に仲居のような雑事をこなしていたプチ弁天だったが、今は座敷の中央で仁王立ちになっている。
これは彼女が座敷の中心で叫んだからではない。無限の広がりをもつ座敷に三次元的な意味合いでの中心はない。つまりは生身の人間なら即死&消滅しかねない強度の神々の視線が一斉に、彼女の身に集中したため、そこが今この時、この空間のセンターとして設定されたのだと認識して頂くのが良いかと思う。
真っ青になって慌てふためく、見目麗しい他社の弁才天ら。こうなってしまうとプチ弁天に近づくことはすなわち神々の視線を遮ることになり、その目を塞ぐという意味を生じさせてしまう。遥か上位の神階の神々もおわすこの場において、おいそれと為すべき不敬ではない。
プチ弁天の握りしめた拳が震えているのは、怒りゆえか。それとも怯えか。
そんな彼女の様子を見下ろしつつ、千年経っても糸すじほども変わらぬであろう微笑みを浮かべた豊宇気毘売神が、絹のような光を零しながら口を開いた。
「あらあら、堪忍しとくれやす。貴女はんを阿呆にしたつもりはないのんよ。そら小そうても立派な弁才天様でいてはりますもんなぁ。貴女はんに似てかいらしい、お蛇さんをお使いなんですやろなぁ」
この言葉で、座敷に存在する全徳利の内部に不老長寿の霊酒が出現し、ザバザバとあふれ出した。どこかの髭ヅラの神様が驚き「おっとっと」と、大喜びでそれを啜っている。
一方プチ弁天は、丸い顎を戦慄かせてはいるが、気丈にもその場を下がらない。
よほど腹に据えかねた様子である。
「あたしの蛇は、とてもよく目が見えます。物覚えもいいです。あたしの代わりに、色んなところへ行ってきちんと報告をしてくれます」
「ええ、ええ。きっとそうなんどすなぁ。貴女はんに似て几帳面なお蛇さんで、偉いわ」
酒が湧き、「おっとっと」とまた口をつける髭。
「……そら、うちの子はまだ小さいから、悪い妖怪が出ても退治したりはでけません。そういう時は、もっと育った蛇をお連れのお姉さまに頼むか、近くの山の天狗さんに頼むかしています」
「まあ、まあ。それはよろしおすなぁ。皆が貴女はんを助けてあげたい思てくれてはんねやね」
「おっとっと」
「ほなけんど、あたしも、これでも弁才天なんです。やっぱり自分の霊験で村の人たちを助けてあげたいと思って、どりょくしよんです」
「あらー、そうなんやねぇ」
「おっとっと」
「がんばんりょんです」
「あらー、ええ、ええ」
「おっとっと」
うっ、うっうっ、とプチ弁天の大きな眼に、透き通った涙が膨れ上がる。
その時、彼女の肩に後ろからポン、と手が置かれた。
一帯に甘い蓮の花の香りが漂う。
近辺におわした何柱かの男神が、あからさまに鼻の下を伸ばしたので、ムッと眉を顰めた女性の神々もあった。
「……あんたが頑張っとんのは、うちもよう知っとるけえ」
「……大姉さま」
背後に立っていたのは安芸国一の宮、嚴島神社の弁才天。他ならぬ、プチ弁天の勧請元である。
この関係性はここでは、母に近い姉のようなものだと思ってもらってよかろう。
艶美な半眼の麗しさは、高天原が誇るかの天宇受賣命にも引けを取らない。
豊かな黒髪を螺鈿の簪で留め上げ、紅白の薄衣は出るところが出たグラマラスな肢体に、あるところは張り付き、あるところは甘い風をはらんで膨らみ、ちょっとやりすぎではないかというくらい強調している。
世の男という男をバブみに狂わせかねない、美しくも凜々しい顔つき。
大姉の声を聴き、ボロボロボロッ、と零れた涙が座敷の青畳を濡らした。そのまま振り向いてしがみつくのかと思いきや、しかしプチ弁天は尚も、古き大神を見上げる姿勢を崩さなかった。
「……あたしは。あたしはこれでも、一人前の」
