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試し読み

発売即重版記念! SNSで話題沸騰中の“呪い本”。【滝川さり『ゆうずどの結末』 第1章全部試し読み!】

   三

 三百人以上を収容できる大教室に、次々と学生が集まってくる。
 最後列から数えて三番目の講義机に、サークル長である田辺夕香里たなべゆかりは座っていた。ダンガリーシャツの下に白いワンピースを着ていて、腰には茶色のベルトを巻いている。周辺の席には彼女の友人と思しき数名が陣取っていて、通路に立つ菊池を品定めするようにチラチラと見ていた。
「ゆうずど……聞いたことないけどなぁ」
 田辺は腕を組んで小首を傾げる。固定式の長机の上には「異文化マネジメント論」の教科書とルーズリーフが置かれていた。
「部室にあった本なんです。何か、もっと上の先輩から話を聞いたことないですか?」
「いやぁ別に。引継ぎにもそんなん書いてなかったし」
 細い顎をピンク色の爪で撫でながら、彼女はのんびりとそう言った。
「てーか、何でその本のこと調べてるん?」
 菊池は、一瞬言葉に詰まる。『ゆうずど』は呪いの本で、呪いを解く方法を見つけるため、とは言えなかった。
「それは……宮原さんとひかべぇ先輩が、その、読んでたみたいで」
「え、それで、二人の死にその本が関係してんちゃうかって?」
 田辺はくすっと笑った。
「……真剣に調べてるんです」
「そっか。菊池くん、ひかべぇと仲良かったもんなー」
 そう言って教室の前を見る。上下に並んだ二枚の黒板の前には、まだ誰もいない。
「でもごめん。何も知らないや」
「……じゃあ、これまで他に、サークルで飛び降り自殺ってなかったですか?」
 もしもあの本がずっと部室にあったなら、宮原たち以外にも犠牲者は出ているはずだ。そう思って訊いたのだが、田辺は眉間に皺を寄せた。
「何訊いてんの……」
「いや、あの、冷やかしとか、面白半分やないんです。も、物語と自殺志願者の心理的な関係っていうか、そういうのを研究したくて」
 苦しい言い訳だったが、田辺は一応納得したらしい。それでも言い淀んでいる様子だったので、菊池はもう一押しすることにした。
「……正直、ひかべぇ先輩が死んでから気持ちがしんどくて。でも、そういう心理を研究してる間は自分を客観的に見れるって言うか、落ち着く気がして……」
 田辺は、菊池の目を見た。これ以上サークルから自殺者が出たらたまらないと思ったのだろう。「……あんま言うなって先輩に言われててんけど」と前置きしてから、
「何かね……十年くらい前に、ことがあったらしいよ」
 声を潜めてそう言った。心配しなくても、周りは雑音だらけで誰も聞いていない。
「飛び降り自殺ですか」
「それはわかんないけど、サークルの存続が危ぶまれる事態やったって、OB会で酔った先輩が言うてたわ。六人くらいが次々と亡くなったらしい」
 想定していたよりも大きな数字に驚く。同じ大学で同じサークルに所属している六人が続々と自殺したのなら、もっとセンセーショナルな事件になっていたと思うが。
「確か、××小事件があった年やから、そっちに隠れちゃったんやない?」
「その人たちって『ゆうずど』を読んだんですか?」
「さぁ。それは知らないけど」
 読んだに違いない、と菊池は思った。だが、「連続して」「次々と」と表現するからには、六人はかなり短いスパンで死んだと想像できる。つまり、六人はほとんど同じ、あるいは近いタイミングで本を読んだ──『ゆうずど』に呪われたことになる。中学生男子が『ジャンプ』を回し読みするんじゃあるまいし、そんなことがあるだろうか。
 そう考えたところで、ハッと思いつく。──読書会だ。一冊の課題図書を何人かで読み、意見交換などを行う場。
 恐らく、六人はサークル活動中の読書会に『ゆうずど』を課題図書として選んでしまい、一斉に呪われてしまったのだ。ならば、『ゆうずど』は十年前にも「黒猫の森」の部室に潜んでいたことになる。
「……何? 『ゆうずど』って読んだら自殺する本なん?」
 田辺の疑問に、菊池は「そうかもしれないです」と言うに留めた。彼女は苦々しい顔をして、「それ、部室に戻さんと捨てといてな」と軽口を言う。
 ……捨てられるものなら、とっくに捨てている。
「うーん、じゃあ、私がOBの人に訊いといてあげよっか?」
「え、ほんまですか?」
「いきなり電話すんのハードル高いでしょ? しかもそんな暗い話題で。就活で相談することもあるし、ついでに訊いといてあげるよ。『ゆうずど』のことと、事件のこと」
 田辺は事件とは何の関係もない。悪いと思ったが、自分の命が懸かっているのだと思い出す。すみませんお願いしますと頭を下げると、彼女は満足げに笑った。後輩を二人も喪い、自分にも何かできることはないかと探していたのかもしれない。
 ちょうどそのタイミングで教員が入ってきて、菊池は入れ替わるように教室を出た。


