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試し読み

学院の寮には妖精が住むという噂が……? 『私立シードゥス学院 小さな紳士の名推理』序話試し読み #6

「薬屋探偵」「うち執」などで大人気の作家・高里椎奈さん。待望の新作『私立シードゥス学院 小さな紳士の名推理』は、全寮制の学院を舞台に仲良し1年生トリオが謎を解く寄宿学校ミステリです。10月23日の発売を前に、カドブンでだけ特別に新作の序話を配信いたします!


私立シードゥス学院 小さな紳士の名推理


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      7

 茶棚と向かい合って、老齢の女性が童謡を口遊んでいる。
 緩やかに癖のある髪はすっかり白くなっていたが、背筋はピンと伸びて、指先の動きまで細やかだ。
「ココアはお好き?」
 彼女が缶の蓋を開けながら問いかけると、ソファに座った三人が身動ぎした。
「ぼくは好きです」
 日辻が遠慮がちに答える。
「飲んだ事がありません」
 と、弓削。
「ぼくは甘いものが苦手です」
 最後に獅子王が頭を下げた。
 二人掛けのソファに三人が肩を並べて収まっている。窮屈さはなく、長身に見える日辻もまだ子どもなのだと改めて思わされる。
「日辻さんと弓削さんにはココア、獅子王さんと寮監にはお紅茶を淹れましょう」
 言って聞かせるような優しい声音でひとまとめにされた。彼女にとっては天堂も子ども同然らしい。
寮母メイトロン
「はいはい」
二宮にのみやさん」
 天堂が暗に急かしても、彼女は手を止めようとも速めようともしない。
 生徒は書斎に呼ばれるだけでも針の筵だろう。
 普段は職員専用で、寮長を除いて寮生の立ち入りは禁止されている。古い薪ストーブ、脚まで磨かれた上質な調度品、作り付けの本棚を埋める異国の書籍が題名を読めない者に排他的な冷たさを感じさせる。
「いやね、お砂糖が切れていたわ。買い置きはあるかしら」
「二宮さん……就寝時間もあります。お話を始めてもいいですか?」
「はいはい」
 彼女が茶棚を探し始めてしまったので、天堂は気を取り直して三人に向き合った。
 獅子王、弓削、日辻。
 日辻が説明を買って出て、獅子王が拳を振るう。その違和感に半日掛けて漸く辿り着いた。
 天堂は膝の上で両手の指先を合わせた。
「今本さんと喧嘩をしたのは――弓削さん。君ですね」
 呼吸が止まる音が聞こえた。
「寮監。今本先輩を殴ったのはぼくです」
「異論ありません。今本さんも獅子王さんから拳を受けたと証言しています。しかし、決定的な矛盾が生じます」
「何処がですか」
 獅子王がまだ細い声を精一杯、低くする。彼の鋭い眼差しが天堂の胸に突き刺さって、言葉に痛みの幻が伴った。だが、事実は詳らかにしなければならない。
 天堂は喉の奥で小さく咳払いをして声を張った。
「今週のベル当番は日辻さんと弓削さんです。他の生徒はベルが鳴り、着替えを済ませるまで部屋を出ません。獅子王さんはラジオの音を聞く事は出来ませんでした」
 思い返せば、日辻の話には曖昧なところがあった。主に、人物についてだ。
 正直者と言うべきか、彼は誰と一緒にベル当番を務めたのか、そして今本が誰を挑発したのかを明言しなかった。
「それで、どうして弓削が喧嘩した事になるんですか?」
 日辻が懸命に顔を上げる。
「獅子王さんが庇って、代わりに立ったからです」
 天堂の答えが、日辻の瞳から希望の光を奪った。
 人の希望が摘み取られる瞬間はどのような場合であっても胸が締め付けられる。天堂が手ずから行ったのなら尚更だ。
「弓削さんは無言を貫いていましたが、唯一、私に獅子王さんは退学になるのかと尋ねましたね。自分の代わりに罰を受けるとなれば当然の心配です」
「…………」
「君達の喧嘩がどれほど険悪であったか、私には分かりません。しかし、今本さんの『殴れるものなら殴ってみろ』という挑発は、まるで相手が手を出せないと知っているかのような物言いに聞こえます」
