ビブリア古書堂の事件手帖II ~扉子と空白の時~
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今作はまるごと一冊横溝正史が題材! 最新作『ビブリア古書堂の事件手帖II ~扉子と空白の時~』を特別試し読み!#3
実在の本を手がかりに、古書と人との謎を紐解く“人が死なないミステリ”の決定版!
7月18日発売の最新作は、まるごと一冊横溝正史が題材!
日本を代表する推理作家にして、名探偵・金田一耕助の生みの親でもある横溝の“幻の一作”の謎に迫ります。
栞子と扉子が挑む、書籍としてこの世に存在していないはずの本にまつわる奇妙な謎。その冒頭部分をぜひご覧ください。
◆ ◆ ◆
>>前話を読む
上島家の墓地は鎌倉市街を見下ろす丘の中腹にある。
石の外柵に囲まれた広い
といっても、この目で見たわけではない。すべて聞いた話だ。
先々月、上島秋世は九十二歳でこの世を去った。生前に会ったことはない。俺、篠川大輔が関わったのは、彼女の親族たち──それに、一冊の古い本だけだ。
今は二〇一二年の四月。俺が北鎌倉にあるビブリア古書堂で働き始めてから一年八ヶ月
これまで彼女と一緒に、古い本にまつわる様々な事件に遭遇してきた。
けれども、上島家で起こった今回の事件ほど、後味の悪さを味わったことはない。おそらくこの先もずっと俺たちの記憶に残り続けるだろう。本の謎を解くことにかけては並外れた能力を持つ栞子さんですら、完全には解決できなかった事件だからだ。
発端は十日ほど前に遡る。
*
母屋の居間で昼食を取っていると、窓ガラスをこつこつ
焼きそばを口に運んでいた俺は、はっと後ろを振り返る。窓の外に誰かいるのかと思ったが、咲きほこる山桜の枝が春の風に揺れているだけだった。
山桜は隣家の敷地にある。家主の初孫が生まれた記念に植えられたもので、ずっと大事に育てられきた話は俺も聞いている。北鎌倉に古くから住む人たちは風流なんだな、とその時は感心したものだった。
この和室から花見はできるし、うちの敷地まで枝が張り出すぐらい
(……行くのは俺かな)
この家で生まれ育ったのは栞子さんだが、近所付き合いは俺の方がまだ向いている。母屋から店に戻ったら、さっそく彼女に相談してみよう。
昼食を終えた俺は、空の皿を台所の流しに持っていった。洗い物をする前に、調理台の水切りラックにあるもう一人分の食器をしまうことにした。先に昼食を取った栞子さんが使ったものだ。
「おっと」
思わず声が出た。水切りラックの手前に、パラフィン紙のかかった古い文庫本がぽんと置いてある。
初版はわりと珍しいらしい。安く手に入ったと喜んでいたので、てっきり通販の商品リストに加えると思いこんでいた。まさか自分の蔵書にしてしまうとは、まったく想像もして──いや、そうでもない。よくあることだった。
俺は『母子像・鈴木主水』を手に取る。とにかく、水道の近くから離しておこう。近くのキッチンワゴンに移そうとして、俺は苦笑いした。トマトの缶詰の隣に白い背表紙の文庫本が何冊か積み上がっている。教養文庫の『久生十蘭傑作選』。当たり前のように置かれていたので気付かなかった。栞子さんの中で唐突に春の十蘭祭りが始まったらしい。
(
先週、この台所で聞いた声が頭の中でこだまする。俺をお義兄さんと呼ぶのはもちろん一人しかいない。栞子さんの妹・篠川
引っ越す前日、彼女は特大の中華鍋いっぱいの焼きそばを作っていた。姉夫婦のための作り置きの料理で、たった今俺が食べた一皿もそうだ。焼きそばが冷凍保存できることを初めて知ったが、しっかり者の義妹から教わったのはそういう生活の知恵だけではない。ここで暮らし始めて半年、栞子さんと一緒に暮らす上での鉄則も叩きこまれてきた。
(お姉ちゃんが台所に本を持ちこんだら、その度に完全排除と厳重注意! 目を離した隙にあいつらはいくらでも増殖する! 放っておくと全てが終わるよ!)
鉄則といっても、その内容は増え続ける本から生活スペースを守ることと、崩れかねない本の山から栞子さんの安全を守ることに尽きる。
(お店の経営はお姉ちゃんに任せればたぶん大丈夫。でも母屋での生活はお義兄さんが頑張るしかない。
ポンコツとまでは思わないが、彼女の度を越した読書好きに改めて驚かされることはよくあった。
俺とはもちろん普通に会話しているが、他人とコミュニケーションを取る以外の時間はだいたい本を開いている。階段や玄関に腰かけて読む、着替えている最中にも読む、朝起きてベッドの中でも読む。本を持ちこまないのは風呂とトイレぐらいのものだ。少しでも自制心が残っていることに安心する。
本人も努力しているけれども、怪我をする前から家事は不得意だったようだ。これからは栞子さんが主に店の経営を、俺が主に母屋での家事を担当することになるだろう。これまで義妹がやっていたことを俺が引き継ぐわけだ。
(つづく)
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