武蔵野、それは都会でもなく田舎でもない黄昏の境界……。
斎藤潤一郎さんの新作『武蔵野』は、著者自身を思わせるマンガ家が東京近郊の町を訪ね歩く、ドキュメンタリーテイストの旅マンガだ。
独特のタッチで描かれた郊外の光景には、おばけ好きの琴線に触れる怪しさが漂う。
取材・文=朝宮運河
『武蔵野』斎藤潤一郎インタビュー
旅ものと怪談の相性
斎藤潤一郎さんが「トーチweb」に連載していた異色の旅マンガ『武蔵野』が単行本にまとまった。血と暴力の世界をドライなタッチで描いた『死都調布』と、その後日談『死都調布 南米紀行』『死都調布 ミステリーアメリカ』でマンガ読みを唸らせた斎藤さん。今回はがらりと作風を変えて、新たなジャンルに挑戦している。
「『ミステリーアメリカ』を描き終えた時点で、自分の作風に飽きてしまったんです。『死都調布』でも一作ごとに描き方を変えていたんですが、そもそもこのシリーズとは全然違う世界を描きたいなと。それで前から興味があった“旅もの”をやってみることにしました」
旅ものを描きたいという斎藤さんの気持ちを後押しした、一冊のホラーアンソロジーがあったという。ホテルや旅館での怪異譚を収めた、『宿で死ぬ 旅泊ホラー傑作選』(朝宮運河:編)だ。
「『宿で死ぬ』を読んで、旅ものと怪談って相性がいいなとあらためて感じたんです。特に遠藤周作の『三つの幽霊』が好きなんですよ。実話怪談っぽいネタを、雰囲気のある格調高い文章で書いていて、こういう旅ものをやりたいと思った。怪談やホラーまでいかなくても、不気味さや不穏さの漂ってくる作品にはしたかったですね」
遠藤周作「三つの幽霊」は作者が熱海の旅館、海外の学生寮などで味わった恐怖を、おなじみの名調子で綴ったドキュメンタリー風の怪談である。
「遠藤周作って嘘が上手いじゃないですか(笑)。『三つの幽霊』も多分かなり嘘が混じっていると思うんですが、話し上手だからそのあたりが気にならない。あのフェイクドキュメンタリー的な手法にも、すごく影響を受けています。こんなことを言うと怒られますが、世間の実話怪談だって“実話”じゃないのもあると思いますよ。でも話術が巧みなら面白くなる。語り方が重要だというのは、『武蔵野』を描いていても痛感しました」
実話と創作の区別を曖昧に
こうして生まれた『武蔵野』は、斎藤さん本人を思わせるマンガ家が武蔵野の各地を訪ね、どことなく奇妙な人や景色に遭遇するという連作だ。タイトルの武蔵野とは、東京都西部から埼玉県南部にわたる広大なエリアで、都会とも田舎とも呼べない微妙な風景が広がっている。
「『武蔵野』という言葉の響きが好きだったのと、日帰りで旅行できることから武蔵野を舞台にしました。地方の人が東京といってイメージするのは、たとえば渋谷や新宿などの繁華街ですよね。でなければ下町の情緒がある東側。そのどちらでもない東京、こんなに人が歩いていない侘しい町だってあるんだよ、ということは描いておきたかった」
その取り立てて特徴のない郊外を、主人公は歩き続ける。団地、商店街、倉庫、給水塔。インスタ映えとは無縁のすすけた景色が、絶妙な構図とペンタッチで切り取られていく。
「実際に現地を歩きながら、景色をどう切り取って見せるかを考えています。だから散歩していても、全然心が安まらない(笑)。郊外の景色の魅力に気づいたのは、黒沢清監督の映画の影響だと思います。黒沢監督の映画は、現代の日本のありふれた景色を意図的に取り込んで、独特の効果を上げているんですよ。自分も武蔵野の淋しい景色をじっくり描くことで、言葉では伝えきれない何かを感じてもらいたいと思いました」
第1話の「高麗(こま)」で埼玉県の小さな駅に降り立った主人公は、ひょんなことからその土地に住む姉弟の家に一泊することになる。鬱屈を抱えた主人公のモノローグと、どこか風変わりな住人たちの言動が、言いようのない不穏さを漂わせる。
「主人公は自分自身じゃないんですけど、内面を語らせている部分はありますね。たとえば他人の家で皿を洗わされて、ぶつぶつ文句を言っているところとか。ああいう気持ちになったことは、何度かあるような気がします。これまで説明的なモノローグはなるべく入れないようにしていたんですが、殺人犯の独白が延々続く『アングスト/不安』という映画にヒントを得て、今回はあえて多めにしてみました。『死都調布』に比べて『武蔵野』がどこか暗い感じがするのは、主人公のモノローグが続くからだと思います」
第2話では、ミステリアスな噂が囁かれる東京都西部の秋津駅・新秋津駅間を散策する。このように明確な目的がある旅もあれば、これといって理由もない無為な散策もある。
「何もない駅が多いので、毎回どう描けばいいか悩みます。最初のうちは事件を描いたほうがいいだろうと思っていたんですが、連載中にたまたまラッパーのメテオさんに会う機会があって、彼が“友達のやっているカフェにわざわざ行ったら閉まっていた”という話を、すごく面白く話してくれたんです。ありふれた出来事でも、話し方次第でこんなに面白くなるんだというのが発見で。それで後半は何も起こらないことをそのまま描くようになりました」
