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試し読み

女装の美人店長、ホラー懺悔をするイケメン料理人、引きこもりの美少年パティシエ…!? 個性が強すぎる登場人物が続々! 角川文庫キャラクター小説大賞《読者賞》 試し読み『毒母の息子カフェ』#2

第5回を迎えた、角川文庫キャラクター小説大賞。書店員さんによるモニター審査で最も支持された〈読者賞〉受賞作品『毒母の息子カフェ』は、4月24日発売。カドブンでお届けする試し読みで、ぜひカフェのドアを叩いてみてください!ご来店、お待ちしております。

>>第1回を読む

 ◆ ◆ ◆

 ドリンクコーナーの反対側のカウンターでは、瀬戸ちゃんが出来上がった前菜の皿を次々とカウンターにのせていた。
「すげえ……」
 それは思わずつぶやいてしまうほどれいに盛り付けられた前菜の一皿だった。
 ハーブの混じった鮮やかな葉物類と、黄色いソースに彩られたあまだいのマリネ。それからさっきお客さんが絶賛していたポテトサラダの入った小鉢。添えられた花形クラッカーのカナッペも芸術的に美しい。センスの良さを感じる。
 開店前にある程度盛り付けていたらしい皿に最後の仕上げをして、次々にカウンターにのせると、カウンターの上が花畑のようだった。
 さすが創作料理の店で修業していただけある。しかもさんかくきんをつけたむき出しの顔はせいかんで男らしく、料理人にしては筋肉質な肩や腕がむしろさわやかさに拍車をかける。
 若い女性客はチラチラと瀬戸ちゃんを見つめていて、彼の方は時折目が合うと照れくさそうに微笑んでいる。
(これはモテるな)
 蘭丸と違って瀬戸ちゃんがモテるのは納得だった。男の僕でもカッコいいと思う。
 ただ一つ気になるのは、出来上がった皿をカウンターに出すたびに両手を合わせて拝むような仕草をすることだった。心をこめて作った料理に敬意を込めているのだろうか。自分の作った料理に敬意を込めるというのも変な話だが、瀬戸ちゃんがやると神聖な雰囲気が漂い、一層料理が特別なものに感じられる。
 これも一種の演出かもしれないが、こちらは蘭丸より好感が持てた。
「こっちのテーブル席はみんな日替わりランチのお客さんだから順番に運んでくれる?」
「分かりました」
 僕はお花畑の前菜を手に運んでいった。皿を置くとどのテーブルでも「わああ」という歓声が上がる。僕が誉められているわけではないが、嫌な気分はしない。
 みんな皿を前に携帯でいろんな角度から撮影してから食べ始めた。
美味おいしい」「このソース好き」「なにこのポテトサラダ。絶品すぎる!」「可愛くて食べるのもったいない~」
 聞こえてくる声は料理への称賛ばかりだ。
(瀬戸ちゃんでもってる店だな)
 前菜を運び終えて、次はどんな料理を作るのだろうとカウンターの中をのぞきこむと、切り分けて下味をつけたとりにくのバットを冷蔵庫から出してきて何か考え込んでいる。
「?」
 さっきまでと違って顔色が悪いような気がするが大丈夫だろうか?
 そのまましばらく考え込んでいた瀬戸ちゃんは、決心したように顔を上げた。
「すみません、覇人さん。ちょっと抜けていいですか?」
 ええっ!? この満席状態で料理人が抜けるのか?
 だが覇人さんは慣れた様子で答えた。
「いいよ。その間にスープを出しておくね」
「はい。お願いします」
 そう言うと、慌ただしく店の奥に消えていった。
「じゃあ雅玖くん。そのカップにスープをいれていってくれる?」
「あ、はい」
 僕は再びカウンターの中に入ってずんどうに出来上がっているスープを注いでカウンターに置いていった。
 いや、これ僕が手伝わなかったらどうしてたんだ? 蘭丸はコーヒーをれることしか考えてないし、覇人さんは常連客の相手もしながらフロアの方で手一杯だし。
 僕はもう一度メニュー表を見てみた。
『日替わりランチ(前菜、スープ、バゲット、デザート付き) 二〇〇〇円
 飲み物は一〇〇円引』
 デザートまで付いてるけど、この人数でさばけるのか? それともすでにどこかに作り置きしてあるのか?
 僕はキョロキョロと周りを見渡した。バゲットは焼くだけになってるけど、デザートは見当たらない。スープをいれ終えてどうするんだろうと思っていたところへ、ようやく瀬戸ちゃんが戻ってきた。
 どこかさっぱりした顔をして、フライパンを熱して肉を焼き始めた。なんか分からないけど良かった。
 そして十人分の肉を焼き上げてオシャレに盛り付けてカウンターに出すと、再び冷蔵庫から次のバットを取り出して考え込んでいる。
「すみません。覇人さん、ちょっと抜けます」
 ええっ!? また?
「OK。じゃあバゲット焼いて出しておくね」
 覇人さんは慣れた様子でうなずいた。
「雅玖くん、バゲットの焼き方教えるから見てて」
 覇人さんは十人分の肉料理を運び終えるとカウンターの中に入ってきた。
 すでに切り分けてあるバゲットをトースターで焼くだけだが、ホントに僕がいなかったらどうやって切り盛りしてたんだ。
 結局瀬戸ちゃんは、次の十人分の肉を焼いた後バットを出してからも同じようにしばらく抜けてしまった。
 どうやら肉のバットを一つ出すたびに抜けなければならないようだ。
 その間いったい何をしているのかは分からないが、客が入れ替わってからもバットを出すたびに抜けていた。
 料理の腕もいいし、話してみても親切で感じのいい人だが、それだけが謎だった。

