10/15 より全国ロードショー「かそけきサンカヨウ」映画化記念試し読み
窪 美澄による連作短編集『水やりはいつも深夜だけど』。その中の1編「かそけきサンカヨウ」が今泉力哉監督からのラブコールにより映画化決定!
主演は連続ドラマ「ドラゴン桜」での活躍も記憶に新しい志田彩良、そしてその同級生役に鈴鹿央士、主人公の父役に井浦 新を迎え、原作の世界観の温度をそのままに丁寧に描く。
10月15日(金)からの全国ロードショーに先駆け、原作の冒頭部分を特別に公開します。
「かそけきサンカヨウ」試し読み①
「自分のさ、いちばん古い記憶って覚えてる?」
もうすぐ夏休みが始まる、いつものドーナツショップ、口のまわりにお砂糖をつけながら、だらだら話していたとき、
陸君、
けれど、陸君自身は、小学校に入る前の記憶があまりないのだと言う。
「最近読んだ本に、そういう文章があったんだよ。だけど、一生懸命に思い出してみても、あんまり思い出せなくてね。自分のことは」
陸君はそう言いながら、ガラスのコップに入った氷入りのミルクをストローでちゅっと吸った。下くちびるがミルクで
私がぼんやり考えているうちに、みやこが初めて行ったディズニーランドのミッキーマウスがあまりに大きくて怖くて、泣き出したやつかもしれない、と言いだし、次に宮尾君が、家で飼っていた猫に、いきなり手のひらを
私、ベビーベッドみたいなのに寝ていてさ、なんか、くるくるまわるおもちゃみたいの、ずっと見ていた記憶あるよ、と沙樹ちゃんが言い出したときは、それはちょっと話を盛っていないだろうか、という空気になったけれど、それでも、みんな、否定はしないで、うん、うん、と返事をしながらも、適当に聞き流していた。いつもの私たちのたらたらした感じで。
「でー、
とみやこに聞かれたものの、自分には思い浮かぶことがまるでなかった。
「私、すごい、忘れっぽいから」
そう言いながら腕時計を見ると、もう、午後五時を過ぎていた。あ、夕食の準備しなくちゃ、と席から立ち上がると、みんなは、おかん、今日もがんばって、とか口々に言いながら、慌てて店を出る私に手を振ってくれた。
「ごめん、陽さん。今日のお夕食、お願いしてもいいかな?」
今朝、
スーパーマーケットで時間をかけて食材を選び、家に帰って手を洗い、エプロンをきゅっ、としめる。夕方の家の中は私ひとりで、私がたてる音だけが聞こえる。そのことがもう、それだけでうれしい。
まな板の上で細
空だ。
私ひとりでは十分に歩けないくらいの、赤ちゃんの頃だったのかもしれない。子連れで山登りをする人が使うようなアウトドア用の
顔も見えないのに、なぜ母だとわかるのかと言うと、自分の背中のほうから、聞き覚えのある母の声が聞こえたからだ。そのとき、私が見ている目の前の風景には、ビルなどの高い建物はなく、どこまでも続く草っぱらと、その上に広がる空だけが見えた。
木々が濃い影を作るような山のなかではなく、湿地のような場所だったのかもしれない。子どもの頃の写真には、父と母と私が、山とか草原とか、自然の多い場所に出かけている写真がたくさん残っている。もしかしたら、それが、父と母との共通の趣味だったのかもしれない。
木道を歩く、ぽく、ぽく、という靴音も覚えている。
私は右手の親指を口に入れて、母が歩くたびに、揺れる空を見ている。もっと視線を上げると、空の高いところを、黒い点のようにも見える一羽の黒い鳥が旋回しているのも見えた。母が背中の私に話しかける。
「陽ちゃん。ほら、これがサンカヨウ。朝露や雨を吸って、どんどん透明になるのよ」
そう言いながら、母が体を傾けて、私にその、サンカヨウを見せようとする。
「きれいね」
何度もそう言うのだが、背負い子に入っている自分には、空しか見えない。母がくり返し口にする「サンカヨウ」が何なのかもわからなかったが、母がそれを見て、心のどこかを動かされている、ということだけはわかる。
