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試し読み

発売即重版記念! SNSで話題沸騰中の“呪い本”。【滝川さり『ゆうずどの結末』 第1章全部試し読み!】

   四

 ・『ゆうずど』を読んだら呪われる(最後まで読まなくてもアウト)
 ・呪われたら死ぬ ←宮原、日下部のように飛び降り自殺
 ・〈紙の化け物〉が見えるようになる →呪われた人間だけ?
 ・本は一九九九年刊行(角川ホラー文庫)
 ・『ゆうずど』は捨てても戻ってくる
 ・鬼多河りさは自殺している?

 ・呪いのタイムリミットはいつなのか? →黒い栞が結末にくるまで
 ・本の結末(最終章)の主人公は呪われた人間の名前になる


 大学近くの駅にある喫茶店。ノートを見ながら、菊池は頭を抱えた。
 今日は七月二十八日。三日かけてこれだけのことがわかったが、肝心の呪いを解く方法については何もわかっていない。焦りがじりじりと身を焼く。
 一晩で『ゆうずど』の四章まで目を通したものの、最終章はまだ読めていなかった。恐ろしかったのだ。自分の死が描かれている本。何もなければ面白がって読んだかもしれないが、今は状況が違う。
 理由はもう一つ。ある可能性を思いついてしまったからだ。つまり──結末まで読んだときに、呪いが執行されるという可能性。
 だったら本を読み切らなければいいが、恐らくあの栞がそれを許さない。黒い栞が結末まで辿り着いたとき、呪われた対象も「読んだ」と判定されるのかもしれない。
 迂闊なことはしない方がいい。
 しかし、そんな考えでは何もできない。
 葛藤の中で、焦燥感だけが募っていく。
 栞はすでに122ページまできている。
 残りページ数は……182ページ。
 二十七日の時点で65ページだったので、てっきり一日につき30ページくらいのペースで進んでいくのかと思いきや、そうでもないらしい。もしも栞の進行速度にムラがあるならば、呪いの期限を推測することは難しくなる。最悪、明日期限を迎えてもおかしくはないのだ。
 はっきりとしているのは、このままでは死ぬということ。
 恐らく。宮原や日下部のように、高い場所から飛び降りて。
 一刻の猶予もない。菊池は携帯電話を手に取ると、角川ホラー文庫編集部の電話番号を調べた。だが、代表の番号しか載っていない。
 意を決して代表に電話してみるが、ナビダイヤルに繫がり、ようやく出てきた女性に事情を説明しても「そのような商品は取り扱っておりません」「当方でご提案できることはございません」と取り合ってもらえなかった。
「この本を作った編集者さんがいますよね? ただその人に繫いでほしいだけなんです」
「そうおっしゃいましても、お繫ぎすることは出来かねます」
 否定を繰り返す女性の声は、ナビダイヤルの音声と同じくらい冷たかった。
 何度も携帯電話に向かって「呪われてる」「もうすぐ死ぬ」と主張していたせいか、喫茶店の客たちからの注目が集まっている。
 菊池は、飲みかけのコーヒーも置いて店を出た。


 二十九日には、岐阜県にある人形供養で有名な寺に向かった。
 応対したのは、五十代くらいの住職だった。菊池を見るなり苦々しい表情を浮かべると、「えらいもんを持ってきましたな」と一言言った。
「できる限りのことはしますが、これは保証できません」
 真剣な声でそう言われ、菊池はとんでもないものに巻き込まれたのだと改めて痛感する。他に頼るところもなく、菊池は何度も頭を下げて、寺から離れた。
 帰り道は、行き道よりも気が急いた。恐らく物理的な距離など意味がないとわかっていても、少しでも早く、遠く、あの本から離れたかった。
 そして、真っ暗なアパートに帰り電気を点けると、本は机の上にあった。
 菊池はその場に膝から崩れ落ちると、近隣のことも気にせず大声で泣いた。
 残りページ数は、151ページ。