「じゃあ雅玖くん、ちゆうぼうの奥に行ってデザートをもらってきてくれる?」
「厨房の奥?」
 料理を出し終わった頃、覇人さんに言われて僕はカウンターの奥の厨房に入った。
 瀬戸ちゃんが何度も出入りしているのは見ていたが、僕はまだ入ってないスペースだった。大きな業務用冷蔵庫と調理台に、使った皿をけ込む流しと巨大食洗器があった。
 その厨房のさらに奥に隠れのようにもう一つ小さな厨房があった。そしてそこに……。
「うわっ! びっくりした」
 人がいた。もう一人いるなんて知らなかった。
 調理台の上に所狭しと並んだデザートの皿にあめの糸で編んだような飾りをのせて最後の仕上げをしていたようだ。僕の声に驚いて、手を止めて顔を上げた。
「だれ?」
 かすれた小さな声が辛うじて聞こえた。三角巾をつけた頭から茶髪のおかっぱが見えている。マスクもしていて見えているのは目だけだ。
(女の子?)
 一瞬そう思ったが、声は少しハスキーだった。それに『息子カフェ』と銘打ってるぐらいだから息子なんだろう。
 目しか見えないが童顔の垂れ目はどう見ても年下のように思えた。
「今日だけ手伝っているバイトです。デザートをもらってきてくれって覇人さんに言われたんですけど」
「バイト?」
 茶色の大きな目が僕を見上げた。背は僕より頭一つ分ぐらい小さかった。そして髪といい目といい少し色素が薄い。二次元っぽい顔立ちだ。
「じゃあ……これを運んで下さい」
 消えそうな声で言うと、再び飴細工で仕上げていく。
「え? これ全部君が作ったの?」
 それは二種類のケーキとアイスを、ソースと飴細工と果物とウエハースで飾った見事な一品だった。しかもどの皿もケーキの種類やアイスの種類が違っていて、飾りつけも同じものが一つもない。かなり手のこんだ飴細工のせいか、今風に可愛いのに不思議にアンティークな世界観を持っている。
 これはSNSばえ好きの女子なら群れてくるだろう。才能を感じる一品だ。
すごいね」
 素直に感動した。
「…………」
 だが僕の称賛の言葉は無言で返された。
 そして次々に残りの皿を仕上げていく。調理台は完成品でいっぱいになっていた。僕は慌てて両手に四皿のせてカウンターに運んだ。三往復ばかりしたところで注文分を仕上げたのか、茶髪おかっぱ頭は僕に背を向けて厨房の隅の丸椅子にちょこんと座っていた。
「あの……手が空いてるなら手伝ってくれませんか?」
 僕が忙しく厨房とカウンターを行き来しているというのに、のんびり椅子に座ってるってどうなんだ? だが彼は、ちらりとこちらを振り向いてから、おびえたような目をして再び背中を向けてしまった。
「ちょっと無視しないでよ。お客さんが待ってるんだからカウンターまで運ぶだけでいいから手伝って下さいよ」
 僕は少しイラッとしながらも、もう一度頼んだ。
「…………」
 茶髪おかっぱ頭は無言のまま立ち上がると、業務用冷蔵庫の隣になぜか一つだけ置かれたロッカーのドアを開いた。
「?」
 掃除用具でも出すのかと思ったらロッカーの中に入って内側からパタリとドアを閉めた。
「…………」
 え? えええ──!? どういうこと?
 ロッカーの扉だと思ったけど、外に通じるドアだった? それとも不思議の国に帰っていった? いや、絶対普通のロッカーだよな? じゃあロッカーの中に隠れたってこと? なんなんだ、この子?
「雅玖くん、次お願い」
 フロアの方で呼ぶ覇人さんの声が聞こえた。ともかく、今はデザートの皿をカウンターに運ばなければ。僕はロッカーおかっぱ頭のことは忘れて、ひたすらデザート皿をカウンターに運び続けた。

