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試し読み

『校閲ガール』の著者が描く、新・お仕事ストーリー!【新連載試し読み 宮木あや子「CAボーイ」】

6 月 10 日(月)発売の「文芸カドカワ 2019年7月号」では、宮木あや子さんの連載がスタート!
カドブンではこの新連載の試し読みを公開します。

パイロットになる夢を断念し、外資系ホテルに就職した治真(はるま)。
だが、航空会社の客室乗務員募集を見て、心が動き……。
『校閲ガール』の著者が描く、新・お仕事ストーリー!

 大学の卒業旅行はカリフォルニア州に行った。男五人で。アパレルに就職が決まっている篤弘あつひろ、ゼネコンに就職する悟志さとし、西麻布のクラブで知り合ったアメリカ人に誘われて、留年が決定しているのにそのアメリカ人が勤務する外資系IT企業に就職する啓介けいすけ(したがって彼だけは「卒業」旅行ではなかった)、就職せずフリーターの道を選んだ雅樹まさき、そして「将来の夢」を自らの意思によってではなく断たれ、外資系ホテルに就職する治真はるま
 五人の共通点は、偏差値が中央値よりも少し高い東京の私立大学で出会い、全員がそれぞれ家の都合で二年くらいはアメリカで暮らした経験があること。しかし五人もいるのに当時は誰もカリフォルニア在住ではなかった。治真に至ってはハワイである。ハワイをアメリカと呼んで良いものか。
 カリフォルニア州にはロサンゼルスとサンフランシスコがある。どちらも成田および羽田から毎日直行便が出ている。その中で五人は当時航空運賃の一番安かったアメリカのエアラインを選んだ。貧乏だったからだ。否、厳密に言えば貧乏ではなかった。治真と雅樹以外は三人とも実家が東京で親は年収高め、治真と雅樹も実家は兵庫だが親は年収高め。そもそも治真の父に頼めばニッポンエアライン(NAL)の割引チケットは手に入った。けれど、治真の心中を慮ってか誰も「お父さんに頼んでよ」とは言わなかった。
 今思えばリアルに貧乏でパンの耳とモヤシしか胃に収められないタイプの学生からはいけ好かない集団だと思われていただろうが、東京に住む三人は学費を出してもらい家に住まわせてもらう以外は親からの援助を一切受けておらず、兵庫出身のふたりも学費は出してもらっていたが、仕送りは最低限の家賃のみで、生活費はアルバイトで稼いでいた。同じ大学に少なからず存在した、ブランドのロゴの入っている服や鞄を身に着け、毎夜クラブのVIPに入り浸っているような学生たちとは違うんだぜ、という、今思えばくだらない自負もあった。篤弘の実家が港区だとは二年生になるまで知らなかったし、悟志の実家が中央区であることも、卒業までは篤弘しか知らなかった。宅飲みをするときは大学の近くで古いアパートを借りている雅樹の部屋に集まっていたからだ。
 全員、付き合っている女はいた。しかしほぼ五人で四年間を過ごした。当然、卒業旅行も五人一緒だった。あまり卒業、就職する実感がないまま飛行機に乗り込み、それぞれの席につく。日本の航空会社の客室乗務員には女性が多い。多いというよりも、ほとんどが女性である。しかし海外のエアラインには男性の客室乗務員が普通にいる。日本およびアジア圏では容姿端麗な女性が選ばれがちな職業だが、特にアメリカのエアラインでは「暴漢に襲われても勝てそう」な見た目の男性も結構存在している。
 彼らはどんな気持ちで勤務しているのだろう、と、ブランケットと枕を受け取りながら治真は考えた。CAの職業的地位はアメリカではウェイトレスやウェイターに類する、と父が言っていたが、本当なのだろうか。アメリカ(ハワイ)で暮らしたことはある。しかし二十二年間の人生のうち、小学五年生から中学一年生までのたった三年だ。したがって自分は骨の髄まで日本人だと思う。
 無愛想なCAたちが見回りを終え、それぞれのジャンプシートに座ってシートベルトを締める。離陸後、チーフパーサー(CP)の機械的なアナウンスが流れたあと、機長アナウンスが聞こえてきた。このとき乗ったアメリカの航空会社のパイロットは軍隊からの転職が多いという。離陸と着陸は雑だが絶対に落ちない。南部訛りの強い早口な英語を聞きながら、もし今から自衛隊に入ったら俺はこのアナウンスを流す立場に行けるだろうか、この機体の最前部に位置するあの席に座れるだろうか、と考えた。無理なのは判っている。日本の主要な航空会社には自衛隊からの転職ルートはない。じゃあ、もう、永遠に無理か。
 売れ残りの格安チケットだったため、五人で近くの席は取れなかった。東京出身組と兵庫出身組で座席が分かれた。治真は隣で機内誌を広げている雅樹に気づかれないよう、夜の闇に沈んで何も見えない窓の外を睨みつけながら鼻根を強くつまみはなを啜った。

