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試し読み

土橋章宏が描く、名代官の感動の時代小説『縁結び代官 寺西封元』特別試し読み掲載!#02

2月9日公開の映画『身代わり忠臣蔵』の著者が描く、感動の時代小説、特別試し読み!!
「荒廃した村に、人を呼び戻せ!」
老中・松平定信から突如呼び出された寺西封元。不安を胸に定信の元を向かうと、とんでもない依頼が……。



土橋章宏が描く、名代官の感動の時代小説
『縁結び代官 寺西封元』特別試し読み#02

第一章 老中定信

 大原騒動の三年後、寛政四年(一七九二)──。
 この年、ようやく御徒組頭となった寺西封元は、老中首座のまつだいらさだのぶに呼び出された。
「おい、何をやった」
 まり部屋の上座にいた井上が興味津々といったていで聞いた。
「わかりません。なぜ私のような下っ端が老中に呼び出されるのか……」
 心当たりがまるでない。胸にそこはかとない不安が広がっていた。
「お主は何につけてもいろいろと意見する。だからお𠮟りを受けるのかもしれんぞ」
 井上が薄く笑った。
「何か思いついても黙っておけばよいのだ。それなのに、あれこれと口を出すからこういうことになる」
「口は災いの元ということでしょうか」
「もしご老中にお𠮟りを受けたらひたすら謝るのだぞ。ちつきよやお取り潰しになったら元も子もない」
「そんなことになれば兄に合わす顔がありませぬ」
「だったら最初から黙っておれ」
 井上はあきれたように言った。
 封元は会釈して立ち上がると、もう一度着物を整えた。浪人していた封元を徒士かちに引き上げてくれたのは兄である。自分が何か失敗をすれば、兄にも響く。自分のような身分の低い幕臣が、幕府の筆頭たる老中から呼び出されるなど、ただごとではない。
 おっかなびっくり長い廊下を歩き、老中の御用部屋をたずねてみると、厳しい顔をした松平定信が待ちうけていた。
 小姓に導かれて部屋に入ったが、こちらも見ず、卓の上に広げたさまざまな書類に目を通している。
 足がすくんだ。
 定信は、前の老中、ぬまおきつぐとは真逆で、清廉潔白な人だという噂だった。事実、幕臣のわずかな風紀の乱れにも厳しい処罰を下している。自分に何か落ち度があったなら、切腹もありえるかもしれない。
 あれかこれかと想像しながら、定信の正面に座し、平伏した。畳の目をじっと見つめる。新しくて上等な畳からは、い草のさわやかな匂いがした。
「寺西封元、参上いたしました」
 震え声で名乗ると、すぐに定信が尋ねた。
「そこもとは今年、昌平坂学問所にて学問吟味を受けたな」
「はっ」
 平伏したまま答えた。
 学問吟味とは、旗本や御家人などを対象に実施された筆答形式の試験で、つい先ごろ始まった制度だ。問題は、中国古典の〈和解題〉と題目を指定した〈論題〉、そして課題に対する解決策を述べる〈策題〉などで、いずれも儒学の経典や歴史書の内容に精通していないと解けない問題ばかりが出た。
 昌平坂学問所の講師、しばりつざんから受験を強く勧められ、封元は先月吟味を受けたばかりであった。
「そうしゃちほこばるな。顔を上げよ」
 定信が声を和らげて言った。
(どうやら𠮟しつせきではないらしい)
 おそるおそる顔を上げて、定信を見た。とくがわよしむねの孫であり、かつては将軍候補とも噂されただけあって、品があり、威厳が漂っている。頭の回転も速いのか、かなり早口だった。
「そこもとは学問吟味において非常に優秀な成績を修めた。柴野も褒めておったぞ」
「身に余るお言葉にございます」
 恐縮してまた頭を下げた。
 昌平坂学問所はしまに設立された日本の最高学府である。全国各地の藩から優れた藩士や子弟が多く送り込まれ、江戸に留学していた。しかし身分の低い封元は、学問所では一番後ろの席にいるしかなかった。それでも出席できるときには、いつも全身を耳にして講義を聴いていた。
けんそんするな。四書五経をすべてそらんじておるそうではないか」
「古今東西の書物は面白うございますゆえ、何度も読み返しました」
 修業というよりは、学ぶことが好きなだけだ。書を読み、に落ちる箇所は自然と頭に残る。
「なるほど」
 定信は微笑んだ。
「柴野から聞いたぞ。お主は少し変わり者だとな」
「私はいつも普通にやっているだけです。それがどうも他の者とは行き違うようで」
 封元は神妙に答えた。
「それを変わり者というのだ。別に悪いことではない。才ある者は程度の多少こそあれ、常人とは違う」
「才があるかどうかはわかりませぬが……。私は幼少の頃から長く浪人しておりました。それゆえ武士としての立ち居振る舞いを十分に教えられたわけではなく、至らぬところがあるのかもしれません。さらに精進し、誰かの役に立つ人間になりたいと存じます」
「ふむ。たしか父御は安芸あきあさ殿に仕えておったのだな」
 定信が言った。
「はっ。されど浪人し、私も流浪の身となりました。その後、江戸に出て、徒士であった兄の世話になりました」
「ほう。幸運であったな」
「仰せの通りにございます」
 下級武士の次男以下などに生まれると、境遇は惨めなものだ。養子に行ければまだいいほうで、多くは部屋住みとなる。ごくつぶしとなじられることも多い。
 封元の家は安芸国とよはらにあり、父のひろあつは浅野家に仕えていた。しかし城木の伐採の件で上役へかんげんし、注意されてもそれを改めなかったため、へいきよを言い渡され、果ては浪人となった。
 父は自分の正義を通したが、その結果一家は困窮を極めることになった。父と母は離縁することになり、長男のしげひらは他家へ養子に出された。
