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試し読み

『校閲ガール』の著者が描く、あのヨーグルトを題材にしたお仕事&推し事小説!【新連載試し読み 宮木あや子「令和ブルガリアヨーグルト」 第1回】

『校閲ガール』の著者・宮木あや子さんの連載がスタート!

4月25日(月)発売の「小説 野性時代 2022年5月号」では、宮木あや子さんの連載がスタート!
カドブンではこの新連載の試し読みを公開します。



本作は、2023年に「明治ブルガリアヨーグルト」が50周年を迎える株式会社 明治の取材協力のもと執筆した小説です。
登場する企業・団体・人物などはフィクションです。

宮木あや子「令和ブルガリアヨーグルト」 第1回

 彼女は冷たく無機質な、しかしやたらと楽しげな音楽が絶えず聞こえてくるその場所で、顔面に刻まれた疲労を隠そうともせずにあてどなく彷徨さまよっていた。行き交う人々に時おり軽くぶつかりながら、もうずいぶん長いこと「何か」を探している。彼女のある種の欲求を満たす、心身に一時的な快楽をもたらしてくれる何か。けれど情報量と遮蔽物の多いその場所では、求めている「何か」がなんなのか彼女自身も判っていない。思考をかんさせる楽しげな音楽、そのうしろには絶えることのない微かな機械音。
「お嬢さん」
 冷えた大気に閉ざされた局地的なけんそうの中、わがはいは彼女に呼びかける。反応はない。
「お嬢さん、肌荒れがひどい、体調が悪いのではないですか」
 素通りする彼女に吾輩は思わずついてゆく。
「お嬢さん、あなたは吾輩を買ったほうが良い、今のあなたには吾輩が必要だ」
 再三の声掛けも無視して吾輩たちの前を素通りしていった彼女は、少し離れたエリアであどけない舌足らずな声をかけてくる、音質と画質からして微妙に故障している気がしないでもない小型サイネージの前で足を止めた。
「……で作ったブランケットを、わたしにかけてください……一生の、おね、お願いです……サムイ……ヨ……」
 ちょっと黙っててくれないか卵。いやこれチキンライスで作った熊のほうの発言か。若干ホラーな感じになってるのにまったく可愛くて困る。、吾輩にも可愛くあざとい人間の肉声があったらなあ。
 彼女はそのサイネージのうしろに並んでいた六個パックの赤卵を手に取りかごに入れたあと、シリアルの棚を一巡し、期間限定のフルーツ入りグラノーラの小袋を手に取り籠に入れると、思い立ったように吾輩たちが陳列されている棚に戻ってきた。その途端、周囲が活気づく。
「グラノーラと合わせるなら吾輩がお手軽でしいですよお嬢さん!」
「おぬしのむタイプじゃん、液体じゃん、その役割はおいしい牛乳さんに譲りなさいよ」
「吾輩のほうがよりフルーツ盛りだくさんで楽しめますよ!」
「いやお主フルーツっていうか梅じゃん、和じゃん、ほかの活路を見出しなさいよ」
「りんごも入ってるもん」
「あのグラノーラ、りんご15倍って書いてあるぞ、キャラ被ってるぞ」
「吾輩がいちばんお腹に良いですよ! グラノーラと併せて食べると相乗効果が期待できますよ!」
おのれのニーズと使命を忘れるなLG21N、お主は対ピロリ菌用の戦闘菌種でほかのものと混ぜるために開発されてない。もったいないから平時の守備は吾輩たちLB81Oに任せてくれ」
「吾輩はお腹に良いどころかお主の強さを引き出すよ! ボトルも丸っこくて赤くてりんごみたいで可愛いでしょ!」
「R-1Xドリンクタイプ、お主もたぶんそういう用途で開発されてない、ていうかお主しれっといちご味じゃん! そのまま飲んでもらったほうがお互い幸せだよ!」
「吾輩も……健康に……」
「このお嬢さんはまだ尿酸値が上がるお年頃じゃなさそうに見えますよ、PA-3V」
 彼女はざっと我々を眺めたあと、吾輩のパッケージに目を留めた。そして何故か一切の迷いなく、吾輩の四〇〇gパッケージを手に取り秒で籠に入れた。おや? 今日は特売とかしてたかしら? いや、入荷数はいつも通りだった。ということは特売日ではない。何が決め手だった?
「ねえねえ、吾輩とお主を混ぜてひきにく入れて焼くと美味しいの、知ってる?」
 籠の中で横に並んだ卵が話しかけてくる。
「ちょっとアレンジを加えればムサカになりそうだな。美味しくないわけがないな。ところでお主んところのチキンライスの熊、あやつの声が聞こえてくると可愛くてときめいちゃうからほどほどにしてくれないか」
「あれは熊ではなく猫ちゃんです」
 猫ちゃんでしたかー。

