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試し読み

【新連載試し読み】西村京太郎『知覧と指宿枕崎線の間』

2月27日発売の「本の旅人」2018年3月号では、西村京太郎『知覧(ちらん)指宿枕崎(いぶすきまくらざき)線の間』の新連載がスタート!
カドブンではこの試し読みを公開いたします。


 その日、十月一日は日曜日だった。
 前日まで、暖かい日が続いていたが、今日は朝から肌寒く、昼になっても、気温が上がらなかった。
 いつもの休日なら、京王多摩川の河原には釣人の姿が多いのだが、さすがに今日は、まばらである。
 おまけに風も出てきて、釣人たちは、今日は駄目だと見切りをつけて、帰り支度を始める者が多かった。
 その中の一人が、釣具を仕舞って歩き出した時、前方の草むらに、倒れているジャンパー姿の男を発見した。
 一瞬で顔色が変わったのは、はだけたジャンパーの下に、血が流れていることに、気がついたからだった。
 生きているのか死んでいるのか、わからなかったが、怖ごわ靴先で押しても、男の身体は、ぴくりとも動かなかった。
 釣人は、すぐ携帯で一一〇番した。
 十五、六分後には、調布警察署の二台のパトカーが到着し、静かだったその一角は、急に騒がしくなった。
 救急車もやってきたが、救急隊員が倒れている男の死亡を確認すると、引きあげてしまった。
 刑事たちは、死んでいる男が、鋭利な刃物で胸と腹の二ヶ所を刺されていることを確認した。
 流れ出た血はすでに乾き、死後硬直も起きているから、朝の間に殺されたと判断した。
 ジャンパーのポケットに入っていた身分証明書から、被害者が有楽町に本社のある中央新聞の記者であることがわかった。
 住所は、調布のマンションだった。
 草むらには、釣り道具が散乱していたから、調布の自宅マンションから京王線で、釣りにやってきたのだろう。それとも、歩いても三十分ほどの距離だから、歩いて来たのかもしれない。
 被害者の名前は井崎要介(いさきようすけ)、三十歳とわかった。
 更に、所持品を調べていくと、財布の中に二万四千円が入っていることがわかったが、ジャンパーのポケットには、他に奇妙なものが入っていた。
 二つ折りにした白封筒である。表にも裏にも、何も書かれていない。
 刑事の一人が封筒の中を探ると、一枚紙が入っていた。
 取り出して広げてみると、筆で二つの文字が書かれていた。

「大義」

 である。
 若い刑事の中には、その意味がわからず、首を傾げる者もいた。
「大義って、何ですか?」
 と、きく。
「大義は、大義だよ。大義シンを滅すという具合に使うんだ」
 年輩の刑事が教えるが、聞いた方は、
「シンって、何のことですか?」
 と、更にわからなくなってくる。
「親のことだよ」
 と、年輩の刑事が続けて、
「なつかしい言葉だよ。私の亡くなったおやじなんかが、難しい顔で、時々、口にしていたな」
「シンは、真実のシンですか?」
「今、いったろう。親のことだ」
「そうすると、大義は、親より上だということですね?」
「昔の日本人は、よく、大義という言葉を使っていた。大義親を滅すというのは、主君や国の大事のためには、肉親を捨てるのも、止むを得ない。そういう意味だ」
「そうなると、この被害者は大義のために殺されたことになるんですか?」
「この封筒が、犯人が入れておいたものなら、そうなるがね。被害者が誰かに渡そうとしていたのなら、逆の理由になってくる」
「面倒くさい事件になりそうですね」
 と、若い刑事がいった。
 面倒くさくなった事件は、当然、警視庁捜査一課が担当することになった。
 捜査一課の十津川(とつがわ)たちが、現場の京王多摩川の河原に行き、地元の刑事たちから、話を聞く。
 十津川が興味を持ったのも、「大義」だった。
「太平洋戦争の経験者に、戦争体験について、話を聞いたことがある」
 と、十津川は、若い日下(くさか)刑事にいった。
「その時に大義という言葉を何回も聞いている。あの戦争は、総力戦だった。とにかく、勝利しなければ日本は亡びる、日本民族は消えるとまで考えていた。だから、国家という大義の前には、個人や家族の問題は否定された。個人の生死もだよ。こんな言葉も聞いた。生は死に勝り、義は生に勝るとね」
「それは、戦争中でも、果たして正しかったんですか?」
 若い日下が疑問をぶつけてくる。傍にいた亀井が、
「私も、戦争体験はないが、話に聞くと、大義の前には個人の利益など、ゴミ屑のように捨て去られていたそうだ」
「それは、間違っていると思いますね」
 日下はちらりと、踏み荒らされた草むらに眼をやった。
 すでに死体は、司法解剖のために、大学病院に運ばれていた。
「大義というやつは、いつの時代だって、厄介なものだよ」
 と、十津川は、話の続きでいった。
「戦争中は、大義の前に、個は否定されていた。だから、新しい憲法では、わざわざ『個人として尊重される』と書かれているんだ」
「しかし、改憲派の人々は、『個人』を消して『公』の字を入れようとしています。その人たちの『公』は、言いかえれば『大義』だと思うんですが」
 と、もう一人の若い刑事、三田村(みたむら)がいった。
「つまり、『大義』という言葉は、捉えどころがないんだ。時代によっても意味が違うし、重さも違ってくる。だが、戦争が終わって、戦争のために肥大化した『大義』が聞かれなくなって、ほっとしている老人も多いと思うね」
「そうなると、今回の事件で、犯人が『大義』と書いた紙を、被害者のポケットに押し込んだかもしれないことには、どんな意味があるんでしょうか?」
 日下が、疑問を元に戻した。
「犯行の動機を示しているんじゃないでしょうか?」
 と、北条早苗(ほうじょうさなえ)刑事が、いった。
「それにしては、解釈のしにくい言葉を使ったものだね。犯人自身は、日常的に使っているのだろうか?」
「被害者が受けた傷の深さから見て、犯人は老人とは思えません。若い、力のある人間と思われます」
 亀井が、十津川に、いった。
「もう一つ、こんな紙を残している犯人だから、自分の動機は、個人的な、小さなものではないと、言いたいんだろうね」
「被害者は中央新聞の記者ですから、何かの取材で、犯人の恨みをかったのかもしれません」
「それを、聞きに行こうじゃないか」
 と、十津川がいった。

 
 
(このつづきは、「本の旅人」2018年3月号でお楽しみください)
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