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試し読み

「イエが盗まれた?」思いもよらぬ110番の真相は果たして!?『お電話かわりました名探偵です』1話試し読み!#4

Z県警本部の通信指令室。その中に電話の情報のみで事件を解決に導く凄腕の指令課員がいる。千里眼を上回る洞察力ゆえにその人物は〈万里眼〉と呼ばれている――。

「行動心理捜査官・楯岡絵麻」「白バイガール」などの人気シリーズの著者、佐藤青南さんの最新作は通信指令室が舞台の新感覚警察ミステリ! 電話の情報のみで事件を解決に導く凄腕の指令課員が活躍するエンターテインメント快作です。本作発売前に、特別に第一話を公開いたします。


書影

佐藤青南『お電話かわりました名探偵です』(角川文庫)


>>第3回へ

       4

 岩田日出子は自宅マンションの室内で、カーテンの隙間から窓の外を見つめていた。
 街灯に照らされた住宅街の路上をとぼとぼと歩く人影が一つ。パーカーにジーンズ、髪型もショートカットで男の子に見えなくもないが、あれは女の子だ。しかもまだ若い。未成年だと思う。
 日出子は元中学校教諭だった。三十五年に及ぶ教師生活で、多くの子供たちと学び、笑い、ときにぶつかり合ってきた。楽しいばかりではなかったが、本気で教師を辞めたいと考えたこともなかった。やりに満ちた日々だったし、天職だったと思っている。
 だから自信があった。たくさんの子供と接することで培われたセンサーが勢いよく反応し、日出子の心をざわつかせている。
 あの子はたぶん、家出している――。
 女の子はパーカーのポケットに両手を突っ込み、とぼとぼと歩いていた。目的地があるような歩き方ではない。かといって、誰かを待っているふうでもない。同じ場所を行ったり来たりしている。心細い。どうすればいいかわからない。途方に暮れている。そんな心境がありありと伝わってきた。なによりスマートフォンだ。いまどきの若者ならスマートフォンで時間をつぶすだろうに、彼女は違った。ときおりスマートフォンの画面を確認することはあっても、なにかしらの具体的な操作はしない。名残惜しそうにポケットにしまう。おそらく節電しているのだ。電池が切れそうなのか、あるいは次にいつ充電できるかわからない状況なのか。
 とにかく、日出子の推測通りに女の子が未成年で、家出をしているのだとしたら、放っておけない。なんとかしなくては。他人だからといって、そして日出子自身が教職を退いた身だからといって、見過ごすことはできなかった。
 着の身着のままでマンションを出た。思いのほか外気がひんやりと冷たくて、なにか一枚羽織ってくるべきだったと後悔したが、三階の自室まで戻っていたらあの女の子がいなくなってしまうかもしれない。我慢して女の子の姿を捜すことにした。
 彼女はすぐに見つかった。
 日出子の住むマンションの隣の区画で、マンションの外壁にもたれて所在なげにしている。やはり目的地もなく、誰かとの待ち合わせでもなさそうだ。少し大人びた顔立ちをしているが、成人はしていないだろう。
 マンションのエントランスに入ろうとする住人らしき男性からげんそうな視線を投げかけられ、女の子はいたたまれなくなったようにその場を離れた。
 しばらく彼女の跡をつけているうちに、疑念は確信に変わっていった。あの子はなんらかの理由で家出してきたに違いない。そしておそらく自宅が近所ではないということも、袋小路の路地に入っては引き返したりといった行動から想像がつく。
 声をかけようかと思ったが、彼女が逃げ出してしまうかもしれない。あの年代はとても不安定で、心と行動が一致しないと、経験上よく知っている。見ず知らずの大人に指図されるのには反発があるだろうし、走って逃げられでもしたら追いかけることはできない。
