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試し読み

「スマホと旅する男」は狂人か、天才か? 猟奇的な愛が別世界への扉を開く/歌野晶午『Dの殺人事件、まことに恐ろしきは』試し読み⑤

江戸川乱歩の名作がハイテク機器によって現代風に生まれ変わったら……

『葉桜』の鬼才・歌野晶午による翻案ミステリ短編集『Dの殺人事件、まことに恐ろしきは』
10月24日(木)の文庫版発売を記念して、「スマホと旅する男」を全文公開します!
>>前話を読む
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 スマホの画面に例の彼女の上半身が映し出されていた。瞬きをし、跳ねた毛先を指に巻いては放している。
「正確には、端末の中にあるのはインターフェイスだけで、AIプログラム本体と膨大なデータはサーバーに置いてあり、通信して動かしています。ん? その顔は、信じられませんか?」
 男が私の顔を覗き込んでくる。身振り手振りもまじえて熱弁を振るっていたというのに、相変わらず汗のひと粒も浮かべていない。
「あなたがお気づきでないだけで、AIは生活の中に溶け込んでいますよ。広い意味では、デジカメの顔認識や機械翻訳、カーナビの経路予測にもAI技術が使われています」
「それは、まあ……」
「僕が卒論で作ったようなサクラも、今ではチャットやSNS上にたくさんひそんでいます。それどころか、故人が生きていたらという遺族の願いをかなえるために、アルバムや手紙、ホームビデオをベースにしたよみがえりサービスが、ビジネスとして展開されてもいます。プログラムはまったくの別物ですが、目的は、まさに僕がやったことと同じです」
「ねえ、さっきから何話してんの?」
 スマホの彼女が首を突き出した。声に合わせて唇も動いた。
「男同士の内緒話」
 男は空いた手で口に蓋をする。
「エッチな?」
「またあとでね」
 男はスマホをスリープさせ、私に顔を向ける。
「彼女は、会話を通じて情報を獲得し、知識として次からの会話にフィードバックできます。生身の人間と一緒です。だから与えるものには気をつかわないと、人格や思考がゆがんでしまう。これも人間と変わりません」
「すると、拉致したことや殺害したことはインプットしていないのですか?」
 私は男の話を信じはじめていた。
「そんなことを伝えたら人格が崩壊してしまいますよ。握手会で再会したのを機につきあいがはじまり、それが週刊誌沙汰になり、彼女は仕事より恋人だとマイヨジェンヌを卒業した、ということになっています。こういうふうにチューニングできるのもデジタル・クローンならではですね。めんどうは避けられるし、理想的な性格に育てられるし、生身の人間とつきあうよりよっぽどいいと、このごろ思うようになっています」
「人工知能が自らインターネット上の情報を入手し、事実を知ってしまうということはないのですか?」
「プログラムは外界に対しては閉じられています。インターネットはサーバーと端末のやりとりに用いているだけで、彼女が自律的に情報収集を行なうことはありません。技術的には可能ですけどね」
「例の一件のあと、当地に逃げ――、いや移って、開発を行なっていたわけですか」
「ずっと魚津にいましたよ。ゴールデンマスターができるまで実家にこもっていました」
「警察に調べられなかったのですか? 握手会のブラックリストに入れられていたのですよね?」
「警察は来ました。さすがに緊張しました。一度は観念もしました。けれど、通り一遍の質問をされただけですみ、二度目の訪問はありませんでした。案外ちょろいものですね」
「じゃあ今回長崎に来たのは?」
「ヴィーナスにいろいろ見せてあげたくて。だって彼女、独りではどこにも出かけられなくてかわいそうじゃないですか。魚津から日本海側を西下してきたんですよ。東尋坊、天橋立、城崎温泉、鳥取砂丘、出雲、萩、関門海峡、博多、佐世保、そして長崎。このあと島原から船で天草に渡り、九州を一周したら、太平洋側を東上するつもりです。新婚旅行と言ったら、彼女、怒るかな」
 男はスマホを胸に当て、ウットリと目を閉じる。
