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祝・米サンダンス映画祭ワールドドキュメンタリー部門で観客賞受賞!映画 『The Reason I Jump』の原作『自閉症の僕が跳びはねる理由』記念【立ち読み】企画。 映画ビジュアルも特別公開!
自閉症の作家、東田直樹さんの代表作にして世界的ベストセラー『自閉症の僕が跳びはねる理由』が今年映画化され、1月23日から開催予定のアメリカ・サンダンス映画祭にも登場!サンダンスといえば「世界最大のインディペンデント映画祭」。その「ワールド・シネマ・ドキュメンタリー コンペティション部門」に正式出品されています。映画は東田さん役の主人公の少年が、壮大な景色の中を旅しながら「自閉症」の内面と向き合っていく物語で、東田さんの文章が沢山ちりばめられているとのこと。ぜひ日本でも公開してほしい!という願いもこめて、カドブンで東田さんの原作をご紹介します。映画のビジュアルとともにお楽しみください!
原作『自閉症の僕が跳びはねる理由』36ページ分を大公開!
第一章
言葉について
口から出てくる不思議な音
1 筆談とは何ですか?
口で会話をする以外のコミュニケーション方法のひとつです。
みんなは、話すことが意思を伝えることだと考えているかも知れません。しかし、話すという神経回路を使わずに、文字を書いたり指したりすることで、自分の気持ちを表現する方法もあるのです。
僕は、とても筆談などできるはずはないと思っていました。その僕が、今はパソコンや文字盤を使って、本当の自分の気持ちを表現できるようになったのです。
それは、とても信じられないことでした。
話せないと言うことは、自分の気持ちを伝えられないことなのです。孤独で夢も希望もなく、ただ与えられた毎日を人形のように過ごすことなのです。
僕が自分の意志で筆談できるようになるまで、長い時間が必要でした。鉛筆を持った僕の手を、お母さんが上から握って一緒に書き始めた日から、僕は新しいコミュニケーション方法を手に入れたのです。
自分の力で人とコミュニケーションをするためにと、お母さんが文字盤を考えてくれました。文字を書くこととは違い、指すことで言葉を伝えられる文字盤は、話そうとすると消えてしまう僕の言葉を、つなぎとめておくきっかけになってくれました。
ひとりで文字盤を指せるようになるまで、何度も
筆談とは、書いて伝えることではなく、自分の本当の言葉を分かってもらうための手段なのです。
2 大きな声はなぜ出るのですか?
ひとり言が大きくてうるさい、と言われます。肝心なことを言えなかったり、小さな声で話したりするのです。僕もいまだになおりません。
困っているのに、どうしてなおらないのでしょう。
変な声を出している時には、自分が言いたくて話をしているのではありません。
もちろん、落ち着くために自分の声を聞きたくて、自分が簡単に言える言葉やフレーズを
コントロールできない声というのは、自分が話したくて喋っているわけではなくて、反射のように出てしまうのです。
何に対する反射かというと、その時見た物や思い出したことに対する反射です。それが刺激になって、言葉が出てしまうのです。止めることは難しく、無理に止めようとすると、自分で自分の首を絞めるくらい苦しくなります。
自分では、自分の声は平気なのです。人に迷惑をかけていることは、分かっています。これまでに、奇声を上げて、何度恥ずかしい思いをしたことでしょう。
僕も静かにしたいのです。
けれども、僕たちは口を閉じるとか、静かにするとか言われても、そのやり方が分からないのです。
声は僕らの呼吸のように、僕らの口から出て行くものだという感じです。
3 いつも同じことを尋ねるのはなぜですか?
僕は、いつも同じことを聞いてしまいます。
「今日は何曜日?」とか「明日は学校ありません」など、分かりきっていることを何度も聞いてしまいます。分からないのではなく、分かっているのに聞いてしまうのです。
どうしてかと言うと、聞いたことをすぐに忘れてしまうからです。今言われたことも、ずっと前に聞いたことも、僕の頭の中の記憶としては、そんなに変わりはありません。
物事が分かっていないわけではありません。記憶の仕方が、みんなとは違うのです。
よくは分かりませんが、みんなの記憶は、たぶん線のように続いています。けれども、僕の記憶は点の集まりで、僕はいつもその点を拾い集めながら、記憶をたどっているのです。
同じことを繰り返し聞くという行動には、もうひとつ意味があります。
言葉遊びができることです。
僕たちは、人と会話をすることが苦手です。どうしてもみんなのように、簡単に話すことができないのです。
けれど、いつも使っている言葉なら話すことができます。それが言葉のキャッチボールみたいで、とても愉快なのです。
言わされて話す言葉と違って、それは音とリズムの遊びなのです。
4 どうして質問された言葉を繰り返すのですか?
