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試し読み

発売即重版記念! SNSで話題沸騰中の“呪い本”。【滝川さり『ゆうずどの結末』 第1章全部試し読み!】

   二

 警察から電話があったのは、七月二十五日の午後七時過ぎ。
 自宅のアパートで事の顚末を聞かされたとき、本当の本当に──ドッキリかと思った。まず噓の電話だと疑った。警察に「黒猫の森」のOBがいて、サークルぐるみのドッキリに加担しているのだと。
 話を聞きたいので刑事が家に行っても良いかと訊かれ、菊池は機械的に「はい」と返した。電話が切れてからもしばらく呆然としていた。悲しみよりも、困惑と混乱が先にきていた。
 部屋の隅に置かれている姿見に映る自分の顔は、紙のように白くなっていた。立ち尽くしていると、再び携帯電話が鳴る。画面に表示されている発信元は、海老名晴美。サークルに入った当初に、一年生全員で連絡先を交換したことを思い出す。
 通話ボタンを押すと、か細い声が聞こえてきた。
「あ……菊池くん? 今、大丈夫?」
 彼女も泣いてはいなかった。
「うん、大丈夫」
「ありがとう。……れ、連絡来た? 智樹のこと」
「うん、たった今警察から」
「警察から直接? 何で?」
「さぁ、たぶん、宮原さんのときに話聞かれたからやないかな」
 そっか、とそれきり、短い沈黙が下りる。
「……どうしたん?」訊いたのは菊池だ。
「どうしたって……あたしも、ちょっと前に警察の人から聞いて、今は家族の人が一緒にいるって言われて、じゃあいいですって。会わないって。……よくわかんないけど」
 とりとめのない話し方が、内心の動揺をよく表していた。今、彼女を打ちのめしているのはきっと、無力感と虚無感だ。自殺を止められなかった、彼が生きる理由になれなかったという、どうしようもない絶望。気持ちは痛いほどよくわかる。
「……何で、海老名さんとこに連絡がいったん?」
「あ、それはあたしが通報したから。電話してて、智樹と。その、飛び降りる寸前まで」
「そうなんや。……先輩、何してたか知ってる?」
「ずっと家におったみたい。何かすごく落ち込んでて」
 あの日部室で話して以来、日下部は大学に来ていなかった。メールを送っても返事がないので心配していたが、まさか、こんなことになるなんて──
「……智樹、本当に自殺なんかな?」
 彼女の声からは、「そうでないかも」という疑いの色を濃く感じた。
「どうして?」
「さっきも言ったけど直前まで電話してたの。……智樹、泣いてた。自分の部屋で。ずっと『死にたくない』『怖い』『落ちたくない』って繰り返して……」
 想像できなかった。あの楽観的で享楽的な日下部が、そんな風に弱音を吐くとは。
「だいぶ弱ってたん?」
「というか、取り乱してたかな。宮原さんのこと知ってる? あの子と同じこと言ってた。何か──〈って」
 菊池は、眉根を寄せた。「それ、ほんまに?」
「うん。他にも『呪いだ』とか『結末が』とか『黒い栞が』とか──あたし、全然わかんなくて、智樹が苦しんでた、の、に」
 語尾は崩れ、彼女は泣きじゃくり始めた。
「う……、ご、ごめん、急に……」
「大丈夫。落ち着いて。一旦切ろうか?」
「ううん……だ、大丈夫」
「そっか。……えと、ちなみに、何で自殺じゃないって思ったの?」
「……智樹、電話で言ってたの。誰かが家にいる、しゃべりかけてくるって」
「それ、本当?」
「うん……機械みたいな声で、ひぐ、ずっとぶつぶつ、つぶやいてくるって……確か、〈クサカベトモキはこれまでの人生を振り返りながら、眼下の景色を眺めた〉──とか」
 それはまるで、小説の中の一文のような文章だった。
「人がおったってこと? テレビの音声とかやなくて?」
「それなら……ひぐ、智樹のフルネームが出てくるのは、う、おかしいかなって」
 海老名の言うとおりだ。しかし、だとしたら恐ろしい可能性が生まれる。
 つまり、日下部は──誰かに殺されたかもしれないということだ。
「それ、警察には話した?」
「ううん……うまくしゃべれなくて……う、うう、ごめん。うう、うっ……!」
 海老名の嗚咽が激しくなる。やっぱり、これ以上はもう無理そうだ。こうなったらもう感情を堰き止めることはできない。
 菊池は「また連絡する」と伝えて、通話を切った。