ガス台からふと顔を上げると、夕方の庭は、
静かな時間が流れていく。記憶を
こんな花の絵を、母も描いていなかったかな。母の名前はもう検索履歴に入ったままで、私は手があけば、母の情報を集めていた。絵を描く人だ。時々個展を開いたり、母の絵が本の
誰にもそんなことを言ったことはないけれど。
その夜、ベッドに入って、もうひとつの記憶が思い出された。
父はまだ帰って来ていないが、ついさっきまで聞こえていたひなたちゃんの声も聞こえない。私は夜更かしができないタイプなので、寝る時間は、ひなたちゃんとたいして変わらないのだ。
けれど、ひなたちゃんは、一度眠っても、トイレに行ったり、お水をのみたいと言ったり、夜の間にしばしば起きる。眠る前にはひとしきり、大きな声で泣く。まるで眠るのが怖いみたい。廊下から聞こえるひなたちゃんの声や、それに付き添う美子さんの声で、私も目がさめてしまうことがあるのだけれど、今日はそれもない。もしかしたら、美子さんは仕事をしているのかもしれないな、と思いながら、うとうとしているときに浮かび上がってきた記憶だった。
夜だ。
こんなに静かな夜だから思い出したのかもしれなかった。
母の背中で、サンカヨウという音を聞いたときより、私はもう少し大きくなっている。
玄関から続く廊下の照明、天井の蛍光灯が、ちかちかと、今にも切れそうになっていたことを覚えている。なぜだか廊下には父も母もいなくて、自分だけがその冷たい床に座っている。照明が消えたり
誰かがそこから出て行ったのか、入ってきたのか、それとも、誰かがきちんとドアを閉めなかったのか。
その中途半端に開いたドアが、風のせいで、かすかに閉じたり、開いたりしていた。悲しいとか、せつないとか、そういう感情の色がついた光景ではない。けれど、それを思い出すたび、私の頭のなかには、なぜだか宙ぶらりん、という言葉が浮かぶ。
サンカヨウの記憶も、夜の記憶も、なぜだかモノクロで、うすぼんやりとしているのに、三歳からあとの記憶は、まるで違う世界のように、カラフルではっきりとしている。その色をつけてくれたのは、エミおばさん、だったのかもしれないと今になって思う。
エミおばさんがこの家に来たのは、私が幼稚園に通い出した三歳のときだ。
エミおばさんに手をひかれて幼稚園に行き、園庭で遊んだり、歌を歌ったり、お遊戯をして、しばらくすると、迎えに来たエミおばさんと手をつないで、家に帰った。エミおばさんが作ったおやつを食べ、夕食を食べ、お
同じことをして毎日が過ぎて行った。けれど、それは、単調で退屈な日々ではなく、多分、私が生まれて初めて体験する安定した日々だった。
父とエミおばさんは二人
母がこの家からいなくなってすぐ、父は、生活をスムーズに進めるためのすべての作業──炊事、洗濯、掃除、生活にかかわるすべてのことを、誰にも頼らずに自分ひとりだけでなんとかしようとした。多分、父は、毎日の生活を滞りなく進めるために、細かな作業がどれくらい必要で、時間がかかるかということを、よくわかっていなかったのだと思う。
朝、真っ黒こげのトーストに山盛りの
残業も出張も多い父に、仕事と子育てを両立させた生活ができるはずもなく、私たちの生活はみるみる荒廃していった。時々会う祖母は、なんだかあんた、見るたびに
私が生まれた頃にかなり無理なローンを組んで、父が買った庭付きのこの中古の家は、父と私の二人暮らしには広すぎた。父が、(そして母が)どんな家族の未来図を描いていたのかはわからないが、一階には、二人暮らしには広すぎるリビングダイニング、玄関脇の二部屋は父が寝室と書斎に使っていた。二階には、同じ広さの洋間が三部屋あった。母が使っていた部屋はがらんとして何も無く、油絵の具のにおいだけがいつまでも残っていた。けれど、子どもは私ひとりしかいないし、母もいなくなってしまったこの家は、やっぱり二人暮らしには広すぎるのだった。部屋のすみには、いつもほこりがたまっていて、窓ガラスは曇り、庭では雑草が伸び放題だった。
