「砂漠の狐」ロンメル

【試し読み】大木毅『「砂漠の狐」ロンメル』/「序章」「目次」
WWⅡを動かした男の虚像と実像を暴く!
『「砂漠の狐」回想録』をはじめ、ドイツ軍事史の貴重な書を数多く訳してきた現代史家の大木毅氏。大木氏が満を持して著した『「砂漠の狐」ロンメル』が、3月9日(土)に遂に発売となります。ありそうでなかった、新書では初の評伝。近現代史に蔓延る妄説、俗説を排した決定版となっています。
ドイツ国防軍で最も有名な将軍で、第二次世界大戦の際は連合国からナポレオン以来の名将とまで言われた男、ロンメル。最後はヒトラー暗殺の陰謀に加担したとされ、非業の死を遂げるものの、北アフリカ戦線の活躍から名づけられた「砂漠の狐」の名称は広く知られています。ところが、日本ではとうの昔に否定された40年近く前の説が生きている程、ロンメル研究は遅れていました。
総統の忠実なる軍人か、誠実なる反逆者か? 最新学説を盛り込んだ一級の評伝!
待ちきれない皆様のために、「カドブン」では本日「序章」「目次」を、明日は「あとがき」を、二日連続で先行公開します。ぜひご覧ください!!
序章 死せる狐
2度目の世界大戦がはじまってから、すでに5年が過ぎ去ろうとしている。戦火はいつやむともしれず、ひたすら燃え広がるばかりであった。ドイツ国内も、激しい空襲により、前線に負けず劣らずの悲惨な戦場になっているといっても過言ではない。
しかしながら、ドイツ南西の小さな町ヘルリンゲンばかりは、戦神の跳梁も知らぬげに、旧く美しい佇まいを保っていた。11ないし12世紀に、神聖ローマ帝国が騎士に与えた封土に由来する、中世の趣にあふれたところだ。
ドイツ国防軍の元帥、エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメルは、この町のヴィッピンガー坂13番地に居を構えていた。アフリカ戦線で多大なる功績を挙げ、本年、1944年6月には、北フランス防衛の責を負うB軍集団司令官として、連合軍の上陸部隊をノルマンディに迎え撃った将軍である。年齢的にも52歳と、脂が乗りきったころであり、ドイツが陥った苦境を考えれば、当然、前線で指揮を執っていなければならない人物だった。
にもかかわらず、この「砂漠の狐」と謳われた男は、ヘルリンゲンに逼塞していた。
「狐」は手負いだったからだ。7月17日、前線視察中に英空軍のスピットファイヤ戦闘機の襲撃を受け、重傷を負ったのである。一時は命を危ぶまれるほどであったが、持って生まれた頑健な肉体と軍人としての鍛錬のおかげか、ロンメルは急速に回復していた。それでも、しばらくは左のまぶたがマヒして開かず、片目を閉じたままの姿を撮られた、痛々しいばかりの写真が残っている。
医師の反対を押し切って、ロンメルがパリ近郊の病院からヘルリンゲンに戻ったのは、8月8日のことであった。以後、医師の往診を受けつつ、自宅療養に努める。そうして、散歩やドライブができるようになった元帥にとって、気がかりなのは、やはり戦争の退勢だった。彼が身動き取れずにいたあいだ、ノルマンディに上陸した連合軍は、戦線を突破、ドイツ軍を撃滅しつつ、パリを解放していた。東部戦線でも、ソ連軍が6月に大攻勢を発動、ロシア領内の敵を駆逐して、ポーランドに迫っていたのだ。
しかし――7月20日以降、ロンメルの注意は、もう一つの事件の推移に向けられていく。この日、総統アドルフ・ヒトラーに対する暗殺計画が実行され、失敗に終わったのである。
これまでのヒトラーとの関係悪化や、自分のある言動を考えれば、総統排除の陰謀に加わっていたと疑われるのではないか……そして、何らかの処置が取られるのではないか?
