元「ベイビーレイズJAPAN」の渡邊璃生さん初の小説集『愛の言い換え』が5月2日に発売。その中から選りすぐりの傑作書き下ろし3篇を30日間連続で全文特別公開します。
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翌朝。新は久々の休日を迎えた。午前十時、軽く伸びをしてカーテンを開けるが、空は分厚い雲で覆われ、雨音は鳴り止まない。気分が晴れるとは言い難いが、それでも体調は多少マシになっていた。
軽く身支度を済ませ、キッチンで牛乳をコップに注ぐ。テレビをつけると、すーっと寝室の扉が開き、中からのそのそと蒼介が顔を出した。眠たげに目を擦りあくびをする姿は非常にぱっとしない。
「お前なあ、俺より遅く起きるなよ。」
「んん……。新ちゃん、体調平気?」
あくび混じりだが、一応心配はしてくれているらしい。
「平気、平気。一晩寝たら楽になったわ。」
新は昨夜よりずいぶん良くなった顔色で笑って見せた。
「うん。いいからさっさと顔洗えー。終わったら避難の準備な。」
「はーい。」
その言葉に従い、蒼介は洗面所に向かう。その姿を見届け、牛乳を口にする新。
すると、玄関の扉が叩かれる音が響いた。それは一度ではなく、二度、三度と立て続けに鳴る。
「……あ、蒼介ぇ。俺のアカウントで通販頼んだだろー。」
新の通販アカウントを蒼介が使用するのは珍しいことではなかった。しかし悪天候が続くのがわかり切っているにもかかわらず、商品を注文するのは頂けない。文句を口にしつつ玄関に向かうと、洗面所から蒼介が顔を出しなにかを言うが、扉が軋む音で聞こえない。
「えー? なんて?」
「だから、なにも頼んでないよー!」
抗議はなんとか聞き取れたが、近所迷惑でしかないノックに新は怒りを覚えた。まるで体当たりのように乱暴で、扉がひしゃげてしまうのではないかと思うほど。第一、インターホンがあるのになぜそちらを使わない?
「あー、うるさいな。聞こえてるって……!」
「待って、新ちゃん。なにか変だよ!」
だが新は危機感を抱く前に、蒼介の警告を聞く前に、扉を開けてしまった。
「─は?」
それを目にした瞬間、新の時間は止まった。
扉の前には人ならざる異形。蜂の体に人間を混合させた、生物のようななにか。背丈は二メートルほどで、大きな顎に人間の頭を咥えている。胸部からは人間の腕が二本、くびれと腹部からは足が四本生え、背から伸びているであろう羽は姿が捉えられないほど高速で羽ばたき、空気をぴりぴりと震わせている。足は地面から数十センチ浮いているが、それになんの意味があるのだろう。
命の危機を感じた新だったが、足が動かない。目の前の出口は塞がれてしまっているし、ベランダから逃走は可能だが、少しでも動けば化け物を刺激するかも知れない。靴も履かずにどう逃げろと言うのか。
しばしの沈黙が過ぎ、化け物が─大顎に咥えられた人間の頭が口を開いた。
瞬間、新は聴力を失った。
それほどの咆哮だった。
「(やばい。)」
確信したが、遅かった。
化け物が腕を振り上げる。腕で反射的にガードするが、間に合わない。
すると、新の体が暖かな疾風に包まれた。そして、視界いっぱいに広がる蛍光イエロー。それはまるで、
「(レインコート? いや、……ローブ……?)」
その光景を最後に、新は意識を手放した。
(つづく)
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