 このカフェは日替わりランチのみを百食限定で提供するスタイルの店だった。だから売り切れたらそこで終わりだ。十一時のオープンからたいがい三時前には売り切れる。そして売り切った後は五時まで蘭丸のコーヒーを目当てに来る客のために店を開けているらしい。この日も三時には最後のデザートを出し終わって、やっと一息つくことができた。
「お疲れ様、雅玖くん。君、要領がいいね。とても助かったよ」
「高校の時に飲食店で少しだけバイトしてたことがあったので」
 全国チェーンの店だったので社員教育はきちんとしていた。愛想笑いが出来なかったので、あまり長続きはしなかったけど。
 そういえばこのカフェは笑顔を強要されることがなかった。お客さんもそんなものを期待していないらしい。蘭丸なんかはずっと不機嫌な顔のままだった。そういう雰囲気は、僕にとって働き易くはあるけれど。
「まだ時間あるでしょ? 瀬戸ちゃんがまかないを作ってるから食べて行きなよ」
「いいんですか? じゃあ……いただきます」
 正直お腹もすいていたし、なにより瀬戸ちゃんの料理は食べてみたかった。
 店内にはまだ蘭丸のコーヒー待ちの客が数人残っていたが、ランチは終わったので瀬戸ちゃんが残った食材でなにか作ってくれていた。
 僕は覇人さんに誘われるままに瀬戸ちゃんの前のカウンターに座った。
 このカウンター席はランチを出している間は出来上がった料理を置く場所に使われていて客席にはなってなかった。だが座ってみると料理をしている手元がよく見えて瀬戸ちゃんファンにはプレミアムな席だろう。
 瀬戸ちゃんはまかないにも手を抜くつもりはないらしく、皿に余った前菜を丁寧に盛り付け噂のポテトサラダもちゃんとつけてくれた。そしてボウルを出して卵を手にとると、口元に持っていって願いでも込めるようになにかつぶやいた。同じようにして三個の卵になにか呟いてからボウルに割り入れた。
 どういうルーティンか分からないが、とりあえず絵になっている。女性客がいたら黄色い声が飛んでいたことだろう。
「それでどう? 働く気になった?」
「いえ。せっかくですけどランチタイムだと大学の授業がありますし」
 よく考えたら十一時から三時なんて新入生が働ける時間帯じゃない。
「土日だけでもいいよ。土日は特製コース料理、限定百食なんだ」
「うーん。でも土日は運送屋とかの方が稼げそうだし」
「住み込みOKで、家賃、光熱費、食費すべて込みでバイト代から三万引かせてもらってる。こんな待遇のいいバイトないよ?」
「三万……」
 確かにそんな待遇のいい所はないだろう。家賃だけでも最低五万ぐらいするのがこの辺の相場だったと思う。少し心かれるものはあるが……。ちらりとドリンクコーナーで険しい顔でコーヒーミルを回す蘭丸と、続いてちゆうぼうの奥に目を向けた。
「あのデザートを作っている人は誰ですか? 運ぶのを手伝ってくれって言ったらロッカーの中に隠れちゃったんですけど」
 あの後も第二弾、第三弾と客が入れ替わるたびにデザートをもらいに行ったが、人数分の皿を完成させると僕に文句を言われる前にロッカーに隠れてしまった。
 どう考えても仲良くなれそうにない人達ばかりだ。
「彼はあきやまいち。通称太一。小学校二年から不登校になって、引きこもり歴十年なんだ。ああ、雅玖くんと同級生ぐらいじゃないかな?」
 いや引きこもり歴十年って。むしろ学校行ったのが一年だけじゃないか。