「もうやめんちゃい。わかっとるわかっとる。ちーと、天女様の言葉にけんがあるような気がしたんじゃの? あんたのそがいな性根はあたし譲りじゃけえ、しようがない」
アッハッハ、と大らかに笑って見せる嚴島弁才天――だがその言葉で、ひくり、と豊宇気毘賣神の眉が揺れたのに気づいた神は、少なくなかった。
プチ弁天の頭を撫でながら、ぺこり、と嚴島弁才天は頭を下げた。
「そがいな感じで、すまん。子供の言うことじゃ思うて、堪忍しちゃってつかぁさい」
ほいなら、とふたりの弁天は五色の輝きを残しながらゆっくりと背を向け、歩き出す。
婉然と揺れる嚴島弁才天の尻に、思わずポカンと口を開けてしまった何柱かの男神が、女性の神々から忌まわしげな目を向けられていた。
残された豊宇気毘賣神はややあってから、ひらひらと衣をはためかせ背中を向ける。そして成り行きを見守っていた神々に、「あら、どないかしはりましたか」とでも問うような鷹揚な態度で首を傾けた。
固唾をのんで見守っていた神々の間から、ほっ、と安堵の息がいくつか聞こえた。
豊宇気毘賣神は微笑みのまま、優美に指先を動かし、神々の膳にあらためて沢山の神饌を生み出し、宴を再開させた。
すると、彼女の足元に控えていた真っ白な狐がケンッ、とひと声鳴いた。
「……ふふっ。せやねえ。おまえは私が生んだ穀物より、自分で捕まえてくるくちなわの方が好物やったかしら。もうちょっとだけ我慢しよし。神議りが済んでお国に帰ったら、好きなだけ獲ったらええわ」
日本生え抜きの古神らの、控えめな追従笑いが漏れた。
――ぴたり、とふたりの弁天の足が止まる。振り返りはしない。
あからさまな当てこすりではあったが、先に挑発したのは嚴島弁才天のほうである。
真偽のほどは不明ながらも、かつて豊宇気毘賣神が地上で水浴中に羽衣を隠されたという噂は日本国中の神々も知るところであるし、そうでなくても伊邪那美命の直系を「天女」呼ばわりできる度胸の神は、めったにいなかった。
この弁才天、生半可な神将などより遥かに肝が太い。
「……ケッ。イキりくさって、たいぎい奴じゃ」
「大姉さま、ごめんなさい。あたしが盾突いたけん……」
「あんたはなんも悪うない。気にせんでええよ。うちは前々から、あいつのことが好かん」
「…………」
自分にもっと、力があれば――。
本当に一人前の弁才天として、自由自在に神使を使役し、氏子の人たちを助けてあげられていたら。プチ弁天はうつむいたまま、ぎゅっ、と唇を引き結ぶ。
――座敷のどこかで、「げえっ、酒が小便になっちゅうがや」と騒ぎ始めた髭を、他の神様がぽかりと殴って黙らせた。
(つづく)
作品紹介・あらすじ
丹吉
著者 松村 進吉
定価: 1,870円(本体1,700円+税)
発売日:2022年07月04日
現代に蘇った卑俗な化け狸が、この世の不平と悪を斬る!? 令和版狸合戦!
「語られなければ信じる者も減り、信じられていなければ存在もできない」
かつて赤殿中と呼ばれた化け狸・丹吉は、エッチな悪事によって徳島市方上町にある弁天山の卑猥な形の岩に封じられた。暇をもてあます丹吉は、弁天山に通い詰める松浦とち子を通じて現代社会の見地を得る。ある日、神々の会合で馬鹿にされたプチ弁天は、悔しさを晴らすために丹吉の肉体を復活させ、神使〈候補〉として妖怪退治を命じた。だがこの時代にアクティブな活動をする妖怪はいない……。ひとまず受肉時に破けてしまった殿中を縫ってもらうため、とち子のもとに向かった丹吉とお目付け役の蛇はSOS を察知。セクハラ男からとち子を救うべく田舎道を疾走する。丹吉は無事に神使になれるのか、はたまた岩に逆戻りか――。怪談実話のトップランナーが満を持して放つ、冒険活劇!
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