「復讐に燃える女子高生」という強烈なテーマのデビュー作『ラメルノエリキサ』が話題となった渡辺優さんの最新作『きみがいた世界は完璧でした、が』が3月19日に発売となります。
大学のサバゲ―サークルで、かつて熱中していたゲームのヒロインにそっくりな美少女・エマに恋をした主人公の日野。二度告白するも振られ、今後は彼女を遠く見守ろうと決意した矢先、彼女に害をなすストーカー犯が現れる。犯人を絶対許さないことを決めた日野は、次第に暴走してゆき――。
発売に先駆け、本作の魅力がたっぷり詰まった第一章をまるまる大公開!
痛快な毒とユーモアがたっぷり詰まった本作、ぜひお楽しみください。
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「飲みにでも行くか?」
夕刻、翳り行く部室で帰り支度を整えているとき、そう声をかけてきてくれたのはタケ部長でした。
「あー、いや、俺今からバイトが」
「バイト終わりでもいいよ。な? 山口も」
「そっすね。今日はほら、残念会」
「残念でもないけどな。あれだけ忠告したのに会だよ」
部長もヤマグッチも軽い調子でしたが、フラれた豚を気づかってくれる気持ちは真実のようでした。その優しさにちょっとグッときつつも、俺は丁重にお断りをし、まだだらだらと長机に居座る皆を残して、部室を出ました。自分のせいでしんみりした飲み会になったら辛いし、そもそも俺はまだ十九歳で酒は飲めないし、酔ったタケ部長はマジでサバゲーの話しかしなくなってちょっと怖いのでスリーマンセルでは荷が重い、などいろいろな理由が挙げられますが、なにより一番は金がないのでした。今の俺は本当に、自分でも引くほど金がない。その原因は大きくふたつ。
ひとつは、先日ついエアショットガン、ベネリM3を買ってしまったためです。サークルの活動とは別に、ちょうど暇をしていた西くんとふらっと行った定例会で、ガチ勢相手に一ヒットも取れずに空虚な気持ちを味わっていたときでした。今までは先輩おさがりのハンドガンだけをメインウェポンとしながらそれなりに楽しく戦ってきたのですが、重課金装備のおじさんたちを前にした俺らはSWATに追い詰められたアマチュア銀行強盗のようでした。
このかっこいい銃さえあればあのおじさんたちもぼこぼこにできるよね! とうきうきでお会計したのですが、よくよく考えればそれは俺の約半月分の食費になるはずだったお金でした。一万円を超える銃を買ったのは初めてです。はあ。
もうひとつは……今、俺のズボンの左ポケットの中にあります。
西日差すサークル棟階段の踊り場で、あたりに誰もいないことを十二分に確認したのち、俺はポケットからそっとその箱を取り出しました。布張りの、小さな白い箱。真ん中から開くと、つややかな台座に収められた、細い指輪。
ほんと、過去の自分ってどうしてつねに頭がおかしいんでしょうね。
その代金を支払ったときの俺はテンションが上がりきってアドレナリンやオキシトシがじゃぶじゃぶ出まくっていたためあまりはっきりとは覚えていないのですが、確か四〜五ベネリM3くらいの諭吉が飛んでいったと思います。でもお金を払ったくらいで彼女への贈り物が手に入るなんて夢のような話じゃないですか。俺には聞いたこともない、読み方もわからないそのブランドの指輪が欲しいと彼女が雑誌のインタビューで答えていたのを読んだのは、ちょうど彼女に二度目の告白をしようと決意したその日でした。ご丁寧に指のサイズまで記されているその記事が、俺の決意のタイミングと同時に世界から提示されたのです。これはフラグに違いないと確信しました。小さな緑色の石が控えめに輝くそれを、俺は、彼女にと購入したのでした。
今ならわかります。現実世界にフラグは存在しない。俺が生きるルートとは関係なしに、ただ世界はその活動を続けているだけだ。そんな偶然に惑わされて恋人でもない女性に指輪を買ってしまうのはちょっとどうかしていたな、と。
ひとつ救いがあるとすれば、俺はこの指輪の話を誰にもしていなかったのでした。ヤマグッチあたりに自慢したい気持ちがないでもなかったのですが、愛する人への贈り物を他人に見せびらかすなんて野暮じゃないですか。当の彼女にも、タイミングがつかめず差し出す機会はなかった。俺はこの指輪を、誰にも知られぬまま闇に葬り去ることができます。メルカリで売ったらいくらになるでしょう。
紫色に暮れ行く空の下、サークル棟から駅までの最短経路を行くため、俺は独り、芝生を踏みしめ歩きました。遠く右手ではけん玉同好会がけん玉の練習をしていました。左手にはピクニックをしているグループに、バドミントンをしているカップル。緩やかな風が草木を揺らしていました。素晴らしい季節。俺はつかのま空を仰ぎました。
東京に出てきて一年。
もう一年。
俺はもうじき、二十歳の誕生日を迎えます。七月生まれのハッピーサマーボーイなので、あと三か月弱。俺は大人になろうとしている。
エリナや他の仲間たちと共に世界を救ったとき、ハルトは十八歳でした。
あ、ハルトというのは俺が中学のときに鬼ハマりしていた件のゲームの主人公です。ゲームの主人公とは、いわばプレイヤーの分身。ハルトは超強くてかっこよくてイイやつであらゆる意味でスマートです。正義感が強く仲間思いで誠実。は? ハルトが十八歳? それで俺がもうすぐハタチ? え? ハルト二個下? マジで?
