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◎第23回電撃小説大賞《大賞》受賞作!
絶賛公開中! 映画『君は月夜に光り輝く』。
映画の公開を記念して、原作小説の冒頭約80ページを7日連続で大公開します!
命の輝きが消えるその瞬間。少女が託した最期の願いとは――。
(第1回から読む)
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5
まみずの母親の律さんは、ちょっとキツい感じのする人だった。
どこか張り詰めた雰囲気があって、でも同時にくたびれていた。顔の造形は整っていて、昔は美人だったんだろうな、と思わせる。だけど化粧っ気は全然なくて、まだ四十代らしいのに、実際より老けて見えた。
「あら、あなた、今日も来てくれたのね」
会うのはその日が二度目だった。言葉は穏やかだけど、言い方にどこか微妙にトゲがあった。律さんは僕の名前を呼ばなかった。いつも「あなた」だった。もしかしたら、突然娘の病室を頻繁に訪れるようになった僕を、わけのわからない存在として、あまり快く思っていないのかもしれない、という気がした。
「じゃあ、私は帰るけど。あんまりはしゃがないで、ちゃんとおとなしく寝てなさいね」
律さんはどこかたしなめるような口調でまみずにそう言って、病室を出て行った。
「なんか卓也くん、今日やけに暗い顔してるね」
まみずが僕の顔を見て少し心配したように言った。
「大丈夫? 体調でも悪いの?」
「いや…………たいしたことじゃないんだけどさ」
「どうしたの?」
「イヤホンが断線した」
僕はポケットからそのイヤホンを取り出してまみずに見せた。病院に来るときに歩きながら曲を聴いていたら、街路樹の枝にひっかけてしまったのだ。今はもう片耳しか聞こえなくなっていた。
「高かったの?」
「別に」
ただ、それは鳴子が高校のとき、最初のバイト代で僕に買ってくれた誕生日プレゼントだったから、なんとなくショックではあった。
まみずは僕のイヤホンを手に取って、しばらくしげしげと眺めていた。それからふっと何か悪巧みを閃いたような顔になって僕を見た。
「ねぇ、卓也くん」
「なんだよ」
なんかまた面倒臭いことを言い出すんじゃないだろうな、と僕は身構えた。
「ちょっと、イケないことしてみようか」
まみずの言う「イケないこと」とは、病院の一階にある売店に行きたい、ということだった。彼女は基本的にはベッドから離れることを禁止されているらしい。とはいえ、見つかったところでまさか命まで取られるわけでもないし、というのが彼女の言い分だった。
僕が先に歩いて廊下を確認した。看護師や医者に見つかったらそれでゲームオーバーだった。僕たちは慎重に廊下を進み、階段に向かった。エレベーターだと鉢合わせする確立が高そうだったからだ。
まみずは手すりに摑まりながら、幾分おぼつかない足取りで階段を下りた。
「大丈夫かよ?」
「バカにしないでよ。おばあちゃんじゃないんだから」
一階に下り立ち、無事に売店にたどり着いた。僕は売店の入り口で、見つかったらまずい人間が来ないか見張ってることになった。
「あった! 卓也くん、あったよ!」
しばらくして、まみずが小さく叫ぶ声が聞こえた。振り返ると、何がそんなに嬉しいのか、彼女は子供みたいに手を振っていた。よく見るとその手には、何かのパッケージが握られていた。
「なんだよ、それ」
まみずは近寄ってきて、それを僕の目の前に掲げた。
「よく見て。卓也くんのイヤホンと一緒のやつ」
たしかに、同じメーカーの全く同じやつだった。なんだそりゃ、と思った。まさかこんなことのために、わざわざ病室を抜け出してきたんだろうか。
「これ、ください」
止める間もなく、まみずはレジのお姉さんにイヤホンを渡していた。
「そんなこと言って、現金ないだろ」
僕は冷静にツッコミを入れた。
「じゃん。私には魔法のカードがあるのです」
そう言って彼女が取り出したのは、見慣れないICカードだった。
「病院のプリペイドカードなの。これさえあれば、テレビ見たり、色々出来るんだよ」
「っていうか、別に買わなくていいよ」
と言ったのに、まみずは何も答えずイヤホンを買ってしまった。
「今度は大事にしてね」
「別に……前が大事にしてなかったわけじゃないよ」
ありがとう、と普通に返せばいいのに、僕は何故か別の言葉を口にしていた。
するとまみずは、急に無表情になって、僕をじっと見つめだした。
「なんだよ。何か言いたいなら、言えよ」
次の瞬間、ゆらり、とまみずの体が揺れた。それが何故なのか考える暇もなく、彼女の体が、しなだれかかるように僕に向かって倒れてきた。反射的に手を伸ばして、彼女の体を抱きかかえた。
