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一途なアラサー女子の〈全力疾走〉片思いラブストーリー!

岸井ゆきのさん・成田凌さん主演、映画『愛がなんだ』が4/19(金)に公開となります。
公開日まで5日間、カドブンでは角田光代さんによる原作小説の試し読みを行います。
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「ねえ、いったいなんなのよ、その男?」葉子は、母親の闖入などなかったかのように話をもとに戻す。「こいっつったのは向こうなんでしょ? しかもさあ、真夜中に女の子がひとりなのに、送りもせずに帰すってどういう神経? 風邪ひいたって、きてめしつくれって、そいつ何さま? だいたいさあ、どうしてテルちゃんもそれでおとなしく帰ってくるかなあ」
 言っていて白熱してきたのか、最後のほうは唾を飛ばしてまくしたて、葉子は一気にビールを飲み干す。
「あのね、葉子ちゃん。訂正するけど、きてめしつくれ、とはだれも言ってない、もしよかったら買いものをしてきてほしい、って言ったの。真夜中に送らないっていうのは、熱が九度近く出てるからなの」オムレツはふわふわで、なつかしい味がした。バターのとけきらないうちにどうするのか、最後まで聞いておけばよかった。そうしたら、今度マモちゃんに食べさせてあげられたのに。「葉子ちゃん、ちょっとこれ食ってみ、マジおいしいよ」顔をあげると、葉子は眉間に深いしわを寄せ、
「これだからあんたって人は!」
 急に大きな声をあげる。葉子はいきなり立ち上がり、私は反射的に身がまえるが、彼女はそのまま台所へいきあたらしい缶ビールを二本、出してくる。一本を受け取るとさっきより冷えていた。
「あのねえ、そんなふうに言いなりになってると、関係性がきまっちゃうよ? 向こう、どんどんつけあがるよ?」
 葉子は私を真正面から見据え、強い口調で言った。
 言いなりになる、とか、相手がつけあがる、とか、関係性、とか、葉子はよく口にするが、それらは彼女の独特な人間関係観、もしくは恋愛観である、と、私は思っているので、えへへ、と曖昧に笑う。私のなかに言いなりだのつけあがるだのという言葉は、存在しない。存在するのはただ、好きである、と、好きでない、ということのみだ。けれどこれも、きっと私独特の人間関係観であり恋愛観であり、葉子には意味不明なのだろう。私は言いなりにはなっていないし、マモちゃんはつけあがったりしないよ、とは、だから私は言わない。
「悪いこと言わないから、やめときな、そんなおれさま男。また前とおんなじことになるよ。もっと自分が優位にたてるような恋をしなよ」
 葉子は言って、私のたいらげたオムレツと茸炒めの空皿をかたづける。寝室になっている向かいの部屋からTシャツと短パンを持ってきて、私に投げてよこす。
「それ飲んだら、寝よ寝よ。私お風呂入ってくる」
 言い残して風呂場へと消えた。
 私がくる前、ここでナカハラくんと葉子は何をしていたんだろうと思いながら私はビールを飲む。多くの恋人たちは部屋で何をして過ごすのだろう。言いなりにならないようにしたり、つけあがったりしないようにしながら、ごはんを食べて並んでテレビを見るのだろうか。そんな毎日のなかで、けれど、相手を好きだと思うかたちのない気持ちや気分を、いったいどんなふうに示すんだろう?
 葉子のTシャツと短パンに着替え、空き缶をつぶす。居間の障子を開けて空を仰ぐと、さっき頭上にあった月が遠くにちいさく見えた。

