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試し読み

オレの個室は出戻りの姉に取られて、しばらく屋根裏に住めだと――! ふたりの姉と妹に挟まれて育った男子の恋と仕事と、決意の物語――畑野智美『家と庭』試し読み④

好評発売中、畑野智美さんの『家と庭』は、下北沢に生まれ育ったフリーター男子・望の恋と仕事と決意の物語。本作の冒頭を4回に分けて試し読みを特別公開します。
>>前話を読む

 ◆ ◆ ◆

「ただいま」玄関からリビングに向かって声をかけるが、誰からも返事がない。
 お母さんと弥生が大きな声で喋っているのが聞こえる。文乃ちゃんの笑い声も聞こえた。テレビを見ながら、三人でお喋りしているのだろう。
 靴を脱いで家に上がり、廊下の奥に行ってリビングのドアを開ける。
「あっ、おかえり」弥生が言う。
 思った通りお喋りしていたようだ。しかし、三人ではなかった。
 なぜか、オレがいつも座っている場所に、林太郎がいた。
「お邪魔してます」林太郎が言う。
「なぜ、お邪魔してる?」
「林太郎君に、荷物を運ぶの手伝ってもらったの」文乃ちゃんが言う。
「それで、夕ごはんも一緒に食べたのよ」お母さんが言う。
 お母さんと文乃ちゃんだけではなくて、この前は知らない男に風呂に入られるのを嫌がっていた弥生まで、楽しそうにしている。林太郎は女三人を楽しませられるほど、喋るのはうまくない。三人で林太郎をからかい、遊んでいたのだろう。
「もう遅いし、帰れよ」
「そうですね。すいません」立ち上がり、林太郎は頭を下げる。
「いいのよ。ゆっくりしていって」お母さんが止めると、文乃ちゃんと弥生もうなずく。
「いや、でも」困った顔をして、林太郎は三人を見る。
「帰れって」
 男がいないと分かっている家に林太郎が上がったことも、オレがいない間に楽しそうにしていたことも、どちらも腹立たしかった。
「そんな言い方しないの」オレを見て、お母さんが言う。
「お兄ちゃんがいないから林太郎君が荷物を運んでくれたんだからね」弥生が言う。
「いや、だって、風呂はもう直ったんだよな?」
 一昨日の昼間に業者の人が来て、風呂は直ったはずだ。昨日の夜のバイト中に林太郎がそう話していた。
「はい」座り直し、林太郎はうなずく。
「座り直すなって。帰れよ! 何しにきたんだよ?」
「お風呂直ったので、ありがとうございましたって言いに」
「用は済んだんだろ?」
「はい」
「ちょっと待て。荷物って何?」並んで座っている文乃ちゃんと弥生に聞く。
「さあ」二人は、首を傾げる。
「……まさか」
 リビングから出て、二階へ駆け上がる。
 オレの部屋のドアを開ける。
 けれど、そこはオレの部屋ではなくなっていた。
 家具は今朝のままだが、本棚にはメイの絵本が並び、机にはメイの幼稚園バッグが置いてあり、ベッドの枕元にはぬいぐるみが山を作っている。青かった布団はピンク色になり、葉子ちゃんとメイが寝ていた。
「何?」葉子ちゃんが起き上がる。
「何? じゃねえよっ! オレのパソコンや雑誌はどこやった? 布団は? カバンや帽子は? 洋服は?」
「うるさいな。メイが起きちゃうでしょ」
 廊下に出て、ドアを閉める。
 文乃ちゃんと弥生と林太郎も上がってきていた。
「どこやったんだよ?」そこにいる全員に聞く。
「うるさいって言ってんでしょ」
 階段を上がってきた三人の方を見た隙に、後ろから葉子ちゃんに蹴り飛ばされる。
「痛いっ!」
「林太郎君が全部、運んでくれたわよ」
「どこに? 和室?」
「和室もわたしが使うから」
「はあっ?」
「しょうがないでしょ、荷物多いのよ。メイの部屋だって必要だし」
「メイって言えば、なんでも許されると思ってんのか?」
「思ってないわよ。でも、この家でわたしに許されないことなんてないとは、思ってる」
「ふざけんなよっ!」
 これ以上、葉子ちゃんと正面から戦おうとすれば、ボコボコに殴られる。殴り返したら勝てるが、たとえお姉ちゃんでも女は殴れない。そういう風に葉子ちゃんに育てられた。
 廊下の奥の階段で、屋根裏へ上がる。
 和室にないならば、屋根裏しかない。葉子ちゃんだって、入院中のばあちゃんの部屋に手を出すほど、冷たくはない。
 屋根裏に上がって電気をつけると、しっかりとオレの部屋ができあがっていた。
 もともとあった荷物は窓がない方へ寄せられている。出窓の前の棚に雑誌や帽子が並んでいて、洋服とカバンは段ボール箱に入っていた。折り畳みテーブルの上にパソコンが置いてある。テーブルと段ボール箱に囲まれるように、布団が敷いてあった。
「あの……」林太郎が階段を上がってきて、屋根裏に入ってくる。
「なんだよ?」
「なんか、すいません。来た時にお母さんがいなくて、葉子さんから運ぶように言われて。そしたら、文乃さんや弥生さんも帰ってきて、みんなで話し合って決めたことだからいいって言われて」
「ああ、そう」
 みんなの中にオレは入っていなくて、姉妹でということだ。葉子ちゃんと文乃ちゃんと弥生は、普段から三人で仲がいいわけではない。なのに、オレを敵と設定した時には、結託する。
「ここ、いいと思いますよ。おしやじゃないですか? 屋根裏に住むなんて。広いし」
「広いよ。お洒落だよ。でも、天井が低いんだよ」
 屋根が斜めになっているから、部屋の隅に行くと立ち上がって歩けない。
「そこは慣れれば……」
「慣れねえよっ。この家に二十四年以上住んでんだから、分かるんだよ」
「そうですよね」
「あと、ホコリっぽい!」
 窓を開ける。
 桜の木が手を伸ばせば届きそうなところまで枝を伸ばしている。
 子供の頃、たまに葉子ちゃんと文乃ちゃんと屋根裏で遊んだ。あの頃、桜の木はここより低いところに見えていたはずだ。
「やっぱり、いい部屋ですよ」林太郎はオレの隣に座って、窓の外を見る。
「良くない」
「望さん」
「なんだよ?」
「望さんの望みは、なんですか?」
「望み?」
「はい。どうしたいんですか?」
「知らねえよっ!」
 風が吹き、花びらが舞いこんでくる。