「太一の母親は暴力をふるうタイプの人でね。すごく可愛い感じの美人で、外面がいいから誰も疑わなかったんだけど、当時の傷跡がけっこう残ってるんだ」
 やっぱり毒母の息子なんだ。そんなことを聞くとロッカーに隠れてしまう彼に少し同情してしまうが……。だったらなおさらこんな所で働きたくない。
 僕は自分の心の傷と痛みで手一杯なんだ。悲しみを分かち合うとか、傷をなめ合うとか、そういうのをくだらないと思っている僕には逆に重い。
 僕は悲しみを誰かに話して楽になった経験もないし、誰かの苦しみを一緒に背負ってやろうなんて気持ちもさらさらなかった。
「すみませんが、やっぱり僕はここでは働けません」
 僕が答えると、覇人さんはそれ以上誘うことはなかった。
「そうか。残念だけど仕方ないね。じゃあ今日のバイト代は計算して用意しておくから、来週でも取りにおいでよ」
「分かりました。ありがとうございます」
 答えたところで瀬戸ちゃんのまかないが出てきた。
「肉を全部使ってしまったのできのこソースのオムレツにしました」
 そう言ってカウンターの上に出されたオムレツは切れ込みから半熟の卵がこぼれ出て、それがきのこのブラウンソースにからまっていて、見ただけで美味おいしそうだった。
「いただきます」
 スプーンでそっとすくって口に入れると、見た目以上に美味しかった。最近食欲がなく、コンビニの弁当をやっつけ仕事のようにき込んでいたのだが、このオムレツは一口食べた瞬間から手がとまらない。脳が早く次をくれとフライングぎみに命令する。
 半分ほど食べて落ち着いたところで、前菜とポテトサラダにようやく手をつけた。
「うまっ……」
 思わず声が出るほどにポテトサラダがうまい。粗くつぶしたじゃがいもが、冷めているはずなのに口の中でほくほくと崩れる。そしてきゅうりのしゃきしゃき感と厚めのベーコンのうまみが口の中で絶妙に調和している。
「瀬戸ちゃんのまかない、美味しいでしょ」
 覇人さんは夢中で食べる僕をにこにこと横で眺めていた。
「やっぱり働きたくなった?」
「…………」
 正直言うと図星だった。このまかないを食べた後で聞かれたら、きっと働きますと言っただろう。だが今さらそんな事言えない。言いたくない。
「瀬戸ちゃんは都内でも有名な料理人の師匠に天才とまで言われた逸材なんだ」
 普通に聞けば話を盛っていると思うだろう。そんな逸材がなんでこんな小さなカフェで働いているんだと。だが、料理を食べた後では間違いなく本当だと思えた。
「ただ瀬戸ちゃんは少し困った病気を持っていてね。結局その病気がもとで師匠を怒らせて破門になってしまった。それで僕がこの店に誘ったんだ」
「病気?」
 僕が瀬戸ちゃんを見ると、少し照れたようにぺこりと頭を下げた。
「覇人さんがいなければ、僕は今頃どうなっていたのか分かりません」
 この健康そうな瀬戸ちゃんの困った病気ってなんだろう?
 もしかして毒母の息子ということに関係しているのか?
 いろいろ疑問は浮かんだが、今日だけのバイトの僕が聞くことではない。
 僕はいつも人との間に自分で線引きをしてしまう癖があった。
 僕なんかにこれ以上聞かれても迷惑だろう。これ以上仲良くなりたいとも思ってない相手に個人情報をしゃべりたくないだろう。そんな事は僕も分かっているから、これ以上話さなくていいよ、と。だからうなずくだけで受け流した。そして瀬戸ちゃんもそれ以上話そうとはしなかった。沈黙が流れる。
 僕の人付き合いは、だいたいこんな感じだ。
 友人は何人かいるけれど、親友と呼べるほどの相手はいなかった。