 弓削には絶対に手を出せない理由がある。それは同時に、今本が回避に専念して反撃に転じなかった理由でもあった。
「今本さんと弓削さんは、学院から学費援助を受けて学ぶ奨学生バーサリーです。問題を起こせば援助が断たれ、除籍を余儀なくされるでしょう」
 特技を認められて入学した奨学生スカラーは必ずしも学費援助を受ける訳ではないから、入学条件を満たせなくなったとしても一般生として学院には残れる。だが、奨学生バーサリーが学費援助を打ち切られれば、学院を去らなくてはならない。
「ここでひとつ疑問が浮上します。禁止された電子機器の所持で責められる立場にある今本さんが、何故、弓削さんに強く出られたのか。違反に学年は関係ありません。では仮に、弓削さんにも別の非があったとしたら?」
 天堂はテーブルの新聞を取り上げた。何度も確認したので折り癖が付いている。
「今朝は六時からスポーツニュースが放送されていました。メインは昨日行われた試合のダイジェストです」
 寮で受信可能な番組の中で、その時間帯にスポーツを扱っていたのは一局だけだった。放送時間は六時から六時五十分。朝は天気予報や交通情報が有り難がられる事だろう、どの局も三十分から一時間に一回はニュースのマークが挟み込まれている。
「ベル当番は起床時刻までに寮内を廻る決まりです。一階から始めて四階に着く頃にちょうど時計台の鐘が鳴る。上級生ほどゆっくり眠れる慣習ですね、日辻さん」
「はい。祖父の頃からの伝統と聞きました」
「そうですか」
 歴史ある慣しは仮令、形骸化したとしても大切に受け継がれるに違いない。
「寮生は五十人。一階に二部屋、二階に十部屋、三階に五部屋の個室があります。四階まで歩くのに要する時間は五分から十分というところでしょうか。長くとも十五分は掛からないでしょう」
 弓削が落ち着きなく腰を浮かせようとするのを、獅子王が手を添えて制する。日辻は唇を引き結んで同意も否定もしない。
「君達はラジオの音を聞いて、寮長を頼り、今本さんが起こされました。彼はこう言っています。気の早い一年生が騒がなければあと十五分は寝られた、と」
 あとは簡単な逆算だ。
「六時四十五分に今本さんが起こされた。それより前に寮長を訪ねて、一階から四階までベルを鳴らしながら上がる。君達は何時にラジオを聞いたのですか?」
 天堂は新聞をテーブルに置いた。
 三人が座るソファにゆとりが生じる。左右を挟まれた弓削が肩を窄めて身体を縮こまらせた為だ。
「寮監、オレ……」
「獅子王は先輩の命令を聞いただけです」
 日辻が敢然と、言いかけた弓削の言葉を遮った。
「殴れと言ったのは今本先輩です。それだって元は今本先輩がラジオを持ち込んだのが悪いと思います」
「今本さんの部屋にラジオはありませんでした」
「何処かに隠しているのかも」
「彼が帰る際に同行しました。私と行田さんの目を盗んで隠匿するのは不可能です」
「今本先輩の部屋にラジオがあると知っている誰かが持ち出したのでは」
「何の為に?」
「ラジオが欲しかったとか、頼まれたとか」
 日辻の反論が焦りで空回りを始める。
理央りお、もういいよ」
「弓削は悪くない。ぼくがベルを渡さなかった所為だ。学習室に置き忘れなければ早起きして探す必要もなかった」
「五月蝿え! 二人とも黙ってろ。退学になりたいのか」
 怒鳴られて、弓削と獅子王が身を硬くする。日辻はハッとした顔をして、枯れ柳みたいに悄げてしまった。
「ごめん」
「いや」
「オレも」
 日辻と獅子王、弓削は沈み込んで、最早、天堂とは目も合わせない。
 寮には寮の秩序がある。天堂に報告しようとは思わなかったと彼らは言った。
 天堂は、生徒にとって信用に値しないのだろうか。
(ある意味、正しい)
 天堂には誰を罰してどう解決すればいいのか分からなかった。
「怖い顔をしているからよ、寮監」
「え……」
 いつの間にか天堂も俯いていたらしい。頭を上げると頸椎が軋んだ。