 日出子は作戦を練りながら、遠巻きに女の子を観察していた。そうしながら、せめて携帯電話を持って出てくるべきだったと後悔した。いつもあいさつする近所の派出所のお巡りさんに電話して来てもらえれば、こんなに悩むことでもないのに。かと言って派出所までお巡りさんを呼びに行っていたら、女の子を見失ってしまう。
 やがて日出子は、ある事実に気づいた。女の子を見つめているのが、自分だけではないようなのだ。離れた場所から、背の高い男が女の子に視線を注いでいる。最初は気のせいかと思ったが、男は女の子を追って移動していた。あの男は、女の子の身内かなにかだろうか。女の子を心配した父親か兄が、女の子を迎えに来た。だとしたらいいなと期待したが、あまりに甘い考えだったと日出子は思い知らされる。
 先ほど女の子が背をもたせかけていた、マンションの住人らしき男だったのだ。エントランスに入ろうとしながら、女の子にいぶかしげな視線を投げかけていた、あの男だ。まぶたを細めた無遠慮なあのまなしに、警戒だけでなく欲望も混ざっていたのだと考えると、おぞが走る。
 ともあれそういうことならば悠長にかまえてもいられない。あの男が行動を起こす前に、なんとかしなければ。
 それから日出子は、女の子以上に、暗闇に溶けるようにしながら女の子をつけ狙う男の挙動に注意を払うようにした。男は少しずつ、少しずつ、女の子との距離を詰めているようだ。彼女が一人で、近くに頼れる相手もおらず、途方に暮れているという推測に確信を深めていくような、近づき方だった。
 そしてついに男が動いた。にやにやと暗い笑みを浮かべながら、女の子に歩み寄ろうとする。
 日出子はほとんど無意識に動いていた。
 早足で女の子に歩み寄り、その肩をたたく。
 まさか誰かに声をかけられると、思ってもいなかったのだろう。女の子は小さな悲鳴とともに飛び上がった。同時に、女の子の肩越しに近づいていた人影が、歩みを止めるのもわかった。
 日出子は男をけんせいするように目を細める。あなたの存在には気づいているし、あなたがなにをしようとしているかも気づいている。悪いことは言わないから立ち去りなさい。視線にこめたメッセージが伝わったらしい。人影が遠ざかっていく。
 さて、あとはどうやってこの子を保護するか、だ。
「な、なに……」
 おびえを浮かべた女の子のひとみと、見つめ合う。近くで見るとやはり幼い。中学生か、せいぜい高校生ぐらい。少なくとも、こんな時間に一人で出歩いていい年代ではない。だからといって正論をぶつけても反発されるおそれがある。
 どうしよう。どうしよう。驚くほどのスピードで脳が回転した結果、とっさに出てきたのがこの言葉だった。
「家が……盗まれたの」
「えっ?」
 女の子が目をぱちくりとさせる。
「買い物から帰ったら、家が盗まれていたの」
 日出子はすぐそばにある空き地を指差した。低い屋根を連ねる住宅街にぽっかりと空いた、歯抜けのような土地。数週間前までそこには家が建っていて、日出子と同じ年代の女性が一人暮らししていた。茶飲み友達として仲良くしてもらった女性だが、土地建物を手放して隣の市の老人ホームに入所してしまった。高齢者の一人暮らしを心配する子供たちの説得に押し切られたかたちだった。
「家が……?」
 女の子は混乱した様子で、日出子の指差す空き地を見つめた。その様子を見て、大丈夫だと、日出子は確信する。この子は心根のやさしい子だ。困っている老人を置いて逃げ出したりはしない。
「噓でしょ」
 信じられないが、このお婆さんが噓をついているようには見えない。そんな表情だった。
「本当なの。早く警察に電話して。犯人を捕まえて」
「けけ、警察?」
 女の子の顔色が変わった。警察にはかかわりたくないという思いと、警察を呼んでくれと言うぐらいなのだから、このお婆さんの言うことは真実なのではないかという思いが交錯しているようだ。
「私は電話を持っていないの。だから私の代わりに一一〇番に通報してちょうだい。お願い」
「でも……」
「早くして。まだ犯人が近くにいるかもしれない」