    ◇

「なあ、知ってるか、雅玖のやつ」
「ああ。市立大だってな。まさかあいつがH大を落ちるなんてな」
「ほんとだよ。俺よりずっと成績良かったのに。なんか俺だけ受かって悪いな」
「でもなんで市立だよ。あそこは経済学部なかっただろ?」
「前期か私学が受かると思って、担任に勧められるまま適当に願書を出したらしいぜ」
「えーバカじゃん。人生捨てたな」
「誰も助言してくれる大人はいなかったのかよ。かわいそ」
「あいつって母親がいないせいか、なんか考えが浅いとこない?」
「というか人として大事なもんが抜け落ちてる気はするよな」
「でも女にはモテるんだよな。まあ顔もいいんだろうけどさ」
「合コンしたら雅玖ばっかりモテるんだもんな。あんな無愛想なヤツなのに」
「こっちは必死にトークで盛り上げてんのに、結局雅玖が全部持っていくんだもんな」
「それがほら、あの超美形の女子校の彼女と別れたらしいぜ」
「え、まじかよ。あの子雅玖に夢中だったじゃん」
「ところがH大に落ちた途端に振られたみたいだぜ」
「うっわ。なんかあいつばっかモテてムカついてたから、ちょっといい気味」
「はは、言うねえ、お前も。でも俺も同じく」
「仲良くしてるようで、本当はみんなあいつのことうざいと思ってたんだよな」
「心の中ではみんな、ざまあみろってわらってんだよ」
「結局最後は学歴の高い人間がモテて成功するんだ」
「そういうことだな。雅玖の時代はここで終了ってことで」
「雅玖、ご愁傷様~」
「ははは」

 僕はハッと目を覚ました。
 カフェでのバイトから三日が過ぎて土曜日の朝だった。
 土曜は講義を取らなかったので休みだった。もう少し眠っていたかったのに嫌な夢で目が覚めてしまった。このところいつも同じような夢ばかり見る。
 実際に高校の友人がそんな会話をしているのを聞いたわけではない。
 何かの用事で話す機会があっても、みんなれ物にさわるように僕に気を使ってくれて、大学の話はしないようにしてくれる。
 こんな陰口をたたくようなやつらではない。そんなのは分かってる。分かってるけれど、僕が勝手に被害妄想を作り出してしまっている。気付けば勝手に作った妄想に腹を立て、友人達に理不尽な憎しみを抱いている。
 なるべく考えないようにしていても、押し込めた妄想は夢の中で容赦なく僕の耳にささやく。
 日を追うごとにしんらつになって、時折起きている時にも耳元で囁くようになっていた。
 自分が壊れていく恐怖が、また新たな妄想を作り出す。
 カフェでバイトをしてから三日間はおさまっていたのに、またぶり返してしまった。

