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試し読み

究極の片思い小説、完全映画化記念・特別試し読み!② 角田光代『愛がなんだ』

一途なアラサー女子の〈全力疾走〉片思いラブストーリー!

岸井ゆきのさん・成田凌さん主演、映画『愛がなんだ』が4/19(金)に公開となります。
公開日まで5日間、カドブンでは角田光代さんによる原作小説の試し読みを行います。




<<第1回へ

 いったい何が悪かったんだろう。どこで失敗したんだろう。一から順序立てて考えてみよう。葉子の家にたどりつくまでには、答は出ているかもしれない。
 帰ってくれるかな? 遠慮がちに、けれどきっぱりと、マモちゃんは言った。ぞくぞくするような色っぽい鼻声のまま。どうもありがとう、めし買ってきてくれてたすかったよ、と、私を部屋から追い立てるようにしてマモちゃんは言った。熱のせいで頰を子どものように赤くして、不機嫌そうに。
 彼を不機嫌にさせた理由はなんだ? コンビニの鍋焼きうどんでいいと言われたのに、スーパーで買いものをして温サラダと味噌煮込みうどんをつくったことか。カビキラーまで買っていって風呂場を掃除したことか。プラスチックとティッシュがいっしょになったゴミ箱を検分し、燃えるものと燃えないものに仕分けしたことか。空車ランプはなかなかこない。
 行動ではなく、私の話したことかもしれない。私は今日、熱があるというマモちゃんに何を話したんだっけ。仕事の話、あまり仲のよくない同僚の女の子たちの話、それから、夢の話もしたような気がする。夢の話なんか退屈に決まってるのに、なんで話したりしたんだろう。呼び出されて調子に乗っていたのか。空車ランプを一台見過ごし、舌打ちをする。
 考えていると、私のすべてが彼を苛つかせるのに値するように思えてくる。空車ランプを見過ごすところとか、目のかたちとか化粧のしかたとか、今着ているカットソーとスカートの組み合わせとか、尻とか呼吸のリズムとか、もう私の全部が全部。
 ようやく一台のタクシーがつかまり、乗りこみながら私は葉子のせりふを復唱する。甲州街道じゃなくて井の頭通りで。高井戸団地で左折してください。あいよ! お仕事ご苦労さん、突っ走るからねえ。初老の運転手は謎のハイテンションで叫び、車を発進させる。こんなに遅くまでお仕事、たいへんだよねえ、このご時世は。いやんなっちゃうよねえ。運転手は鼻歌をうたうように言い、その調子につられ、「私ってあなたを不快にさせますか」と思わず訊いてしまいそうになる。こらえる。訊いたってしかたない。
 レンタカー屋の前でタクシーをとめてもらうと、ナカハラくんが立っていた。おねえさん、思い人が立ってるよ、しあわせだねえ、運転手は言いながら後部座席のドアを開ける。ナカハラくんがすかさず千円札を数枚、「これ、葉子さんが」言いながら私に手渡す。料金は葉子の言ったとおり、千七百二十円だった。
「毎度。仲良くね」
 運転手は釣りを手渡しながらかわらないハイテンションで言い、車を発進させる。
「ナカハラくん、きてたんだ。どうもありがとう。葉子ちゃん、怒ってないよね?」
 当然彼も葉子の家に向かうものと思い、話しながら歩き出すが彼は、その場に突っ立っている。
「どうしたの、葉子ちゃんのとこに戻るんでしょ?」
「あ、ぼく、帰るっす。テルコさん、またみんなで飲みましょう」
 ナカハラくんは言って、手をふりながらあとずさっていく。
「なんで? なんで帰るの?」
 私は訊くが、彼は答えず、くるりと背を向けて白ちゃけた夜のなかへ走っていってしまった。
 きっと葉子が帰れと言ったのだ。テルちゃんは話があるにちがいないから、あんたがいたら邪魔だ、帰れ、と。そうしてナカハラくんは、さっきの私と同じように、この明るい夜空の下をとぼとぼ歩いて帰っていくのだ。なんだか、どんなふうにかはわからないけれど、世界はみんなどこかで折り重なって、少しずつつながっているのかもしれない。