ケーキバイキングを食べ切れなかった悲しげな老人。動物園で話しかけてくる無遠慮な男。地面に散乱する獣の糞。浮かんでは消えるいくつもの些細なエピソードが、旅につきものの非日常感を強めていく。
「ケーキバイキングのおじいさんや、喫茶店でアイスコーヒーを頼んだらアイスティーが出てきたというエピソードは実話。取材していて面白かった出来事は、作品に取り入れるようにしています。でも登場人物のほとんどは創作ですし、『沼南(しょうなん)』で昭和のアイドル写真が柵に打ち付けられていたという奇妙なエピソードは、自分が用意していた写真をわざわざ貼って、それを絵にしたものなんですよ(笑)。『食人族』みたいないかがわしいフェイクドキュメンタリー映画が好きなので、この作品でも実話と創作の区別をわざと曖昧にしているところがあります」
『武蔵野』のその先へ
旅ものを得意とするマンガ家といえば、斎藤さんと同じく調布市に拠点を置く巨匠・つげ義春の名前が思い浮かぶ。『武蔵野』につげ作品の影響はあるのだろうか。
「よく『ガロ』系だと言われるんですが、日本のマンガの影響はほとんど受けていないんですよね。自分の絵柄は画家のフランシス・ベーコンやエドワード・ホッパーなどのアメリカの画家の絵を、ペンで模写しているうちにできあがったものです。つげ義春さんの“旅もの”も、ちゃんと読んだのは大人になってからなんですよ」
「トーチweb」ではすでに『武蔵野 ロストハイウェイ』と銘打ったセカンドシーズンが連載中。今度は走る車の窓から、荒涼とした武蔵野の景色が切り取られている。
「せっかく旅マンガの描き方を確立したのに、また違うことをやりたくなってしまう(笑)。そういうわがままなマンガ家なので仕方がないですね。といっても絵に力を入れて、印象的なエピソードを連ねていくというスタイル自体は変わりません。ストーリーよりも人物や景色を描写するほうに興味がありますし、それでマンガは十分面白いんだとも思っています」
稲川淳二などの怪談をBGMに執筆し、作中ではイタリアンホラー映画『サスペリア』に言及する。そんな怪奇の嗜好をもつ斎藤さんが令和のミステリー・ゾーン=武蔵野を幻視した『武蔵野』は、おばけ好き読者にも見逃せない一冊になっている。
「そう言ってもらえると嬉しいです。怪談的な部分に注目してもらうことがあまりないので。将来的には本気で怖い話にも挑戦してみたいですね。アメリカやヨーロッパを舞台に、何も起こっていないのに怪奇の雰囲気が濃厚に漂ってくるような、不気味なゴシックホラーを描いてみたい。『武蔵野』で培った雰囲気作りの手法は、将来ホラーにも生かせるんじゃないかと思っています」
※「ダ・ヴィンチ」2023年4月号の「お化け友の会通信 from 怪と幽」より転載
プロフィール
さいとう・じゅんいちろう● 1980 年、東京生まれ、カリフォルニア育ち。趣味はエアガン、怪談、ラップ。同人マンガ誌『架空』2010 年6 月号でマンガ家デビュー。17 年『死都調布』でメジャーデビュー。著書に『死都調布』『死都調布 南米紀行』『死都調布 ミステリーアメリカ』『武蔵野』がある。現在「トーチweb」で『武蔵野 ロストハイウェイ』を連載中。
書籍紹介
『武蔵野』
斎藤潤一郎
リイド社 990 円(税込)
絶望したマンガ家が降り立った郊外の駅。そこには飲食店が一軒もなく、のどかな風景が広がるだけだった。彼は見知らぬ人の家に泊まることになり……。高麗、秋津・新秋津、北朝霞、小野路……。時代から取り残されたような町の怪しい魅力を再発見する、異色旅マンガ。
『宿で死ぬ 旅泊ホラー傑作選』
遠藤周作、他:著
朝宮運河:編
ちくま文庫 990 円(税込)
老舗の旅館や、どこか懐かしいグランド・ホテルで――。熱海の旅館など自身が体験した出来事を書いた、遠藤周作「三つの幽霊」をはじめ、福澤徹三、坂東眞砂子、恩田陸、綾辻行人、都筑道夫らによる「宿」を舞台にしたホラーを11編収録した、珠玉のアンソロジー。
【怪と幽紹介】
『怪と幽』vol.012
KADOKAWA 1980円(税込)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322102000145/
●特集1 鎌倉
澤田瞳子×米澤穂信
赤澤春彦、荒俣 宏、千街晶之、武川 佑、中野晴行、東 雅夫、山田雄司、吉田悠軌
●特集2 濱地健三郎の事件簿
有栖川有栖×山崎ハルタ
一穂ミチ、今村昌弘、織守きょうや、佳多山大地、千街晶之、マギー
●小説 京極夏彦、小野不由美、有栖川有栖、山白朝子、恒川光太郎、澤村伊智、織守きょうや、新名 智
●漫画 諸星大二郎、高橋葉介、押切蓮介 ほか