 土日はいつも昼まで寝ている僕は、父さんが休日に何をしているのか知らない。別に知りたくもない。起きた頃にはいつもいなくなっていた。
 キッチンに行ってトーストを焼いて目玉焼きをのせる。僕が唯一作れる料理だ。
 ソファに座って頰張っていると、カチャリとドアが開いて父さんがリビングに入ってきた。顔を合わせるのは久しぶりだった。
 僕達はまるでかくれんぼをするように、お互いの気配が無いのを確認しながらリビングをシェアしていた。もトイレも、相手が使ってないのをうかがってから自室を出た。
 けんをしている訳ではない。喧嘩するほどの濃い関係を築いてはいない。
 無言で同じ部屋にいる気まずさに堪えられないだけだ。
 だから突然リビングに入ってきた父さんに驚いた。
 もっと物音を立てて気配をアピールするべきだったと反省したぐらいだ。
「いま朝食か?」
 話しかけてきた父さんには更に驚いた。危うくトーストを落とすところだった。
「うん……」
 珍獣でも見るように、リビングをウロウロする父さんを目で追った。
 髪をオールバックにしてYシャツにスラックスを穿いている。どうやら今から仕事に行くつもりらしい。よほど仕事が好きなのか、土日も仕事をしているようだ。
 行くなら早く行ってくれと思うのだが、冷蔵庫を開けたり、郵便物の確認をしたり、落ち着きなく歩き回っている。そしてついにはダイニングのテーブルに座って新聞を広げだした。ソファでトーストをかじる僕とは三メートルばかりの距離だ。
 どうしたんだと思った。いよいよギネスの記録をあきらめたのか。
「大学……は楽しいか?」
 やはりギネスは諦めたらしい。こんな普通の親子のような会話をするなんて、血迷ったとしか思えない。
「まだ一週間しか行ってないから分からないよ」
 いや、本当はもう分かっている。全然楽しくない。H大か、最悪でも滑り止めの私大に行くものと思っていた僕には、本来の居場所はここではない気がしてしまう。一人だけ異物が紛れ込んだように、大学生活をおうして浮かれている周りの連中になじめずにいた。
 なぜいつも簡単に解けていた数学の問題を間違えたのか。国語の設問をどうして勘違いしてしまったのか。世界史の中国史をなぜもっと勉強しておかなかったのか。
 毎日のように試験問題がフラッシュバックして、行き場のない後悔に襲われる。
 本当は政策のせいなんかじゃない。受験システムがどう変わろうが、受かるやつは受かる。僕が単純にミスを連発したのと、受験を甘く見ていたせいだ。分かってる。
 分かってるけど、このどうにもならない気持ちの行き場がなかった。
 大学生になっても、いまだに気持ちはそこから少しも前進できてなかった。
 僕の人生にとって取り返しのつかない失敗をしてしまったのだと、その後悔の念にひたすらとらわれていた。
「私は高校も卒業出来なかったからな。大学まで行くなんて立派なもんだ」
「え? そうなの?」
 知らなかった。
 会社を経営して、いかにも仕事が出来そうな顔をしてるから、てっきり大卒だと思っていた。そうか。僕は高校中退の男の息子だったのか。今知りたくなかった。
 もしかして父さんは志望大学にことごとく落ちた僕をなぐさめたかったのかもしれないが、逆に僕はもっと投げやりな気持ちになっていた。
 そんな僕に追い討ちをかけるようにインターホンが鳴った。
 土曜の朝に珍しい。
 食べ終えた食器を運んでいた僕が、反射的にインターホンに出ていた。
かおるです」
 インターホンのカメラには、ショートボブの似合うれいな女の人が映っていた。
「薫……さん?」
 薫さんは僕が通っていた保育園の先生だった。
 うちから歩いて五分ほどのマンションに住んでいたこともあり、幼くして母を亡くした僕を心配して仕事以外でも親身になって面倒を見てくれていた。そんな薫さんは僕が保育園にいる間は父さんを「祠堂さん」と呼んでいたが、いつの間にか「ひろさん」と呼ぶようになっていた。そしてそれに合わせるように僕と父さんも「薫先生」と呼んでいたのをいつからか「薫さん」と呼ぶようになっていた。
 薫さんには僕もよく懐いていて、小さい頃は裕子おばさんと入れ替わり立ち替わり家に来ていたのに、ある日を境にぱったり来なくなっていた。