「おい、何だよ。急に」
「卓也くん。ごめん。困ったことになっちゃった」
そう言って、それからまみずは何故か、自嘲するような笑い声を漏らした。
「体に力が入らないや」
「なぁ、冗談だろ?」
「ほんと」
売店のレジ前で、まるで抱き合うような姿勢のまま動けなくなってしまった。冗談だろ、ともう一度思った。
「あの、誰か呼んでもらえますか」
僕はレジのお姉さんにそう頼んだ。
ちょっとした騒ぎになった。医者と看護師が血相を変えて駆けつけてきた。ストレッチャーっていうやつ、足にローラーがついて移動出来るベッドみたいなものに乗せられて、まみずはどこかに運ばれていった。
「失敗したなぁ」
と運ばれていくとき、まみずは天井を眺めながらぼそっと言った。
勿論、僕もタダじゃすまなかった。
一時間もたたずに、いったん家に帰りかけていた律さんが引き返してきたのだ。
病室のまみずのいないベッドの脇で、僕と律さんは向かい合って椅子に座った。
「正直言うとね。あなた、あんまり来て欲しくないの」
律さんは単刀直入に言った。声には、はっきりと怒りが含まれていた。
「すみません」
僕はとくに言い訳せず、ただ謝り続けた。
「悲しいことだけじゃなくて、楽しいことも、人間にとってはストレスなの。わかる? あの子はね、普通じゃないんだから」
そんなことを、律さんは言った。ひとしきり、僕はそうやって、静かに怒られていた。言い返したい言葉は、何十個も頭に浮かんだけど、何も言えなかった。
しばらくそうしていると、まみずが病室に戻ってきた。
彼女は車椅子に乗せられていて、看護師さんがそれを押していた。
「あんまり、無茶させないでね」
岡崎、という名札を胸元につけた気の強そうな看護師さんが僕に向かってそう言った。僕はただ、頭を下げた。
それからまみずは、看護師の岡崎さんと律さんの手を借りて、ベッドの上に這い上がった。壁に背をつけて、起き上がるような形で僕たちを順番に見渡した。
「そんな怖い顔で見ないでよ。みんな大げさだよ。だってこんなの、前からたまによく、なってたでしょ。売店行ったからなったとか、そんなんじゃないよね」
「そういう状態だから、勝手に出歩いたら大変なことになるかもしれないよね」
岡崎さんが、たしなめるようにまみずに言った。
「あなたもね、そういうわけだから、あまり勝手なことを言って、まみずをそそのかさないで欲しいの。出来ればこれを機に、もう来ないで……」
律さんがそれ以上僕に何か言いかけたそのとき、まみずの目から、つーっと涙が一筋、流れ出した。
「ごめんなさい」
律さんがたじろいだのがわかった。
「卓也くんは悪くないんだよ。私が強引に連れ出しただけで。だから、そんなこと言って怒らないでよ。怒るなら、私一人、怒って」
まみずは目を真っ赤にして泣いていた。
「渡良瀬さん、落ち着いて」
看護師の岡崎さんはまみずにそう言ってから、律さんに目で合図した。それで律さんも、何か諦めたような顔になって、姿勢を崩した。
「私、これから用事あるのよ。とりあえず今日は、もう帰るからね」
そう言って、律さんは僕には目もくれず病室を出て行ってしまった。
「あんたも、早く帰りなさい。まぁ……何事も、ほどほどにね」
岡崎さんは最後に一言そう言ってから、慌ただしい足取りで出て行った。
素直に僕も帰ろうとして、立ち上がりながらまみずを振り返った。彼女はまだ泣いたままだった。
そのまみずが、泣きながら僕を見て言った。
「まぁ、噓泣きなんだけどね」
ずっこけそうになった。それは演技だとしたら、いやに堂に入った素振りに見えた。
「これ、そう簡単に止まらないのよ」
まみずはまだ、さめざめと涙を流していたが、でも口調だけはいつものものに戻っていた。
「でもごめんね。迷惑かけて」
「とりあえず、泣きやめよ」
僕はハンカチを取り出して、彼女に手渡した。
「ありがとう。……卓也くんって、たまに優しいね」
「たまに、が余計だよ」
そうして、しばらく僕は、彼女が泣きやむのを待った。
「いつも、悪いなって思ってて。何かちょっとくらい、卓也くんにしてあげたくてさ」
自分の失敗を恥じ入るような口調で、彼女は言った。そんなこと思ってたのか、と僕は少し意外に思った。
「大事にするよ、イヤホン」
僕がそう言うと、彼女ははっとしたような顔で僕を見た。
「変な顔すんなよ」
「元からこんな顔なのよ」
そう言って、彼女は少し照れたように笑った。
>>第7回へつづく
>>佐野徹夜『君は月夜に光り輝く』特設サイト
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