その頃、まだ二十代後半だったエミおばさんには力が有り余っていたのだろうと思う。ほこりまみれだったこの家を徹底的に掃除し、清潔にして、冷凍食品やレトルト食品ばかりつまっていた冷蔵庫の中を、新鮮な野菜や果物、牛乳で満たした。エミおばさんの洗濯する下着やタオルは、いつもいい香りがしたし、エミおばさんの作る料理のおかげで私のおなかはキューピーのように、ぽこんと膨れた。
五歳になった頃だろうか、私に家事を教えてくれたのも、エミおばさんだった。
彼女は家事が得意な女性らしい人、というよりも、極度の凝り性だったのだと思う。毎日作る料理は、家事、というよりも、実験のようだった。エミおばさんが最初に私に教えてくれたのは、
エミおばさんが教えてくれたのは、料理や掃除だけではなかった。英国式の紅茶の
ひらがなや、数字を、エミおばさんから教えてもらった記憶などないのに。
「恋人ができた。いっしょに住むことになった」
私が小学生になると、ある日、エミおばさんはそう言って、この家を出て行った。
今のだんなさんである、その恋人との暮らしが始まると、一日おきに、家に来るようになった。私はその頃、すでに、お米をといでごはんを炊けるようになっていたし、昆布とかつおぶしでだしをとってお
私の成長とともに、エミおばさんが家にやって来るのは、週に二日になり、週に一日になった。
エミおばさんは、いつか家を出て行く人なのだから、と、父からそうくり返し聞かされていたから、心の準備はできていた。正直に言えば、エミおばさんがいなくなってしまうさびしさよりも、自分ひとりの力で父と自分との生活を切り盛りしていく、という興奮のほうが勝っていた。
私が小学五年生になったとき、エミおばさんはいっしょに住んでいた恋人と結婚をし、アメリカに行ってしまった。父との二人だけの生活が始まった。けれど、生活そのものにはなんの支障もなかった。祖母は、私と父との生活の様子を確認するように、時々、この家を訪れては、ピカピカに磨き上げられた床や窓ガラス、カビひとつない浴室、そして、私が淹れたお茶をのんで、何も言わず、ただ
小学校から帰ると、私はランドセルを玄関に置いて、スーパーマーケットで買い物をし、炊飯器をセットし、おかずの下ごしらえをしてから友人たちと遊んだ。夕方になると、乾いた洗濯物を畳み、夕食を作った。父がいれば共に食べ、いなければひとりで食べる。
翌朝、起きてすぐ洗濯機をまわし、天気が良ければ庭に干して、トーストと卵料理の朝食を父と二人で食べ、それから、小学校に行った。休みの日は、掃除を集中的にした。床をぬか袋で磨き、父のスーツをクリーニングに出し、靴を磨いた。父が週末の二日間、完全に休めることは少なかったが、それでも、休みになると、父は映画館や、水族館、遊園地に私を連れて行ってくれた。
映画の仕事をしていることに関係があるのかどうかはわからないが、父は家では、テレビを観ることが、ほとんどなかった。夕食を食べたあとは、ソファで本を読むか、レコードプレイヤーで、古い音楽を聴き、私は、そのそばのダイニングテーブルで宿題をした。教科書を開くと、すぐにうとうとしてしまう。テーブルにつっぷして、寝てしまうことも多かった。しばらくすると、父の手のひらがやさしく私の頭を
そうした日々がずっと続いていくのかと思っていた。これからもずっと。
「恋人ができた。結婚しようと思う。その人には、子どももいる。みんなでいっしょにこの家で暮らそう」
高校に合格したばかりの私に、父がそう宣言するまでは。
(つづく)
映画原作小説『水やりはいつも深夜だけど』著者 窪 美澄
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