 雨が降っている。
 屋根を打つ雨音が聞こえる。
 近すぎて、うるさいと感じるほどだ。
 まだ五月だ。
 梅雨が来たら、どうなるのだろう。毎日毎日、この音を聞きながら暮らすことになる。屋根裏でも家の中なのだから、気になるほど雨や風の音が聞こえるはずがない。気にしすぎているだけだ。でも、一階や二階とは気温も違う。暑い日にはより暑く、寒い日にはより寒くなる。冷房もストーブも何もなくて、気温に合わせて服装を変えて調整するしかない。ゴールデンウィークの頃は夏みたいに暑かったのに、最近は雨が多くて寒い。気温の変化が激しすぎて、体調が悪い。
 そして、くさい。
 湿度が高くなると、部屋の隅に寄せた荷物がにおいを発する。
 段ボール箱の紙のにおい、小学生の頃に作った工作や絵の粘土やクレヨンのにおい、子供の頃に使っていた服やカバンのにおいが混ざり合い、謎の異臭に変わる。文乃ちゃんと弥生が輸入雑貨店で買ってきてくれた芳香剤は、トロピカルフルーツという強烈な香りで、異臭をパワーアップさせた。
 リビングではお母さんと葉子ちゃんとメイがテレビを見ているから、自分の部屋でゆっくりしようと思ったのに、くつろげない。
 オレがいない間に勝手に荷物を運びこまれた状態に、棚を買い足し、パソコン用の机も買い、ベッドも買い、一ヵ月半かけて部屋を作り上げた。掃除機を何度もかけたら、ホコリっぽさは前ほど気にならなくなった。
 出窓を開けて涼しい風が通り抜けるような日には、いい感じの部屋になったと思えたが、やっぱり屋根裏は暮らしにくい。
 板張りの床がじめっとしている。
 子供の頃はたまにここで遊んでいたし、自分の部屋にできたらかっこいいと思ったこともあった。けれど、それは天井の高さを気にしないでいいくらい、小さかった頃のことだ。
 階段を上がってくる足音が聞こえる。
 文乃ちゃんだった。
「勝手に入ってくんなよ」
「だって、ドアなんてないじゃない」
 階段の下にも上にもドアはない。家族全員が何も言わず、屋根裏に上がってくる。
 二階の部屋を使っていた時だってドアを閉めていれば安心というわけではなかったが、ドアがあるのとないのとでは違うのだとよく分かった。パソコンで動画を見ている音は二階の廊下に漏れる。イヤホンをすると、階段を上がってくる足音が聞こえなくなる。常に監視されている気分だ。
「階段をノックするとか、合図してほしいんだよ」
「次からそうする」文乃ちゃんは、ベッドに座る。
「どうせしないだろ」
「するよ」
「頼むよ」
「うん」大きく首を縦に振り、うなずく。
 多分だが、葉子ちゃんと文乃ちゃんがノックすることはない。二階の部屋の時だって、二人はよくノックせずにドアを開けた。オレが弥生を小さな女の子だと見ているように、二人はオレを小さな男の子だと見ているのだろう。お母さんや弥生がノックしていたのは、オレを大人の男として見ているからなのかと思うと、それはそれでなんか嫌だ。
「それで、何?」文乃ちゃんに聞く。
「何って?」
「用があって上がってきたんじゃないの?」
「メイのお迎えに行ってきてくれない?」
「お迎え? 幼稚園からはさっき帰ってきただろ?」
 昼過ぎに葉子ちゃんがお迎えに行って、帰ってきていた。
「英語教室に行ってるの」
「英語?」
「アメリカから来た先生が教えてくれるんだって。英語で遊ぶ教室みたいなの」
「ふうん。で?」
「あと十五分くらいで終わるから、お迎えに行ってきて」
「なぜ?」
「行ける人が望しかいないから」
「葉子ちゃんは?」
「買い物」
「お母さんは?」
「ばあちゃんの病院」
「ああ、そう」
 三人ともリビングにいると思っていたのに、いつの間にか出かけたようだ。一階の物音は、屋根裏までは届かない。
「文乃ちゃんが行けばいいじゃん」
「わたし、これから仕事に行かなきゃいけないの」
「なんで?」
 もうすぐ四時になる。文乃ちゃんが働いている店は、八時くらいまで開いている。でも、出勤するのに四時は遅い。アルバイトじゃないんだから、四時間勤務なんてないだろう。
「バイトの子が急に休んじゃって。葉子ちゃんにお迎え頼まれた時は、何も予定がないから大丈夫って思ったんだけどね」
「そっか」
 オレと弥生に対しては、わがままも言うし、お願いも言いにくる文乃ちゃんだけれど、他の人に対しては言いたいことを何も言えない。葉子ちゃんに「お願いね」と言われ、アルバイトの子からも「お願いします」と言われ、両方とも断れなかったのだろう。
「お願い」
「分かった、いいよ」
「ありがとう」
「英語教室って、どこにあんの?」
てんのお寺」
 オレの顔を見て、文乃ちゃんは微笑む。