 三十日の午前十時半。
 菊池は、京都府亀岡市にある実家を訪れていた。JR線を乗り継いで京都の亀岡駅まで二時間。そこから亀岡市ふるさとバスに乗って二十分ほど。緑が眩しい田園風景の中を少し歩いてようやく辿り着く古びた一軒家。
 ガラガラと引き戸を開けると、奥から訝しげな顔をした母が出てきた。──細い身体つき。頭頂部が黒くなった茶髪。年齢よりも老けた顔。
 彼女は、突然帰省した菊池を見て目を丸くした。
「え、何で帰ってきたん?」
「……ええやん別に。息子が帰ってきて嬉しないん?」
「そら嬉しいけど、早よ言うてくれたら準備したのに」
 ほんまこの子は、と小言を言いながらも、その横顔は嬉しそうだ。
 四か月ぶりに入る居間は菊池がいたときよりも片付いていて、猫の置物が増えていた。菊池が家を出た後に、母が買ったのだろう。
「先にお父さんにあいさつしぃ」
 今しようと思ったのに、と若干苛立ちつつ、菊池は居間の隣にある和室へ入った。窓際に置かれた父の仏壇もまた綺麗に整理整頓されている。控えめな笑みを浮かべた父の写真の前には、皿に並んだ桃と、紙パックの雪印コーヒーが供えられていた。どちらも父の好物だ。
 線香をあげて戻ると、「買い物行ってくるから」と母がポテトチップスとチョコレート、饅頭などを置いていった。それはまるで、息子を家に引き留めるための餌のようだった。
 帰って来た母は、「昼は焼きそばでええ?」と訊いてきた。案外質素なんだなと思っていると、「夜はすき焼きしたるから」と見るからに高そうな肉のパックを見せてくれた。
 焼きそばを平らげると、菊池は母を散歩に誘った。母は「この暑いのに」と言いながらも出かける準備を始めた。
 蟬はきっと神戸よりこっちの方が多いはずなのに、不思議とその鳴き声はうるさく感じない。どこまでも広い空へ、音が抜けていくようだった。アスファルトの道には大量のミミズが干からびて死んでいて、道路の両脇にある白いガードレールが午後の陽射しを眩しく反射する。小さな川のそばに紫陽花が密集していたが、そのほとんどは茶色く枯れ始めていた。
「どこまで行くん?」
 斜め後ろを歩く母が訊く。行く当てはなかった。ただこうして、母と同じ時間を過ごしていたい。
 そのとき、左手に広場が見えてきた。公園だ。よくここに来て一人でボール遊びをしたと思い出す。
 そこは、父が首を吊った公園だった。
 振り返ると、母は足を止めていた。つばの広い帽子の下は無表情だ。
「斗真。……帰ろ」
 母は返事も聞かずに踵を返す。菊池は何も言わず、その薄い背中を今度は追いかけた。

 夜は宣言どおりすき焼きだった。桜色の牛肉と甘辛い匂いに、最近は失われていた食欲が刺激される。ぐつぐつに煮えた具材を卵に絡めて食べると、涙が出るほど旨かった。
「大学は行ってる? ちゃんとご飯食べとん?」
「行っとるよ。ご飯もたまに自炊してる」
「やっぱりこの家から通ったらよかったのに。京都と神戸なんかすぐや」
「嫌やわ、毎日何時間もかけて通学とか」
 母は大学生活のことを根掘り葉掘り聞いた。菊池は、宮原と日下部の自殺のことは言わなかった。そのうち母が缶ビールを差し出してきた。いっそ酔っ払ってしまいたかったが、そんな気分にもなれない。けれど、そのおかげで顔を赤らめながら楽しそうに笑う母の顔をしっかり見ることが出来た。
「いつ帰るん?」
「明日の夜には」
「そうか。ほな明日は焼肉にしよか」
 三本目のビールを呷った母は「お父さんにもあげたろ」と父の仏壇に缶ビールを一本置いた。しばらく仏壇の前でじっとしていたかと思うと、テーブルに戻って来て一言、
「斗真は絶対、自殺なんかせんでね」
 と言った。
 その瞬間、また幼い頃の記憶が蘇った。──いつかの夜。今みたいにアルコールを飲んだ若かりし頃の母が、パジャマ姿の菊池に向かって言う。
「自殺なんて、アホのやることやわ。パパはほんまにろくでもないパパやったね」
 居間と和室の間に立つ菊池に、母はいつまでも父への恨み言を聞かせた。
「あんな人を選んだあたしもアホや。蛆虫以下や。死んで当然やで」
 菊池は口には出さなかったが、ずっと心の中で母の言葉に応えていた。
 ……わかってる。僕は絶対「ジサツ」なんかせぇへん。パパみたいにはならへん。
 ママを悲しませるようなことは、絶対にせぇへん。約束する。

 ──だからもう、パパの悪口は言わんといて。

 かん、と軽い音で意識が現実に戻る。空になった缶を、母がテーブルに叩きつけた音だ。
「……せんよ。わかってる」
「約束やで」
 だらしない笑みを浮かべると、母は缶を握ったまま、テーブルに伏して寝てしまった。菊池はコンロの火を消すと、母を隣の和室に連れて行き、敷いた布団に寝かせた。
 居間に戻った菊池は、リュックから『ゆうずど』を取り出した。その栞がまた移動していることを確認する。
 残りはあと、95ページ。

 翌日、菊池は母にどこかにでかけようと提案した。が、母は二日酔いがひどいし暑いからと断った。仕方なく、家でのんびり過ごすことにした。
 クーラーをガンガンに効かせた居間でテレビを観ていると、あっという間に夜になった。晩ご飯は、昨日母が言ったとおり焼肉だった。買い物に行かなかったところを見ると、昨日のうちに買っていたらしい。
 夜の八時頃に家を出た。母に亀岡駅まで送ってもらい、そこで別れる。
「夏休みはもっと長いことおり」
 母はそう言って、菊池が駅に入るまでずっとロータリーで見守っていた。

 電車に揺られながら、菊池は「死ぬわけにはいかない」と改めて思った。
 そのためにはどうするべきか、朧気に浮かんでいた方法を実行する決意を固める。
 ……残りはあと、53ページ。


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