カドブンで好評をいただいている、ミステリー『虜囚の犬』。
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8
つづいて白石は、薩摩家の元お抱え庭師である
伊知郎は庭石で頭を打って死んだという。そのときの第一発見者が善吉だ。七年前にも何度か会い、治郎について話を聞いた相手だった。
「ああ、家裁の調査官さんか。おひさしぶり」
早瀬医師と同じく、彼も白石を覚えていてくれた。
一昨年に引退し、家業は孫に継がせたという。自慢の庭を背にあぐらをかいた姿は、いかにも悠々自適のご隠居であった。
「あんた、
とお追従まで言う。変わらないのは社会から隔絶されていたせいです──という言葉を、白石はすんでのところで
「このたびは、さぞ驚かれたでしょう」
と、お茶を
善吉は顎を上げて、
「驚いたなんてもんじゃないよ。坊ちゃんが刺されたこともだけど、まさかあの離れに女の人が閉じこめられてたなんてなあ。
と頭を振った。
「きっとみなさん、そう思っているでしょう」
白石はひかえめに認め、湯吞を置いた。
「あの離れはいつ建ったんですか? ぼくが七年前に訪問したときは、まだなかったようですが」
「いやいや、昔からあったのさ。竹林でうまいこと隠れてるから、ぱっと見にわかりにくかったんだ」
「昔というと、いつごろです?」
「そうさな、もう四十年ほど前か。まだ旦那さまが、最初の奥さまと結婚なさってたときだよ。もともとは
「伊知郎さんは、麻雀が趣味だったんですか」
「いっときだけね」
善吉が苦笑する。
「なにしろ金と暇をもてあましてる人だ。競馬だの船舶だのバイクだのと、いろんな趣味に手を出しては放り出してたよ。麻雀だって、あんな小屋まで建てといて、五年と経たずに飽きちまった。しかし地下室があるとは、さすがのおれも知らなかったな」
「庭に死体が埋まっていたそうですね。十年も前から」
白石は低く言った。
元庭師の頰が
「手入れをしていて、気づきませんでしたか」
「……これは、言いわけになるが」
喉に引っかかるような声で、善吉は言った。
「『離れのまわりは、草むしりだけでいい』と旦那さまに言われていたんだ。竹林はもちろんのこと、あのへんには
はっと口をつぐむ。白石は聞こえなかったふりをした。まるまると太った茗荷。韮。竹林。土中の肥料は、いったいなんだったのか。
白石は話を変えた。
「そういえば、お孫さんが家業を継がれたそうですね」
「ああ」
善吉が、ほっとしたようにうなずく。
「では薩摩家の庭は、引き続きお孫さんが手入れを?」
「三年前から孫に任せてるよ。とはいえ、やっぱり離れのまわりは草むしりだけだった。志津さまに『息子が怒るから、離れにはあまり近づかないで』と再三注意されていたんだ。おれのときと同じ──いや、もっと頻繁に言い含められていたらしい」
「志津さんは、治郎くんの機嫌をそこねたくなかったんでしょうね」
「だろうな。殴られて育った子は殴る大人に成長する、なんてよく言うが、坊ちゃんがまさかそうなるとはなあ。虫も殺さない、おとなしい子だったのに」
ため息が苦かった。
白石は質問をつづけた。
「志津さんは気づいていた、と思われますか? 離れの地下に、複数の女性が監禁されていたことを」
「思わんね」
善吉は即答した。
「奥さまは、耳が遠くなっておられた。何度も殴られたのと、ストレスが原因だそうだ。嘆かわしい話さ。旦那さまが亡くなって暴力から解放されたはずが、今度は実の息子に殴られるなんてな。考えるだにしんどいよ」
「治郎くんは、いつから離れに住んでいたんです?」
「旦那さまの四十九日を終えて、すぐかな。あそこに住みついてから、とんと姿を見なくなったね。たまに近所のコンビニに行ってたようだが、それも
「宅配業者はなぜ母屋でなく、離れに直接配達していたんですか?」
「水だの缶詰だのを、段ボールで何箱も買いこんでいたからね。インターネットを使って、カードで買いあさっていたらしいよ。奥さまが『わたし名義のカードでどんどん買ってしまうから困るわ。限度額なんか気にもしないんだから……』って、半べそで愚痴っていたっけ」
と言ってから、善吉が「インターネットといやあ」ぽつりとつぶやく。
「坊ちゃんが、またいじめられてたって可能性はないかな」
「は?」
白石は聞きとがめた。
「いじめですか、誰に?」
「いやさ、いまどきのインターネットじゃ、誰とでもすぐ会えるんだろう? だからそういう手段で知り合った誰かにいじめられて、無理やり女の人の監禁場所を提供させられた──なんて、考えられないかね。それでややこしいことになったから、坊ちゃんは口封じに殺された、とか……」
善吉は、
「だって治郎坊ちゃんは、あんなことをするような子じゃないよ。おとなしい子だった。勉強ができて、行儀のいい優等生だった。旦那さまがあんまり叱るもんだから、ちょっとずつおかしくなっていったけど……。もとは、出来のいい子だったんだ」