 ガラスを引っ掻くようなブレーキ音が尾を引き、電車が停止した。窓の外が暗かったため、トンネル内で緊急停止したのかと思ってしまったが、少し離れたところに明かりの灯った広場のようなものが見えた。
 この電車に乗ってから寄せては返していた違和感に、私はまた襲われた。
 まだそんな時刻ではないはずなのに、この暗さはどうだ。台風により、特別厚い雲に覆われているのか。
 いやそれより、広場にかかっている、翼竜が翼を広げたようなアーチ屋根には見憶えがある。やはりそうだ、屋根を支える建物の正面に〈長崎駅〉という堂々とした立体文字が掲げられている。ということは、今この電車は長崎駅前の電停に停まっている。ところが一人も降りないし、一人も乗ってこないのだ。ホームにも人の姿がない。JRのターミナル駅最寄りの電停で、二系統の路線が走っているのに、早朝でも深夜でもないのに、人っ子一人いないということがあるだろうか。
 長崎駅? 二系統?
 私はズボンのポケットに突っ込んであった観光地図を広げた。片隅に路面電車の路線図が載っている。違和感の正体がついにわかった。
 この電車には大波止停留場から乗った。大波止を走っているのは1系統という路線だ。その後、出島、築町、西浜町と停留場が続いたあと、公会堂前にも停まった。1系統にはない停留場に。そしてそのあとトンネルに入って長崎駅前に出てきたのだが、そのルートで走るのは1系統ではなく3系統である。当然のことながら、途中で乗り換えてはいない。つまり、この電車は、存在しないはずのルートを走っているのだ。
 アラームが鳴り、前後のドアが閉まる。発車しますと運転士がアナウンスする。モーターが低くうなり、ハンドルのラチェットが金属音をあげる。
 乗客は、私と男、そして老婆の三人きりだ。夏の観光シーズンだというのに。しかも、あいにくの空模様ではあるが、黄昏時と呼ぶにはまだ早い。と思って腕時計を見ると、二時十五分? 港をあとにしたのは三時を回っていたぞ。じゃあ午前二時十五分なのか? バカな。そんなに長く電車に乗っていたわけはないし、だいいち電車が運行している時間ではない。
 頭の中がグラグラ揺れ、目に映るものがぼやけたり色をなくしたりする。乗り物酔いになったように、胃のあたりが重く、生唾が湧き出てくる。
 何もかもがおかしい。天候も、人々の様子も、時間の流れも、電車の運行も、そして男の話も。
「だからぁ、熱の影響が出てるんだよ。ときどき冷ましてやらないと、プロセッサが死んでしまう。バッテリーの減り方も異常だし。この電車、冷房が入ってないから」
 男の声がする。手にはスマホが握られている。
「とか言って、浮気してんじゃないの?」
 女の声がする。スマホの画面に黒髪の子が映っている。
「何言ってんだよ。だいたい、一緒にいるの、男だぞ。見ただろう」
「そっち系の可能性は否定できない」
「おいおい」
 二人は恋人同士のようにはしゃいでいる。
 向かいには、風呂敷包みを抱えた老婆が坐っている。眠っているのか、頭を深く垂れている。
 老婆の後ろの窓ガラスには、乱れたツーブロックの髪が、心霊写真のようにぼうと浮かんでいる。私だ。向かいの窓に顔が映って見えるほど、外は暗い。
 乗客はそれきりで、さえぎるものが何もないロングシートとワックスの剥げた木の床が、遠近法のお手本のように最前部まで続いている。運転席はパネルで仕切られているため、向こうに運転士もいないのではと不安に襲われる。
「これは夢だと思っているのでしょう?」
 不意に男が私に顔を向けた。
「僕も過ちを犯してしまった時、これは夢だと思いました。悪夢に違いないと思おうとしました。けれど覚めることはありませんでした。頭の中に夢の世界を描くことはできても、その中に肉体ごと入り込むことは、決してできないのです」
「過ちって?」
 スマホから心配そうな声がする。
「音楽室のベートーベンの肖像画にサングラスと髭を描き入れた」
 男がしれっと応じる。
「あれ、太造君のしわざだったんだ」
「モーツァルトの頬の傷は違うよ。あっちは小林」
「だからって、罪は軽くなりませんが」
 二人は仲睦まじく笑う。
「浦上駅前に到着をいたします。開くドアと足下にご注意ください」
