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一途なアラサー女子の〈全力疾走〉片思いラブストーリー!

岸井ゆきのさん・成田凌さん主演、映画『愛がなんだ』が4/19(金)に公開となります。
公開日まで5日間、カドブンでは角田光代さんによる原作小説の試し読みを行います。
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 契約社員として入ってきた当初、一年ほど前は、それなりにみんなとうまくやっていた。とくに、中途採用だったり、私と同じく契約社員だった女の子たちとは年齢も近くて、したしく口をきいていた。昼どきは先輩社員に連れられて、ランチが評判の店に昼飯を食べにいったし、会社の近くの、値段のわりにおいしい飲み屋の情報交換もしていた。
 彼女たちがあんまり私に話しかけてこなくなったのは五ヶ月前からだ。期間を正確に覚えているのは、マモちゃんと会ったのが五ヶ月前だからである。
 マモちゃんと会って、それまで単一色だった私の世界はきれいに二分した。「好きである」と、「どうでもいい」とに。そうしてみると、仕事も、女の子たちも、私自身の評価というものも、どうでもいいほうに分類された。そうしたくてしたわけではない。「好きである」ものを優先しようとすると、ほかのことは自動的に「好きなものより好きではない」に変換され、つまりはどうでもよくなってしまうのだった。気まぐれに電話をかけてくるマモちゃんの急な約束を全部断らずにいる、ということは、女友達との約束を全部ドタキャンする、ということと、かなしいくらいイコールだった。
 皮肉にも、会ったばかりのころのマモちゃんは毎日のように電話をよこし私をデートに誘っていたから、私はずいぶん不道徳なことを続けたのだろう。会社の女の子が何ヶ月も前から予約してくれていた有名なイタリア料理屋も、同じように苦労して手に入れてくれたバーゲン入場券も、サッカーのチケットも芝居の前売り券も、女の子数人でいくはずだった京都一泊旅行も、半年前から計画していた春休みのバリ旅行も、全部反古にした。
 そんなことが二ヶ月ほど続くと、だれも私を誘わなくなっていた。誘わないがしかし、会えば言葉を交わしたし、休憩室でいっしょになればあれこれしゃべって笑いあった。
 もっと徹底的に彼女たちから嫌われるのにはさらに二ヶ月ほどを要した。内線や外線電話には出ないくせに、携帯電話には飛びついて出る、ときに長電話をする、(マモちゃんと会うのに時間をつぶすため)仕事がなくても会社に残っている、デートの約束が入れば忙しくても勝手に退社する、ときどき定時前に姿をくらます。遅刻も数限りなく、化粧もしないし、何日も(最高四日間)同じ服を着ていたりする。コンピュータの前で眠りこけて椅子からずり落ちそうになる。かと思えば、四時からトイレにこもって入念に化粧をしていたりする。嫌われないわけがない。今では、私としゃべってくれる女の子なんかいやしない。
 けれどそれでいいのだ。ぜんぜんかまわない。マモちゃんにくらべたら、ほかのことすべて、やっぱりどうしたって「どうでもいい」に分類されてしまうのだ。五ヶ月前も、みんなに無視される今も、それはかわらない。
 こんな女、近くにいたら私だって嫌いになると思う。口なんかききたくないと思う。色呆けだの色情魔だのと陰口をたたくと思う。自分のことを「どうでもいい」と思っている人間を、好きになれるはずがない。
 カルビ弁当を食べ終えると、額にうっすら汗がにじんでいた。陽射しはそれほど強くないがまだ秋には早い。ビールの空き缶をつぶし、弁当の空き箱とともにビニール袋に入れる。斜め向かいのベンチに座った、根性の悪さが容姿ににじみ出た中年女が煙草に火をつけ、私の隣のベンチにいる、気の弱そうなスーツ姿のおじさんが立ち上がって公園をあとにする。公園の時計を見上げるとあと五分で一時になる。
 バッグから携帯電話をとりだして眺める。メール受信はなし。着信履歴もなし。マモちゃんから電話はかかってきていない。
 空を仰いで、大きく深呼吸をして、私も立ち上がる。足を踏み出すと、かさりと耳慣れない音がする。蟬の抜け殻だった。私につぶされ、それはこなごなに割れて地面にへばりついている。

