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試し読み

無理難題を押しつけて顧問が帰っていった、その直後――。 久坂部羊『砂の宮殿』試し読み#4

砂の宮殿』発売を記念して、大ボリュームで試し読みを掲載します。
(全4回・4月10日~13日まで4日連続更新)
本作は、エリート医師4人が経営する高級クリニックで起きた顧問の不審死事件にはじまる、金と疑惑と疑心暗鬼に満ちた医療サスペンスです。ぜひお楽しみください!



『砂の宮殿』試し読み#4



 受付に確認すると、運んできたのは草井で、福地は意識がないらしかった。
 才所は小坂田と急いでエレベーターで一階に下りた。ロビーに看護師が集まり、草井の横で福地がソファに横たえられているのが見えた。
「福地先生。わかりますか。しっかりしてください」
 大声で呼びかけているのは趙だった。彼は五階で患者を診ていたはずだが、たまたま一階に下りていたのか。
 何があったのかと聞くと、草井は半ば放心状態で、「先生が駅のトイレで倒れてた」と唇を震わせた。
 看護師が福地の脈を取っている。
「脈拍は触れるか」
「一二○前後です」
 頻脈だが、触診で脈が触れるということは、血圧は最低でも七○はある。
「とにかく診察室へ」
 福地をストレッチャーに乗せ、一階の診察室に運んだ。
 看護師が手際よく血圧を測る。別の看護師は指にパルスオキシメーターをつけ、酸素飽和度を調べる。
「血圧は八四の三○です」
酸素飽和度サチユレーシヨン九二パーセント、脈拍一一七」
 報告を受け、才所が改めて意識レベルを確認した。
「福地先生。目を開けてください。わかりますか」
 耳元で呼びかけたあと、痛み刺激への反応を診るため、手の甲をつねった。手を引っ込める動きも、顔をしかめることもない。JCS(ジャパン・コーマ・スケール)の判定でⅢの300。もっとも重い意識障害だ。
 小坂田が聴診器を取り出しかけたので、才所は「君は対光反射を診てくれ」と指示し、「聴診と心電図は趙がしろ」と命じた。趙は小坂田を押し退けるように福地の前に立ち、シャツをめくり上げた。小坂田は頭側に移動して、ペンライトで左右のどうこうを照らす。
「対光反射は正常です」
 小坂田が告げる間に、趙は呼吸音を確かめ、心電図計を取りつける。
「心房細動です。あと、やや低電位ですが」
「心房細動は前からだ」
 才所が素早く応じた。心房細動は福地の年齢ならよくある良性の不整脈で、三年前のパーティでも、福地は「おかげでワーファリンが手放せんよ」とぼやいていた。ワーファリンは、心房細動に多い血栓を予防するための抗血小板薬である。
 連絡を受けたらしい加藤看護師長が、五階のフロアから急ぎ足で下りてきた。
「どうかしたんですか」
「福地先生が駅のトイレで倒れたらしい」
 才所が答えると、加藤は原因を問うように三人の医師を見た。
「やっぱり頭かな。しかし、対光反射は正常だし」
 小坂田が曖昧な声をもらす。
「対光反射が正常でも、脳障害はあり得ますよ」
 趙が言い、才所もそれに同意した。
「とにかく脳のCTスキャンを撮ろう。加藤さん、福地先生をCT室に運んで」
 加藤は看護師に指示して、福地の乗ったストレッチャーを素早く運び出した。
 壁際に草井が不安げな表情で立っていた。
「草井さん。どういう状況だったんですか」
 才所に聞かれ、草井は動揺を隠せないようすで説明した。
「駅に着いたら、先生がトイレはどこだと怒鳴って……、案内図でトイレをさがして、向こうの角を曲がったところにありますと言ったら、先生が走っていって……、僕は先に切符を買おうと思って、切符を買って待っていたけど、先生がもどってこなくて……、大のほうかと思ったけれど、先生は前を押さえていたので、小だと思って、ようすを見に行ったらトイレで倒れていたので、抱き起こしたけれど、先生は顔をしかめて、うーんとうなったきり、返事をしないので、先生、しっかりしてくださいとほっぺたをたたいたんです」
「つまり、先生はひとりでトイレに行って、君がようすを見に行ったら、倒れていたということですね」
「はい」
「それで救急車は呼ばなかったのですか」
「救急車はすぐに来ないし、ここなら病院よりいい設備があるから、僕が背負って運んだほうが早いと思って」
 なるほどとうなずいて、才所は趙と小坂田を見た。
「とにかくCTの結果を見よう。草井さんはロビーで待っていてください」
 才所は草井に言い置き、趙と小坂田を促して、階段で二階の検査室に上がった。
 CT室ではすでに福地のCTスキャンが終わっており、操作室のモニターに次々と脳の断層撮影の映像が映し出された。
「出血やこうそくはなさそうですね」
 モニターに近い位置にいた小坂田がつぶやく。
しつてきな障害はなくても、のうしんとうとかもあるだろ」
 才所が言うと、「だれかに殴られたとかですか」と、趙が応じる。
