数々の医療小説を執筆してきた作家・久坂部羊。最新刊『砂の宮殿』の発売を記念して、学生時代からの友人である元大阪大学教授の仲野徹さんにベスト5を選んでいただきました。
仲野徹・選 久坂部羊の著作ベスト5
私の書棚には久坂部羊コーナーがあって、そこには久坂部作品のほとんどが並んでいる。ほぉ、有数の久坂部ファンなのかと思われるかもしれないが、そうでもない。同級生のよしみで、出した本出した本が送られてくるためだ。それも、もれなく「仲野徹殿 久坂部羊拝」とか書いてある。
律儀とか礼儀正しいという訳ではなくて、転売防止策のようだ。古本屋へ出したりして、誰かの手に渡り、仲野というのは不埒な奴と思われるのは心外であるから、捨てられない。それに、よほどの作家でないかぎり、サインは「汚れ」として扱われるために、安値しかつかないそうだし。何冊かは行方不明になってしまっているみたいだが、数えてみたら20冊ほどもある。これだけ読んできた、あるいは読まされてきたのだから、ベスト5を選ばせてもらう資格くらいはあるだろう。
久坂部羊――当時は本名の久家義之だったが――とは、大阪大学医学部で共に学んだ仲である。といっても、机を並べた、とは言いにくい。なにしろ、久家は学業を怠けまくって大学にあまり来てなかった。ウソだと思う人は『ブラック・ジャックは遠かった 阪大医学生ふらふら青春記』を読んでいただきたい。こんな怠け者の医学生がいたのか、ということに呆れかえられるはずだ。
我々が医学生だったのは40年以上も前のことで、当時はずいぶんとゆるかった。私は令和4年の3月まで大阪大学医学部で病理学の教授を務めていたのだが、今どきは久家のような医学生などありえない。にもかかわらず、数年前のこと、久坂部羊が、大阪大学の卒業式でOB代表としてスピーチをしたというから驚きだ。
ある親切な同級生からは、君のような不真面目さは犯罪に近かったから講演者としてふさわしくない、とかいう忠告があったらしい。御意である。また、医学部の教育担当教授からは、勉強しなくてもナントカなるなどとは決して口走らないようにと強く釘をさされたこともあるという。これまた御意である。どれだけひどい医学生であったか、知りたい人はぜひこの本を読んでいただきたい。ブラック・ジャックは遠かった、じゃなくて、どう考えても遠すぎやろ~。巻末には、私との爆笑対談――自分で言うなと言われそうですけど、ホンマにおもろいんです――も載っている。
元々小説家になりたくて、そのネタを探すために医学部に入って医師として何年かを過ごした、とうそぶいたりしている。実際に医療小説をものするようになったのだから、後付けだとしても、一応は納得してやるしかあるまい。
そのデビュー作は鮮烈だった。より正確には、小説家としてのデビュー作、と言わねばならぬか。最初に上梓したのは、久家義之として出版した『大使館なんかいらない』だからである。久坂部羊としての第一作『廃用身』は衝撃的な内容だった。
脳梗塞などの後遺症で麻痺してしまい回復の見込みがなくなった四肢を切断するという治療法の話だ。そうすることにより、肉体的な負担が少なくなり、身体的にも心理的にもQOLが著しく向上するという内容である。もちろんフィクションではあるが、医学的な理屈がそれらしく書かれているのでかなりの説得力がある。
この本の出版を知ったのは、海外出張帰りの飛行機の中、数日ぶりで目にした新聞に出ていた5段抜きだかの広告だった。久家と久坂部、久の字が同じである。それに、いかにも久家が書きそうなちょっとグロい内容だ。大急ぎで「久坂部羊ってお前か?」と、メールを送った。「その通り、拙者でござる」という返事が来た。とても嬉しかった。頼まれもしないのに、発表するあてのない書評を書いて送ったら喜んでくれた。当時は予想だにしなかったが、後に私が読売新聞の読書委員を務めるまでになれた原点はここにあったのではないかと感謝している。
代表する5作となると、『悪医』を取り上げねばなるまい。主治医の外科医・森川から治療の見込みがないと告げられた患者・小仲が、森川に恨みを抱きながら次々とさまざまな治療を試みていく。そして最期に経験したのはどのような「悪医」だったのか。
――この本にはふたつの大きなメッセージが込められている。ひとつは、不治の病と告げられた時にどうすべきか、という問題だ。これは個人によって千差万別であることは間違いない。久坂部羊は、小説を書くだけでなく、医療や患者の問題についての啓蒙書も多く出している。そこに一貫しているのは、あきらめも肝心であるから悪あがきはやめましょう、というスタンスだ。ケースバイケースでもあるし、それが正しいかどうかを一概には言えない。しかし、この本にはそういった久坂部羊の思想が底流している。
