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【話題作再掲】行儀のいい優等生が、残虐な殺人に手を染めるまで。怒濤のどんでん返しミステリー!櫛木理宇『虜囚の犬』#9

カドブンで好評をいただいている、ミステリー『虜囚の犬』。
公開期間が終了した物語冒頭を「もう一度読みたい!」、「7月9日の書籍刊行まで待てない!」という声にお応えして、集中再掲載を実施します!
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(応募要項は記事末尾をご覧ください)

 ◆ ◆ ◆

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      8

 つづいて白石は、薩摩家の元お抱え庭師であるはやしぜんきちと会った。

 伊知郎は庭石で頭を打って死んだという。そのときの第一発見者が善吉だ。七年前にも何度か会い、治郎について話を聞いた相手だった。

「ああ、家裁の調査官さんか。おひさしぶり」

 早瀬医師と同じく、彼も白石を覚えていてくれた。

 一昨年に引退し、家業は孫に継がせたという。自慢の庭を背にあぐらをかいた姿は、いかにも悠々自適のご隠居であった。

「あんた、としとらないねえ。ちっとも変わらないじゃないか。こっちはすっかりじじいになっちまったってのにさ。イケメンは得だね」

 とお追従まで言う。変わらないのは社会から隔絶されていたせいです──という言葉を、白石はすんでのところでみこんだ。

「このたびは、さぞ驚かれたでしょう」

 と、お茶をすすって無難に切り出す。

 善吉は顎を上げて、

「驚いたなんてもんじゃないよ。坊ちゃんが刺されたこともだけど、まさかあの離れに女の人が閉じこめられてたなんてなあ。わいそうだし、なんで気づいてやれんかったか、申しわけなくもあるし──。正直言って、坊ちゃんと女の人たちと、どっちを気の毒がっていいのかわからんよ」

 と頭を振った。

「きっとみなさん、そう思っているでしょう」

 白石はひかえめに認め、湯吞を置いた。

「あの離れはいつ建ったんですか? ぼくが七年前に訪問したときは、まだなかったようですが」

「いやいや、昔からあったのさ。竹林でうまいこと隠れてるから、ぱっと見にわかりにくかったんだ」

「昔というと、いつごろです?」

「そうさな、もう四十年ほど前か。まだ旦那さまが、最初の奥さまと結婚なさってたときだよ。もともとはマージヤン用の小屋として建てたんだ。町の雀荘だと、ほら、警察の手入れがあったりして面倒だろう」

「伊知郎さんは、麻雀が趣味だったんですか」

「いっときだけね」

 善吉が苦笑する。

「なにしろ金と暇をもてあましてる人だ。競馬だの船舶だのバイクだのと、いろんな趣味に手を出しては放り出してたよ。麻雀だって、あんな小屋まで建てといて、五年と経たずに飽きちまった。しかし地下室があるとは、さすがのおれも知らなかったな」

「庭に死体が埋まっていたそうですね。十年も前から」

 白石は低く言った。

 元庭師の頰がこわる。

「手入れをしていて、気づきませんでしたか」

「……これは、言いわけになるが」

 喉に引っかかるような声で、善吉は言った。

「『離れのまわりは、草むしりだけでいい』と旦那さまに言われていたんだ。竹林はもちろんのこと、あのへんにはみようやらにらも生えてくるんで、除草剤はくなと言われてた。それがまた、まるまると太ったいい茗荷で……」

 はっと口をつぐむ。白石は聞こえなかったふりをした。まるまると太った茗荷。韮。竹林。土中の肥料は、いったいのか。

 白石は話を変えた。

「そういえば、お孫さんが家業を継がれたそうですね」

「ああ」

 善吉が、ほっとしたようにうなずく。

「では薩摩家の庭は、引き続きお孫さんが手入れを?」

「三年前から孫に任せてるよ。とはいえ、やっぱり離れのまわりは草むしりだけだった。志津さまに『息子が怒るから、離れにはあまり近づかないで』と再三注意されていたんだ。おれのときと同じ──いや、もっと頻繁に言い含められていたらしい」