「どうぞ」
 僕はエントランスを開くボタンを押した。そして最後に薫さんに会った日を苦い気持ちで思い出していた。
 小学校の高学年ぐらいの時だった。
 学校から帰ってきた僕は、玄関に女物の靴があるのを見て浮き足立って廊下を進んだ。
 この頃は一番薫さんが頻繁に来ていた時期で、僕の面倒を見るというよりは仕事帰りに様子を見に立ち寄るという感じだったが、いつも美味おいしくてお洒落しやれな手土産を持ってきてくれるのが楽しみだった。
 そしてリビングのドアを開けようとした僕は、すすり泣くような声に慌てて手を止めた。
「どうして! どうしてなの、広志さん!」
 いつもおしとやかに笑っている薫さんが大声で泣き叫んでいた。
「やっぱり雅さんのせいなのね! いつまで広志さんを苦しめたら気が済むの!」
「…………」
 父さんの声はやはり聞こえなかった。
「だったら好きにすればいいわ! 広志さんのバカ!」
 泣きながら飛び出してくる薫さんは、リビングの外に僕がいたのに気付いて気まずそうな顔になった。そして。
「私は……ただ……広志さんを雅さんのじゆばくから解放してあげたくて……」
 言い訳のようにそれだけ言い残して、そのまま走り去ってしまった。
 リビングに入って、父さんの説明なり弁解なりが聞けるだろうかと期待した僕は、いつも通り裏切られた。
「仕事の途中だったんだ」
 その一言を残して出て行ってしまった。
 リビングに取り残された僕は、修羅場の空気と、もやもやとした疑問が渦を巻く部屋で、薫さんが買って来たのだろうお洒落なそうざいをポソポソとつついた。

 あの日から僕は会っていないが、僕の知らない所で父さんと薫さんは会っていたのかもしれない。大学生の僕はそれが何を意味するのか充分に分かっていた。
「薫さんだって」
 僕は責めるようにダイニングで新聞を読んでいるフリをする父さんに告げた。
 出かけるかつこうをしていたのは、仕事ではなく薫さんと会う為だったに違いない。
「そうか……」
 やはり説明も弁解もない。再びギネス挑戦者に戻ったらしい。

