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試し読み

小栗旬×蜷川実花 映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」公開記念 『人間失格』試し読み#5

本日ロードショー!

主演・小栗旬さん×監督・蜷川実花さんで話題の映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」が、本日9/13(金)より公開!
それを記念しカドブンでは、『人間失格』の試し読みを実施します。

この機会にぜひ、「自己の生涯を極限までに作品に昇華させた太宰文学の代表作」をお楽しみください。
>>【試し読み第4回】第一の手記 part3

  第二の手記

 海の、なみうちぎわ、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒いはだの山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、かつしよくのねばっこいようなわかと共に、青い海を背景にして、そのけんらんたる花をひらき、やがて、はな吹雪ふぶきの時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面をちりばめてただよい、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている東北の或る中学校に、自分は受験勉強もろくにしなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうして、その中学のせいぼうしようにも、制服のボタンにも、桜の花が図案化せられていていました。
 その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠いしんせきに当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校を自分に選んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼のかねの鳴るのを聞いてから、走って登校するというような、かなりたいな中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。
 生れてはじめて、わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な場所のように思われました。それは、自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたからである、と解説してもいいでしょうが、しかし、それよりも、肉親と他人、故郷と他郷、そこにはくべからざる演技の難易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子のイエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷の劇場であって、しかもろくしんけんぞく(*)全部そろってすわっている一部屋の中にっては、いかな名優も演技どころでは無くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどのくせものが、他郷に出て、万が一にも演じそこねるなどという事は無いわけでした。
 自分の人間恐怖は、それは以前にまさるともおとらぬくらいはげしく胸の底でぜんどうしていましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、このクラスはおおさえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉ではたんじながら、手で口をおおって笑っていました。自分は、あのかみなりごとばんせいを張り上げる配属将校をさえ、実に容易にき出させる事が出来たのです。
 もはや、自分の正体を完全にいんぺいし得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後からされました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最もひんじやくな肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしかにけいのお古と思われるそでしようとくたいの袖みたいに長すぎるうわを着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学というはくに似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。
 その日、体操の時間に、その生徒(せいはいまおくしていませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいにって見学、自分たちは鉄棒の練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけげんしゆくな顔をして、鉄棒めがけて、えいっとさけんで飛び、そのままはばびのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンとしりもちをつきました。すべて、計画的な失敗でした。果してみなの大笑いになり、自分もしようしながら起き上ってズボンの砂をはらっていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこうささやきました。
「ワザ。ワザ。」
 自分はしんかんしました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いもけない事でした。自分は、世界がいつしゆんにして地獄のごうに包まれて燃え上るのを眼前に見るようなここがして、わあっ! とさけんではつきようしそうな気配を必死の力でおさえました。
 それからの日々の、自分の不安と恐怖。
 表面は相変らずかなしいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しいためいきが出て、何をしたってすべて竹一にみじんに見破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっとだれかれとなく、それを言いふらして歩くにちがいないのだ、と考えると、額にじっとりあぶらあせがわいて来て、狂人みたいにみようつきで、あたりをキョロキョロむなしくまわしたりしました。できる事なら、朝、昼、晩、四六時中、竹一のそばからはなれず彼が秘密を口走らないようにかんしていたい気持でした。そうして、自分が、彼にまつわりついている間に、自分のお道化は、所謂いわゆる「ワザ」では無くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死をいのるより他は無い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を殺そうという気だけは起りませんでした。自分は、これまでのしようがいいて、人に殺されたいと願望した事はいくとなくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福をあたえるだけの事だと考えていたからです。
 自分は、彼を手なずけるため、まず、顔ににせクリスチャンのような「やさしい」しようたたえ、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽くき、そうしてねこで声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしばさそいましたが、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、だまっていました。しかし、自分は、る日の放課後、たしか初夏のころの事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふとばこのかげに、竹一がしょんぼり立っているのを見つけ、行こう、かさを貸してあげる、と言い、おくする竹一の手を引っぱって、いつしよに夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母おばさんにかわかしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。
 その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡めがねをかけて、病身らしい背の高い姉むすめ(この娘は、いちどよそへおよめに行って、それからまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校を卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけの家族で、下の店には、ぶんぼうやら運動用具を少々並べていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六むねの長屋の家賃のようでした。
「耳が痛い。」
 竹一は、立ったままでそう言いました。
「雨にれたら、痛くなったよ。」
 自分が、見てみると、両方の耳が、ひどい耳だれでした。うみが、いまにもかくの外に流れ出ようとしていました。
「これは、いけない。痛いだろう。」
 と自分はおおにおどろいて見せて、
「雨の中を、引っぱり出したりして、ごめんね。」
 と女の言葉みたいな言葉をつかって「優しく」謝り、それから、下へ行って綿とアルコールをもらって来て、竹一を自分のひざまくらにしてかせ、念入りに耳のそうをしてやりました。竹一も、さすがに、これがぜんの悪計であることにはかなかったようで、
「お前は、きっと、女にれられるよ。」
 と自分の膝枕で寝ながら、なお世辞を言ったくらいでした。
 しかしこれは、おそらく、あの竹一も意識しなかったほどの、おそろしいあくの予言のようなものだったという事を、自分は後年にいたって思い知りました。惚れると言い、惚れられると言い、その言葉はひどく下品で、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、どんなに所謂「げんしゆく」の場であっても、そこへこの言葉が一言でもひょいと顔を出すと、みるみるゆううつらんほうかいし、ただのっぺらぼうになってしまうような心地がするものですけれども、惚れられるつらさ、などというぞくでなく、愛せられる不安、とでもいう文学語を用いると、あながち憂鬱の伽藍をぶちこわす事にはならないようですから、みようなものだと思います。
 竹一が、自分に耳だれの膿の仕末をしてもらって、お前は惚れられるという鹿なお世辞を言い、自分はその時、ただ顔を赤らめて笑って、何も答えませんでしたけれども、しかし、実は、かすかに思い当るところもあったのでした。でも、「惚れられる」というようなな言葉に依って生じるやにさがったふんに対して、そう言われると、思い当るところもある、などと書くのは、ほとんど落語のわかだんのせりふにさえならぬくらい、おろかしいかんかいを示すようなもので、まさか、自分は、そんなふざけた、やにさがった気持で、「思い当るところもあった」わけでは無いのです。

このつづきは製品版でお楽しみください太宰治『人間失格』|KADOKAWA


映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」
9 月 13 日(金)公開
監督/蜷川実花
出演/小栗旬 宮沢りえ 沢尻エリカ 二階堂ふみ
成田 凌 千葉雄大 瀬戸康史 高良健吾 藤原竜也
© 2019 『人間失格』製作委員会
<R15+>
http://ningenshikkaku-movie.com/


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