「志津さんは、治郎くんの機嫌をそこねたくなかったんでしょうね」

「だろうな。殴られて育った子は殴る大人に成長する、なんてよく言うが、坊ちゃんがまさかそうなるとはなあ。虫も殺さない、おとなしい子だったのに」

 ため息が苦かった。

 白石は質問をつづけた。

「志津さんは気づいていた、と思われますか? 離れの地下に、複数の女性が監禁されていたことを」

「思わんね」

 善吉は即答した。

「奥さまは、耳が遠くなっておられた。何度も殴られたのと、ストレスが原因だそうだ。嘆かわしい話さ。旦那さまが亡くなって暴力から解放されたはずが、今度は実の息子に殴られるなんてな。考えるだにしんどいよ」

「治郎くんは、いつから離れに住んでいたんです?」

「旦那さまの四十九日を終えて、すぐかな。あそこに住みついてから、とんと姿を見なくなったね。たまに近所のコンビニに行ってたようだが、それもが落ちてからのことさ。最近は通販商品を届ける宅配業者と、志津さましか近寄れなかったようだ」

「宅配業者はなぜ母屋でなく、離れに直接配達していたんですか?」

「水だの缶詰だのを、段ボールで何箱も買いこんでいたからね。インターネットを使って、カードで買いあさっていたらしいよ。奥さまが『わたし名義のカードでどんどん買ってしまうから困るわ。限度額なんか気にもしないんだから……』って、半べそで愚痴っていたっけ」

 と言ってから、善吉が「インターネットといやあ」ぽつりとつぶやく。

「坊ちゃんが、またいじめられてたって可能性はないかな」

「は?」

 白石は聞きとがめた。

「いじめですか、誰に?」

「いやさ、いまどきのインターネットじゃ、誰とでもすぐ会えるんだろう? だからそういう手段で知り合った誰かにいじめられて、無理やり女の人の監禁場所を提供させられた──なんて、考えられないかね。それでややこしいことになったから、坊ちゃんは口封じに殺された、とか……」

 善吉は、禿げあがった額を何度も搔いた。

「だって治郎坊ちゃんは、あんなことをするような子じゃないよ。おとなしい子だった。勉強ができて、行儀のいい優等生だった。旦那さまがあんまり叱るもんだから、ちょっとずつおかしくなっていったけど……。もとは、出来のいい子だったんだ」

 切なげな口調だった。

 白石は、静かに言った。

「伊知郎さんは、治郎くんの友達を追いはらってしまったそうですね」

「そうなんだ」

 善吉がはなを啜る。

「坊ちゃんが、中学生になるちょっと前かな。旦那さまが釣りに飽きて、いつも家にいるようになったんだ。旦那さまったら、『うるさい、邪魔だ。馬鹿ガキが!』ってしつこく怒鳴って、みんな追い出しちまった。すごい剣幕だったよ。それでもぽつぽつ通ってくれる子はいたけど、紅葉が赤くなる頃には、ぱったり見なくなった」

「どこの子だったか、わかりますか」

「わからん。すくなくとも、うちのお得意さまの子じゃあなかった」

 善吉は天井を仰いで、

「ああ、あの子たちが、ずっと仲良くしてくれてたらなあ。そしたら坊ちゃんは、調査官さんの世話になるような事件は起こさなかったと思うんだ。高校だって、辞めずに済んだかもしれない。あんな恐ろしい監禁事件だって、きっと……」

 片手で顔を覆った。

「……子供には、友達が必要だよ。なのになにもかも取りあげて、一人にさせちまって……。旦那さまも、罪なことをなすったもんだ」

 語尾が潤んで揺れる。

 白石は問うた。

「庭に倒れていた伊知郎さんを、発見したのはあなただそうですね」

 びくり、と善吉の肩が跳ねた。

 発見したときのことを思い出したのだろう、そうぼうおびえが浮く。

「ああ。──あれも驚いた。おっかなかった」

「庭に入ったときは、すでに伊知郎さんは倒れていたんですか」

「そうさ。松の下で、くの字になって転がってなすった。大いびきかいてたよ。おれぁ学はないが、倒れていびきをかくのが危ないってことくらいは知ってる。息子に持たされた携帯電話で、急いで救急車を呼んだんだ」

