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特集

『黄金列車』刊行記念対談 in SCOOL 佐藤亜紀×深緑野分

撮影:編集部 

佐藤亜紀さんの新刊『黄金列車』の刊行を記念して、三鷹「SCOOL」にて深緑野分さんとの公開対談が企画されました。『黄金列車』を巡る話から創作論にまで飛翔した濃密な対談から、一部をご紹介します!

削ぎ落された文体で描き出される「人間」の姿


深緑:今回帯の推薦文を担当させていただいたのですが、どうしようか、まるまる1週間パソコンの前で悩みました。この本は読んでいて本当にいろんな感情が湧きあがってくるので、深いところまで潜って感情を整理するという作業をする必要があって。読み終わったとき、ぼろぼろ泣いてしまって、感情が走りまくったメールを担当編集さんに送ってしまいました。そしてようやく出た言葉がこの「ここに人間がいる」だったんです。対談のために読み返していても、読みどころがたくさんあって、付箋の数が大変なことになってさっき佐藤さんにも引かれたんですけど(笑)


佐藤:読み込んでいただいていて、嬉しいです。


深緑:この作品は感情や描写などを削ぎ落した文体で話が進んでいくんですけど、それにも関わらず感情の表現がすごい。たとえば34ページの「閉ざされた扉のむこうで、カタリンは泣いている」という場面があるんですが、この段階から「この本はやばい」って思いました。「喪失」を経験した人間って、現実と記憶が密着してしまって、何でもないときにふっとその記憶に没入してしまうことがあると思うんです。この箇所もそうで、過去の記憶と現在が密着しているんですけど、そういう悲しみが繰り返し出てきて、そこがとても印象的でした。

 あとこの部分、過去の記憶と現在が段落分けもなく並置されているのに、読んでいて過去のことなのか現在の話なのか、ちゃんとわかる。それがなぜなのかなって、思ったんです。これ、現在のパートは「る」とか「である」とか、語尾が現在形になっている。過去篇は「だった」「した」となっていて、緻密に使い分けられているんですね。こういうテクニカルな部分も素晴らしいと思いました。

 ところで今回ハンガリーを舞台にしたのは理由があるのですか?


佐藤:昔からオーストリア=ハンガリー二重帝国に興味を持っていまして、高校生くらいの時、人生で2番目に書こうと思った小説が二重帝国の話だったんです。結局長い間書かずにいて、20年以上経って書いたのが『天使』なんですけど。あの地域、好きなんですよね。初めて実際に行ったのはベルリンの壁が壊れる前でした。1986年かな。社会主義時代なんですけどかなり開けた感じで、でも物価は滅茶苦茶安くて、延々と温泉に入りに行ったものです。



武装親衛隊の領収書


深緑:題材に黄金列車を選ばれたのはなぜだったのですか?


佐藤:渋谷のタワーレコードの洋書売り場でツヴァイグという人の『ホロコーストと国家の略奪』という黄金列車に関する本の原書を見つけて、ずっと手元に置いてあったんです。この手の本はユダヤ人の没収財産がどうなったのか、が話の中心になりがちなんです。でもこの本には、役人たちの話だけで笑えるものがいっぱい書いてあった。それで気に入って寝かせていたんです。それをこの辺でやろうか、と。

 でも資料が少ないんですよね。それでツヴァイグの本に、「ヤド・ヴァシェム」というイスラエルのホロコーストミュージアムの文書庫に資料があると書いてあったので、そちらにメールを書いたら、100ページ以上の文書を送ってくれました。でも酷い保存状態でして。イスラエルとハンガリーが手打ちをしたときに、ハンガリーから送った書類のコピーなんですが、マイクロフィルムで保存されているんですよ。これ、フィルムに傷が付きやすくてコピーを取るとめちゃめちゃになるんです。元の文書の状態もよくなくて、セロテープで補修されていたりする。セロテープは黄変していくのでモノクロのフィルムに収めるとその部分が真っ黒になって読めないという。


深緑:それは酷い!


佐藤:紙質もすごく悪くて、タイプ打ちした文字がにじんでしまうんですよ。当初はOCRで読み取ってGoogle翻訳にかければいいかと思っていたんですが、OCRがちゃんと読まない(笑)。しょうがないからOCRで読み取った滅茶苦茶な文字列を、現物を見ながら解読していって、修正していった。それから1文ずつコピーして翻訳にかけて、でも翻訳も間違うのでハンガリー語の文法書と辞書を買ってきて確認して、という作業を延々(笑)。1ページ読むのに1日かかる。最低でございました(笑)


深緑:資料を読むだけで、そんな苦労があったのですね。


佐藤:領収書も、本当にそこに貼ってあるんですよ。作品に出てくる、武装親衛隊(SS)から取った領収書も実際に載ってるんです。しかも2通。不備があって突っ返したやつと、そのあとに直して持ってこさせたやつと(笑)。これ、タイプ打ちなんですが、文字の上からなぞって読めるようにしている。元のやつはかすれてて読めないんです。こういうの見るとすごいかわいそうな感じがするじゃないですか。まともにタイプの字も出ない状態で戦争してるって(笑)


深緑:こういうことに気付かないと、綺麗な紙に書かせちゃいそうですよね、小説のなかでは。


開演前、お互いの著書にサイン交換をするおふたり

創作と史実の関係


佐藤:架空のキャラクターを史実のなかに取り込むことについては、深緑さんはどう思われますか?