 ストーカーが私のような女を指すのなら、
 世のなかは慈愛に満ちているんじゃないの


 飯田橋から神楽坂をあがっていって、毘沙門天の裏通りのあたりに、マモちゃんの勤めている会社はある。通信販売のカタログや、若い人向けのフリーペーパーなんかを出している出版社だ。ものすごくちいさい会社だよ、とマモちゃんは言っていたけれど、グローバルサービスにくらべたら立派な会社だ。自社ビルだし。
 マモちゃんの会社の位置や自社ビルであるということを、なぜ私が知っているかといえば、名刺の住所をもとにこっそり訪ねあてたからだ。べつに何か盗み出すわけでもなし、こっそりする必要はないんだけれど、呼ばれてもいないし用もないのだと思うと、ついこっそりしてしまう。
 私はさっきから、飯田橋と神楽坂を結ぶ坂道を、かような理由でこそこそといったり来たりしている。五十番のショーウィンドウで中華まんを眺めたり、不二家のペコちゃんを爪先で蹴飛ばしたりして、日の暮れた往来をうろついている。
 路地に入って、携帯電話の着信履歴を調べる。メールも電話もない。
 私の携帯電話が携帯電話である必要はまったくない。トランシーバーで用は足りる。私の携帯電話の番号を知っているのはこの世界にたったふたりだけ、マモちゃんと葉子である。けれど葉子は携帯電話を持っておらず、そういう人の常として、けっして携帯に電話をかけてこない。だから、月々ほぼ基本料金だけ払っているこのちいさな電話機は、マモちゃん専用のトランシーバーということになる。
 今までのデータからいって、金曜日の今日は九割の確率でマモちゃんから電話がくる。とうに風邪は治っているだろうし、四日以上彼が連絡をしてこない日は今のところ、ない。八時から九時のあいだに、絶対に携帯電話は鳴る。あーまじ疲れた、といきなり言って、めし食っちゃった? と続ける。
 そんなふうにもくろんで、七時半に仕事を終え、そのままアパートには帰らずに私は神楽坂へのこのこやってきた。それで、この坂道をいったり来たりしているわけだ。
 しかし三十分以上もそうしているとさすがに足が痛み、目についたファミリーレストランに入る。お煙草はお吸いになりますか、と訊く店員に、窓際の席を要求し、通りが見おろせるテーブルに着き、コーヒーだけたのむ。店員が置き忘れていったカラフルなメニュウを開くと、ぎゅいいんと、機械じみた音で腹が鳴った。時計を見る。八時四十二分。電話はくる。くるに決まっている。コーヒーがくるまでのあいだ私は念じるようにそうくりかえし、知らぬまに怨念めいた目つきをしていたのか、向かいの席にいる若い女がふと顔をあげて私を見、あわてて視線をそらす。
 三日、もしくは四日おきに携帯に電話をかけてきて、めし食った? と訊く。マモちゃんの行動パターンはこの五ヶ月で完璧に把握した。三日、乃至四日会わずにいると、私に会いたくてたまらなくなるということでは、どうやらないらしいと近ごろ私は気づきつつある。単純に、ごはんをいっしょに食べる友人のローテーションなのだ。
 コーヒーのおかわりいかがですか、と声をかけられ、顔をあげる。色の白い、顔立ちの整った女の子が銀色のポットを手に笑いかけている。北島真由子とネームプレートに書いてある。結構です、と答え、私はふたたび通りを見おろす。
 北島さん、この店のアルバイトを一刻も早く辞めてくれないだろうかと、そんなことを願っている自分に気づき、うろたえる。マモちゃんがこの店にきて、おかわりはいかがと北島さんが笑いかけ、その瞬間に彼らが恋に落ち、三日おきか四日おきの電話がこなくなるのではないかととっさに心配した故の願いであるが、その心配は妄想色が強すぎて自分でもこわい。
 時計を見ると九時を過ぎたところだった。電話はこない。マモちゃんらしき男も眼下をとおらない。
 携帯電話が壊れていないかたしかめるために、座席に腰かけたまま117番を押してみる。ぴっぴっぴっ、ぽーんと明快な音がし、午後、九時、七、分ちょうどを、お知らせいたします、と知らない女がはきはきと告げる。電話を切って、コーヒーカップの底に残った茶色いしみを私はしばらく眺めていたが、席を立ち、会計をすませ、地下鉄乗り場にとぼとぼと向かった。
 読みがはずれることもある。パターンどおりにいかないときもある。三鷹行きの東西線に私は乗りこむ。
 それはストーカーと呼ばれる人種で、それはストーキングと総称される行為だと、私の行動を見ていたらきっと葉子は言うだろう。葉子だけじゃない、会社の女の子たちもきっとそう言うだろう。けれど、私はマモちゃんをつけまわす気もないし、危害をくわえるつもりなんかこれっぽっちもない。自分の存在をアピールしたいとも思わないし、どちらかといえば、マモちゃんの会社の近辺で時間をつぶしているなんて、本人にだけは絶対に知られたくない。
 ただ、マモちゃんがいっしょにめしを食おうと言ったとき、少しでも早く落ち合いたいだけだ。私に用がないのなら、私は決して姿を見せない。これがストーカーという人種なら、世のなかは至極平和だと思う。平和で、慈愛に満ちていると思う。
 アパートにたどりついたのは十時過ぎで、私はひとり、テレビと向きあってカップラーメンを食べる。暗い部屋のなか、テレビの色が部屋じゅうに反射して、部屋は数秒ごとに色をかえる。黄、青、白、赤。テレビからは笑い声が絶え間なく放たれる。地球の反対側で、何かとてつもなくおもしろいことが起きているような気がする。

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