作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんが、アジア、欧州、アフリカ大陸、そして日本の各地域を旅し、出逢った人々や風景、食べ物などを、詩人ならではの目線で綴った単行本『旅を栖とす』。コロナ禍で遠出ができない今、日常から遠く離れた場所に想いを馳せるとともに、また旅に出たい!という意欲をかき立ててくれるエッセイ集です。本書に収められた短編「私の下北沢」をお届けします。
〈著者メッセージ〉
世界や日本の地域を旅した10年をまとめた、『旅を栖とす』が1月29日に刊行されました。
バックパックを背負って、タイ、モロッコ、フランス・・・・・・
いろんな国々を冒険したことが綴られています。
その最後に『私の下北沢』があります。
下北に住み、旅人みたいな新しい目で
近所をうろついていた日々を書いた文章。
旅は距離ではないんだろうと思います。
遠くまで行けない今だけれど、だからこそ
新しい目で街を、部屋を見てみれば
絶好の旅日和は今日なものなのかもしれません。
高橋久美子
私の下北沢
東京に出た二十三歳から、ずっと一人旅が続いている気がする。バンドで三人だったり、一人になったり、結婚して二人になっても、やっぱり一人旅が続いている。
浅草、品川、新橋、自由が丘、代官山、吉祥寺、三軒茶屋、表参道、銀座、高円寺、中野、両国、経堂、高田馬場、池袋、荻窪、半蔵門、麻布十番、目黒、武蔵小山、渋谷、新宿、そして下北沢。東京は、降りる駅によって全然雰囲気が違うんだなと二十三歳の私はそのことに驚いた。歩いている人の感じも、ビルの多さも、お店の雰囲気も、蟬の鳴きっぷりも、たった数百メートルしか離れてないのにまるで違っていた。そりゃあここに若者が集まるはずだと思った。どの駅も面白い。個性の塊なんだもの。私が私のままいられるんだもの。
一見、大学時代を暮らした鳴門の高島という孤島での生活の対極のようだが、奥深く潜ってみると、非常に近い匂いを醸し出していた。東京と高島の共通点は、自由で自然体でいられることだったのだ。
東京の多様性や文化を作っているのは、まぎれもなく街の個性だった。殆どの人が車ではなく歩いているから、人の息遣いがダイレクトに街に反映されている気がした。人々は毎日、それぞれの街を歩きながら旅を味わっているのだと思う。
下北沢では、ガランゴロンという音をよく聞いた。下駄を履いて、上はトロピカルなシャツを羽織ったロン毛にロン髭のお兄さんの登場だ。下北とか高円寺ではこのスタイルが正装のように見えた。そんな人が一人じゃなく、いっぱいいる街。
高架下で、毎日漫画を読んでくれるお兄さんもいたな。『北斗の拳』とか、『千と千尋の神隠し』とか、いろいろ並んでいて、好きなのを選んで読んでもらうのよ。私は時々お金を払って、そのお兄さんに漫画を読んでもらった。ものすごい臨場感だ。戦闘シーンなんかは飛び上がるくらいに大声をあげて読む。人だかりができはじめて、みんなで個性派の読み聞かせを堪能する。ツバは飛びまくっていたと思うから、今なら完全にアウトやな。
隣には自作の絵を売っている人や、ギターを弾いて歌っている人、書道で詩を書いてくれる人、南口は素敵なカオスだった。私は、四国にいるときからずっとこの街に憧れていて、上京するなら絶対下北に住もうと思っていた。何をしていても、どんな姿をしていても、認めてくれそうだと思ったからだ。高島に住んでいたときのようにジャージでも、パジャマでも歩けそうだと思った。でも、一緒に不動産屋を見てまわったマネージャーさんに反対されて、安全でセレブそうな都立大学駅の近くに住むことになった。都立大学駅の辺りをジャージ姿で歩いてみたが、まったくもって浮いていた。
下北に住むという願いが叶ったのは上京して六年後だったと思う。嬉しくて、毎日、下北沢を思う存分歩いた。旅の中に住んでいるようだった。私の部屋、というよりホステルのようで、しょっちゅう誰かが泊まりにきていた。やっぱり高島での生活と似ている印象がある。歩いても歩いても飽きることはなかった。いーはとーぼのちょっと欠けたカップで苦いコーヒーを飲みながら深夜まで詩を書いた。スズナリへチャリで行っては、鉄割アルバトロスケットの舞台を見た。ジブラルタルを飲みにベアポンドエスプレッソへ行き、帰りにヒューガルデンを飲みにアビルカフェへ寄る。上海蟹の美味しい季節には光春へ行った。
ギターを背負った酔っ払ったおじさんが歩いているのが普通の街。劇団の人々が深夜に打ち上げをしている。その中に竹中直人さんを見かけることもあったし、劇団東京乾電池の前を通って家へ帰るとき、よく柄本明さんを見かけた。みんな下北沢を愛しているのだ。愛している人達によって作られた自由島みたいな場所だった。よくライブをした下北沢シェルターなんて、本当に下北をまんま表した名前だなと思う。下北は、表現を続ける自由でいて繊細な人々にとっての〝シェルター〟のような場所だったのだ。