 自己紹介が遅れて申し訳ない。吾輩は乳酸菌(通称)である。名前はブルガリア菌20388株。
 あっ、待って! ここでガッカリして読むのを止めないで! あと一ページくらいで人間がしやべり始めるからそれまで耐えて! え、なに? もやしもん? くまモンさんの瘦せ細った弟君かどなたかですか? え、なに? はたらく細胞? 我々菌類も細胞さんに負けぬよう日々精進して参ります。なお、同郷の乳酸菌(通称)であるサーモフィルス菌11311株も吾輩とタッグを組んで明和ブルガリアヨーグルトを作っており、吾輩たちを組み合わせたものが業界ではLB81O菌と呼ばれている。「(通称)」と記しているのは、吾輩たちが厳密に言えば乳酸菌ではないからである。
 現在「乳酸菌」という分類学上の学名は存在せず、「グラム陽性、形態(かんきんまたは球菌)、カタラーゼ陰性、運動性がなく、内生胞子を形成しない、消費したぶどう糖に対して50%以上の乳酸を生産する(乳酸発酵形式ホモ型またはヘテロ型)細菌」を、なんとなーくまるごと示すワードとして「乳酸菌」が用いられている。ただしここから先、いろいろと不便なので(通称)は外す。私情で甚だ恐縮ではあるが、乳酸菌という名の菌は存在しない、しかし乳酸菌と呼ばれている菌は存在する、という悪魔の証明みたいな矛盾にしばらくお付き合いいただきたい。
 狭いホテルの部屋の小さな冷蔵庫の前で吾輩のパッケージをまじまじと眺めたあと、彼女は長い溜息をついた。そしてスマホを取り出し、ツイッターを開き文字を打ち込み始めた。
〈就活帰りのスーパーでヨーグルトのパッケージに書いてあるLB81OがBL801に見えて私疲れてるのよ……〉
 ちょっと待て。そんな番号の菌は存在していないはずだ。もしかして新種か? 新種だと思って迷わず吾輩を手に取ってしまったのか? ならば申し訳ない。ただ吾輩たち、各社乳酸菌選抜レースの大激戦を勝ち抜いてここに存在しているエリートだから、食べて後悔はさせないはずだ。いや、ていうかそれよりもここホテルだよね!? 台所ないのになんで六個パックの卵買った!? もしかしてあのチキンライスの猫ちゃんの魔力にやられたか!?
 彼女がリクルートスーツから部屋着に着替え、近所の百均で買ったらしき器でグラノーラにヨーグルトと牛乳をかけたものを食べ始めた数十秒後、そのツイートに返信が付いた。
〈あった https://pixiv.net/novel/xxxxxxxx〉
 おかばやしというアカウントから送られてきたそのURLを彼女はちゆうちよなく開き、表示されたキャプションと並んだハッシュタグ群を見ると、まじか、と小さくつぶやいた。

〝永遠を生きる二人の少年(菌)の宿命的な共依存を、中世から近代にかけてのバルカン半島を舞台に描く大河ロマン〟
 #サーモフィルス菌 #ブルガリア菌 #オリジナル小説 #長編 #LB81O #ブルガリア #ヨーグルト ♥1

 吾輩「まじか」
〈待って、連載開始が三年前でブクマ1ってどんだけつまんないの〉
〈そういう問題か? ただ単に誰もこんなタグで検索しないんじゃない?〉
〈心折れるでしょ普通〉
〈書きたいだけで評価は求めてないって人もいるからな、人それぞれだろ〉
 そんなやりとりを岡林といくつか交わしたあと、彼女は困惑した表情で、その『悪魔の創造せし国に忍ぶきようの器と刃』という創作小説をゆっくりとスクロールし始める。

