カドブンで好評をいただいている、ミステリー『虜囚の犬』。
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4
和井田が話し終えたあとも、しばしの間、白石は口がきけなかった。
ソファから動けない白石を後目に、和井田は立ちあがってコーヒーサーバから勝手に二杯目を注いだ。
カップを手にソファへ戻り、低く言う。
「翌々日には係長の見立てどおり、庭から〝先住者〟の死体が見つかった。──しかも、二体な」
白石の肩が、びくりと跳ねた。
「二体……?」
「ああ、二体だ。骨盤からしてどちらも女だった。ただし一体は新しく、もう一体は完全に白骨化していた。後者は十年以上前に殺され、埋められたと推定される」
和井田はコーヒーをぐいと
「ひとまず、新しいほうの人骨に話を絞るぞ。こちらの身元は歯型からすぐに割れた。
と舌打ちして、
「行方不明者届が、義父から出されている」と言いなおした。
「ただし家出の前歴が複数回あったため、所轄署は事件性なしと見なして捜索しなかったようだ」
「それが……逆さ吊りにされて死んだ子か」
白石は問うた。
和井田がうなずく。
「そうらしい。検視の結果、遺体の死亡時期ならびに、北畠彩香が証言した外見上の特徴とが一致した。つまり北畠彩香が監禁される三箇月前から、稲葉千夏はあの地下牢にいたことになる。……北畠彩香が言ってたよ。『あの子を世話しなきゃいけなかったから、その間はなんとか正気を保っていられた。最初から一人だけだったら、きっと二箇月ともたなかった』ってな」
「その稲葉千夏さんは、いつ頃に埋められたんだ」
「北畠彩香の証言から推測すると、二月のなかばだ。遺体を調べた検視官の意見とも、ほぼ一致している」
和井田はいったん言葉を切り、
「さて、おまえの意見を聞くにあたって、これから先はどうしても言わなきゃいかん情報だ。だから言うぞ。白石、おまえの精神状態がまだ安定しきっていないのは知っている。だがあえて言わせてもらう。いいな?」
「ああ」
白石はうなずいた。数秒まぶたを閉じ、ひらく。
「では言う。──稲葉千夏は死後、骨から肉を
「な、──……」
思わず白石は絶句した。
そんな彼に、「どう思うよ」和井田が片目を細める。
「要するにマル害は──薩摩治郎は、稲葉千夏を北畠彩香に食わせていやがった。『あの子を世話していた間は正気を保っていられた。最初から一人だけだったら、二箇月ともたなかった』と言わしめた相手にだ。やつは彼女が世話していた当の本人を、よりによって、犬の餌に混ぜて食わせた。この事実をどう思う? これほどの悪意が人間のどこから湧いて出るものか、おまえだったらどう解釈する?」
白石は答えられなかった。
和井田がつづける。
「ちなみに古い骨のほうは、頭蓋骨
「ああ」
白石は首肯した。
「よく、わかった」
うなじの汗を、なかば無意識に拭う。
和井田はソファにもたれて目線を上げた。
「ここからは質問だ。おまえが担当官だったときのマル害は、どんなやつだった? やつの印象から教えてくれ」
「彼は、治郎くんは──」
白石は眉間をきつく
「おとなしい、無口な少年だった。当時、高校二年生だったはずだ。ぼくはまだ駆け出しのひよっこで、治郎くんは三件目の担当だった。なにを訊いても、ほとんど『はい』と『いいえ』しか答えてくれなかった」
「十七歳の薩摩は、なにをやらかして家裁調査官の世話になったんだ」
「白骨の件とは、おそらく関係ないはずだ」
白石は言った。白骨、の単語が喉にひっかかった。
「当時の治郎くんは高校受験に失敗して、意に染まない高校に入学した。父親が厳格で、『甘えに繫がる』と、すべり止めの受験を許さなかったせいだよ。志望校に落ちた彼は、定員割れで二次募集をかけた高校に入るしかなかった。……だが治郎くんの性格には、とうてい合わない校風だった」
「いじめられたのか」
「ありていに言えば、そうだ」
白石は認めた。
「だが殴られはしなかった。治郎くんの生家は裕福で、利用価値があったからだ。いじめっ子たちは彼から金を巻きあげ、いわゆる〝パシリ〟にした。治郎くんはいじめっ子たちの遊興費を払わされ、歌ったり踊ったりの道化を毎日演じさせられ、万引きや恐喝の見張り役をさせられた」
「万引き、恐喝……か。なるほど」
和井田が顎を
「つまりいじめっ子ともども、やつはパクられちまったわけだ。窃盗および暴行の従犯だな」
「それだけじゃない。彼らは重い罪を犯した。金を脅しとろうとした相手に反抗され、腹部を刺してしまったんだ。刺された被害者の少年は、内臓に重い損傷を負った。長く後遺症が残るだろう損傷だ。見張り役の治郎くんは従犯として逮捕され、勾留を経て、家庭裁判所に送致されてきた」