「伊知郎さんは脚立から落ちて、庭石で頭を打ったそうですね。でも落ちた瞬間を、目撃したわけではない?」

「まあそうだが、けど、見りゃわかるよ」

 善吉は口をとがらせた。

「そばに脚立が倒れてたし、庭石には血が付いてた。『早めに来い』と電話一本くれりゃあ、いつでも駆けつけたのにさ。旦那さまは、せっかちで我慢のきかないかただったからなあ。結局は、そのせっかちさが身を滅ぼしたんだな」

 顔をゆがめる善吉に、白石はさらに尋ねた。

「ほんとうに、事故だったんでしょうか」

「え?」

「だって伊知郎さんが脚立から落ちるところを、誰も目にしていないんですよね? でしたら脚立などは偽装の可能性だって」

「いやいや」

 善吉は手を振った。しわばんだ顔が、目に見えて引きっている。

「あんたもそんな、なんでもかんでも疑やいいってもんじゃないよ。あれは間違いなく事故さ。警察がちゃんと調べた上で、事故だって決着したんだから」

「ですよね。警察は捜査したでしょう」

 白石はうなずいた。

「自宅での変死ですからね。専門家が遺体を見分した上で、伊知郎さんの死を事故と断定した」

「そうさあ。おれだってお巡りにいろいろ訊かれたよ。ご近所にも、くまなく話を訊いてまわってた。警察はきっちり仕事してたと、このおれが保証する」

 善吉は言いきってから、

「……でもまあ」ふっと声を落とした。

「まあ、調べるのも疑うのも当然さな。なにしろ旦那さまはほら……ああいう人だったから。敵がいないってわけじゃなかったからね」

 あんたもわかるだろう? と言いたげな響きだった。

 白石は「ですね」と調子を合わせた。

「敵といえば、例のあの人がいたじゃないですか。ええと、名前をど忘れしましたが……きっとあの人も、念入りに調べられたんでしょうねえ」

 われながら下手な鎌かけだった。しかし善吉は、

「不動産屋の禿げ親父な」

 と間髪をれずに反応した。

「確かにあいつはうさんくさい。旦那さまと、何度もめてなすった。警察もいの一番に疑ったようだがね。でもあの朝、あいつにはアリバイってやつがあってさ」

「いえ、その人じゃなくて、あっちの……」

 白石がさらに誘導すると、

「ああ」

 元庭師ははっきりと顔をしかめた。

「そうか。……あんた、おおさんの件まで知ってたのかい。やさしげな顔してるくせに、調査官ってのは油断ならねえな。あんな古い話まで掘り起こすなんて」

「家政婦さんに聞いたんですよ」

 白石は弁解した。もちろん噓だが、「大須賀さんはそうとう伊知郎さんを恨んでいたようですね」と当てずっぽうで言ってみる。

 さいわい的をはずしてはいなかったようで、

「無理もないさ。あそこんは旦那さまともんちやくを起こしてから、トラブルつづきだったもの。将棋の駒を倒すみたいに、ばたばたっと全部うまくいかなくなった」

 と善吉は嘆息した。

「金の切れ目が縁の切れ目って言うけど、ほんとだよ。金がなくなった途端、ほかの全部も一瞬でくしちまうんだ」

「運命とは怖いですね」

 白石はあたりさわりのない相槌を打った。

 善吉が「まったくだ」と首肯する。

「しまいには夜逃げ同然に、故郷を追われる羽目になって……。大須賀さん本人はともかく、皺寄せのいった親類やご近所がお気の毒さ。薩摩家にかかわったせいで、疫病神にでもとっ憑かれたかねえ」

 横を向いて、低く付け足す。

「……いや、神は神でも犬神かな」

「は?」

 白石は片眉を下げた。

「いやあ、いまのはなし、冗談冗談」

 善吉が打ち消すように両手を振る。

「まあとにかく、旦那さまは間違いなく事故死だよ。日本の警察は優秀なんだからさ。あんたも同じ公務員だろ、そこまで勘ぐるもんじゃないよ」

(つづく)

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櫛木理宇『虜囚の犬』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
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