 眠い。昨日葉子の家で眠りに落ちたのが午前四時半、七時半に起きて八時に部屋を出てきたから、三時間しか眠っていないことになる。コンピュータと向きあい、データを入力するふりをして私は眠ろうと試みるが、二回ほどまどろんで画面に頭をぶつけ、さっきは椅子から落ちそうになった。周囲の目がだんだんけわしくなっている気配がするから、睡眠はあきらめる。昼休み、公園で眠ることにしよう。
 東京グローバルサービス(株)という謎の会社で、契約社員として勤めはじめたのは一年と少し前のことだ。今年の春に、契約社員は全員正社員に昇格した。正社員になりたくない人は辞めていったが、私は正社員になった。正社員になれば、クレジットカードもつくれるしボーナスも出る、何よりどこかの会社に正式に属すのははじめてで、二十八歳になってこの先アルバイトなんかあるのだろうかと不安に感じていたところだったから、ありがたい話だった。
 実際のところ、ボーナスは出なかったし、毎月の給与は契約社員のときのほうが多かった。残業手当がつき、それは時給の三割増しだったからで、正社員は固定給、どんなに残業しても無償奉仕にしかならない。クレジットカードはつくれたが、結局以前より収入が減って、カードはまだ一度も使っていない。
 正社員になったっていいことなんかひとつもなかった。あるとすれば、この年でアルバイトを捜すはめになるかもしれないという不安と無関係になれたこと、それくらいだ。それでとりあえず、今も私は東京グローバルサービス(株)企画部企画課の正社員である。仕事内容は契約社員のときとまったくかわらない。性別、年代別、地域別、職業別、ときにはよくわからない区分にしたがって、配布され回収された膨大なアンケート──脇毛の処理について、メイク道具について、アダルトビデオについて、冷凍食品について、OA機器について、定額貯金について、購買雑誌について──の答を、コンピュータに打ちこんでいくのである。延々と。気の遠くなるほど延々と。
 十一時半を過ぎると、同じフロアの女の子たちがそわそわしはじめる。彼女たちは午前中いっぱい、昼飯をどこで食べるかメールで相談してつぶし、十一時半を過ぎて、だれが先に店に向かいみんなの席を確保するか、仕事のふりをして相談し、十一時四十五分にはひとりさりげなくフロアを出て店に向かい、十二時ぴったりに残りの全員が出ていく。すばらしい連携プレイだ。
 しかし、そこまで入念に隠蔽しなくても、彼女たちの行動に、とくにだれも注意を払っていない。十一時半に昼食をとりにいってもだれも咎め立てしないし、こっそり行動しなくても私は誘われないことを根に持ったりしない。けれど彼女たちは毎日、最前線にいる兵隊たちのように入念にローテーションと作戦を組んで会社を飛び出ていく。きっと、そうしていたほうがたのしいのだろう。単純に、日々に張り合いが出るんだろう。
 十二時を少し過ぎて、私はフロアを出る。一階にあるコンビニエンスストアでカルビ弁当と缶ビールを買い、歩いて五分ほどの場所にある公園に向かう。
 晴れているが、陽射しに真夏ほどの強烈さはない。毒気を抜かれたような太陽が青空にはめこまれている。あちこちのビルから出てきた制服姿の女の子たちや、スーツ姿の男とすれ違う。
 会社の一番近くにある公園は、「あいのひかり公園」と名づけられていて、鬱蒼と木々が生い茂り、そのために、公園内は薄暗く、うらぶれた感じがする。
 木の腐りかけたベンチや、象や狸の乗りものに腰かけているのは、くたびれた中年サラリーマンや、ぶあつい本を読みふける浮浪者、もしくは、同僚たちに相手にされないのであろう頑固そうな中年女、などである。同じフロアの女の子たちから煙たがられている私もまた、この公園の常連である。昼どきにあつまる私たちはみんな、それぞれ離れたベンチに腰かけ、たがいを見ないようにしながら弁当を食べる。
 私はいつもの定位置、メタセコイアの下のベンチに座って、缶ビールを開ける。ぷしゅっと乾いた音が広がるが、もちろんだれも気にとめない。
 マモちゃんも今ごろお昼だろうか。冗談かと思うくらい仕事が忙しいとマモちゃんは言っていたから、昼ごはんはもっと遅いのかもしれない。何を食べるんだろう。何を、どこで、だれと。缶ビールは心地よくのどをすべりおちる。
 たとえば私は昨日と同じ服を着ている。会社でマモちゃんからの電話を受け、そのまま彼のアパートに向かい、彼の部屋には泊まれずに葉子の家に泊まったわけだが、そのまま出てきたから、服もバッグも昨日と同じだし、化粧もしていない。こういうところが同じフロアの女の子たちから浮いてしまうのだ。
 それだけじゃない。たとえば私は就業中でも会議中でも携帯電話の電源を切らない。鳴れば携帯電話に飛びついて、内線が鳴っていようが無視して話しこんだりする。用もないのに残業していたりするし、忙しくてみんなが残業しているときに平気で定時にひきあげたりする。
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書籍

『愛がなんだ』

角田 光代

定価 562円(本体520円+税)

発売日:2006年02月25日

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    書籍

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