 その後、遅れて「心理学概論」の講義に出席したが、まったく集中できない。する気がない、といった方が正しい。教壇ではまるまると太った教員が教科書を平坦な声で読み上げている。
 菊池は、今わかっていることをノートに書き連ねてみた。

 ・『ゆうずど』を読んだら呪われる(最後まで読まなくてもアウト)
 ・呪われたら死ぬ ←宮原、日下部のように飛び降り自殺
 ・〈紙の化け物〉が見えるようになる →呪われた人間だけ?
 ・本は一九九九年刊行(角川ホラー文庫)


 こんなものだろうか。ペンを置きかけて、もう一つ書き忘れていたことに気づく。

 ・『ゆうずど』は捨てても戻ってくる

 それは、今朝確信したことだった。
 今日が七月の二十七日。二十五日の夜に〈紙の化け物〉を見て、二十六日の朝に菊池は本を駅のゴミ箱に捨てた。その日は大学に行く気になれずアパートに帰ると、家のドアに立てかけてあったのだ。
『ゆうずど』が。まるで菊池の帰りを待つかのように。
 誰かが駅で捨てるのを見ていて、先回りして家の前に──そんなあり得ない空想、いや、現実逃避をしてしまう。
 菊池は本を摑むと、家に入らずアパートから離れた。もう一度駅に捨てて、家に戻る。扉を開けて、菊池はぎょっとした。今度は家の中に落ちていた。
 午後になると、『ゆうずど』をリュックに詰めて三宮に出た。どこに捨てていいかわからず、あてもなく繁華街を彷徨い、最後には駅のコインロッカーに本を放り込んだ。だが、目覚めると本は枕元にあったのだ。
 逃さない、と本に言われている気がした。

「──何そのメモ。呪い?」
 隣に座っている飯山が、ノートを覗き込んで小声で言った。同じゼミ仲間で、この講義を受けるときはよく並んで座っている。
「あー……あれ、サークルで作る冊子のネタ」
「へー、そっか、お前文芸部やったな」
 部ではないが、別に訂正もしない。そんなことよりも、田辺のときといい、自分がこうもスラスラと噓をつけるのは意外だった。
「てかさ、ゼミ飲み会やらん? まだ学生だけで集まってないん、うちくらいやぞ」
 二の腕が触れる距離まで近づき、ひそひそと言う。
「ええけど、お前幹事するん?」
「いや、誘って断られたら傷つくからさー、先に根回ししよかと。やるってなったらお前来てくれるやろ? 来週あたり」
 うん、と返事をしてから、そのときまで果たして生きているだろうかという考えが頭をよぎった。その途端、手のひらにじわりと汗をかく。飯山が「みんな来てくれっかなー」と独りごちる横で、菊池は無表情を取り繕うのに必死だった。
 大事なことを忘れていた。
 いや、目を逸らしていた。
 微かに震える指で、菊池はノートに新たに書き加える。

 ・呪いのタイムリミットはいつなのか?

