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試し読み

かわいい犬の絵を、異様に怖がる男。その絵を処分できない理由とは。感涙&どんでん返しミステリー! 近藤史恵『筆のみが知る』特別ためし読み!#2

近藤史恵『幽霊絵師火狂 筆のみが知る』試し読み

「怪と幽」で人気を博した、近藤史恵さんの切なくて愛おしい絵画ミステリ『幽霊絵師火狂 筆のみが知る』。
そのなかでも読者の反響が大きかった「犬の絵」を配信いたします!

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作品の感想をツイートしていただいた方に、サイン本のプレゼント企画実施中です!
(応募要項は記事末尾をご覧ください)



「犬の絵」#2

 また黒い犬の夢を見た。このところ毎日だ。
 嫌な夢ではないけれど、こう続けざまだと、なにかのしるしのような気がしてしまう。
 お関が真阿の部屋に花を生けにきたから聞いてみた。
「お関は、このあたりで黒い犬を見たことがある?」
 お関は真阿がしの田に引き取られてくる前から、ずっとここにいる。昔のことを知っているかもしれない。
 お関はあからさまに身を震わせた。
「いやですよ。なるべく見いへんようにして走り抜けるんやから、犬のことなんて知りません」
 お関は子どもの頃、犬に追い掛けられて、転んだ上に、じゆばんすそを食いちぎられたという。まれたわけではないなら、いいようにも思うが、子供のときに怖い思いをするとそのあと忘れられなくなる気持ちもわかる。
「でも、誰かが可愛がっていたとか、しの田にいついていたとか……」
「料理屋ですから、犬がきても追い払います」
 仕方がないことはわかるが、なんだか寂しい。
 ふと、なにかを思い出したように、お関がひざを打った。
「そういえば、昨日、二階の居候さんとこにお客だか、ちんぴらだか、借金取りだかわからんような人がきたけど、その人がなんか、犬がどうとか言ってはったような……」
「えっ!」
 真阿は身を乗り出した。
「その人、まだいる?」
「昨日ですから、もう帰りはりました。でも、またくるって言ってたような……」
 そう言った後、お関は急に怖い顔になった。
「お嬢様、あまり二階に上がらないようにと、おかみさんがいつもおっしゃって」
 それを遮って、真阿は言う。
「興四郎はいい人だって、かか様も知っているくせに」
「興四郎さんがいい人でも、興四郎さんのお知り合いがええ人かどうかはわかりません」
 それは真阿にもわからないが、別にその知り合いについていくわけではない。
 真阿はただ、夢に出てくる黒い犬のことが知りたいだけなのだ。