 女の子は戸惑いながらもスマートフォンを取り出し、画面をタップし始める。
「あの……なんか、家が……盗まれたらしいんですけど」
 日出子と空き地の間で視線を泳がせながら、一生懸命に状況を説明している。彼女をだましていることへの心苦しさはあるが、日出子は人心地ついた気持ちだった。警察も家が盗まれたという訴えを信じはしないだろうが、日出子の認知症を疑って警官を派遣してくれるはずだ。到着した警官にそれとなく事情を説明し、女の子の保護を願い出ればいい。かりに日出子の計画を悟られ、警官の到着前に女の子が逃げ出したとしても、警察には女の子の電話からの発信履歴が残る。その後の捜索がしやすくなるだろう。
 通報に対応した女性はそうめいだった。
 ――私が噓をついていないことは、彼女に話を聞いてもらえればわかります。とても親切なお嬢さんで、信用できる方です。ぜひ彼女からも、いろいろ話を聞いてください。
 日出子の発言から、女の子のほうが問題を抱えていると見抜いたようだった。警官の到着まで認知症のお婆さんに付き添ってあげて欲しいという口実で、女の子を引き留めてくれた。
 ――帰りたいのに、帰れなかった……。
 どういう会話の流れか知らないが、ふいに女の子がそう発したとき、瞳が潤んだ気がして、日出子は自分の推測が正しかったと直感した。この子は家出している。
 そして、そのことを後悔している。
 少し安心した。女の子は家に帰りたがっている。ということは、両親の虐待から逃れるための家出ではない。すべての子供にとって、家庭が安心できる場所であるとは限らない。この子を家に帰して大丈夫だろうか、帰せるような家庭環境だろうかという懸念も、わずかばかり抱いていたのだ。
 サイレンが近づいてくる。パトカーが到着すれば、日出子の役目も終わりだ。
 しばらく一一〇番受付員と通話していた女の子が、「お婆さんにかわって、って」とスマートフォンを差し出してきた。その顔を見てぎょっとした。
 女の子が泣いていた。日出子にスマートフォンを渡した後は、両手で顔を覆って号泣し始めた。
 いったいなにが起こったのだろう。わけもわからず電話を耳にあてた日出子に、通信員の女性はこう言った。
『彩苺ちゃん。わかってくれました。パトカーで自宅に帰るそうです』
 絶句した。この一一〇番受付員の女性は、真相を見抜いていたというのか。
「ぜんぶ、わかってたの……?」
 質問する声が震えた。
『いえ。最初は岩田さんが本当に認知症だと思いました。完全に騙されました。悔しいです』
 なぜ悔しがるのか意味がわからない。
「じゃあ、いつ?」
『最初に違和感を覚えたのは、岩田さんから、彩苺ちゃんによく話を聞くよう促されたときです。彩苺ちゃんには、なにか秘密があるのかもしれないと思いました』
 それは理解できる。声や話しぶりが大人びているとはいえ、思春期の女の子だ。たくさん話せば、通信員もなにか勘づいてくれるかもしれないと期待した。その通りになったようだ。
 問題はその先だ。
「どうして気づいたの? あの子がその……」
 家出少女だということに。日出子はちらりと視線を動かした。すでにそこには警官が到着しており、泣きじゃくる女の子をどう扱っていいものかと、困惑している様子だった。
 日出子は、彼女が家出少女であると見抜いた。元教師で思春期の子供たちと数多く接してきた経験があったし、心細げで途方に暮れる彼女の姿を、自分の目で確認できたから。
 だが電話の向こうの一一〇番受付員は、少女の声しか聞いていない。どうやって真相を見抜けたのか。
『名前です』と、種明かしされてもピンと来なかった。
「名前?」
『はい。正確に言えば、名前の漢字です。通報してこられた若い女性は、マキムラアヤメと名乗りました。漢字は牧場の牧、村人の村、彩りに果物の苺と書きます。彩りに果物の苺でアヤメというのは、珍しい読み方です』