ずっと気になっていたのですが、僕らはよくオウム返しをします。質問されたことに対して答えるのではなく、質問と同じ言葉を繰り返すのです。
以前は、その理由をどう答えたらいいのか分からないから、と思っていましたが、それだけではないような気がします。
僕らは質問を繰り返すことによって、相手の言っていることを、場面として思い起こそうとするのです。言われたことは意味としては理解しているのですが、場面として頭に浮かばないと答えられません。
その作業はとても大変で、まず、今まで自分が経験したことのある全ての事柄から、最も似ている場面を探してみます。それが合っていると判断すると、次に、その時自分はどういうことを言ったか思い出そうとします。思い出してもその場面に成功体験があればいいのですが、無ければつらい気持ちを思い出して話せなくなります。どうしても話そうとすると変な声が出てしまい、それが自分で恥ずかしかったり、嫌だったりして、ますます話せなくなるのです。
いつも慣れている会話なら、割とスムーズに言葉のやり取りができます。
でも、パターンとして覚えているだけなので、自分の気持ちを話すこととは違います。気持ちと反対のことを、パターンに当てはめて言ってしまうこともあるのです。
会話はすごく大変です。
気持ちを分かってもらうために、僕は、知らない外国語をつかって会話しなくてはいけないような毎日なのです。
5 どうして何度言っても分からないのですか?
「何度言っても分からない」
よく僕たちはこう言われます。
僕も、しょっちゅう同じことで怒られます。わざとやっているように見えるかも知れませんが、そうではないのです。
怒られてしまった時には、またやってしまったと後悔の気持ちでいっぱいですが、やっている時には前にしたことなどあまり思い浮かばずに、とにかく何かにせかされるようにそれをやらずにはいられないのです。
みんなは、僕たちのことをこりないと思っているのでしょう。みんながあきれているのも、悲しんでいるのも分かっています。分かっているのにやめられない僕たちですが、どうかこりないで下さい。
みんなの助けが僕たちには必要なのです。
6 小さい子に言うような言葉使いの方が分かりやすいですか?
僕たちだって成長しているのに、いつまでたっても赤ちゃん扱いされます。
あまりに僕たちの見かけが幼いからだと思いますが、赤ちゃん扱いされるたび、僕はうんざりするのです。赤ちゃんに話すように言い聞かせれば、僕たちが分かると思っているのか、その方が僕たちは喜ぶと思っているのか、よく分かりません。
僕が言いたいのは、難しい言葉をつかって話して欲しい、と言っているわけではありません。年齢相応の態度で接して欲しいのです。
赤ちゃん扱いされるたびに、みじめな気持ちになり、僕たちには永遠に未来は訪れないような気がします。
本当の優しさというのは、相手の自尊心を傷つけないことだと思うのです。
7 独特の話し方はどうしてですか?
自閉症の人は、イントネーションがおかしかったり、言葉の使い方が普通の人と違っていたりすることがあります。
普通の人は、話をしながら自分の言いたいことをまとめられますが、僕たちは本当に言いたい言葉と話すために使える言葉とが、同じでない場合もあります。そのために、話し言葉が不自然になるのだと、僕は思います。
例えば、気持ちは別の言葉を想像しているのに、口から出て行く言葉は違う場合、その違う言葉を使ってしか僕は話すことができないのです。使える言葉というのは、いつもよく使っている言葉の他に、何かのきっかけで印象に残った言葉などもあります。
本など読む時にも、イントネーションが変だと思う人もいるでしょう。
それは、内容を想像しながら読めないからです。読むことに精一杯で、ひとつひとつの文字を拾って声を出すことでやっとなのです。
でも、何回も練習すれば、だんだん
へたでも決して笑わないで下さい。
8 すぐに返事をしないのはなぜですか?
みんなはすごいスピードで話します。頭で考えて、言葉が口から出るまでが、ほんの一瞬です。それが、僕たちにはとても不思議なのです。
僕たちは、脳の神経回路のどこかで異常が起きているのでしょうか?
ずっと困っているのに、その答えは誰にも分かりません。
僕たちが話を聞いて話を始めるまで、ものすごく時間がかかります。時間がかかるのは、相手の言っていることが分からないからではありません。相手が話をしてくれて、自分が答えようとする時に、自分の言いたいことが頭の中から消えてしまうのです。
この感覚が、普通の人には理解できないと思います。
言おうとした言葉が消えてしまったら、もう思い出せません。相手が何を言ったのか、自分が何を話そうとしたのか、まるで分からなくなってしまうのです。その間にも、質問は次から次へと僕たちにあびせられます。
僕たちは、まるで言葉の洪水に
9 あなたの話す言葉をよく聞いていればいいですか?