もうひとつのテーマは、医師と患者の関係性である。もちろん医学についての知識に圧倒的な差がある。さらにもうひとつ大きな違いがある。がんのような病気は、多くの場合、患者にとっては一回だけの経験であるのに対し、医師にとっては何度も繰り返される日常的なものである、ということだ。とはいえ、悩むのは患者である小仲だけではなかった。主治医であった森川も、小仲のことが忘れられずに、末期がん患者について思い悩む。この小説は、こういった非対称性も読みどころになっている。
さすがの面白さから、日本医師会主催の日本医療小説大賞を受賞している。受賞式には久坂部羊が外務省医務官時代にパプアニューギニアで知り合った、子どもの頃から大ファンだったという水木しげるさんも駆けつけられた。私も出席させてもらったのだが、本当に楽しかった。久坂部羊は、常々、海堂尊さんみたいなベストセラーを出したいと言っていた。この賞、第1回が帚木蓬生氏で第2回は該当なし、そして、第3回が久坂部羊だった。売り上げは遠く及ばないけど海堂尊に勝ったやん!と喜んでいたが、なんと海堂さんは選考委員だとわかって爆笑。これもいい思い出だ。
シリアスな医療小説ばかりではない。『オカシナ記念病院』は、医療小説ではあるが、ユーモア小説でもある。そもそもタイトルがおちょくりすぎているではないか。だが、一応、理屈は通してある。この病院は岡品――もちろんオカシナと読む――という人が設立した病院なのだ。都会から離島にあるその病院に赴任した後期研修医の新実一良――ニイミイチロウだがシンジツイチロとも読める――の物語だ。
やる気満々の新実は心底驚いた。医師も看護師もなんだかやる気がなく、治療も患者のいいなりで場合によっては重症でも積極的な治療をしない、などなどというおかしな状況に。これではいかんと、がん検診、禁煙活動、認知症外来など粉骨砕身がんばりはじめる新米医師。しかし、どれも空回りで悪戦苦闘の連続だ。さて新実医師はどうなっていくのだろう。
無理な治療や延命に果たして意味があるのだろうか。それは医師のエゴであって、患者のためにならないのではないか。そのことを真剣に考えるべきだ。ここでも久坂部羊のメッセージは明瞭だ。ユーモア小説の体をとりながらも、提示されている問題はとても深い。
作品リストを見ると、ある時はシリアスに、またある時はユーモラスにと、いろいろなスタイルがあるけれど、じつにさまざまなテーマを取り上げてきたことがわかる。これまで、先進医療、末期がん、安楽死、認知症、医療格差、大学医局、製薬業界など、現代の医療が避けて通れない問題点を独特の視点から描いてきた。そんな久坂部羊が最新作『砂の宮殿』で取り組んだのは最先端医療を用いた医療ツーリズムだ。
主人公の才所准一は海外富裕層向けのがん治療の自由診療クリニックを経営する外科医である。抗がん剤・免疫療法、ホウ素を用いた放射線治療、予防医学、それぞれの専門家である理事とともに四人で、海外の富裕層を相手に超高額医療で荒稼ぎをしている。しかし、そのクリニックの顧問である元阪都大学総長が謎の急死を遂げる。このように、メインストーリーは、ミステリーあるいはサスペンスだ。
事故か、病気か、はたまた殺人か。医学的な見地からはどれであっても不思議ではない。理事たちにも殺す動機がないとはいえない。そのあたりを久坂部羊が医学知識を駆使して話を盛り上げていく。そこにからんでくる医療ツーリズムの問題点。海外患者を優遇することにより、我が国の患者に不利益は生じないのか。合意の上での支払いとはいえ億単位の治療費は妥当なのか。患者の期待感を弄んではいないのか。
才所の上にもこのような問題が降りかかり、マスコミに厳しく指弾される。さらには個人的な恋愛スキャンダルも。盛りだくさんに絡み合った内容にどう決着がつけられるのか。読み終わった時、なるほどそういうことであったかと伏線を反芻しながら納得できるはずだ。
ふだんの久坂部羊からはあまりそう思えないのだが、全作品を眺めてみると、相当に器用な作家であるような気がしないでもない。ここにあげた5作だけでも、ずいぶんとバラエティーに富んでいる。その源泉は久坂部羊の類稀な才能によるものだ。と、書いて終わろうかと思ったけれど、ウソで締めるのは気が引ける。もちろん才能もあるのだが、その取材能力もたいそう物を言っているはずだ。大学の同級生との飲み会などでは、しょっちゅう、その話もらってええか、とか言っているし。そう思うと、小説家になるために医学部に入ったという話が真実らしく聞こえてきてしまうのが恐ろしい。
紹介した書籍
久坂部羊『ブラック・ジャックは遠かった 阪大医学生ふらふら青春記』(新潮文庫刊)
大阪大学医学部――
そこはアホな医学生にとっての「青い巨塔」だった。
医療サスペンス旗手が、軽妙に、真摯に描く、絶品青春エッセイ!