 しばらくして玄関に上がってきた薫さんを出迎えると、彼女は悪びれもせずに微笑んだ。
「まあ、久しぶりね。雅玖くん。大きくなってイケメンになったわねえ。やっぱり広志さんの息子だわ」
「どうぞ」
 僕はにこりともせずにリビングに招き入れた。
 久しぶりに会ってみると、子供のころ抱いていた印象とは違うことに驚いた。こんなに口紅の赤い人だったっけ? 昔は気付かなかったが、何かが冷たい。人が振り返る美人だけど幸せではない。そんなオーラの漂う人だった。
「広志さん、また来ちゃった」
 僕が大学生になるまでは、塾でいない土日に来ていたのだろう。またと言うからには、ちょいちょい来ていたに違いない。
「雅玖くんがいるなんて珍しいわね」
 薫さんはチラリと僕を見た。
 邪魔だから出ていけとほのめかしているのかもしれないが、僕はわざと気付かないふりをした。少し意地悪をしてやりたくなった。冷蔵庫からアイスコーヒーを出してゆっくり注ぐと、ソファにどっかりと座ってやった。
 薫さんは諦めたようで、慣れた風にキッチンに立った。
「フランス堂のケーキを買ってきたのよ。雅玖くんも食べる?」
「いただきます」
 いつもなら断る所だが、今日はとことんリビングに居座ってやろうと決心していた。
「コーヒー入れるわね」
 コーヒーメーカーも食器の場所もよく知っているような素振りだった。
 やっぱりしょっちゅうここで密会していたらしい。さげすんだ目で二人を見つめる僕にも父さんは何も言わない。
 ていうか、さっきから一言もしゃべってないだろう! 場を盛り上げるまでは考えなくとも、少しは人の会話を助けろよ。よくこれで会社の経営者なんて出来てると思う。どうやって商談してるんだよ。
「ここのケーキね、行列が出来るのよ。朝一番で並んだんだから」
 薫さんが一人でしゃべる話し声と、食器がカチャカチャいう音だけがリビングに響く。
 しばらくして僕の前のソファテーブルにチョコの濃そうなケーキとホットコーヒーが置かれ、ダイニングテーブルには父さんと薫さんの分が置かれた。
「甘そうに見えるけど、甘さ控えめの大人のチョコケーキなのよ。食べてみて」
 僕にではなく父さんに言っている。父さんはまだ新聞を広げたままだった。
「うーんん! 美味しい! やっぱり最高! ねえ? 雅玖くん」
 いまだに無言で新聞をにらんでいる父さんを見限ったのか、薫さんは僕に同意を求めた。
「はあ、そうですね。美味しいです」
 だが僕もさして場を盛り上げる人間ではなかった。
「チョコケーキといえばね……」
 仕方なく薫さんの超くだらない話題だけがリビングをかつしていた。
 父さんが裕子おばさん以外と話している所を久しぶりに見たが、ひどいものだった。
 言葉少ない子育てでギネスを目指す男は、愛人にも言葉少ないギネス記録に挑戦しているらしかった。そしてやはり記録樹立は目前だった。
 このまま放っておいても良かったが少し意地の悪い質問をしてみたくなった。
「薫さんは何歳でしたっけ?」
 この年の女性には結構失礼な質問だったが、とにかく一人でしゃべり続ける気まずさから解放してくれた事に感謝してなのか答えてくれた。
「三十七よ。すっかりおばさんでしょ?」
「そんな事ないですよ。二十代にしか見えないです」
 僕もこの程度のお世辞は言える。そして実際二十代でも通りそうなぐらい若くて美人だ。
「あら雅玖くんも口がうまくなったわね」
 言いながらまんざらでもない顔をしている。その笑顔が次の質問で固まった。
「結婚はしてないんですか?」
 薫さんは不意打ちを食らったような顔をして、助けを求めるように父さんを見た。
 我ながら意地悪な質問だと思ったが、父さんは僕より更に鬼畜な男だった。
「早く結婚した方がいいよ」
 今日、薫さんに最初に発した言葉だった。
 薫さんの顔がみるみる青ざめ、怒りだか哀しみだか分からないシワでゆがめられた。
「じゃあ広志さんが結婚して下さい!」
 薫さんはもう僕の存在を忘れているようだ。
「こんなおじさんじゃなくて、もっと薫さんに似合う人がいくらでもいる」
「私は広志さんがいいの!」
「私が薫さんと結婚する事は決してない」
 想像以上の修羅場になってしまった。
 薫さんは父さんの前に手付かずで置かれたケーキをわしづかみにすると、顔に目がけて投げつけた。そして僕より鬼畜な男は、恵まれた運動神経でひょいとよけてしまった。
 チョコケーキは後ろのフローリングにべチャリとつぶれた。
「広志さんのバカッ!!」
 薫さんは捨てゼリフを吐いて、チョコまみれの手のままバッグを引っつかんで部屋を飛び出して行ってしまった。小学生のあの日を思い出す。きっとあの日もこんな会話だったのだろう。今なら分かる。
 そしてさっきギネス記録の更新をあきらめたはずの父さんは、再度挑戦を始めたのかチョコまみれの床をはにの顔できながら、僕に何の弁解もしなかった。
「僕になにか言うことはないの?」
「…………」
 僕の問いかけにも無言のまま床を拭き続けている。やっぱり何も言わないつもりらしい。
 弁解しないということは、僕の想像に任せるということで、任せられた僕の想像は吐き気をもよおすようなドロドロ愛憎劇ばかりで、父さんの埴輪顔なんかしばらく見たくないと思った。
「言いたくないなら別にいいけどね。父さんが誰となにをしてようが、僕には関係ないしね。僕も父さんに相談しようなんて思わないしお互いに勝手にすればいいさ」
 一言吐き出して家を飛び出した僕は、何故だかあのカフェに向かってしまっていた。



尾道理子毒母の息子カフェ』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321911000197/


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