「復讐に燃える女子高生」という強烈なテーマのデビュー作『ラメルノエリキサ』が話題となった渡辺優さんの最新作『きみがいた世界は完璧でした、が』が3月19日に発売となります。
大学のサバゲ―サークルで、かつて熱中していたゲームのヒロインにそっくりな美少女・エマに恋をした主人公の日野。二度告白するも振られ、今後は彼女を遠く見守ろうと決意した矢先、彼女に害をなすストーカー犯が現れる。犯人を絶対許さないことを決めた日野は、次第に暴走してゆき――。
発売に先駆け、本作の魅力がたっぷり詰まった第一章をまるまる大公開!
痛快な毒とユーモアがたっぷり詰まった本作、ぜひお楽しみください。
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初めて彼女を見たときにまず思ったのは、エリナに似ている、ということでした。いや、似ているなんていうものではない。俺は、エリナがそこにいる、と思いました。
エリナについてのすべてを手短に語るのは困難です。エリナは、俺の内面、深層、トラウマにあまりにも深く関わりすぎている。その名前を思い浮かべるだけで、俺の胸には甘くて苦い、温かくも痛い、喜びと悲しみの混ざりあった複雑な感情が満ちるのです。彼女に関する数々の記憶は、今でも俺を無意識に微笑ませ、また熱い涙を流させます。
なのでとりあえずざっくり簡単に説明しますと、エリナは俺が中学生のときに鬼のようにハマっていたファンタジーゲームに登場するヒロインです。
エリナは山奥の小さな村に住む十六歳の少女です。肩まで伸ばした薄茶色の髪に、グリーンの瞳。身寄りはなく、古びた教会に身を寄せています。俺は王国軍に入隊したばかりの十八歳の少年でした。『人ならざるもの』の調査のためにエリナの村を訪れ、彼女と出会いました。
調査を進めるうち、エリナには世界を崩壊へと導く『人ならざるもの』の血が流れていることが発覚します。俺は彼女を捕らえようとする上官に逆らい、エリナの手を取って軍から逃げ出しました。俺にはどうしても、彼女が悪しき力の持ち主には思えなかった。そうして俺たちは、王国の陰謀や、その先に迫る世界の崩壊に立ち向かうべく、旅を始めるのです。ええ、ゲームの話ですよ。ゲームの話ですが、中学時代の俺はエリナのためなら本当に死んでもいいと思っていました。エリナの幸せのためなら。
そのエリナが今、そこにいる。サバゲーサークルの部室の中に。
多感な時期に心酔していたヒロイン、天使、女神にそっくりな人物が目の前に現れたとき、人はどんなふうになるかわかりますか? 俺の例ですと、まず息ができなくなりました。扉を開けたヤマグッチの背中越しに彼女の姿を認めた瞬間から呼吸器官が停止し、もちろん声も出せません。そのおかげで俺は、見ず知らずの女性に対していきなり「エリナ! エリナじゃないか! 俺だよ俺!」と叫ぶヤバいやつにはならずに済みました。俺はきついボディブローを食らったボクサーのようにゼエゼエと喘ぎながら彼女を凝視するヤバいやつでした。
「すごい綺麗な子がいる」
ヤマグッチが、浮き立つ声でそう耳打ちしてきました。俺はなんとか首を振って肯定を示しました。その通りだ。すごく綺麗なエリナがそこにいる。ちなみにヤマグッチは、彼女を見た俺が急にゼイゼイ言い出したことについては特に気にならなかったそうです。だってお前、ちょっと階段とか上るだけですぐゼイゼイ言うやん?