 携帯電話を持った手を下ろすと、細い溜め息を吐いた。
 ……ひかべぇ先輩が、死んだ。
 自殺か他殺かわからないが、とにかく彼はもうこの世にいない。もう会えない。たった三か月の付き合いだが、毎日のように部室で会っていた。涙が出てこないのは、きっとまだ感情が追いついていないからだ。
 他殺だとしたら、犯人は日下部の家に入り、謎の小説を読み上げて聞かせ、そして、ベランダから突き落としたということだ。……得体が知れない。誰がいったい、何の目的で。
 小説──菊池の頭には、なぜか『ゆうずど』が浮かんだ。
 海老名が言った一文があるかどうかは知らない。日下部のフルネームが入っている時点でその可能性は低い。なのになぜか、あの小説が関わっているような気がする。
 足許がグラつく。ふらりとよろけて、台所と居間の境目に立つ柱に寄りかかった。普段は邪魔くさいと思っていた柱だが、今はその存在に感謝する。
 ……父が自殺したのは十二年前──菊池がまだ七歳のときだ。
 死因は首吊りによる窒息死。場所は近所の公園の茂み。何でそんなところでと思ったが、精神的に消耗し、正常な判断ができなくなっていたのだろう。
 その遺体を見つけたのが、菊池だった。
 放課後、いつものようにグローブとボールを持って公園に行くと、木の陰にスーツ姿の背中が見えた。父だとわかり、喜んで駆け寄った。仕事が早く終わって、遊びに来てくれたんだ。隠れて自分を驚かそうとしているんだ。
「──パパみっけ!」
 父はすでに事切れていた。
 飛び出した両目。異様に長くなった首。青黒い顔。口からだらんと垂れ下がった赤い舌は、まるで別の生き物みたいだった。異臭がしていると思うと、父の下半身が大きな染みを作っていることに気づく。
 ……その後のことはよく憶えていない。次に思い出すのは、黒い服を着た母の丸まった背中。その向こう、祭壇の写真の中で父が笑っている。母はすすり泣いていた。
 ──生きてる意味がわからんて、何なんよ……。
 呪詛のような声が、電気の点いていない和室に満ちる。
 ──残されたあたしらは、どうしたらええんよ!
 怒り狂う母を見て、父は何か悪いことをしたのだとわかった。
 そのとき決めた。「ジサツ」だけは何があってもしないと。
 ママが怒るから、悲しむから。
 ……パパみたいになりたくないから。

 ぶぶ、とバイブ音。手の中の携帯電話が震えた。菊池は慌てて画面を見る。
 母だった。またメールを送ってきたのだ。
 ──夏休みに帰るんならいつになるか教えてください
 ち、と舌打ちが漏れた。今はそれどころじゃない。
 返す気にもなれず、菊池は携帯電話を机に放り出した。