手塚治虫の母校、『白い巨塔』の舞台でも知られる大阪大学医学部。アホな医学生にとってそこは「青い巨塔」だった。個性的すぎる級友たち、さまざまな初体験、しょうもない悩み。やがて解剖実習を体験し、研修医として手術に立ち会うことに。若き日に命の尊厳と医療について悩み、考えたことが作家・久坂部羊の原点となった。笑いと深みが絶妙にブレンドされた青春エッセイ!
久坂部羊『廃用身』(幻冬舎文庫)
『破裂』の久坂部羊の衝撃的な小説デビュー作。
廃用身とは麻痺して動かず回復しない手足をいう。患者の同意の下、廃用身を次々と切断する医師漆原。告発するマスコミ。はたして漆原は悪魔か?
久坂部羊『悪医』(朝日文庫刊)
第3回日本医療小説大賞受賞作! 2人に1人ががんになる時代の必読書
がん治療の拠点病院で、52歳の胃がん患者の小仲辰郎はがんが再発したあと、外科医の森川良生医師より「これ以上、治療の余地がありません」と告げられた。「私にすれば、死ねといわれたのも同然」と、小仲は衝撃のあまり診察室を飛び出す。小仲は大学病院でのセカンドオピニオンを断られ、抗がん剤を専門とする腫瘍内科、免疫細胞療法のクリニック、そしてホスピスへ。それぞれの場所で小仲はどんな医師と出会うのか。
一方、森川は現在の医療体制のもと、患者同士のいさかい、診療での「えこひいき」問題などに忙殺されるなか、診療を中断した小仲のことを忘れることができず、末期がん患者にどのように対したらよいのか思い悩む日々がつづく。
患者と医師の間の溝ははたして埋められるのか。
がん治療に対する医師の本音と患者の希望は軋轢を生み、物語は運命のラストへと向かう。
久坂部羊『オカシナ記念病院』(角川文庫刊)
「患者を助けたい!」は医者のエゴなのか?目からウロコの医療エンタメ!
島民の健康向上に奔走する若き研修医・新実一良。「がん検診」「在宅医療」「認知症外来」など新たな施策を試みるも、意外な問題点が次々と明らかに……?!現代医療に一石を投じる著者渾身の医療エンタメ!
(あらすじ:KADOKAWAオフィシャルHPより引用)
詳細はこちら ⇒ https://www.kadokawa.co.jp/product/322204000280/
久坂部羊『砂の宮殿』(KADOKAWA刊)
「6,000万円ぐらい、命の値段としては高くもないだろう」
外科医の才所准一は、大阪で海外富裕層向けの自由診療クリニックを運営している。
抗がん剤・免疫療法の趙鳳在、放射線科の有本以知子、予防医学の小坂田卓という優秀な三人の理事とともに最先端のがん治療を提供し、順調に実績を重ねていたところ、久しぶりに訪ねてきた顧問が不審死を遂げる。
これは病死か事故か、それとも――。
高額な治療費への批判も止まず、クリニックに吹き荒れる逆風に、才所はどう立ち向かうのか。
(あらすじ:KADOKAWAオフィシャルHPより引用)
詳細はこちら ⇒ https://www.kadokawa.co.jp/product/322201000353/
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