 アナウンスが流れる。運転士は存在していた。電車は速度を落とし、静かに停止する。アラームが鳴り、エアーが抜けて前後のドアが開く。
「では僕たちはここで。今晩はこの近くの仲間のところに世話になりますので」
 男がヒョイと席を立った。
「バイバーイ」
 スマホの中の彼女が手を振る。
「待って」
 私は男の腕に手を伸ばした。
 空振りした。肘のあたりを掴んだと思ったのに、手応えがなかった。
 私は立ちあがり、男の背中に手を伸ばした。
 肩胛骨のあたりにふれたと思ったのに、やはり手応えがなかった。そして私の手が男の胸の向こうまで突き抜けた。その時の驚きをどう表現すればよいか。
 男の体には、皮も肉も骨もなかった。質量というものが存在しなかった。私の手が突き抜けたというのに、血のひとしずくも流さず、降車口に向かって歩いていく。
 私は、恐ろしさよりも、この奇怪な現象の正体を見極めたい気持ちがまさり、男の行く手に回り込んだ。
「あなたは幽霊なのですか?」
 滑稽だったが、ほかに言葉が見つからなかった。男は真顔で応じた。
「デジタル・クローンとして彼女はよみがえりました。僕たちは十年来の想いが実った男女のように、誰はばかることなく、甘い時を過ごしました。人並みに映画館でデートし、観覧車にも乗りました。しかしある日、僕は愕然としたのです。あれは能登半島を車で回っている時でしたっけ。彼女とのおしゃべりがはずみ、あまりの愛おしさに、抱きしめたいという衝動にかられました。けれど僕は彼女を抱きしめることができないのです。手をふれてぬくもりを感じることすらできないのですよ。彼女と一緒にいてこんなにしあわせだというのに、このうえなく不幸でもあるのです。それは互いの存在する次元が違うからです。僕は現実の世界にいて、彼女はプログラムの中に棲んでいる。二つの世界は交信こそ可能だけれど、空間を共有することはかなわないのです。此岸と彼岸が行き来できないように。僕は絶望しました」
 絶望し、自殺したのか? 死ねば彼女と同じ次元――涅槃に行くことができる。そして幽霊となった。
 しかし、望んであの世に行ったのに、ふたたびこの世に姿を現わしたのはどういうことか。あの世で再会したヴィーナスに邪険にされ、成仏できずに戻ってきたのだろうか。
「心残りは老いた母のことです。一人にしては寂しかろうと、僕を置いていくことにしました。肩を叩いたり買い出しにつきあったりはできない役立たずですが、愚痴をぶつける相手くらいにはなるでしょう。親不孝を重ねたドラ息子の、せめてものつぐないです」
 男がまた妙なことを口にした。理解するために発言を巻き戻して咀嚼していると、そんな私を置き去りに、男は降車口のステップに足をかける。
「ごきげんよう」
 老婆が会釈をして私の横を通り抜け、男の後ろについていくようにして電車を降りた。体の角度を変えた一瞬、風呂敷包みの中に光の輪が見えた。光源の延長線上には男の背中があった。
 三次元ホログラム?
 男はヴィーナスのあとを追う前に、自分の姿を3Dホログラム化し、人工知能とリンクさせて母親に遺したのか? 死者と旅をしていたのは彼ではなく、母親のほうだったのか?
 窓に顔を押しつけ、目を凝らして男の姿を探すと、大通りを渡り、坂道を登っていくところだった。すぐ後ろに、老婆が黒衣のようにつきしたがっている。
 私は握りしめていた地図を広げた。二人が進んでいく方角を指でたどっていき、息を呑んだ。
 ――今晩はこの近くの仲間のところに世話になりますので――
 先ほどの男の言葉がよみがえり、ハッとして窓に目を戻した時にはもう、二人の姿は坂本国際墓地の方に消えてしまっていた。

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〈このつづきは製品版でお楽しみください〉

ご購入はこちら▶歌野晶午『Dの殺人事件、まことに恐ろしきは』|KADOKAWA


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最新号 2020年1月号

12月10日 配信

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