 二宮がココアと紅茶を置いて天堂の隣に腰を下ろす。彼女は白磁の陶器に金色で植物が描かれたカップを手に取ると、水面を吹き冷ましてから口を付けた。
青寮カエルレウムには不思議な話があるのだけれど、あなた方は御存じ?」
 平和な笑みを湛えて尋ねる二宮に、天堂は首を振った。三人も知らない様子で沈黙を続けている。二宮が白くなった睫毛を伏せる。
「誰もいない真夜中、居間のテレビが一人でに点いて、時計台の鐘と共に消えるの」
「もしや、怪談の類いですか?」
「私は愉快な事が大好きな妖精が棲み付いているのだと思うわ」
 二宮が手を合わせて鈴を転がすように笑った。
 天堂の背骨が心地よく伸びた。
「妖精では仕方ないですね」
「寮監?」
「寝静まった建物は音が響くものです。居間の隣にはキッチンがありますから、換気口に音が反響して他の階で聞こえる事もあるでしょう」
 今回の一件は、複数の意図が重なり合って事態が大きくなってしまった。原因をひとつに定めて全ての責任を取らせる形での対処は単純で明快だが、監督者としては愚かな怠慢でしかない。
 天堂は絡まった事実を解きほぐした。
「弓削さん、日辻さん。君達は予定より少し早起きをしました」
「はい」
 二人がそわそわと落ち着かない様子で表情で応える。
「起床時間は健康に障りない範囲で個々の自由です。但し、ベルの引き継ぎを忘れた件については今後、くり返さないよう反省して下さい」
「忘れません」
「約束します」
 弓削と日辻が交互に首肯する。
 天堂は次いで、獅子王と視線を合わせた。
「今本さんはほぼ無傷で明日には痕も残らないようです」
 獅子王は眉を顰めたが、頰は紅潮して喜色を浮かべる。
「生徒同士、意見が食い違う事はこれからも起きるでしょう。喧嘩をした時、相手と仲直りをする方法は分かりますか?」
「……互いに己の非を認めて謝罪します」
「大変、結構だと思います」
 天堂が頷くと、三人は漸く理解が追いついたらしい。弓削が真っ先に目を輝かせ、両手をテーブルに突いて身を乗り出した。
「獅子王は退学にならない?」
「なりません」
「オレ達も?」
「引き続き、勉学に励んで下さい」
「! やったあ」
 振り上げた手がカップを倒しそうになるのを、獅子王が素早く避ける。日辻は安心したのか涙目になって、二人から顔を背けて深く息を吐いた。
「二宮さん、ありがとうございます」
 天堂が小声で礼を言うと、二宮が片目を閉じてみせる。天堂は密やかに口の両端を上げて応え、膝に手を突いた。
「私は学習室を手伝いに行きます。折角、寮母メイトロンが淹れて下さったのです。君達はそれを頂いてから戻って下さい」
「折角淹れたのだから、あなたも持って行って」
「あ、すみません」
 二宮が紅茶のカップを天堂に手渡す。兄貴風ならぬ大人風を吹かせたつもりだったが、菓子皿のクッキーまで二枚も持たされては天堂も全く子供の様だ。
「では、失礼します」
 締まらない挨拶をして戸口に向かった天堂を、呼び止めたのは獅子王だった。
「寮監」
 彼はその黒髪と同様に真っ直ぐな眼差しでこちらを見ている。
「ありがとうございました」
 獅子王に続いて、日辻と弓削も慌てて立ち上がり、お辞儀をした。
 少しは信用してもらえたのだろうか。
 学院には様々な慣習やルール、共通認識が存在する。きっと天堂がまだ知らない秘密の決まり事も山とあるのだろう。
(でも、どうにかやっていけるかもしれない)
 天堂は三人に手を振って部屋を出た。
 廊下にたゆたう穏やかな静寂に、紅茶から立ち上った湯気が溶けて消える。
 心に仄かな光が点る。
 時計台の鐘がひとつ鳴った。

(つづく)

高里椎奈『私立シードゥス学院 小さな紳士の名推理』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322005000369/


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