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試し読み

第33回紫式部文学賞受賞記念! 「魔女の宅急便」の著者・角野栄子さんの自叙伝的物語『イコ トラベリング 1948-』試し読み#1 中学生のイコ

角野栄子さんの『イコ トラベリング 1948-』が第33回紫式部文学賞を受賞!
本書の受賞を記念して、作品の一部を試し読み公開します!

1948年、終戦後の日本。中学2年になったイコの周囲には、やけどを負った同級生や傷痍軍人の物乞いなど、今だ戦争の傷跡が多く残されていた。母を早くに亡くしいつも心のどこかに不安を抱えるイコだったが、英語の「現在進行形」と出合い、強く心を揺さぶられる。「現在進行形、いまを生きるということ!」そして大学を卒業したイコに、大きなチャンスが巡ってくる……! 人生を前向きに生きたいあなたに読んでほしい!
魔女の宅急便』の著者・世界的児童文学作家、角野栄子の『トンネルの森 1945』に続く自伝的物語。



角野栄子『イコ トラベリング 1948-』
試し読み#1 中学生のイコ

通学途中の電車の窓から見ると、空襲で焼きくされた東京の街に、木ぎれをばらまいたような小さな家が建ち始めていた。もう三年も経つというのに、焼けた街のくさい匂いが、時折風に乗って、電車の窓から入ってくる。
 戦争が終わったのに、今だに食べ物だって、まったく足りない。決まっている配給の量ではとても生きていけない。学校に持っていくお弁当だって、電車にられるうちにお弁当箱の中で麦や豆、さつまいも混じりのご飯はかたよって、半分ほどすきができてしまう。イコの家でも、みんなが四六時中どうやって、闇の食料を手に入れようかと考えている。大人たちは日を選んで近郊の農家に買い出しに行き、帰りに警察のとりしまりにあって、取り上げられ、つかれ果てて帰ってくる日々が続いていた。
「食料は統制されてるんだから。自由に買ってはいけないんだよ。法律はんになるんだよ。それを承知でやったんだから、仕方がない」
 大人たちはこう言う。
 だけどって、イコは思う。
(なら、取り上げたお米やお豆はどこにいくの。そのぐらいは教えてよ。戦争に負けて、民主主義で自由主義ってものに変わったんでしょ。なら変わったしようを見せてよ)
 それなのに、大人たちはそれはそれ、これはこれって風だ。
 まあ、いいじゃないの、空からこわいものが降ってこないだけ、ずっとまし。夜には電気がつくんだもの、ずっとまし。少しずつでもよくなってるんだもの、とやかく文句を言ってたらきりがない。そう思うことにしたらしい。
 周りの風景はちようとつきゆうで変わっていった。道路標識に英語が加わった。「一方通行」は「ワン ウェイ one way」、「左へ」は「left と矢印」とか。
 アメリカ軍のラジオ「しんちゆうぐん放送」からは英語が聞こえ、アメリカの音楽も賑やかに流れてくる。どの曲もぽんぽんと、はずんで走っているようで、聞いてるこっちも追いかけたくなる。イコはこの軽い賑やかさが楽しくて、割り切れない気持ちは後回しにして、もう走り出していた。
 こんな歌、すらすらと歌えたらいいな。イコはびして、家に一台しかないラジオに耳を近づける。時折、知ってる英語の単語が聞こえてくると、まるで拾い物をしたようで、うきうきする。
 もはやほいほいのアメリカびいき!
 だって私、キャロルだもん! って、わざと口にしてみる。すると背中の方で、ざらっとした感じがする。浮かれ過ぎてる? そう思っても、だんだんとイコの中でキャロルの姿が形になってきた。
(何さ! アメリカかぶれのどこが悪いの! これ、おまじないの代わりよ)
 そうりながら、イコは気持ちのすみに、絶えず不安を抱えていた。不幸はお前をねらってる、いつもそんなおびえた気持ちが背中あたりに張り付いていて離れない。用心するんだよ、いい気になるんじゃないよ、そのうち不幸ってやつにふくしゆうされるかもしれないよ。また戦争になるかもしれないよ。
 どこからかこんな言葉が聞こえてくるのだ。
 だから、おまじないの助けを借りても、賑やかな世界に飛び込んでいきたくなる。
 もうめんどくさいこと考えるのはやめたい。今のことより、これからだ……いつの間にかイコはそういう背伸びの女の子になっていた。

「いいかい。今日は、現在進行形のおさらいをしようか」
「六時五分前」は傾いた首はそのままに、黒板に手をあげ、書き始めた。
「be動詞+動詞+ing こう言葉を並べると、現在進行形になるね。たかさん、この意味がわかるかな」
「今、進んでるってことよね」
 高野さんが答える前に、二、三人の声が重なって聞こえてきた。
「そうだ。なになにをしつつある、そういう時使うんだったよね。じゃ、今、君たちは何をしつつあるんだ?」
「英語の勉強」
「そうだね。私たちは英語の勉強をしつつあります。じゃ、それをどういう?」
 みんなボソボソと言い始めた。
「そう、そうだ。We are studying English. だね。今、現在進行中だからね」
「六時五分前」は、傾いた首で二回ほどうなずいた。
 急にイコの足元から頭のてつぺんまで、びーんとするどい音がつらぬいた。ぐんと背中を押されたようにおもわず前のめりになる。
(今しつつある? しつつあるのだ!! この言葉って素敵じゃないの! こういう風に生きていけたら……現在進行形で生きていけたら! 心が強いふりができるかもしれない!)
 イコの中で大きな声がさけんでいた。
「キャロル イズ ゴーイング ツー どこか!」
 イコはとっさに文章を作る。

(試し読み♯2へ)

作品紹介



イコ トラベリング 1948-
著者:角野 栄子 カバーイラスト制作:今日 マチ子
発売日:2022年09月28日

さっ、行こう、ひとりで。 そして、力いっぱい世界を抱きしめよう!
1948年、終戦後の日本。中学2年になったイコの周囲には、やけどを負った同級生や傷痍軍人の物乞いなど、今だ戦争の傷跡が多く残されていた。母を早くに亡くしいつも心のどこかに不安を抱えるイコだったが、英語の授業で習った【~ing=現在進行形】にがぜん夢中になる。「現在進行形、今を進むという事!」急展開で変わっていく価値観に戸惑いながら、イコは必死に時代をつかもうとする。そして「いつかどこかへ行きたい。私ひとりで」そう強く願うようになる。でもまだ、日本からの海外渡航が許されない時代。手段も理由も見つからないまま大学を卒業したイコに、ある日大きなチャンスが巡ってくる……。「魔女の宅急便」の著者・世界的児童文学作家、角野栄子の『トンネルの森 1945』に続く自伝的物語。戦後の日本を舞台に、懸命に自分の路を探す少女の成長をエスプリとユーモア溢れるタッチで描く著者の原点ともいうべき作品。87歳、角野栄子は今も現在進行形だ!

詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/321804000159/
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