ロンメルの不安は杞憂ではなかった。
10月13日、妻ルチーをともなって、アルゴイ在住の旧友を訪ねたロンメルは、帰宅するなり、陸軍人事局長ヴィルヘルム・ブルクドルフ中将が、明日、もう一人の将官を帯同して訪問したいとの旨、電話してきたと知らされたのである。ロンメルは、これを不吉なきざしと受け取ったようだ。
10月14日午前6時、空軍高射砲補助員として動員され、ウルムに配置されていたひとり息子のマンフレートは休暇を得て、ヘルリンゲンの自宅に戻ってきた。彼は、真剣な面持ちの父に迎えられ、こう告げられたと回想している。
「たぶん、今日の晩には、私はもう死んでいるよ」。
その言葉は当たっていた。午前11時ごろまでには、ロンメルの自宅は、私服のゲシュタポに囲まれていたのである。ブルクドルフ将軍、そして、彼に随伴した陸軍人事局長代理のエルンスト・マイゼル中将は、ヒトラーに派遣された問罪使であると同時に、元帥に死を勧告する役目を負っていたのだ。
正午きっかりに、ブルクドルフとマイゼルはロンメル邸にやってきた。彼らは、黒のメルツェーデスを門前に駐めさせると、コートを脱ごうともせずに、至急元帥と話したいと案内に告げる。ロンメルは、夫人とともに、1階の書斎で待っていた。何も知らないルチー夫人は、「昼食をご一緒なさいませんか」と客人に尋ねた。無邪気で残酷な皮肉というべきか。ブルクドルフは、誘いを断り、軍務のことを話すので遠慮してほしいと彼女に求める。
ルチー夫人が部屋を去るや、ブルクドルフは告げた。自分は、総統の命を受け、7月20日の暗殺未遂事件の件で訪問したのだ、と。さらに、ロンメルが反ヒトラー陰謀に加担していたことを示す関係者の証言が読み上げられた。
しかるのちに、ブルクドルフは、選択を迫った。自殺か、屈辱的な審理を行うであろうナチの民族裁判所の被告となるか。ロンメルは椅子から立ち上がり、黙ったまま。部屋のなかを歩きまわり――ついに言った。「結論を出そう」。ブルクドルフとマイゼルも口をつぐんだ。また、ひとしきり行きつ戻りつした元帥は、椅子に座り、すぐに立ち上がった。「私は総統を敬愛していたし、今なお敬愛しているのだ」というのが、そのときのロンメルの言葉であった。
ここで、ブルクドルフは、元帥と二人だけで話したいとして、マイゼルを退室させた。以下は、去っていくマイゼルが漏れ聞いたロンメルの発言である。
「……しかし、ピストルでは、充分確実だと思えないが」。
ブルクドルフはおそらく、この元帥の懸念に対して、青酸カリのカプセルを持参していることを伝えた。また、家族が迫害を受けることもないし、ロンメル自身は名誉を以て葬送されるとも保証したのであろう。
最後に、ロンメルは、妻と子に別れを告げるための猶予を求めた。2階に上がり、寝室にいた妻と対面する。夫のようすがおかしいことに気づいたルチーに、ロンメルが告げる。「私は15分以内に死ぬ」。
外出から戻った副官のヘルマン・アルディンガー大尉が、階上に向かおうとすると、ロンメル夫人が号泣しているのが聞こえた。開いたドアの隙間から見えた元帥の顔は蒼白になっている。そうしているうちに、マンフレートがやってきたため、アルディンガーは遠慮して、自室に控えていた。そこに、ロンメルがやってきて、「アルディンガー、もう終わりなのだ」と言うと、来訪者たちと話したことを手短に説明した。その際、「私は無実だと思っている。暗殺には関わっていない」と述べたという。アルディンガーは逃亡をはかるべきだと進言したが、返ってきたのは、無理だという答えだった。