「で、おまえが担当したわけだ。主犯はどうなった?」
「主任が担当したよ。記憶では確か、主犯の少年は鑑別所へ送られたはずだ。従犯二人のうち、一人も同じく観護措置だった」
「薩摩は?」
「彼は事件に積極的にかかわっていなかったからね。ただの見張りだったし、彼自身がいじめられてもいた。普通なら、ごく短い試験観察で済んだはずだが……」
「だが、なんだ」
和井田の問いに、白石は低く答えた。
「さっきも言ったように、彼は『はい』と『いいえ』しか口をきかなかった。無気力で、自尊心が低く、健全な精神状態ではなかった。だから担当裁判官との協議の結果、観察期間を延ばすことにしたんだ」
「その試験観察ってのは、具体的になにをするんだ」
「本人との面接、心理テスト、家族も加えた面談。事件の背景も見なくてはならないから、中学や高校の教師を訪ねたり、担当医に会って話を聞いたり、必要があれば友人たちや近隣住民にも会う。あらゆる角度から少年を理解し、どんな処遇が最適かを検討し、その結果を報告書にまとめて最終的に裁判官へ提出する。試験観察の結果によって、審判の行方が左右されることになるからな」
「堅っくるしい言いかたをするなよ」
和井田は手を振った。
「要するにその子を裁判にかけるか否か、その材料を集めるってわけだろう。逮捕後の、捜査官の仕事と同じだ」
「裁判じゃない。少年事件では『審判』と言え」
白石は真顔で訂正して、
「それに、警察の捜査員と家裁調査官の仕事はまったく違う。和井田たちは犯人を起訴するために調書を取るが、ぼくらは少年を心理的、精神的にサポートするため彼らを調べるんだ。捜査員は犯人を理解する必要はない。でもぼくたちは彼らと交流し、その成長と更生を──……」
そこで、彼は絶句した。
胃の底から、急激に吐き気がこみあげてくる。白石は胃に手を当て、思わず体を折った。喉もとまで酸っぱい胃液がせり上がる。息が詰まる。
「おい」
和井田が覗きこんできた。
「どうした、気分が悪いのか」
「……ああ、いや……」
呻くような声が出た。
全身に脂汗が滲んでいるのがわかる。自分でも、思いがけない反応だった。
時間をかけて記憶を薄れさせ、癒やしてきたつもりでいた。なのに「少年の成長と更生」だなんて
──まだ、回復しきれていないんだ。
白石はやんわり和井田の手を払い、大きく深呼吸した。
吐き気がおさまるまで、ゆっくりと数回、深い呼吸を繰りかえす。過呼吸を起こさないよう留意しながら、ソファに体を倒す。
「すまない」
白石は言った。
「つづきは──薩摩治郎くんと会ったときのことは、あとで文章にまとめてメールする。悪いが、しゃべるより文章にしたほうが、負担がすくなそうだ」
「そのようだな。おれのパソコンのアドレス宛に頼む」
和井田はあっさりうなずいた。
こいつのこういうところが楽だな、と白石はあらためて思った。
家裁調査官を辞めると言ったとき、周囲はみな、
「せっかく国家公務員になれたのに、もったいない」
「ひとまず休職でいいじゃないか」
と勧めた。白石の意思を即座に受け入れてくれたのは、果子と和井田だけだった。
「お兄ちゃんに都会のペースは合わないのよ。転勤がよくなかったわね」
「こいつは田舎者だからな。まあ駄目なもんは、まわりがどう騒いだって駄目だ。本人の好きにするのが一番だ」
と笑い飛ばした上、二人で白石を繁華街まで引きずっていき、ショットバーを三軒もはしごさせた。おかげで翌朝はひどい二日酔いだった。しかし気分は、噓のように楽になった。
──あれからもう、三年経つのか。
和井田はコーヒーの残りを飲みほし、
「じゃあおれは帰るぞ。次は果子ちゃんがいるときに来る」と腰を浮かせた。
「無駄だぞ。果子は夜中にしか帰らない」
「三百六十五日働いてるわけじゃあるまい。休日だってあるだろうが」
「おまえ、この手の顔は嫌いなんじゃなかったのか」
白石は己の顔を指さした。和井田は鼻を鳴らして、
「馬鹿か、女の子はいいんだ。だが野郎でそのツラは駄目だ、おまえは敵だ。……とはいえ、昨日の敵は今日の友と言うからな。友情のためにまた来る」
一方的にまくしたて、早足で出ていってしまう。
白石は見送りに立たなかった。
吐き気はおさまっていた。ぎこちないながらも最後に軽口が叩けたことに、われながらほっとしていた。
額の汗を拭う。薩摩治郎の記憶と、たった今聞かされた話が脳内を駆けめぐる。
鼓膜の奥で、押し殺したような治郎の声がした。
──ぼくは、犬だ。
(つづく)
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