今は再開発されてなくなった高架下の焼き鳥屋はいつもごった返していた。荒物屋さんや、やおやさん、卵かけご飯のお店に、よくわからない飲み屋さん、台湾のような薄暗くてごちゃごちゃした路地をうろつくのも好きだった。オオゼキの魚は新鮮で時々買って帰って料理した。
自分の作った写真詩集を置いてほしいとオオゼキの斜向かいのヴィレヴァンの店長さんにお願いして置かせてもらったり。古書ビビビという古本屋さんにも置いてもらっていたなあ。手塚治虫や藤子不二雄の珍しい漫画が入荷される度に買った古本屋のほん吉。夜中までレコードのかかるバーで飲んで、また劇団東京乾電池の前を通って、ふわふわと朝焼けと共に帰っていた。乾電池の前には人がまだいて練習しているみたいだった。
歩けば、知り合いかファンの人に会った。この街で、夢に向かってがんばっている人と一緒に旅をしているような気がしていた。刺激的でもあり、苦しくもあった四年間。住んでいるというより、バックパッカーのようだった。この街では落ち着いている人の方が逆に目立っていたのかもしれない。浮世離れした旅の途中みたいな人ばかり。それが、当時の私には必要だったし、何か大切なものをずっと守ってくれたと思う。
久々に下北へ行くと、随分と風景が変わっていて浦島太郎になった気分になる。もう私の知らない街だった。電車が地下に埋まってしまって、高架下のバラックの路地も、漫画を読んでくれるお兄さんも、絵を売っていた人もいなくなった。あの工事が終わったとき私もこの街を去ったのだった。
小田急の電車が地上を走るラストランを深夜に見に行ったっけ。その時、車椅子のおばあさんも見に来ていて、ハッとした。私の知っている下北だけが下北じゃないんだと思った。よく行った近所の銭湯で、おばあさんが「この辺りは、私が若い頃は何にもなかったのよ。葦が生えたただの湿地帯だったのよ」と言っていたのを思い出した。同じ街で暮らしても、それぞれの見えている風景は違うのかもしれない。
下北が私の知らない街になっていくことは寂しいけど、新陳代謝のよい街だからこそ、風通しが良くて多様性を認め合えるんだ。今も舞台やライブを見に下北へ行く。もう下駄をはいた人を見かけない。でも、古着屋は相変わらずたくさんあるし、ライブ帰りのミュージシャンを見かける。みんな好きに旅を続けている。
バックパックを背負って詩人が飛び込んだ世界の国々――旅に出たくて仕方ないあなたに贈るエッセイ集!
目次
〈海外編〉
灼熱のタイ旅行記
カンボジアの青年たち
バックパッカー姉妹
台湾の温泉
フィンランドの大学生
フランス危機一髪
カタルーニャのキッチン
砂漠と迷宮のモロッコ紀行
私って、アジア人なんですね
母とジャスミンティー
〈国内編〉
一人旅のススメ
奄美大島の神さま
旅が栖になった上田
銀河鉄道の旅
私の下北沢
書誌情報
書名:旅を栖とす
著者:高橋久美子
発売:2021年1月29日(金)※電子書籍も配信中
定価:1,650円(本体1,500円+税)
体裁:四六判並製
頁数:256頁
装丁:鈴木千佳子
装画:鬼頭祈
ISBN:9784041093801
発行:株式会社KADOKAWA
★本書は書き下ろしです
★情報サイト:https://www.kadokawa.co.jp/product/322001000053/
著者略歴
高橋久美子
1982年愛媛県生まれ。チャットモンチーのドラマー・作詞家として活躍後、2012年より作家に。様々なアーティストへの歌詞提供も行う。著書に、エッセイ集『いっぴき』(ちくま文庫)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ちいさいミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)など。翻訳絵本『おかあさんはね』(マイクロマガジン社)は第9回ようちえん絵本大賞を受賞。
刊行記念イベント情報
「バックパッカー姉妹対談」
高橋久美子×高橋みか
・本の中には書かれていない旅の裏話
・旅で買った素敵で変なお土産物の紹介
・高橋による本文の朗読
・録音した街の音や写真の紹介 など、
盛りだくさんの2時間です!
日時:2月13日(土)19時開演(18時20分〜入場開始)
申込みをいただきましたら、2/9頃よりZOOMのURLをお送りしますので、
g-mailの受け取れる設定にしてください。
※ 事前に、ZOOMのアプリのダウンロード(無料)
が必要になりますのでご注意ください
申し込みはこちらから
https://kinyoru.stores.jp/items/601a2206aaf043155e0bb5ca
(申込みは12日23時までとさせていただきます)