 宮原すみれの方は不明だから置いておいて、日下部が『ゆうずど』を読んだのはいつだろう。十九日に読んだと仮定して、日下部が身を投げたのが二十五日だから、六日で期限が訪れたことになる。
 菊池も本を読んだのは十九日だが、二日前まであんな化け物の姿は見えなかった。恐らくだが、呪いには順番があるのではないだろうか。つまり、日下部が死んだ二十五日に、──
 ということは、自分も日下部と同じように、呪われてから六日で死んでしまうのだろうか。……二十五日から数えて、もう二日経っている。つまり、あと四日。あまりに唐突な余命宣告に、菊池はその場で喚き散らしたい衝動に駆られた。
 よく考えてみれば、一日は休んだとは言え、自分は何でこれまでどおり大学の講義など受けているのだろう。……きっとこれも現実逃避だ。『ゆうずど』はただのホラー小説で、呪いなんて気のせいで、自分はこれから何事もなくキャンパスライフを送れる──そう思いたいから、無理やり日常を続けようとしている。
 飯山は板書を写しながら「どこの店がええかなぁ」などとつぶやいている。その能天気さがつい先日までの自分にもあったことが信じられなかった。
 ふと思いつく。……呪いを誰かに移すことはできないのだろうか。
 たとえば、横にいる男に。
 菊池は、リュックに入っている『ゆうずど』を思った。あれを飯山に読ませたら。もしかしたら、あるいは──いや、ダメだ。
 菊池が本を読んだのは日下部が死ぬ前だったが、日下部は助からなかった。他人に本を読ませても、自分の呪いが解けるわけじゃない。ただ徒に犠牲者を増やすだけだ。
 菊池は前髪を搔き上げた。……もしも今すぐに呪いを誰かに移すことができるなら、喜んで移すだろう。当然だ。命が助かる道があるのにむざむざ他人に譲るなんて、自殺志願者のやることだ。
 自殺志願者──父は、こんなおぞましいものを求め、受け容れたと言うのか。
 死を。死の恐怖を……。
 ふと顔を上げて、菊池は凍りついた。
 教室の前方。黒板の前、教壇に立つ教員の隣。
 そこに、〈紙の化け物〉が立っていた。
 真っ昼間から、明るい蛍光灯の下で、そいつは当然のようにそこにいた。
 だが、その異質な風貌のせいで全く風景に馴染めていない。
 なのに、誰も何も言わない。視界に入っているはずの学生はおろか、触れそうなほど近くにいる教員さえも。
 やはりあれは、自分にしか見えていないのだ。
「……ピラミッドの一番下の段にあるのは、『生理的欲求』です。これは、生きるために最低限必要な欲求ですね。人間の三大欲求、食欲、性欲、睡眠欲もこれに該当し」
「キ、クチ、ト、ウマは」
〈紙の化け物〉は、がりがりに痩せた脚を一歩踏み出した。よろけるように、さらに一歩。そのたびに、ぼさぼさの黒い髪が束になって揺れる。
「二段目が『安全の欲求』。一段目よりも高次な欲求ですね。身体的・経済的に安心できる環境で暮らしたいという欲求で、たとえば戦争状態ではこの欲求が満たされず」
「自ら、の意思で」
 机と机の間にある階段通路を上ってくる。大量の紙が擦れ合ってカサカサと鳴る。
 まだ距離があるのに黴臭い匂いが鼻につく。すぐ横を通られた学生も気づいていない。
「三段目。『社会的欲求』。このへんになると、日本で暮らしていても満たされない人が出てきます。これは家族や会社など社会的な集団に属していたいと感じる欲求で」
「ロ……」
 皮と骨だけの腕が、紙と紙の間からずずっと出てくる。錆のようなくすんだ緑の肌。それはところどころ腐ったように黒ずみ、長い指の先にある爪がすべて割れたり剝がれたりしていた。
「わに、く」
 耐え切れず、菊池は叫んだ。
 教員が驚愕の表情を浮かべる。教室にいた学生たちは一人残らず菊池を見た。
〈紙の化け物〉は瞬き一つ分の間に消えている。
 いたたまれず、菊池はリュックに筆記用具を詰めると、逃げるように教室を後にした。