階下に降りたころには、ロンメルは落ち着きはらっていた。マンフレートとアルディンガーの助けを借りてコートと軍帽を身につけ、元帥杖を携える。習慣通りに、家の鍵を手に取り、しばらくためらったのちに、息子に渡した。これからは、お前が家長だということである。
ロンメルは、ブルクドルフらとともに車に乗り込んだ。二度と帰ることのない家の門が閉ざされる。
500メートルほど走ったところで、ブルクドルフは車を停めるように命じた。ついで、マイゼル将軍と運転手に、しばらく離れているようにとさしずする。およそ5分後、二人は呼び戻された。そのときのもようを、運転手――当時、SS(Schutzstaffel. ナチス親衛隊)中隊付分隊指導者(軍隊の特務曹長に相当する階級)だったハインリヒ・ドーゼは、のちにこう証言している。
「ロンメルが車の後ろに座っているのが見えた。あきらかに死につつあったのだ。死んでいるのはあきらかだ。意識もなく、席にくずおれている。すすり泣いていた。喘いでいるのでも、呻くのでもなく、『すすり泣いていた』のである」。
元帥の遺体は、ウルムの衛戍病院に運び込まれた。その日の午後遅く、いまや未亡人となったルチーは、死せる夫と対面することになった。彼女の抱いた印象は、示唆に富むものであった。
「夫を見たとたん、すぐにその顔に、蔑みの色が深くたたえられていることに気づきました。生前、ただの一度たりとも見たことのない表情です」。
興味深い言葉である。
ロンメルは蔑みを抱いて、死んでいったのか。だとすれば、その感情は誰に向けられていたのか。
本書は、この問いかけに答えるためのささやかな旅路となろう。
目次
序 章 死せる狐 3
第一章 ロンメル評価の変化 21
英雄「演出」/偶像破壊/進む再評価
第二章 「アウトサイダー」ロンメル 31
プロイセンの出自にあらず/数学者の息子/傍流から入る/「連隊付の立派な将校」/中産階級の恋愛
第三章 第一次世界大戦のロンメル 50
ロンメル出陣す/初陣/頭角を現す/一級鉄十字章を得る/山岳大隊へ/山岳機動戦/コスナ山の戦闘/イゾンツォ戦線における攻勢/マタユール山の戦功/誇張された栄光か?
第四章 ナチスの時代へ 90
革命勢力の鎮圧/ライヒスヴェーア将校/「万年大尉」/進級を乞う/初めてヒトラーに接する/『歩兵は攻撃する』/総統護衛隊長
第五章 幽霊師団 117
ポーランドをゆく/マンシュタイン・プラン/第七装甲師団/ムーズ川渡河/停止せず/重戦車と対決する/西方戦役の終幕/毀誉褒貶
第六章 ドイツ・アフリカ軍団 152
総統指令第二二号/砂漠に向かうロンメル/いっさいを取り戻す/キレナイカ反攻/第一次トブルク攻撃
第七章 熱砂の機動戦 172
高まるロンメル批判/「簡潔」と「戦斧」/装甲兵大将/攻勢を急ぐロンメル/「クルセーダー」作戦/死者慰霊日の戦車戦/「金網柵への突進」
第八章 エル・アラメインへ 196
振り出しに戻る/躍進する狐/「テーゼウス」作戦/魔女の大釜/トブルク陥落/限界に達したアフリカ装甲軍/補給は来なかったのか?
第九章 アフリカの落日 229
病に襲われたロンメル/挫折と帰国/勝利か死か/苦悩するロンメル/ヒトラーとの対決/二元指揮/アフリカの幕は下りた
第十章 イタリアの幕間劇 258
ロンメル特別幕僚部/「アーラリヒ」と「枢軸」/「苛酷な取り扱いを受ける」
第十一章 いちばん長い日 269
大西洋の壁/装甲部隊論争/どこに上陸するのか?/「私はどうかしていた」/重傷を負ったロンメル/ロンメルは知っていた
終 章 ロンメルとは誰だったのか 294
あとがき 299
主要参考文献 302
写真・図表について 313