 幼い封元には養子の口もなく、口減らしのためうんざんりゆうこうに小僧として預けられた。封元はあのときの心細さを今でも夢に見ることがある。
 その後、兄の元に身を寄せ、貧しいながらもふたたび幕臣として身を立てられたことは、まさに幸運だと思う。
「浪人からい上がったことを忘れず、勉学に励んでおるのだな」
 定信が聞いた。
「臣下に取り立てていただいた以上、微力ながらも何か世の役に立ちたいと考えております。この泰平の世では剣術だけを鍛えても存分に力を発揮できぬと思いますゆえ」
 徒士になってから、多くの時を学問に注ぎ込んだ。また何かの弾みで浪人すれば、すべてを失う。しかし得た知識は失うことがない。もし再び流浪の身となっても、学があれば身も立つだろう。学者でも寺小屋の師範でもいい。
 武術の腕が物を言う徒士の中では、たしかに異質の存在かもしれなかった。
 くわえて、封元は同役たちとうまくなじめなかった。身分の高い武士の多い同役の徒士かちたちは、言われたことはやるものの、言われるまではけして動かなかった。ひたすらしくじりのないように振る舞っているだけで、役に立っているようには見えない。
 たとえば、上さまがお通りになる道中の選定にしても、いちいち過去に実績のあった道を探した。その中には、川の増水によりひどく道が傷んでいる場合もあったが、道中を変えることもしない。そのためいちいち修理の普請をせねばならなかった。
 封元は御徒組頭となると、そんな慣例に頼ることをやめ、別の安全な道行きを提案した。それにより、無駄な普請がなくなり、費用を大幅に抑えることができた。
 封元としては、当たり前と思うことをやっただけである。
 しかし他の徒士たちは、費用などどうでもよい、伝統ある道を変えるのは義にもとる行為だと非難した。
 時代に合わせ、古い慣習を新たに改革しないのは、ただの怠惰ではないのか。
 封元は、『上さまを滞りなくお送りするのが第一義である』と突っぱね、改革を貫いた。
 その結果、上さまが目新しい道中を喜ばれたとの報もあった。
 もしかすると、ご老中はそのことを聞いたのかもしれない。
「そのほう、心学も学んでいるそうだな」
 定信が聞いた。
「はっ。さんぜんしやなかざわどう殿に師事しております」
「その中沢からも、お主のことを聞いた。ことさら熱心で、見所がある男だと」
「光栄なことでございます。中沢先生の心学の解説は大変わかりやすく、とてもためになるのです」
 中沢先生の顔を思い浮かべると、心がふわりと明るくなった。
 昌平坂の学問所に通う傍ら、ほんばしとおりしおちようにあるせきもんしんがくの塾〈参前舎〉に封元はよく足を運んでいた。
 石門心学とは、孟子の「尽心知性則知天」説を基本とした、いしばいがんを開祖とする人の生き方を考える倫理学である。神・儒・仏の教理を自在に用いて成り立っており、〈あるがまま〉の人間を認め、〈あるべきよう〉に行動規範を求めていくものである。その本質は「勤勉」「倹約」「正直」にあり、それをわかりやすい説話によって庶民に忠孝信義を説いた。
 この石門心学は封元の心に響いた。幼いころからいつも貧しかった封元は、日々生き抜くのに精一杯で、人としてどう生きるべきかという規範を知る暇がなかった。しかし、心学を学ぶことを通してはっきりと自分の生きる指標を得たような気がしていた。人が生きていくには、ぬかるみでなく岩のような固い土台の上に立つ必要がある。
「まさにお主のような者がよい」
 定信の声が大きく響いた。
「えっ?」
「お主は勤めにおいて着実な成果を上げつつ、学業もおろそかにしておらぬ。何よりわしは、あのときの機転が心に残っておる」
「あのときと申しますと?」
 老中と会うのは初めてのはずだ。まるで心当たりがない。
「飛驒の百姓たちののときよ。お主は大声で叫んだだろう。『百姓の分際で、大原代官の悪政を止めたいなどと申すか』と」
「あっ! あのとき駕籠におわしたのは、ご老中でございましたか」
 封元は首を縮めた。場合によっては𠮟しつせきされても仕方の無いことだ。
「わざわざ駕籠の中まで聞かせおって」
 定信は苦笑した。
「申し訳ありませぬ。差し出がましい真似を致しました」
 神妙に頭を下げた。ごまかさず、正直に答えるのが封元の生き方である。
「いや、お主の心学をそこに見た。浪人暮らしの困窮を経たゆえに、の民の心をよくわかっているのだろう。百姓たちを見殺しにしないというのはお主という人間のあるべき姿に違いない」
「はっ……」
「そんなお主を見込んで頼みがある」
「何でございましょうや」
「寺西よ、お主の命をくれ」
 定信がまっすぐに封元を見つめた。
「い、命でございますか!?」
「そうだ。お主に陸奥むつのくにしらかわはなわの代官をやってもらいたい

(つづく)

作品紹介



縁結び代官 寺西封元
著者 土橋 章宏
発売日:2023年12月22日

民のために人生を捧げた名代官の感動物語! 書き下ろし。
幕府御徒組頭の寺西封元は、突然、老中首座の松平定信に呼び出された。ただごとではないと、不安を胸に定信の元へ向かうと、封元は驚くべきことを命じられる。陸奥国白川郡塙の代官になれというのだ。そこは、飢饉で困窮し、民が逃げ出しているという。定信からの信頼に応えるため、封元は代官を引き受けるが、塙の地は赤子が捨てられる絶望の地だった──。苦しむ民のために自らの半生を捧げた、名代官の知られざる感動の物語。

詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322302000997/
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