 図書館は「学術資料館」と呼ばれる建物に入っていた。館の自動扉を抜けると、教育棟からここに来るまでに温められた身体が一気に冷やされる。一階にはいくつかの会議室と事務室があり、図書館は二階だ。階段を上り、扉が開け放された図書館に入る。受付カウンターの横にある検索用の端末に近づくと、菊池は荒い息のまま「ゆうずど」と打ち込んだ。
 検索結果は0件──どのキャンパスにも蔵書なし。
 わずかに期待していただけに、がっくりきた。もしもここに別の『ゆうずど』があるなら、貸出記録を教えてもらい、生き残った人に話を聞けるかもと思ったのだ。その人はひょっとしたら、呪いを解くことに成功したかもしれないから。
 図書館を出ると、すぐ横にある「情報処理室」に入る。そこには学生用のパソコンが並んでいた。菊池以外にも何人かの学生がいて、熱心にキーボードを打っている者もいれば、机に伏して寝ている者もいる。
〈紙の化け物〉がいないことを確認してから、手近な席に着く。パソコンの電源を入れて、学籍番号とパスワードを入力。ブラウザを起動すると、検索バーに再度「ゆうずど」と打ち込んでエンターキー。
 いくつかヒットした。が、古着や中古物品の販売サイトばっかりだ。「ゆうずど ホラー小説」で検索し直すと、ヒット数は激減したが、確実に『ゆうずど』のことが書いてあるであろうサイトばかりになった。多くは書評メインの個人ブログ。中には中古販売サイトもあるが、これは『ゆうずど』を出品しているページが出てきているらしい。
 自分以外にも読んだ人はたくさんいる──。出版社から出されているので当然だが、その事実が菊池を勇気づけた。きっとこの中には呪いに打ち勝った者もいるはずだ。
『ゆうずど』についてはまだほとんど何もわかっていない。本のことを調べつつ、その人物と何とかコンタクトを取り、呪いを解く方法を教えてもらう──それが、生き残る近道のように思えた。
 早速、個人ブログの一つにアクセスしてみる。

『ちぇちぇ様のおひとりごと』
 2011/05/24
「次の作品は……」
 今回読むのはこの作品! 鬼多河りさ著『ゆうずど』!
 古本屋でようやく見つけました~(歩き回って足が痛い!)
 こちらはなんと、上梓してすぐに作者が自殺したという、イワクツキの作品!
 しょーじき、ホラー好きにはたまらないスパイスですよね~(ゲス顔)。楽しみ♡
 読み終えたらまた感想アゲアゲしますね♪

 鬼多河りさは自殺していたのか。飛び降りだろうか。そこまでは詳しく書いていない。とにかく新情報だ。ノートに「・鬼多河りさは自殺している?」と書き足す。
 それから感想を読もうと思ったら、その日以降の記事はなかった。
 別のブログを見ることにする。

『作家志望のカラクチ書評日記 ~僕ならこう書きますけどね……~』
 2008/12/17 「ゆうずど」
 友達から借りて、鬼多河りさ「ゆうずど」を読みました。「ゆうずど」というタイトルの呪いの本に翻弄される五人の人間の結末を描いたホラー連作短編集、かな。
 感想を書く前に、最終章の主人公の名前が僕と同姓同名でビビりました。
 (↑これ、言っていいのか?笑)
 こんな偶然ってあるんですねぇ。おかげでその章は感情移入出来て楽しめたかな、と。
 で、総評。……うーん、何でこれが出版されて、僕がデビュー出来ないわけ?
 出版業界の夜明けは遠い(泣)

 そう言えば、と、菊池はまだ最後まで『ゆうずど』を読んでいないことに気づいた。捨てることに躍起になっていて、本そのものを調べることを忘れていた。いや、無意識に避けていたのだろう。
 本は今もリュックにある。十秒ほど逡巡して、別のブログに移動した。

『ゴクツブシロー流 本の旅』
 今回の旅は、鬼多河りさ先生作の『ゆうずど』。角川ホラー文庫様ですね
 先週の休日に、フリマで出会った、ホラー本です
 本作は、『ゆうずど』という、いわゆる「呪いの本」を軸にした、全六篇の短編集。せっかくなので、一日一篇ずつ、読むことに。本は、心の旅路。じっくり、何泊もして読みますよ
 でも、何だか、買ったときに挟まっていた栞が、勝手に動いているような……
 あと、途中、家の中に、作中に出てくる怪異「ゆうずど」の姿が見えて、仰天
 そんな幻覚を見てしまうくらい、ホラーな旅でした

 追記…最終章には、私だけに向けたサプライズが。読書好きとしては、嬉しい限り
2002年9月9日  恐怖の車窓から

 菊池はある恐ろしい事実に気づいた。……今読んだブログは全て、『ゆうずど』を読むこと、もしくは読んだことを報告したのを最後に、更新が途絶えていた。
『ゆうずど』の呪いは実在する。最早怯えている場合ではないのだ。菊池は、足許に置いていたリュックから本を取り出した。掠れた血の痕が残る表紙。黄ばんだ紙。
 あることに気づいて、菊池は目を細めた。
 本に挟まれていた黒い栞。
 二十五日の夜に見たときには冒頭部分に挟まっていたはずのそれが、移動していた。ページ数は、60ページ。
 おかしい。こんなに読んでいない。