 その日から、真阿は二階の物音をうかがうようになった。興四郎に直接聞いても、はぐらかされてしまう。
 聞き覚えのない男の声を耳にしたのは、それから二日後のことだった。
 夕方、そろそろ店が忙しくなり、渡り廊下のこちら側に人がいなくなる時間だ。偶然か、それを知っていてきたのかわからない。
 真阿はこっそりと階段を上り、音を立てずにそろそろとふすまを開け、興四郎が使っている部屋の隣にある空き部屋に滑り込んだ。
 その間も男の声は続いていた。
「なあ、頼むわ。あんたにこの絵を引き取ってもらいたいんや」
「知らねえよ。いらぬものなら、捨てるなり、燃やしてしまうなり、したがいいだろう」
 空き部屋には、古い布団やもう使わなくなったついたてなどが置いてあって、ほこりっぽい。くしゃみをしないようにそでで鼻と口を覆って、真阿は聞き耳を立てた。
「あんたは腕のええ絵師やろう。描いた絵かて高く売れるって言うやないか。この犬の絵かて、物好きに売ったらええやろう」
 犬の絵。男は間違いなくそう言った。興四郎が描くのは、恐ろしい絵だけではないのだろうか。
「俺が描いたかどうかなんて忘れたね」
「火狂って雅号が入っているやないか」
「偽物かもしれねえ。俺ならもっと上手うまく描く。だから置いて行かれては困る」
「せやったら、風呂のきつけにでもしたらええ!」
 興四郎の声はかすかな笑いを帯びていた。
「おまえが風呂の焚きつけにすりゃあいいじゃねえか」
 まるで、そうできないことを知っているかのようだ。真阿は思う。
 男は一瞬、ことばに詰まった。吐き出すように言う。
「気味が悪いんや!」
「犬しか描いてねえのに?」
 興四郎のそのことばは意地悪だ。女の人しか描いていないのに、興四郎の絵は怖い。薄気味悪い。
 真阿は怖いところも好きだが、母の希与などは見るのもいやだという。
 だから、犬の絵でも恐ろしく描くことはできるはずだ。
 男の舌打ちが聞こえた。
「もう俺は知らへんからな! 勝手にせえ!」
 襖が開く音がして、続いて階段を下りる足音が響く。真阿は、おそるおそる襖を開けた。
 男の姿はもうなかった。どんな男か少し見たかったような気もする。
 興四郎の部屋の襖が開けっ放しになっている。真阿はその前に立った。
 興四郎が振り返った。
「犬の絵を見せて。さっきの人が置いて帰った」
 興四郎は一瞬、目を見開いて、それから笑う。
「やれやれ、お真阿殿には、隠し事はなにもできねえな」
 別に、真阿は興四郎が隠しているものを暴いたりするつもりはない。ただ、その絵が見たいだけなのだ。
 興四郎は、丸めてあった掛け軸を広げた。美しい布を使って表装されている。
 広げられた絵を見て、真阿は驚いた。想像していたものと違う。
 黒い犬が人のようにみずあさかみしもを着ている。こつけいで可愛らしい。男があんなに恐れていたのだから、見ただけで背筋が冷たくなるような犬の絵だと思っていた。
「興四郎が描いたの?」
「まあな。こんな絵の偽物を作るような物好きはいないだろう」
「なら、どうして忘れたって言ったの」
「お真阿殿、立ち聞きはいけねえな」
 そう言いながらも、興四郎の顔は優しい。怒っているわけではない。
「わたしの家だもの。隣の部屋にいただけ」
「まあ、それはそうだな。誰かの家に忍び込んで立ち聞きしたわけじゃねえな」
 そう言ってから、興四郎は答える。
「あいつが気に入らなかったからだ」
 それはなんとなくわかる。真阿はもう一度絵を見た。絵の中の犬は、夢に出てくる犬に似ているような気もするが、真阿の夢の黒い犬は裃など着ていない。行儀よく背筋を伸ばして座ったりもしない。
 なにより、この絵の犬は少しも悲しそうではない。
「なあ、お真阿殿」
 呼びかけられて、真阿は顔を上げた。興四郎が真剣な顔で真阿を見ていた。
「この絵が怖えか?」
 真阿は首を横に振った。興四郎は、小さく、「だよな」とつぶやいた。
 興四郎も怖い絵を描いたつもりはないのだ。なら、男はなにを怖がっているのだろう。

(つづく)

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【ご応募方法】
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【応募締め切り】
2022年10月17日(月)23:59

キャンペーンの詳細はこちらをご覧ください。
https://kadobun.jp/news/campaign/9qjjcfqn69cs.html

ご応募お待ちしております!

作品紹介



幽霊絵師火狂 筆のみが知る
著者 近藤 史恵
定価: 1,705円(本体1,550円+税)
発売日:2022年06月30日

その男の絵は、怖くて、美しくて、すべてを暴く。
大きな料理屋「しの田」のひとり娘である真阿。十二のときに胸を病んでいると言われ、それからは部屋にこもり、絵草紙や赤本を読む毎日だ。あるとき「しの田」の二階に、有名な絵師の火狂が居候をすることになる。「怖がらせるのが仕事」と言う彼は、怖い絵を描くだけではなく、普通の人には見えないものが見えているようだ。絵の犬に取り憑かれた男、“帰りたい”という女の声に悩む旅人、誰にも言えない本心を絵に込めて死んだ姫君……。幽霊たちとの出会いが、生きる実感のなかった真阿を変えていく。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322104000676/
amazonページはこちら


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