「あ、来てくれたんだ」
窓辺に立つエリナに見とれていた俺たちに、先ほどチラシを渡してきたオールバック先輩が声をかけてきました。彼の手には、一丁の拳銃。
「じゃあ、一緒に説明しちゃおうかな。そこの、彼女たちも見学だから」
先輩はエリナと、彼女と一緒にいたその友人らしきおしゃれな女子に一瞬視線を向けた後、すぐに俺たちに向き直りました。そこで俺は、彼女がエリナ本人ではない、ということにようやく気がつきました。彼女はエリナにごく似ている、ものすごくエリナ的な、ほぼエリナであるところの、別人だと。俺と同じ、この現実の世界に生きる、大学一年生。
「えっと、じゃあまず、俺は二年の竹中です。三年にちゃんと部長がいるんだけど、あんま部室には来ない人で……今日は俺から」
そう話し始めた先輩は、いかにもオタク・ボーイな俺たちの来訪に、なんだか安堵しているようにも見えました。狭い部室の中にはオールバック先輩の他に、先ほどの寡黙な先輩と、ひょろりと背の高い角刈りの先輩しかおらず、ファッショナブルで、洗練されたタイプで、あまりサバゲーに縁のなさそうな彼女たちの来訪に、皆ちょっと怯えている様子でもありました。
大学公認サバゲーサークル『クライス』。
部員数は現在二十名弱。大体月に二、三回の頻度で、都内のサバゲーフィールドでゲームを行っている。たまに足を延ばして、郊外の山奥のフィールドに入ったりもする。秋頃に合宿あり。それ以外の活動日というものは特に定められておらず、気が向いたときに部室に来てサバゲー談議に花を咲かせるもよし、試験勉強をするもよし。
「活動はぜんぶ任意参加だから、気楽に参加できると思うよ。まあ、ハマる人はハマるかな。俺みたいにバイト代全部装備につぎ込むやつもいるし」
先輩には申し訳ないのですが、説明を聞いている間も俺はずっと彼女の方を窺い、しかしあまり人をじろじろ見ては失礼だという理性もギリ生きていたので、きょろきょろ、キョドキョド、まあそんな感じです。今思い出してもあれは心底恥ずかしい態度だったと悔いるばかりなのですが、彼女からしてみれば、そんな愚かな男の挙動など見慣れたものだったかもしれません。
その後はサバゲーの簡単なルール等を教わり、部室に置いてあったエアガンを見せてもらいました。ヤマグッチは積極的に銃に触りに行き、その名前や性能についての知識を披露して嬉しそうにしていました。俺はハンドガンのひとつを手に取り、グリップの握り心地を確かめるふりをしながら、また彼女を盗み見ました。彼女は友人と共に、窓際の机に置かれた長い銃を眺めていました。彼女のご友人は美しいフォルムのエアライフルにもそれほど興味がないように見えましたが、彼女は真剣な眼差しでそのひとつに手を伸ばすと、片手で銃身を支え、華奢な肩に銃床を当て、白く細い指をそっと引き金に添えました。
エリナが銃を持っている。
自分が取り返しのつかない恋に落ちたことを悟ったのは、その瞬間でした。俺は彼女を、守りたいと思った。それから、彼女が手にしたその銃を、買い取りたいと思った。言い値でいいから。
「来週の火曜に近くの屋内フィールドで新歓サバゲーやる予定なんだけど、参加してみない? こういうのはとりあえずさ、実際にやってみないとだから」
先輩は横目で彼女たちのいる窓辺を窺いつつ、俺たちに向けて言いました。
そのとき、銃を手にしたままの彼女が、すっと視線を上げました。咄嗟に目を逸らし遅れた俺は、初めてまともに彼女と目を合わせました。薄い茶色の虹彩。エリナの目は緑です。エリナと彼女は、瞳の色が違う。
「私、参加したいです」
彼女の声はエリナよりも少し低く、芯があり、涼し気で。
「え、えマジで? いや、すごい、大歓迎。助かるな。じゃあえっと、一応予約に名前と、えーと、学科聞いていいかな」
「宮城絵茉です。英文科」
それがこの、現実世界に転生したエリナの名前。
もし俺があと五歳若かったら、本気でそう信じてしまっていたかもしれません。
*
部室を訪れた女の子は、『エマちゃん』目当てのファンガールではありませんでした。ただ、宮城さんのことは知っていました。なんとこの少女は、サバゲー雑誌『グリップ』を定期購読しており、そこで取り上げられる女子大生サバゲーマーの宮城さんをたびたび目にしていたとのこと。勧誘から戻ってきた新部長のタケ先輩が、彼女はうちの部の所属なんだよ、と自慢げに話すと、素直に感嘆の声を上げてくれました。
「えーすごい! そうなんですねー。ていうか、ああいう雑誌に載る女の子ってほんとにサバゲーやってるんですね。ファッションかと思ってた」