「──菊池くん?」
 涼しげな声が背後から聞こえ、菊池の肩は激しく跳ねた。
 振り返る。白いノースリーブを着た女性が立っていた。
「海老名さん……」
「……おつかれ。一昨日はごめん。すっかりパニクっちゃって」
「いや……」
「あの後、警察の人と何話したん?」
「よくわからんこと言うてたよ。サークルで薬物が流行ってないかとか何とか」
 海老名は一瞬激昂しかけて──すぐにしゅんとなり目を伏せた。
「そっか。宮原さんも智樹も、そう思われても仕方なかった、のかな。……何してるん?」
 ふいに、海老名はパソコンの画面を覗き込んだ。「……呪い? ゆうずどって、これ」
「いや、これは」
「……智樹のこと調べてるん?」
 正確には違うが、彼の死の真相を突き止めることにもなる。菊池は、ややバツが悪そうに頷いた。
「智樹も読んでたよ、変なタイトルやから憶えてる」
「まさか、海老名さんも読んだん?」
 菊池は一瞬焦ったが、海老名は「ううん」と首を横に振った。
「それ、宮原さんが読んでたやつなんよね? 何となく気持ち悪くて……」
 ホッとすると同時に、羨ましかった。この子は呪われていない。これからも生きられる。ついこの間まで当たり前だと思っていたのに。
「でも、どんな本なんかちょっと気にはなるよね」
 と、海老名が菊池の持つ『ゆうずど』に手を伸ばしかけて──菊池は思わず怒鳴った。
 海老名は驚いて手を引く。周囲の学生がこっちを見る。眠っていた学生も飛び起きて、部屋の中をキョロキョロと見回していた。
「何で、そんな……」
 海老名の目は、あからさまに不審がっていた。
「いや、違くて……これは」
 さっきまでスラスラとつけた噓が出てこない。理由はわかっていた。……俺はこの子に、話を聞いてほしいと思っている。呪いのことを誰かに話したいと思っている。
 海老名は呪われた日下部を近くで見ていた。彼女なら、信じてくれるかもしれない。
「海老名さん、ちょっと」
 二人は場所を移した。図書館の下、一階にある会議室の一つに入る。そこで菊池は、『ゆうずど』の呪いと、日下部に起きたであろうことを話した。海老名は何とも言えない表情で、黙って聞いていた。
「──それで、この本はほんまに変やねん。ついさっきやけど、栞が勝手に移動してることに気づいた。この黒い栞が」
 本を手に持って見せる。海老名の眉間に皺が寄った。
「そうなんや。……で、?」
「……え?」
「智樹も言うてた。黒い栞が結末にどうとか……。あたしには見えない。菊池くんにも見えてるってこと?」
 言われている意味がわからず、菊池は言葉が出なかった。
「二人でおんなじ幻覚を見てるってこと?」
「え、海老名さん……この栞、見えてないん?」
「……変やで、菊池くん」
 そう言うと、海老名はトートバッグを摑んだ。怯えた目でこっちを見ている。
 用事を思い出したからと告げて、彼女はそそくさと会議室を出ていった。
 呆然と椅子にかけたまま、菊池は遠くで自動扉が開く音を聞いた。
 本を見つめて考える。
 ……この栞は、呪われた人間にしか見えない。
 ならば、この『ゆうずど』という怪異が自分にだけ伝えたいこととは何だ。
 日下部も、栞が結末にたどり着くことを恐れていた。彼は気づいたのだ。
 この黒い栞が、呪いの期限──死へのタイムリミットを示していることに。
 本を開く。ページは自然と、栞が挟まっている場所になる。菊池は、そっと本の最後のページを開いた。呪いの期限を知るために。
 ページの上部に書かれている数字は、「304」。
 だが、それよりも菊池の目を奪ったのは、ある文章。

 菊池斗真は自らの意思で

 その一文すら読み終わる前に、菊池は本を閉じていた。
 いつしか心臓が早鐘を打っていた。冷房が効いているはずなのに全身から汗が噴き出す。
 本に書かれていた自分の名前を見て、菊池は自分が呪われているのだと改めて実感した気がした。そして、確実に「死」という結末に近づいていることも。
 呪いのタイムリミットは、読み始めてからの日数で決まるものではない。

 俺の命は──あと239ページ。


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