話せるということは、声を出せるということではありません。みんなは、そのことをちゃんと分かっていないように思います。
言葉を話せるようになりさえすれば、自分の気持ちを相手に伝えられると思い込んでいませんか? その思い込みのために、僕らはますます自分を閉じ込めてしまっているのです。
声は出せても、言葉になっていたとしても、それがいつも自分の言いたかったこととは限らないのです。普通に返事をするだけでも「はい」と「いいえ」を間違えてしまうこともあります。
僕の言った言葉で、相手が誤解したり勘違いしたりすることも、たびたびあります。
僕は、ちゃんとした会話がほとんどできないので、そのことで訂正することも無理だし、どうすることもできないのです。そんなことがあるたび自己嫌悪に陥り、もう誰とも話をしたくなくなります。
僕たちの話す言葉を信じ過ぎないで下さい。
態度でも上手く気持ちを表現できないので難しいと思いますが、僕たちの心の中を分かって欲しいのです。基本的には、みんなの気持ちとそんなに変わらないのですから。
10 どうして上手く会話できないのですか?
僕も話せないのはなぜだろうと、ずっと不思議に思っていました。
話したいことは話せず、関係のない言葉は、どんどん勝手に口から出てしまうからです。僕はそれが
思いはみんなと同じなのに、それを伝える方法が見つからないのです。
僕たちは、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、言われた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。いつもみんなにしかられ、その上弁解もできないなんて、僕は世の中の全ての人に見捨てられたような気持ちでした。
僕たちを見かけだけで判断しないで下さい。どうして話せないのかは分かりませんが、僕たちは話さないのではなく、話せなくて困っているのです。自分の力だけではどうしようもないのです。
自分が何のために生まれたのか、話せない僕はずっと考えていました。
僕は筆談という方法から始めて、現在は、文字盤やパソコンによるコミュニケーション方法を使って、自分の思いを人に伝えられるようになりました。
自分の気持ちを相手に伝えられるということは、自分が人としてこの世界に存在していると自覚できることなのです。話せないということはどういうことなのかということを、自分に置き換えて考えて欲しいのです。
ちょっと言わせて
足りない言葉
僕らが話す言葉は、いつも足りないのです。
足りない言葉は、みんなの誤解を生みます。
例えば……
「ねぇ、今あの子が、『みんなで』って言ったよ」
「それは、一緒にやりたいってことでしょ」
「そうかな? みんなでやるのか聞いているんじゃないの?」
実のところは、その子の言っている『みんなで』は、以前先生が「明日は、みんなで公園にお出かけします」と言った言葉の中で、自分が言える単語を繰り返すことで、出かけるのはいつかを聞きたかったのです。
僕らの足りない言葉は、みんなの想像力をかきたて、思ってもみなかった方向に話が進みます。
ホント、僕らの言葉はミラクルだね。
第二章
対人関係について
コミュニケーションとりたいけれど……
11 どうして目を見て話さないのですか?
僕たちが見ているものは、人の目ではありません。
「目を見て話しなさい」とずっと言われ続けても、僕はいまだにそれができません。相手の目を見て話すのが、怖くて逃げていたのです。
僕は、どこを見ていたのでしょうか。
みんなにはきっと、下を向いているとか、相手の後ろを見ていると思われているのでしょう。
僕らが見ているものは、人の声なのです。
声は見えるものではありませんが、僕らは全ての感覚器官を使って話を聞こうとするのです。
相手が何を言っているのか、聞き取ろうと真剣に耳をそばだてていると、何も見えなくなるのです。目に映ってはいますが、それは何かを意識できません。意識できないと言うことは、見ても見ていないのと同じです。
僕がずっと困っているのは、目を見ていれば相手の話をちゃんと聞いていると、みんなが思い込んでいることです。
目を見て話すことができるくらいなら、僕の障害はとっくに治っています。
12 自閉症の人は手をつなぐのが嫌いですか?
手をつなぐことは、いやではないのです。
他に興味のあるものが目につくと、手を振りほどいて、ついそちらに行ってしまうのです。
気がついた時には手を離しているので、自分でもいつ手を離したのか分かりません。
手を離すと「私と手をつなぐのがいやみたい」と言う相手の言葉を聞くのが、僕はとても
手をつなぐ相手や手をつなぐこと自体が、問題ではないのです。自分に興味のあるものにすぐに飛びついてしまうことを、何とかしなければなりません。
13 みんなといるよりひとりが好きなのですか?