 操作席に座っている放射線技師のやまもとそうが、「胸部と腹部のCTはどうします」と聞いてきた。
「その必要はないだろう。呼吸も心拍も大丈夫そうだから。加藤さん、福地先生を取りあえず病室に運んでください。点滴ルートを確保して、けつガス(血液ガス)分析と採血もお願いします。検査項目はまつけつまつしよう血液検査)、血糖値、一般生化と、あとアレルギーと毒物の反応も」
「了解。お部屋はエグゼクティブ・スイートでよろしいですか」
 才所がうなずくと、福地は検査台からストレッチャーにもどされ、エレベーターで五階の病室に運ばれていった。
 才所の指示は、脳、心臓、肺以外の意識障害の原因、すなわち、極度の貧血や低血糖発作、一酸化炭素中毒、サリンやVXガス、リシンなどの毒物まで想定した内容だった。
「福地先生はさっきまで元気だったのに、どうしたんだろう」
 小坂田が自問自答の形で自分なりの推理を述べた。
「脳に異常がないとすれば、不整脈の発作か薬物中毒か……、しかし、青酸カリやサリンとかなら即死だろうし、だったら、てんかんとかもあり得るか」
「心電図は心房細動と低電位だけだったし、けいれんしていたようすもないから、重症の不整脈やてんかんは考えにくいだろう。薬物中毒なら血液検査ではっきりするから、結果待ちだが」
 才所の反論に、趙が独り言のように付け加える。
「じゃあ、やっぱり、だれかに頭を殴られたんでしょうか。強盗目的で潜んでいた相手に襲われたとか」
「あるいは、だれかが福地先生をトイレで待ち伏せしていたとか」
 小坂田が続けたが、「いや、それはないな。福地先生がトイレに行くことは、前もってわからないんだから」と、否定した。
 いずれにせよ、今の段階では、病気か事故か襲われたのか、判断しかねる状況だと言ってよかった。
「草井さんからもう少し詳しい事情を聞いてみよう」
 才所は二人を促して、ふたたび一階に下りた。
 ロビーのソファでは、草井が両手を膝に置き、思い詰めたようすで座っていた。才所たちが近づくと、はっと顔を上げ、「福地先生はどうですか」と、緊迫した表情で訊ねた。
「今のところ命に別状はありません。脳のCTスキャンも異常なしですから」
 才所は草井のとなりに座り、趙と小坂田は向き合ったソファに腰を下ろした。
「草井さん。先ほどのお話、もう少し詳しく聞かせていただけますか。福地先生がトイレに行きたいとおっしゃったのは、駅ビルに入ってからなんですね」
「その少し前です」
「あなたは券売機で切符を買って待っていたとおっしゃいましたが、時間はどれくらいでした」
「五分か、それくらいです」
 そう答えて、草井はポケットから二枚の切符を取り出した。
「トイレにようすを見に行ったとき、だれかとすれちがったり、トイレから出てきた人物を見たりしませんでしたか」
「だれにも会いません。床が外の光でピカピカ光って、よく見えませんでしたが」
「福地さんの財布はありますか」
 草井が預かっていた福地のコートのポケットをさぐり、「あります」と、財布を取り出した。
「物盗りの線はないようだな」と小坂田。
「福地先生はトイレのどこで倒れていたんですか」
「入ってすぐのところです。便器が並んでいるところの」
「息はしていましたか」
「はい、たぶん」
「血を吐いたり、けいれんしていたりとかは?」
「ありません」
 才所の質問に答えながら、草井はじっとしていられないように興奮し、才所に食ってかかった。
「福地先生はいったいどうなるんですか。死ぬんですか。どうなんです」
「落ち着いてください。今のところは何とも言えないんです。五階の病室で休んでもらっていますから、ようすを見に行きますか」
「はい」
 そう言って草井が立ち上がりかけたとき、才所の胸ポケットでまたもスマホが震えた。
 草井を制して、才所は自分だけ立ち上がった。
「もしもし」
 加藤の声が耳に突き刺さるように響いた。
「先生。すぐ来てください。福地さんが急変しました。心肺停止です」

(続きは本書でお楽しみください)

作品紹介



砂の宮殿
著者 久坂部 羊
定価: 1,870円(本体1,700円+税)
発売日:2023年03月17日

「6,000万円ぐらい、命の値段としては高くもないだろう」
外科医の才所准一は、大阪で海外富裕層向けの自由診療クリニックを運営している。
抗がん剤・免疫療法の趙鳳在、放射線科の有本以知子、予防医学の小坂田卓という優秀な三人の理事とともに最先端のがん治療を提供し、順調に実績を重ねていたところ、久しぶりに訪ねてきた顧問が不審死を遂げる。
これは病死か事故か、それとも――。
高額な治療費への批判も止まず、クリニックに吹き荒れる逆風に、才所はどう立ち向かうのか。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322201000353/
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