去年の俺はハルトが年下になるということにビビり、一昨年の俺はハルトとタメになるということにビビっていました。中学のときに自分の最高の分身だった少年の歳を超えたのに、自分がなにも大きなことを成し遂げていないということにビビっていました。しかしこのビビりにもそろそろちょっと慣れつつありました。なんにせよ、ビビっている場合ではないのです。俺はバイトに行かなければ。おもちゃの銃とおしゃれな指輪を衝動買いしたことにより失われたマネーを稼がなくては。それが大人というもの。いや、本当に? それが大人なのか? うーん……。
釈然としない気持ちを抱えつつも、俺は大学の最寄駅から五つ目の駅構内にあるバイト先のコンビニに向かうため、電車に乗り込みました。本格的な帰宅ラッシュにはまだ早く、車内はぎりぎり一割ほどの空きがありました。座席を埋めているのは、学校帰りらしき学生や、幼い子供連れの母親、老人など。自慢のボディがなるたけ人の邪魔にならないよう、俺は奥のつり革下のスペースに移動します。
ただでさえアンニュイな気分だというのに、これからしょぼくれたコンビニで四時間も労働しなければならないと思うとますます気持ちが落ち込みます。俺はテンションを上げるため、スマホを取り出しSNSを開きました。いついかなるときでも心を癒やし、元気を与えてくれる存在がそこにはあります。なにも考えずとも俺の指は滑らかに動き、すぐに目当ての画面にたどり着きました。この一年、ほぼ毎日欠かすことなく閲覧を続けている画面。宮城エマさんの、SNSアカウント。
えっと、念のために言っておきますと、彼女のアカウントは誰でも見られるオープンなものです。彼女はそこに堂々と本名で登録していて、そこでフリーモデルのお仕事募集なども行っていて、つまり、俺は彼女のページを盗み見ているというわけではぜんぜんなくて、オープンなものを正面から拝見しているだけで、だからこの行為にやましいポイントはゼロです。ぜんぜんセーフ。オールクリア。
左手でつり革を摑みバランスを取りつつ画面の更新を待ちながら、俺はちょっとどきどきしていました。もしかして、彼女が俺に告白されたことについて何か触れていたりしたらどうしよう。『名前は伏せるけど今日サークルの同学年の情報工学科のすごいキモい豚に告白されちゃった! しかも二回目! 萎える!』みたいな。『えーかわいそう告ハラじゃん!』というコメントがずらり、みたいな。
そうしたら俺はすべてを捨てて故郷に帰りますね。いえ、彼女はもちろんそんなひとではないとわかっているんですけど。ちょっとした、少年期のトラウマが、うずく。
画面をスクロールすると、彼女の最新の投稿は、二時間ほど前。俺が彼女に想いを伝えた後です。あああああ、と心で叫びながら読みましたが、大丈夫、やっぱり、彼女は公正なひとでした。その内容は、『今日はサークルの新歓。どんな子が来てくれるか楽しみだな』という、誰も傷つけることのない温かなもの。しかもそこに、キャンパス内で撮ったと思われる自撮りの写真が載せられていました。緑の芝。水色の空。白く聳えるサークル棟を背景にして、柔らかく微笑む彼女が瞳の虹彩が映るほどに接写されています。
俺はしばし彼女に見とれ、そしてあらためて、彼女の顔を見てもそれほど傷ついていない己を自覚しました。俺は幸福でした。彼女がこの世界で笑っていてくれることが嬉しい。彼女にはっきりとフラれたことで、俺はある意味、自由になったのだと思います。
満たされた気持ちのまま、俺はさらに画面をスクロールしました。そこにはすでに、彼女の投稿に対するフォロワーたちのコメントが何件かついていました。『エマちゃん今日もかわいい』、『新歓楽しんでね』、『私も今日は学校』等、彼女を愛する者たちの言葉の羅列。それは同じ気持ちを持つ俺にとっても、読んでいて愉しいものでした。
そこで俺は、あのコメントを見つけたのです。
まず初めに異質さに気付き、次いでその意味を理解し、息を吞みました。
美しい彼女への称賛に交じり、紡がれていた言葉は、『死ねビッチ』。
こういう言葉って、世界中どこにでもあふれてますよね。俺だって別に、死ねとかいう言葉を見たのが生まれて初めてなんてわけではもちろんなかったです。むしろ逆です。中学のときなんて特にね、しょっちゅう言われてましたよ。体育の授業やなんかでなにかミスするたびにね、死ね豚野郎、足を引っ張るな殺すぞ豚野郎、ってね。……あ、すみません、ちょっと古傷がうずく……。
とにかく、そういうFワード的なものに俺は慣れていました。現代っ子ですから。でもそのときばかりは、とても強いショックを受けた。泣きそうになりました。ていうかちょっと泣きました。そのコメントを彼女が目にするという事実が、とにかく悲しくて、辛くて、許せなかった。
ああいうコメントをするやつって、どういう気持ちなんでしょうね。どういう気持ちで……どういう覚悟なんでしょうね。その文字を打って、送信、をタップする瞬間、自分の言葉が引き起こすすべてを受け入れる覚悟ができているんでしょうか。人を傷つける覚悟とか……俺みたいなのに、恨まれる覚悟とか。
(このつづきは本書でお楽しみください)
▼渡辺優『きみがいた世界は完璧でした、が』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
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