切なげな口調だった。
白石は、静かに言った。
「伊知郎さんは、治郎くんの友達を追いはらってしまったそうですね」
「そうなんだ」
善吉が
「坊ちゃんが、中学生になるちょっと前かな。旦那さまが釣りに飽きて、いつも家にいるようになったんだ。旦那さまったら、『うるさい、邪魔だ。馬鹿ガキが!』ってしつこく怒鳴って、みんな追い出しちまった。すごい剣幕だったよ。それでもぽつぽつ通ってくれる子はいたけど、紅葉が赤くなる頃には、ぱったり見なくなった」
「どこの子だったか、わかりますか」
「わからん。すくなくとも、うちのお得意さまの子じゃあなかった」
善吉は天井を仰いで、
「ああ、あの子たちが、ずっと仲良くしてくれてたらなあ。そしたら坊ちゃんは、調査官さんの世話になるような事件は起こさなかったと思うんだ。高校だって、辞めずに済んだかもしれない。あんな恐ろしい監禁事件だって、きっと……」
片手で顔を覆った。
「……子供には、友達が必要だよ。なのになにもかも取りあげて、一人にさせちまって……。旦那さまも、罪なことをなすったもんだ」
語尾が潤んで揺れる。
白石は問うた。
「庭に倒れていた伊知郎さんを、発見したのはあなただそうですね」
びくり、と善吉の肩が跳ねた。
発見したときのことを思い出したのだろう、
「ああ。──あれも驚いた。おっかなかった」
「庭に入ったときは、すでに伊知郎さんは倒れていたんですか」
「そうさ。松の下で、くの字になって転がってなすった。大いびきかいてたよ。おれぁ学はないが、倒れていびきをかくのが危ないってことくらいは知ってる。息子に持たされた携帯電話で、急いで救急車を呼んだんだ」
「伊知郎さんは脚立から落ちて、庭石で頭を打ったそうですね。でも落ちた瞬間を、目撃したわけではない?」
「まあそうだが、けど、見りゃわかるよ」
善吉は口をとがらせた。
「そばに脚立が倒れてたし、庭石には血が付いてた。『早めに来い』と電話一本くれりゃあ、いつでも駆けつけたのにさ。旦那さまは、せっかちで我慢のきかないかただったからなあ。結局は、そのせっかちさが身を滅ぼしたんだな」
顔をゆがめる善吉に、白石はさらに尋ねた。
「ほんとうに、事故だったんでしょうか」
「え?」
「だって伊知郎さんが脚立から落ちるところを、誰も目にしていないんですよね? でしたら脚立などは偽装の可能性だって」
「いやいや」
善吉は手を振った。
「あんたもそんな、なんでもかんでも疑やいいってもんじゃないよ。あれは間違いなく事故さ。警察がちゃんと調べた上で、事故だって決着したんだから」
「ですよね。警察は捜査したでしょう」
白石はうなずいた。
「自宅での変死ですからね。専門家が遺体を見分した上で、伊知郎さんの死を事故と断定した」
「そうさあ。おれだってお巡りにいろいろ訊かれたよ。ご近所にも、くまなく話を訊いてまわってた。警察はきっちり仕事してたと、このおれが保証する」
善吉は言いきってから、
「……でもまあ」ふっと声を落とした。
「まあ、調べるのも疑うのも当然さな。なにしろ旦那さまはほら……ああいう人だったから。敵がいないってわけじゃなかったからね」
あんたもわかるだろう? と言いたげな響きだった。
白石は「ですね」と調子を合わせた。
「敵といえば、例のあの人がいたじゃないですか。ええと、名前をど忘れしましたが……きっとあの人も、念入りに調べられたんでしょうねえ」
われながら下手な鎌かけだった。しかし善吉は、
「不動産屋の禿げ親父な」
と間髪を
「確かにあいつはうさんくさい。旦那さまと、何度も
「いえ、その人じゃなくて、あっちの……」
白石がさらに誘導すると、
「ああ」
元庭師ははっきりと顔をしかめた。
「そうか。……あんた、
「家政婦さんに聞いたんですよ」
白石は弁解した。もちろん噓だが、「大須賀さんはそうとう伊知郎さんを恨んでいたようですね」と当てずっぽうで言ってみる。
さいわい的をはずしてはいなかったようで、
「無理もないさ。あそこん
と善吉は嘆息した。
「金の切れ目が縁の切れ目って言うけど、ほんとだよ。金がなくなった途端、ほかの全部も一瞬で
「運命とは怖いですね」
白石はあたりさわりのない相槌を打った。
善吉が「まったくだ」と首肯する。
「しまいには夜逃げ同然に、故郷を追われる羽目になって……。大須賀さん本人はともかく、皺寄せのいった親類やご近所がお気の毒さ。薩摩家にかかわったせいで、疫病神にでもとっ憑かれたかねえ」
横を向いて、低く付け足す。
「……いや、神は神でも犬神かな」
「は?」
白石は片眉を下げた。
「いやあ、いまのはなし、冗談冗談」
善吉が打ち消すように両手を振る。
「まあとにかく、旦那さまは間違いなく事故死だよ。日本の警察は優秀なんだからさ。あんたも同じ公務員だろ、そこまで勘ぐるもんじゃないよ」
(つづく)
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