 しばらくして、キンコン、と玄関でチャイムが鳴った。
「──菊池くんやね? すみませんね、夜分遅くに」
 三船と名乗るその刑事は、ドアを開けると柔和な笑みを見せた。流行のツーブロックに黒縁眼鏡。小柄だが、白のポロシャツは筋肉でぱんぱんになっている。茶色のロングコートで角刈りの刑事というのは、創作物の住人らしい。三船は世間話を交えて日下部と菊池の関係を訊き、最近の日下部の様子を尋ね、ようやく本題に入った。
「ちょっと見てもらいたいもんがあんねん」
 そう言うと、リュックからノートパソコンを取り出した。開いた画面に映るのはどこかのエレベーターの中の映像。防犯カメラだ。奥の角から扉の方に向いた構図だった。
 古い型なのか、画質はまぁまぁ粗い。それでも、扉が開いて入ってきたのは若い女性だとわかった。まだ開いたままの入口から、若い男が入ってくる。──日下部だ。白いティーシャツにジーパン姿。
 右隅の時刻表示を見ると、今日の午後三時過ぎ。警察から教えてもらった日下部の死亡時刻は約二十分後。ここから彼は海老名に電話をして、自宅のベランダから飛び降りる。
 エレベーターの中で振り返った日下部は──突然、慌てて壁に後退した。
「えっ」菊池は思わず叫んだ。
 エレベーターの外に、白い塊が見えた。違う。菊池は目を見開く。
 そこにいたのは、
〈紙の化け物〉だった。
 肩から太ももまで、御札ほどの大きさの紙を何重にも貼って膨らんでいる。その姿はまるで、京都の安井金比羅宮にある「縁切り縁結び碑」のようだ。女と言ったが、腰に届くほど長い髪で隠れて顔は見えない。紙の下からは枯れ枝のような脚が伸びている。
 顔を上げると三船と目が合う。ずっと自分を観察していたのだと知る。
 映像は続いている。菊池は、パソコン画面に目を戻した。
〈紙の化け物〉はエレベーターに近づいてきている。
 脚を引き摺りながら、ゆっくりと。
 時折ノイズで乱れる映像は、まるで悪夢を録画したみたいだ。
 先にエレベーター内にいた女性は、壁にぴったりと背中をつけていた。低い画質でも慄いている表情はよくわかる。だが、彼女が怖がっているのは〈紙の化け物〉ではなく、さっきから壁際で半狂乱になっている日下部だった。その証拠に、彼女は隙を見てエレベーターから飛び出した。化け物のすぐ横を素通りして。
 まるで、化け物なんて見えていないみたいに。
 日下部がボタンを連打し、エレベーターの扉が閉まる。閉まった扉の小窓に、化け物のぼさぼさの髪の一部が覗く。やがて箱はゆっくりと上昇を始め、扉が再び開くと、日下部は転がるように外に出た。映像はそこで終わった。

「……何ですか、これ」
「それを訊きにきてん」
 三船は口許に笑みをたたえていたが、眼鏡の奥の目は笑っていなかった。
「この女の人にも話聞いてんけど、。日下部さんは、何もない空間に怯えてパニックになってたってことになる。何で?」
「……は?」
「そう言えば、宮原すみれさんも同じサークルやったね。調べたら、あの子も幻覚症状に悩まされとったみたいや。……なぁ菊池くん、何か知ってることないかな?」
 菊池は黙った。何を言われているのかわからない。
「はっきり言おか。──きみらのサークルで、大麻とか流行ってへん? 覚せい剤とか」
 大麻? 覚せい剤?
 何だそれは。何の話だ。
「別に、きみがやってるとは言わんよ。ただ、知ってることを話してほしい。知ってると思うけど、違法薬物は脳への──」
「ちょ、ちょっと待ってください」たまらず、菊池は手のひらを前に出した。「……え、見えてないんですか? 紙まみれの化け物みたいなのがいたでしょ? いましたよね?」
 真っ黒になったパソコンの画面を指さす。真っ直ぐ目を見て訴える。
 三船は目を逸らして、ふっと鼻で笑った。
「……そういう戦法は賢いと思わんけどなぁ」
 ぽつりとそう言って、パソコンをリュックにしまった。そして、「また話聞かせて」と言い捨てて、扉を閉める。
 閉まる直前に見えた彼の顔は、もう笑っていなかった。


