「復讐に燃える女子高生」という強烈なテーマのデビュー作『ラメルノエリキサ』が話題となった渡辺優さんの最新作『きみがいた世界は完璧でした、が』が3月19日に発売となります。
大学のサバゲ―サークルで、かつて熱中していたゲームのヒロインにそっくりな美少女・エマに恋をした主人公の日野。二度告白するも振られ、今後は彼女を遠く見守ろうと決意した矢先、彼女に害をなすストーカー犯が現れる。犯人を絶対許さないことを決めた日野は、次第に暴走してゆき――。
発売に先駆け、本作の魅力がたっぷり詰まった第一章をまるまる大公開!
痛快な毒とユーモアがたっぷり詰まった本作、ぜひお楽しみください。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
>>前の回を読む
図書館から南に延びるサークル棟へと続く外廊下は、多くの人で賑わっていました。春の日差し。若者たちの笑い声。みなぎる活気。世はまさに、サークルの新歓期間まっただ中。
もちろん今の俺は、賑わいを楽しめる精神状態になどありません。それでも空気の読めないうかれきった学生どもは、ひとりでとぼとぼ歩く俺の手に、勧誘のビラを渡そうと迫ってきます。どこからどう見ても大人の魅力あふれる二年生の俺を新入生と間違えたりするなんて、そんな無能揃いのサークルはつぶれてしまえばいいんじゃないですかね。俺は四分前にフラれたばかりの男だぜ? 道を開けろようかれ野郎ども。
「ねえ君一年? けん玉とか興味ない? けん玉上手いとモテるよ」
「手品同好会です。どうですか? 手品、ほら見て」
「君ボードゲーム得意そうだね。ボードゲームやろうよ。ねえねえ」
ファックファックファック、と心で中指を立てながら、俺は得意の苦笑いと会釈で道を切り開き進みました。階段を上り、四階東端の我らが部室につく頃にはすっかり息が上がっていました。まあこれはいつものことなんですけどね。サークル棟にはエレベーターがない。
四階までは外の喧騒も届かぬようで、廊下奥の窓からの陽光が、呼吸を整える俺の足下を静かに照らしていました。静謐な空気。俺は呼吸を、そして心を整えるつもりで、ひとりそっと胸に手を当てました。
そこで、左の胸ポケットの中に未だ留まり続けていた小さな箱の存在を思い出しました。すっかり忘れていました。どうしようか、と考え、ひとまず俺はそれを胸ポケットからズボンのポケットへと移します。これはなんというか、俺の想いの塊。人に見られるのは、ちょっと、若干、気まずいです。
最後にいちど大きく息を吸い、努めて穏やかな表情を保ち、俺はC401室の扉を厳かに開きました。
「……ただいま、帰りました」
「おー。だからやめとけ言うたやん」
窓際の椅子で雑誌を読んでいたヤマグッチが、顔を上げて言いました。俺は歯をむき出しにして全力の笑顔を作り、「なに言ってるんだ。告白は大成功だったよ」と吠えました。
「いや、噓つくなや。え、それともマジ? マジで?」
ヤマグッチは一瞬ちょっと信じたっぽかったです。マジでね、純粋なところのある男なんですよ、彼。
「噓だよ」
「あ、だよな」
「そうだよ」
俺は手近にあった椅子に腰を下ろし、長机の上に両手を組んで額を乗せました。目を閉じると、グラウンドの芝生を遠く眺めていた彼女の横顔が瞼の裏に浮かびます。髪の上に落ちた眩しい陽光。そして白い頰に落ちる、前髪と、睫毛の影。世界一美しい、光と影。
「あああああああ」
「うるさいわ」
「なんだよ。冷たくない? 俺は七分前にフラれた哀れな男なんだけど?」
「だからやめとけ言うたやん。まあでも、これで気が済んだだろ。雲の上の女はあきらめて、等身大の幸せを探せって」
顔を上げると、ヤマグッチが膝の上に立てた雑誌の表紙が目に入りました。サークルで定期購読しているサバゲー雑誌『グリップ』。昨日出たばかりの五月号の表紙は、迷彩柄のズボンにドクロのTシャツ、柔らかそうなスカーフを複雑な形に巻いて、東京マルイのグロックを掲げる、美しい女性――。
それは俺が八分前にフラれたばかりの彼女、宮城絵茉さんの姿でした。
『美しすぎるサバゲー女子大生、エマちゃんに質問!』の見出しは、言葉のチョイスも文字の色やフォントも、彼女の凜とした美しさに全くそぐわぬ低俗なものに思えましたが、それはそれとしてうちにその雑誌は二冊あります。
「俺は幸せになりたいわけではないんだ」
雑誌の中の彼女の瞳。その中にもやはり、ファインダーを透過したくらいでは消えることのない、翳。
「ところで他のメンバーは?」
部室の中にいるのがヤマグッチだけであることに今更気づき、俺は尋ねました。部室が無人であることは別に珍しくもないのですが、さっき、俺が決死の覚悟で彼女への告白を宣言し部屋を後にしたときには、この長机に数人がたむろしていました。「絶対無理だろうけど頑張れよ」と背中を押してくれたオールバックのタケ先輩、「メンタル強いね」と掠れた声で讃えてくれた小早川先輩、「百パー無理なのに告白するの? なんのために?」と心の底から不思議そうな顔で首を傾げた同級生の西くん。