「いや、宮城さんはけっこうガチだよ。まあ、最近は忙しそうであんまりこっちには顔出せないみたいだけど」
俺が迷子の中学生と誤認した女の子は、白木菜々美さん。日本文学科の一年生。リアルな銃が登場するFPS系のビデオゲームが好きで、その延長で銃やサバゲーにも興味をもったとのこと。週末の新歓サバゲーについて案内したところ、すぐに参加を決め名前と学籍番号を登録してくれました。当日参加できる既存部員に、タケ部長がなんとか勧誘できたという新入生と白木さんを加えれば、どうにか部内だけでゲームを回せるくらいの人数は揃いそうです。
彼女は……と、思いました。宮城さんは、果たして来てくれるでしょうか。
モデル活動やその他の活動もあり多忙な彼女はいつもぎりぎりまでスケジュールがわからず、直前になって参加、不参加を決めることがほとんどです。今回の新歓会も、出欠を確認するサークルのグループLINEに、彼女からの返事はまだ来ていないようでした。
もし彼女が来てくれるつもりなら、俺は出ない方が良いでしょう。いえ、彼女がぎりぎりでも参加しやすいように、あらかじめ欠席の意向を示しておいた方が良い。フッたばかりの男と顔を合わせる可能性があるのでは、きっと彼女も参加しづらい。参加しても、心から楽しめないかもしれない。俺は彼女を遠く見守ると決めたのです。彼女がそれを許さない限りは、彼女のテリトリーに侵入するつもりはありません。
一年前、初めて彼女にフラれたときは、こんな気持ちにはなりませんでした。俺はただ、ああ、はやまったことをしてしまった、と後悔したのです。もっと待てば良かった。もっと……そう。とにかく、待てば良かった、と。
まったく笑える話です。はやまるとかはやまらないとかいう次元に自分がいるなんてよく思えたものだな? と今なら分別がつきます。俺はいったい何を待つつもりだったのでしょう。ただ俺はそのとき、なんかもっと時間が経てば彼女との仲も深まったりなんかしてうまくいくフローもあったように思えたんですよね。だってエリナと俺だってそんな出会ったばかりの序盤の村からいきなり互いを思い合っていたわけじゃないんです。固い絆で結ばれていると感じたのは、やっぱりあの、『白百合の教会』イベントを越えたあたりからですかね。厳しい山道の続いたワールドマップ。その谷間にぽつりと現れた、一軒の小さな教会。ぼろぼろに崩れかけた家の裏手には、彼女が好きだと話していた白百合が、群れて咲いていました。
『わたし、ここにいたことがあるような気がするわ』
欠けた屋根から青空が覗のぞく教会の中で、彼女はそう呟きました。
立ち尽くす彼女のために室内を探索する俺。戸棚や引き出しを開ける俺。そして俺は奥の部屋で、一通の手紙を発見するのです。乱れた筆跡。かろうじて解読できた文字は、
『わが娘エリナよ、どうか幸せになってくれ』
それは、エリナの父が彼女に宛てた、最後の手紙。静かに朽ち行くその教会は、彼女の生家だったのです。
十四歳の俺はテレビの前で「お義父さん……!」と嗚咽しました。その後に出てくる中ボスがめっちゃ強くてなかなか倒せず、結果として俺は同じイベントシーンを何回も見ることになったのですが、お義父さんからの手紙をスキップするなんて申し訳ないと思い早送り機能は使いませんでした。そういうね、誠実なところのあるキッズだったんですよね、俺って。
なんとか敵を退け、白百合の裏庭に並んで立ち、しばらく彼女の生まれた家を見つめていた俺たち。やがて彼女は、涙を湛えた目を俺に向け、穏やかに微笑み、言いました。
『ありがとう。きみがいなかったらわたし、きっとここまで来られなかった』
ああ。エリナ。
人間同士の絆って、こうして深まっていくんですね。素晴らしいな、人間って。
ああ……話はそれましたがそんなわけで、去年の俺はなんかまだイケると思ってました。一年経って、ついさっき、小一時間ほど前までそんな気持ちでいました。過去の自分ってどうしていつもつねに頭がおかしいんでしょうね。今の自分はいつだって最高に冴さえてるのに。
今の俺はもうすべてを悟った賢人の俺です。自分の立ち位置がはっきりと見える。俺は彼女を守る。
(つづく)
▼渡辺優『きみがいた世界は完璧でした、が』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
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