「いいのよ、ひとりが好きなんだから」
僕たちは、この言葉を何度聞いたことでしょう。人として生まれてきたのに、ひとりぼっちが好きな人がいるなんて、僕には信じられません。
僕たちは気にしているのです。自分のせいで他人に迷惑をかけていないか、いやな気持ちにさせていないか。そのために人といるのが辛くなって、ついひとりになろうとするのです。
僕たちだって、みんなと一緒がいいのです。
だけど、いつもいつも
ひとりが好きだと言われるたび、僕は仲間はずれにされたような寂しい気持ちになるのです。
14 声をかけられても無視するのはなぜですか?
ずっと遠くの人が、僕に声をかけても、僕は気がつきません。
「そんなことは私にだってあるわ」とみんなも思うでしょう。
僕が悲しいのは、すぐ側にいる人が、僕に声をかけてくれた時も気がつかないことです。
気がつかないということは、知らん顔していることとは違います。だけど人は、僕のことをひどい人だとか、知能が遅れている人だと思います。
いつも周りにいる人から「
ずっと遠くの山を見ている人は、近くのタンポポの
声をかける前に名前を呼んでもらって、僕が気づいてから話しかけてもらえると助かります。
15 表情が乏しいのはどうしてですか?
みんなが、僕たちと同じような考えではないからです。
ずっと困っているのは、みんなが笑っている時に僕が笑えないことです。
楽しいと思えることやおかしいことが、みんなとは違うのだと思うのです。そのうえ、辛いことや苦しいことばかりの毎日ではどうしようもありません。
とてもびっくりしたり、緊張したり、恥ずかしかったりした時も、僕たちは固まるだけで、感情を表に出すことができません。
人の批判をしたり、人をばかにしたり、人をだましたりすることでは、僕たちは笑えないのです。
僕たちは、美しい物を見たり、楽しかったことを思い出したりした時、心からの笑顔が出ます。
でもそれは、みんなの見ていない時です。
夜、布団の中で笑い出したり、誰もいない部屋の中で笑い転げたり、僕たちの表情は、周りを気にせず何も考えなくていい時に、自然と出てくるものなのです。
16 体に触られるのはいやですか?
僕はいやではありませんが、自閉症の人の中には、抱きしめられたり触られたりするのが、とてもいやな人がいます。
理由はよく分かりませんが、たぶんいい気持ちがしないからでしょう。
夏になれば薄着をして、冬になれば厚着をします。それ自体も体への接触という点では、かなり抵抗があるはずです。状況に合わせて変えるということが、とても大変なのです。
体に触られるということは、自分でもコントロールできない体を他の人が扱うという、自分が自分で無くなる恐怖があります。そして、自分の心を見透かされてしまうかも知れないという不安があるのです。
不安は、自分の気持ちが分かってしまったら、相手の人は、自分のことをどれだけ心配するだろうと思うことです。
だから、僕たちは自分の周りにバリケードをはって、人を寄せ付けないのです。
(つづきは文庫でお楽しみください)
▼『自閉症の僕が跳びはねる理由』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321602000131/
映画『The Reason I Jump』作品情報
監督:Jerry Rothwell(ジェリー・ロスウェル)
ドキュメンタリー映画監督。過去にグリアスン賞(2回)、サンダンス映画祭審査員特別賞、RTS賞、IDA(国際ドキュメンタリー協会)Pare Lorenz ドキュメンタリー・ファンド、英国アカデミー賞ノミネートなど、その作品は高い称賛を獲得している。日本公開作品はまだない。
映画あらすじ
原作者・東田直樹の目から鱗が落ちるような洞察をちりばめながら、壮大な景色の中を旅する日本人の少年と、それぞれの人生を生きる5人の自閉症の若者の姿を、生き生きとしたタペストリーのように描いたドキュメンタリー。思考、感情、衝動、記憶の大きな渦に影響されながら、少年は自閉症が自分自身にとってどんな意味を持つのか、自分の世界の捉え方が他の人とどう違うのか、そして自分が起こす行動の理由――「跳びはねる理由」を発見していく。
「not being able to speak does not mean there is nothing to say」
(会話ができないからといって、伝えたいことがないわけではないのです)
2020年/イギリス/82分/英語
原作 東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』
翻訳 デイヴィッド・ミッチェル、ケイコ・ヨシダ