 下北沢には、天狗がいる。
 北口の一番街商店街では節分の前の週末に天狗まつりが開催されて、赤い顔の大天狗と緑色の顔のからす天狗が商店街を練り歩く。一番街商店街にあるしんりゆうには大きな天狗のお面とたか団扇うちわが飾られている。飾っている台がそのまま山車だしになる。
 オレは、子供の頃に烏天狗にさらわれたことがある。
 小学校一年生になったばかりの頃だ。
 春なのに真夏のように暑い日だった。
 友達の家で夕方まで遊んだ帰り道、夕焼けが広がっていたはずの空が急に灰色に染まり、オレを囲むように生暖かい風が吹いた。雨が降りそうだと思い、急いで帰ろうとしたのだけれど、初めて遊びにいった友達の家だったから、迷ってしまった。住宅街の中で、目印になるような店はない。遠くで踏切が鳴っているのが聞こえたが、音に向かって走っても線路は見つからなかった。
 風が強くなり、雨が降りだした。
 昼間は晴れていたから、オレはTシャツ一枚で上着も傘も持っていなかった。雨は大きな音を立てて地面を打ち、空は真っ暗になる。周りを歩いている人もいない。家に電話して迎えにきてもらおうと思っても、その頃は携帯電話を持っていなかった。テレホンカードも小銭も持っていなくて、公衆電話も使えない。
 どうしたらいいか分からず泣きそうになっていたら、横に男の人が立って傘を差しかけてくれた。
 顔を上げたら、烏天狗がオレを見下ろしていた。
 それから数分間の記憶がない。気がついた時にオレは、スズナリの裏にある教会の庭で倒れていた。ほこらみたいになっている洞窟の中で、マリア像に見守られていた。何があったんだろう? と、ぼんやりしていたら、空が明るくなって夕焼けが広がった。
 家に帰ってから家族に話したが、誰も信じてくれなかった。お母さんと葉子ちゃんは、大爆笑していた。
 あの日、オレの身に何が起きたのか、いまだに分からない。
 その後も何度か同じ友達の家に行ったが、帰り道で迷うことはなかった。迷った道をまた通ってみようと思って探しても、見つからなかった。

(このつづきは本書でお楽しみください)


書影

畑野智美『家と庭』(角川文庫)


畑野智美家と庭』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321909000280/


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