深緑:まずキャラクターの創作に関してなんですが、こういう人を書こう、というよりは、出て来てくれるという感覚です。

『ガラスの仮面』で、桜小路君が作中作の「紅天女」の仏師の役を掴むために、海慶さんという仏師のもとに修行をしに行くんです。いつ仏像を彫られるんですか、と尋ねても、まだです、と。木の中から仏像に呼ばれるのを待っているんだと答える。割とあれに近いというか(笑)。物語に呼ばれると書ける。


佐藤:そういうものですよね。


深緑:霞がかかっていたのが見えてきたり、あるいは呼ばれたもののなかからキャラクターについて書いていって、そうすると動いていくというか……。


佐藤:『黄金列車』では、主人公のバログは架空の人物ですが、ほとんどの登場人物は実在するんです。私は、実を言うと実在の人物を小説で書いたのは今回が初めてでした。そしてそのことにものすごく抵抗があった。ただ、この話は、こうするしかなかった感じですね。皆さんすみませんって、謝りながら書いてます。


深緑:その気持ち、よくわかります。抵抗ありますよね。


佐藤:写真も見ていない状態で描いてますから、顔はぜんぜん違うかもしれないし、ほかにも勝手なことを書くので……。これまでは、架空の登場人物をある歴史的な状況のなかに潜り込ませて描く、ということがほとんどでした。今回に限ってはそれができなかったので、やらざるをえなかった、という感じです。


深緑:参考資料にある『ホロコーストと国家の略奪』に「バログ大尉」って出てきますよね?


佐藤:ハンガリー人って、ものすごく名前の種類が少ないんですよ。だから被っちゃった。


深緑:憲兵隊の大尉で、むしろトルディの側近なんですよね。


佐藤:名前、コバチに変えました(笑)。バログって、「左利き」って意味で、良い名前だと思って、使っちゃったんです。バログはもともとはもう少し軽い役になる予定だったんです。結果的に主人公になりましたけど。

 実は黄金列車をテーマにした小説って複数あって、そのなかには、列車の運行の責任者であるアヴァルを主人公にした作品もあります。『黄金列車』では結構いい役になっていますが、そちらのアヴァルは極悪非道らしいです(笑)。私がアヴァルを冷たく扱えなかった理由は、小さい子供が二人もいたこと。0歳児の双子を抱えた人、悪く書けないよ。かわいそうすぎる、奥さんが。


深緑:私もアヴァル推しです。そして良いパパですよね。


佐藤:その当時のパパがイクメンなわけないんですけどね。明らかな嘘です(笑)


深緑:良いと思います……! 最初からアヴァルは信用できると思った。

まだまだ「役人」が面白い


深緑:黄金列車の主人公チームはみな官僚ですよね。佐藤さんの作品には役人とか、官僚意識を持っている人がよく出てくると感じているのですが、何か理由があるのですか。


佐藤:私はずっとメッテルニヒの伝記を出そうとしていたんですが、彼を調べたときに思ったのが、いわゆる歴史上の英雄というよりはただの役人だなということ。ただの普通の人なんですよ、驚くほど。その役人ぶりというのが面白くて、非常に気になってきた。

 たとえばナチスの問題を考えたときに、目が行くのはヒトラーとか、ゲーリングとか、アイヒマンだと思うんですが、彼らが何を叫んでも、役所が動かなければ何も動かないんですよ。だからそういう状況になったときに、実際に現場を動かしているのはただの公務員なんですね。で、このただの公務員はナチかというと、実質的には違っていて、仕事をしているだけだったりする。そういう問題がすごく気になっていた、というのはありますね。

 役人に対する興味はまだ続きがありまして、次の次の作品で、いよいよSSをやります。誰も読んだことがないくらい、くだらないSSになると思う(笑)。お前は馬鹿か、って言いたくなるような(笑)


深緑:それはすごく楽しみです!


佐藤 亜紀

1962年、新潟県生まれ。91年『バルタザールの遍歴』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、デビュー。2003年『天使』で芸術選奨新人賞を、08年『ミノタウロス』で吉川英治文学新人賞を受賞。17年に発表した『スウィングしなけりゃ意味がない』は戦時下のナチスドイツを舞台に、ジャズに熱中する少年たちの目を通して戦争の狂気と滑稽、人間の本質を描き、大きな反響を呼んだ。他の著書に『鏡の影』『戦争の法』『モンティニーの狼男爵』『1809』『雲雀』『醜聞の作法』『金の仔牛』『吸血鬼』など多数がある。

深緑 野分

1983年神奈川県生まれ。2010年、「オーブランの少女」が「第7回 ミステリーズ!新人賞」佳作に入選。13年、同作を表題作とした短編集で単行本デビュー。著書に『戦場のコックたち』(東京創元社)、『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)等がある。

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