 しかし結果的に、雅樹にはバレていたことが五年経ってから判明した。
「受けなよ。受けたほうがええよ。だってハル、泣くほど悔しかったんやろ」
 雅樹の発言に、タブレットに表示された文章を凝視していた治真はぎょっとして問い返す。
「俺、おまえの前で泣いたっけ?」
「卒業旅行の行きの飛行機で機長アナウンス聞いて泣いてたやん。俺はそもそも就職する気なかったけど、ハルがパイロットになりたがってたのは知ってたもん。五年越しのチャンスが来たんやで、受けるべきや」
 NALは通常、中途入社を受け付けない企業である。しかし今日、NALの公式サイトで中途採用の求人が発表された。わりと大々的にリリースも出た。何故ならその採用職種は「客室乗務員」だったからだ。別にこの職種は珍しいものではない。しかし公にはしていないが、おそらく性別は男性が優遇されており、客室乗務員で採用され経験を積んだあと、適性があれば希望の部署への異動も可能、という採用方法であることが覗える内容だった。ほかの企業なら総合職採用の手法である。
「二年間CAやれば好きな部署に行けるかもしれないんやろ、受けなって。何を悩む必要があんねん」
 ソファの隣で正座をしてこちらを向く雅樹は、これ以上ないほど真剣なまなざしで治真に訴えた。
「いや、でもちょっと前に似たようなドラマやってたやんか。行きたい部署に異動するために興味もない仕事頑張ったけど、結局その興味もない仕事のほうが面白うなって元のさやに収まる的なやつ、出版社の。ああいうの望まれてたら嫌やん?」
「だったらなおさらやん! えっちゃんは出版社に入るまで七年もかかったんやで? ハルまだ五年やん? しかもえっちゃん一度は希望の部署に異動できとったで、スペシャルドラマのほうで」
「あ、俺それ観とらんわ」
「観なって! 幸人ゆきとくんの衣裳ぜんぶグッチでくそゴージャスやから!」
 治真が日比谷のロータス・オリエンタルホテルに就職して五年が経っていた。ロータスはイギリス統治時代に香港で設立され、のちにアジア全土でチェーン展開した老舗ホテルだ。日本に入ってきたのは八年前。治真が就職して間もなくシンガポール資本のホテルグループの傘下に入ったが、従業員のほとんどは雇用が継続された。ハード面だけではなくソフトの面でも狙われていたのだろう。
 就職してしまったからには真面目に働こうと決めていた。最初の一年が忙しすぎて彼女には振られたしストレスで胃炎になったりもしたが、働いていくうちに仕事が楽しいとも思えてきていた。足場が固まってきたと思っていたところに、この求人。
 もし今回の採用試験でNALに就職できたとしたら。でもパイロットに行く道がないのだとしたら。
 同じ箱の中で、胃が捻じれるほど憧れる職業に就く人を見続けるのは絶対につらい。もし受かったとして、二年間のCA勤務のあと、自社養成パイロット訓練を数年受け、試験に受からなかったとき。無神経に思えるほどの熱っぽさで「受けるべき」と説く雅樹はその針のむしろを判っているのだろうか。
「……雅樹、今の仕事楽しい?」
 先ほど言っていたドラマの動画配信をタブレットで検索している雅樹に、治真は問う。彼は卒業後すぐ一年間の放浪の旅に出て、帰国してから実家近くの美容専門学校に一年通い、現在は銀座の商業施設に店舗を構える化粧品メーカーのカウンターでビューティアドバイザーをしている。まさかそういう類の就職をするとは思わなかった。一年前、都内での勤務が決まったとき「今家がないからちょっと住まわせて」と頼まれ、軽い気持ちで家にあげて以来、住み着かれている。ものが少なく家事全般が得意な男なので、迷惑な反面ありがたくもあり、まだ本気で「出ていけ」と言ったことはなかった。
「思ってたのとはちごてたけど、まあ、ご褒美みたいな接客ができたときは楽しいかな」
「何が違てた?」
「今はお客様がほとんど外国人で、免税店みたいな接客しかできへんの。社内で一応中国語の研修あるんやけど、ホンマわけわからんし」
「あー、そうね、昼の銀座は日本人より外国人のほうが多いね」
 ロータスの宿泊客も八割以上が外国人だ。日本語よりも英語をしゃべっている時間のほうがはるかに長い。
「ていうか、俺BAやんか、ハルCAやんか、なんか面白くねえ? AAって仕事ないかな」
「いやまだ決まってへんし、上田うえだ剛士たけしかひとり脱退したトリプルエーくらいしか思いつかへんわ」
「別にトリプルエーは頭文字がAの三人組じゃないよ。AA……、あ、相沢あいざわ篤弘、篤弘がAA!」
「おー、あいつ生きとるんかな」
 雅樹が家に転がり込んできたのと同じころ、新卒でアパレルに就職し、二年後には独立して自分の会社を作った篤弘がすべてのSNSから姿を消した。残りの四人は本気で心配したが、辛うじて悟志とだけは連絡を取っていることが判り、更に少しのちに啓介が過労で倒れて入院し、みんな大人になっていろいろあるんだね、と互いのプライベートを詮索するのはやめた。
「……また五人で旅行できたらええのになあ」
 楽しかったよね、と雅樹は五人で行ったユニバーサルスタジオで撮った写真をこちらに見せてくる。
「全員休日バラバラやし当分無理やろうなあ」
「日本人、働き過ぎやろ」
「な。おかしいよな」
 啓介と治真は外資だが、「外資系企業は勤務時間がユルい」は都市伝説だといつか話した。外資であろうと日本に入ってくれば日本の企業になる。とくにホテルは人が休んでいるときに働くから、ほかの一般的な企業からは休みの時期が一ヶ月か二ヶ月ずれる。
「雅樹また仕事辞めろよ」
「簡単に言わんといて、俺かて真面目に働いとるんやから。ほらハル、どいて。俺寝るよ」
 傍らのランドリーボックス(雅樹の私物入れ)に突っ込んであった毛布を引きずり出し、雅樹がソファに寝床を作り始めたので治真は風呂場に向かう。寝るときに雅樹はアロマを焚く。その匂いが風呂上がりの治真の部屋まで薄く漂ってきていて、ベッドに横たわった治真は二秒くらいで眠りに落ちた。

「文芸カドカワ」2019年7月号より


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