 それがどうしたというのだろう。教壇から離れて久しいとはいえ、最近の子供の名付けはかなり凝っていて、現役教師を苦しめていることぐらい承知している。相当強引な当て字も多いらしいから、彩苺でアヤメと読むのはまだかわいいほうじゃないのか。
『苺という字が人名に使用できるようになったのは、二〇〇四年の九月からです。それ以前は人名への使用は認められていませんでした。だから彩苺ちゃんは、それ以降の生まれということになります。つまり、十六歳以下です』
 視界が揺れるほどの衝撃を受けた。
 一一〇番受付員は続ける。
『それなのに彩苺ちゃんは、会社帰りの大人の女性のふりをしていました。年齢を知られたくないからです。住所もそこからだいぶ離れた場所だったので、家出をしているのではないかと想像しました。となると、岩田さんが伝えたいのはこのことではないかと思えてきました。家を盗まれたというのも、彩苺ちゃんを警察に保護させるためについた噓ではないか……なぜそんなまわりくどい方法で通報する必要があったのかはわかりませんが、思春期の少女を真っ向から説得しようとしても反発を招くかもしれませんし、とにかくなにか事情があったのでしょう。私の推理が正しければ、岩田さんは認知症ではなく、認知症を装っていることになります。もっとも、すべては憶測の域を出ませんけど』
 憶測ではない。ぜんぶ、当たっている。
 だが日出子はなにも言うことができずに、しばらくぼうぜんとその場に立ち尽くしていた。
 すごい。たったあれだけの情報で、真相を見抜くなんて……。
 あまりの驚きにまだ手が震えている。
『おかげで家出した女の子を保護することができました。岩田さんのおかげです。ご協力感謝します』
「いえ……」
『彩苺ちゃん。お母さんとけんして家を飛び出してきたはいいものの、とても心細かったそうですよ。岩田さんに声をかけてもらえて安心したし、岩田さんの話を聞いて、帰る家がある、待っていてくれる家族がいるのはとてもありがたいことだと、よくわかったみたいです』
 ちくりと胸が痛んだ。噓なのだ。家が盗まれたことも、家族の話も。
 日出子には待っていてくれる家族などいなかった。一人っ子として育てられ、独身を貫き、両親はとっくに他界しているので、天涯孤独の身だ。
 結婚を考えた相手がいなかったわけではない。長く付き合った相手だった。一緒にいて楽しい男性だったが、仕事を辞めて家庭に入ることを要求され、別れを選んだ。当時は迷わなかった。その後は良縁に恵まれなかった。
 通話を終え、少女に歩み寄る。少し落ち着いたのか、少女は涙でれた顔をハンカチでぬぐっていた。
 スマートフォンを返すと、彼女はおもむろに顔を上げた。ため込んだ感情を爆発させたおかげで、すっきりした表情だった。大人びた顔立ちだと感じていたのは、緊張していたからなのだろう。いまのやや上気した顔は、紛れもなく十代半ばのあどけなさをたたえていた。
 ごめんなさい。
 日出子は謝ろうとした。彼女を保護するためとはいえ、噓をついたのは事実だ。噓の自分を演じて、哀れみを誘おうとした。彼女の良心につけこんだ。
 ところが――。
 突然、少女に抱きしめられ、頭が真っ白になった。
「一一〇番のお姉さんに聞きました。お婆さんは私を警察に保護させるために、認知症のふりをしてくれたんですね。ありがとう」
 そこまで言うと、ふたたび心細さがよみがえったのか、少女がえつし始めた。
「あらあら。しょうがないわね。小さな子供みたいじゃないの」
 日出子は苦笑しながら彼女の頭をなでた。
 そうしながら、自分の歩んできた人生は間違っていなかったと思った。

(このつづきは本書でお楽しみください)

佐藤青南『お電話かわりました名探偵です』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322005000373/


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