 葉子の家へと続く門を、音をたてずに開ける。同じ敷地内に平屋建ての母屋と、以前は茶室に使っていたらしい離れがある。母屋には葉子の母親が住んでいて、風呂や部屋を建て増した離れには葉子がひとりで暮らしている。ふたりきりなのだから母屋で一緒に暮らせばいいのに、と思わないこともないが、人の家庭のことはあまりよくわからない。とにかく、こうして夜半に葉子宅をたずねるときは、母屋の母親を起こさないように、きしむ門をゆっくりと開け、物音をたてないように敷石を踏み、葉子の住むちいさな平屋のインタフォンを押す。
「ナカハラくんにいてもらったってよかったのに。ごめんね、お金は借りるわ彼氏は帰らせるわで」
 玄関先で声を落とし言うと、
「そんな気をつかわなくたってあのババアは起きないわよ、それから、ナカハラは彼氏じゃないよ」
 出迎えた葉子は不機嫌そうな声を出し、私に背を向けて廊下を進む。
「彼氏じゃなかったら、じゃあなんなのよ」
 葉子のあとを追いながら訊く。
「ツカイッパっていうか飼い犬っていうか下僕っていうか」
 葉子は真顔で言って、台所の冷蔵庫からビールをとりだしてくる。受け取るとそんなに冷えていない。きっと、私の電話を受けて直後、ナカハラくんに買いにいかせたのだろう。住宅街のどまんなかのここからコンビニエンスストアまでは二十分近くあり、そこで買ったビールはいつもぬるくなる。
「ごめんね、こんな遅くに」
「私はいいわよ、いつも眠るのは三時ごろだし。それよりなんなの、どこにいたのよ? なんでお金も持たずに歩いて帰らなきゃなんなかったわけ?」
 葉子の家の、薄暗い居間で私たちは向きあって座る。ビールを飲みながら、できるだけ「客観的に」私は説明する。今までマモちゃんちにいたこと。風邪をひいたので買いものをしてほしいとたのまれ、煮込みうどんをつくったこと。たのまれてもいないのに風呂掃除をしたこと。そうして、泊まるつもりでいたのに急に帰されたこと。終電を逃し、財布に金がなく、とそこまで説明したときに、葉子の家の玄関が遠慮がちにノックされる。
「ナカハラくんかも」腰を浮かした私を手で制し、
「母親よ」葉子は言って玄関へ向かう。
「ねえ、今きたの、テルコちゃんでしょ、あたしさあ、今日は眠れなくて起きてたの、それでさあ」たしかに、玄関の方向から聞こえてくるのは葉子母の声だ。葉子母の声は廊下をすべるように近づいてくる。「あーやっぱり、テルコちゃん、ひさしぶり、よくいらしたわねえ」居間の襖から顔を出し、葉子母は満面に笑みをつくる。「これさあ、おばちゃんつくったの。こっちは夕食の残り。残りっていっても、箸つけないで分けておいたぶんだから汚くないの。それからこっちは今つくったの、どうぞおつまみに」言いながら居間に入ってきて、手にしていた皿をちゃぶ台に並べる。葉子母はへんな恰好をしている。外国映画で日本の女が着ているような、妙に派手な着物型ガウン。
「あーもう、おかあさん、いいわよ、テルちゃんは私に話があるんだから邪魔しないで」
「はいはい邪魔はしませんよ、これね、オムレツ、ふつうに見えるでしょうけど、ちょっとちがうの、今日お昼のテレビでやっててね、バターのとけきらないうちに」
「おかあさん、もういいって、時間見てみなよ、もう深夜だよ? 深夜にオムレツなんか食べないよ」
「すごい、おいしそう!」私は声をあげる。マモちゃんに煮込みうどんはつくったが、自分はビールしか口にしていないことを急に思い出す。「いただきます!」
「それでこっちはふつうのね、茸の炒めもの、テルコちゃん、ちゃんとごはんは食べてるの?」
「おかあさん、いい加減にしないと本当に私怒るよ?」
「ああもう、はいはい、それじゃあ失礼いたしました、じゃあね、テルコちゃん、明日早く目覚めたら母屋に朝ごはん食べにいらっしゃい。それじゃあね、戸締まりちゃんとして寝るのよ」
 派手なガウンの裾をひるがえして、葉子母は居間を出ていく。玄関の戸が閉まると、おどろくほどしずまりかえる。葉子は大袈裟にため息をついてみせ、冷蔵庫からあたらしいビールを出してくる。

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書誌情報はこちら≫角田光代『愛がなんだ』

◎発売中の「小説 野性時代 2019年5月号」では、著者と映画監督による対談を収録!


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