 ──西暦六八一年、ハン・アスパルフは、ダナプリスの下流を北端に、ポントス北西に面したドブルジャとモエシアの一帯を己の邦土とし、その南方に首都プリスカを建設した。それは古来ハエムスの諸処に根付くミクロルガニズミたちが初めて認めた、人が治める「国」であった。
 かねてよりこの土地は様々な平原民族や大国の軍の侵略にさらされ、その支配下に置かれていた。建国からときを遡ればそこは長らく東ローマ帝国の一部であった。北西から攻め入るゴート族、東から猛攻するフン族、両族のすさまじい侵攻と略奪により帝国の威光にかげが見え始めた頃、北方から現れたスラヴ族が半島東部まで広く入植した。
 興国の前年、帝国の討伐軍が領地奪還と半島一帯の統轄を仕掛けた際、スラヴ族がそれにあたするために共闘を申し入れた相手が、ブルガール族の指導者アスパルフであった。アスパルフの父はのうじつ西にしとつけつガンに服属していた門閥〝ドゥロ家〟のハン・クブラトである。彼はアスパルフの興国より半世紀ほど前に一族を率いて沙鉢羅咥利失可汗イシユバラ・テリシユ・カガンから離反し、ポントスの北東からカスピウム海に至るカフカスの北域に、ブルガールの独立国家オノグリアを興している。しかしこの国は彼の死後ほどなくして消滅してしまった。五人の息子たちも決裂し、各々のけんぞくを率いて新開へと散っていった。その中で西方へ家国を求めた一人がアスパルフである。偉大なるハンを父に持つ彼にとって、ちようこくは必然であった。
 討伐軍との激闘の末、瓦解した敵軍のとりでにてアスパルフはかちどきをあげた。ポントスの西、えんおうたるそうかいを臨むイストロスの川裾にれいめいを迎え、それよりのち約三百年にわたぞくする第一次ブルガリア帝国と呼ばれる時代が幕を開ける──

 それよりのち約一年(ブルガリアの興国からは約千三百年)が経ち、色々あって彼女、ほうだい寿は株式会社明和に入社した。疲れた顔をしてスーパーマーケットで吾輩を手に取ったあの日、彼女は明和の就職面接を受けていたのだった。

※pixiv=国内外でのユーザー登録数七千万人を誇る、(素人玄人問わず)自作の小説や漫画やシナリオなどを投稿できて仲間とのコミュニケーションもはかれる巨大インターネットメディア。ヘビーユーザー層はT・F1・M1、筆頭株主はアニメイト、未上場

第一章 大阪支店

「めんたいこ?」
 渡された名刺にちらりと目を遣り、その後明らかに二度見したあと初対面の人が尋ねた。
「ほうだいし、です。博多ではなく岩手出身です」
 初対面の人に、由寿は答えた。この会話を避けるために名刺にわざわざ日本語とアルファベットで振り仮名を振ってもらったのに、限りなく一〇〇%に近い確率で繰り返される。追加で何か訊かれる前に由寿は言葉をつづけた。
「もしかして名前で受かっちゃうかもと思って明太子メーカーさんも受けてみようかなって思ったんですけど、岩手を出ていきなり福岡まで行く勇気がなくてやめました。そしたら配属がいきなり大阪でした。三月までずっと岩手で大阪にはまだ全然慣れてないんですけど、頑張りますのでよろしくお願いいたします」
 おそらく入社してから十回くらい繰り返しているなが台詞ぜりふは、そろそろ息継ぎなしで言えるような気がする。
「……相変わらず明和さんは新人さんにえげつない配属しよるね」
 初対面の人は非難がましくでもなく淡々と、比較的整理整頓されたチーフデスクの上に由寿の名刺を置いた。そしてデスクのひきだしの中を探り、箱からじかに自分の名刺を取り出すと由寿に差し出してきた。林泰然。字面がめっちゃかっこいい。しかし、はやしさん、と声に出す前に「それ、読み方リンやから。リンタイラン」と釘を刺された。
 ここは全国展開のスーパーマーケット、リッチマート大阪二号店のバックヤードである。先輩のかねしろが、外にまで聞こえそうな大きな声で「そのうち東京に戻るんですけど、それまではどんどん使ったってください」などと言いながら、届きたての新商品の菓子のサンプルがどっさり入った袋をリンさんに差し出す。ちょっとだけ嬉しそうに受け取ったリンさんは、デイリー部門で主に洋日配を担当しているリッチマートの社員で、斜め前から見ると二十歳にも五十歳にも見える不思議な中年男性だった。
「それから、こちらなんですけど」
 リンさんの機嫌が良さそうなことを察した金城はすかさず営業用の鞄からドリンクヨーグルト関連の販促パネルと自作のパワポ資料を取り出し、目の前で広げて見せた。
「無添加の甘くないのが発売されることになりました」

※「小説 野性時代」2022年5月号より
この続きは本誌でお楽しみください。

https://bookwalker.jp/deec0289b6-1782-4cf6-9863-f14af22b1a97/

▼宮木あや子「CAボーイ」試し読みはこちら
https://kadobun.jp/trial/CAboy/805.html


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