 何が起きているのかわからなかった。一人きりの家で、取り残された気分だった。
 不可解な映像。不可解な刑事の態度。そして不審な宮原と日下部の死。
 それらがぐるぐると混ざって、一つの仮説が頭の中で膨らんでいく。
 つまり──、『……。
 三船には〈紙の化け物〉が見えていなかった。エレベーターの女性にも。
 見えていたのは、宮原と、日下部。
 そして二人は死んでいる。
 高所から飛び降りて自殺している。
 だったら──俺もそうなるのではないか。
 いつまでそうしていただろう。外からカンカンとアパートの階段を上る足音が聞こえて、菊池はハッと我に返った。そして、それまでとは別の理由で固まってしまう。
 足音がトットットと外廊下を歩く音に変わり、鍵穴を回す音と、扉が閉まる音がした。ホッと溜め息を吐く。そして、聞き慣れているはずの音に恐怖している自分に気づく。
 ……馬鹿馬鹿しい。呪いなんてあり得ない。そう思う反面、「もしかしたら」と考えてしまう。ノイズに歪む〈紙の化け物〉が脳裏をよぎる。
 じっとしていられず、菊池は外に出た。二階建てのアパートの角部屋。そこが菊池の下宿だった。錆の浮いた鉄階段をカンカンと鳴らして下りる。静かな夜に、その音は不気味なほど大きく響いた。
 蒸し暑い夜だ。風は生温く、少し歩いただけで肌がべたつく。どこかでジジッと蟬が飛び立ち、規則正しく並ぶ街灯には漏れなく大量の蛾がまとわりついている。
 しばらく歩いたところで、菊池の足は止まった。
 数メートル先にある街灯。その下で、白い何かが闇に浮かんでいる。
 街灯が地面に落とした光の円の中心、道路の真ん中で。
 一瞬止まった呼吸はすぐに再開して、徐々に荒くなっていく。
 そいつは、明らかにこっちを見ていた。ぼさぼさの、黒い、重い、髪の毛の奥から。

「…………は、自らノ意……で」

 声が聞こえた。金属音が混じった耳障りな声。──奴だ。距離があるせいでほとんど聞こえないが、こっちに向かって語りかけている。
「……は、自らノ意……で、……に……を……シタ」
 名前を呼ばれた。それだけで、全身の肌が粟立つ。
 脚と同じくらいか細い腕が、紙の束の中からすうっと現れた。その手をこっちに伸ばしている。銅像のような緑青色の手。──およそ人間の肌の色じゃない。
 その手にすでに摑まれているかのように、身体は恐怖で動かない。
「……やめろ」
 声を絞り出す。喉は痛いくらいに渇いている。
「キ、クチ、ト、ウマは、」
「やめろ」
 ず……と脚を引き摺るようにして、奴が近づいてくる。
 頭の中で叫ぶ。──動け。動け何でもいいから。
「自ら、ノ意……で、」
「やめろ!」
 夜闇に声が響いた瞬間、身体が自由になった。
 菊池は踵を返すと、全速力で走った。今来た道を駆け抜けて、アパートの部屋に戻る。
 ドアを開けて中に入るとすぐに閉めた。施錠してチェーンをかける。
 のぞき穴を恐る恐る見る。──いない。廊下の手すりが見えるだけだ。
 安堵の溜め息が漏れる。菊池は居間の方へ振り返ると、壁にある照明のスイッチを押した。そして──その場で崩れ落ちそうになる。
 蛍光灯の白い光の下。置き忘れていた携帯電話の横。
『ゆうずど』の本は、いつの間にかそこにあった。
 我が目を疑う、何で、どうして。だが、その疑問に答えてくれる存在はいなかった。今のわずかな留守の間に誰かが入って置いていったのか。……そんなはずはない。
 恐る恐る近づく。その表紙には、宮原すみれの掠れた血痕が残っていた。間違いなく、日下部が彼女の自殺現場から持ち去ったものだ。これが今どこにあるべきなのかはわからないが、少なくとも自分の家ではない。
 本からは──がはみ出していた。


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