「みんな新入生の勧誘。週末の新歓サバゲー、肝心の新入生がぜんぜん集まってないんだって」
「ああ……そっか。困ったね」
「宮城さんに迷彩服着てブースに立ってもらえば入れ食いだったろうに」
「いや、駄目だ。そんな露骨な客寄せ、彼女にはさせられない」
「まあ普通に本人に断られたしね。それでももうちょっとは彼女目当てが来ると思ったんだけどな」
学業の傍らモデル活動もしている『エマちゃん』が我が大学のサバゲーサークルに所属しているということは、彼女に興味を持って少し調べれば簡単にわかることです。彼女のファンガールやファンボーイが我らのサークルに大挙して押し寄せる、俺たちはそんなミーハーヤングたちを乱獲して調教して立派なサバゲーマーに育て上げる、ことを夢見ていたのですが。
「宮城さんのホントのファン層ってなんかお洒落っぽいしね。うちじゃなくて掛け持ちの方に行ってんのかもな」
彼女は我ら『クライス』の他にも、学内のボランティア系サークルふたつとイベント系サークルひとつに所属しています。更にサバゲーに関しては、学外の某中規模チームにも所属し、そちらでの貸し切り企画や定例会にも顔を出しているようです。ちなみにその学内ボランティア系サークルのひとつには俺も去年の秋から所属しています。ええ、彼女目当てで入りました。ええ、本当にキモいですよね。
「ぶっちゃけうちの優先順位って最下位っぽいよね、宮城さん。まあ彼女に限らずだけど。先輩の言ってた通りだな」
「え? 先輩なんか言ってたっけ?」
「言ってたじゃん。最初は女子も少しいるけどだいたい秋には来なくなるって。まあ、男子もだいぶ減ったか。去年いろいろあったし。俺はこの緩さが落ち着くからいいんだけどね」
そう話すヤマグッチの声はフラットで、ちょっと余裕に満ちてる感が出ていました。彼はあれほど女子との出会いにガツガツ、ガツガツしていたのに、結局去年の梅雨の時期に、俺が一番憧れとする偶然の出会い『夕立の雨宿りをしていた女性を傘に入れてあげる』により恋人ができたのです。腹立たしいことです。
「まあ、良い子いるといいな、新入生」
「そうだね」
「女子もね」
「え? 色恋的な意味なら俺は求めてないよ。俺は彼女一筋だから」
「は?」
ヤマグッチはチラシから顔を上げ、俺を見ました。鳩が豆鉄砲を食ったような、冷や水を浴びせられたような、背後からのフレンドリーファイアでヒットとなったような、複雑な表情で(実際はヒットとなった瞬間の表情は見ることができない。俺たちは正しいサバゲーマーとしてゴーグルとマスクをつけているので)。
「彼女って、誰?」
「そりゃあ、宮城さんですけど」
「え? 今、フラれたんだよね? 宮城さんに」
「うん。いや、お付き合いとかそういうのはもう、望んでない。ただ彼女を想い続けるのは変わらないっていうか」
俺の熱いパッションを聞いたヤマグッチは、数秒の間ただ俺を見つめて黙っていました。が、やがて口を開くと、「お前のことよく知らないやつはお前をストーカーと判断するかもしれないけど、俺はお前の味方やで」と、弱々しい笑顔を見せました。
「いや、ストーカーではないでしょ。これはあの、純愛的なあれですよ」
「純愛とか言うなよストーカーっぽいから」
「それはお前、俺の見た目を加味して判断してるよね。俺が細マッチョだったとしても同じこと思う?」
「いや、俺は信じてるって、お前がデブでも。でも世間的にはさ、ちょっとぎりぎりっぽいっていうか」
「誰がぎりぎりアウトのデブやねん」
俺はテーブルに両手を突き、上目遣いでヤマグッチを威嚇しました。ストーカーグレー判定を受けたことは、もちろん納得がいきません。でもまあ、やつが「味方」だと言ってくれたことは、少しは嬉しかったです。
コンコン、という控えめなノックの音に、俺は振り返りました。
うちの部室の扉は、こんなふうに繊細にノックされることなどほとんどありません。俺は一拍空けたのち、「あ、はいどうぞ」と扉に声をかけました。
これまた控えめに、薄く開かれた扉の向こうに立っていたのは、女の子でした。女子、というより、女の子、と表現するのが相応しいように思える小柄な女子。中学生でしょうか? 飛び級でキャンパス見学に訪れた意識の高い中学生の迷子? 困惑し、最初の一言が出せないでいると、その子は意外とはっきりした発音で言いました。
「すみません、チラシを見て。新歓サバゲーの参加希望なんですけど、まだ間に合いますか?」
明瞭な声に溢れる、穢れなきフレッシュ感。そのピュアっぷりが、一年前、初めてこの部屋を訪れたときの自分に重なりました。
この扉は、まさに新しい世界への扉でした。ヤマグッチとふたり、期待と緊張を胸に扉を叩いたことを、昨日のことのように覚えています。そしてその向こうに、彼女を見つけたことを。
(つづく)
▼渡辺優『きみがいた世界は完璧でした、が』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322007000498/