劇場アニメ版『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』にあわせて書き下ろされた小説『少年たちは花火を横から見たかった』。テレビドラマ版『打ち上げ花火~』のOAから24年の歳月を経てよみがえる、原点ともいえる物語です。
巻末に収録された「短い小説のための長いあとがき」には、本作品を深く楽しむための創作秘話が書かれています。この「短い小説のための長いあとがき」の前半部分を「カドブン」で公開いたします。ぜひご一読ください。
短い小説のための長いあとがき
二十二歳の春、卒業シーズン、同級生たちが大学を卒業してゆく中、単位の足りなかった僕は留年決定組だったが、その時、ちょっと変わった人生選択をした。休学したのである。そしてマンガ家を目指した。これで一年頑張ってダメだったら、諦めて復学して卒業してどこかに就職。モラトリアム最期の断末魔の悪あがきのようなものであったが、この挑戦はわずか半年で挫折した。
マンガを描くにはまず物語を考えなければならない。マンガの場合、普通ネームというのを書く。白紙のノートに鉛筆でコマ割りして、ラフで人物を描いてフキダシにセリフを書いてゆく。わずか一六ページぐらいの短編であったが、これがなかなか難しかった。あっという間にスランプに陥り、白い紙を眺めながら無為に過ぎ去る日々が続いた。大学時代はアマチュアながら好き放題映画を撮っていたのもあって、「映画を撮りたい!」という衝動が日に日に溢れ出てきて、結局我慢できなくなって、ついにマンガ家の道を断念したのであった。あそこでもう少し粘っていたら、今とはまるで違う人生が待ち受けていたことだろう。
さて話は戻り、卒業シーズン、よもやそんな挫折が早晩待ち受けているとは思いもよらない二十二歳の春、同級生たちが大学を卒業してゆく中、休学を決めた僕は、妙に満ち足りた心地で春休みを迎えていた。春休みと言っても休学中で次の新学期はないのでそのまま休み続けることになる。同級生が四月から社会人になるというのに、まるで一人だけズルをしたような後ろめたさもありつつ、なにか永遠の休暇を手にいれたような、学校とか社会という見えない呪縛から解放されたかのような、そんな感覚の中にあって、そんなある日、小さなスケッチブックに向き合った僕は、突如ゾーンに入った。ゾーンとはスポーツ選手が試合に集中するあまり無我の境地に達する状態のことだそうだが、こういう現象は創作の世界にもあり得ることだろう。ただ僕の場合、何か自分が異常に天才的になったり、第三の目が開いたり、アイディアが湯水のように溢れ出てくるというわけではなく、なんというか、子供のように無邪気に嬉しくてワクワクして、これ以上ないようなときめきの中で創作に向き合えるような、そんな状態がやってくる。それが僕におけるゾーンである。日々そんな気持ちで創作に向き合えたらどんなに幸せだろうと思うのだが、生憎これが稀にしかやって来ない。その数少ない機会が二十二歳の春に訪れたというわけであり、その時に浮かんだのが、後の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』という作品の原型ともいえる、小学生が駆け落ちする物語だった。
しかし不思議なことに僕はこの題材にすぐには取り組まなかった。何となく頭の中で転がすだけで、あらすじ一つ書かなかった。おいしいものは最後に取っておく、という幼少期からの習性かも知れないが、ネームを書こうにも物語が浮かばなかったあの過酷な時期ですら、この題材に指一本触れていないのである。何故なのか、そこは記憶も曖昧で、我ながらいまだに謎である。まるでその題材自身が自分の生まれ出づる時期を予め知っていたかのようである。
マンガ家を諦め、大学に復学し、卒業し、フリーランスで映像の仕事をする中で、ある日、ドラマの企画を求められて書いたプロットがあった。そこで僕は初めてあの題材を、小学生の駆け落ち物語を文章にしたため、『檸檬哀歌』というタイトルをつけた。しかし残念ながら企画は通らず、映像化されることもなかった。この時もこの題材は生まれ出づる時を見送ったのである。
それから更に歳月を経て、一九九三年、『ifもしも』というテレビドラマの依頼があった。ここで僕はついにあの題材に挑むことにした。自身のドラマ作品としては、これで九本目だった。つまりそれまでに八回もチャンスがありながら、あの題材を封印し続けていたことになる。それが何故だったのか不思議なことに、そこが自分でもよくわからない。何故ほったらかしにしていたのか。なぜここに来て、やる気になったのか。やはりどうもそこだけは記憶にない。
結果からすれば、あの題材はあそこで作品として生まれ出でて、世に流れたのだから、それが天命だったわけである。あの時以外のタイミングはなかった。
ただ、それは想像以上の難産となった。
そもそも『ifもしも』とは一風変わったシリーズドラマだった。人生も物語も、ある意味常に選択の連続であるわけだが、ある主人公が選んだ道をAとして、ではBを選んでいたらどうなっていただろう。このシリーズドラマは敢えてこのAとBの両方を見せようという企画だった。それで『ifもしも』というタイトルなのである。Aを選んだ主人公の人生は、Bを選んだ主人公の人生とは違う人生であるし、Bを選んだ主人公の人生は、Aを選んだ主人公の人生とは違う人生である。そしてこの異なる人生はパラレルワールドで共存しているわけではなく、あくまで、可能性としての、二つの異なる結末の、二つの異なる物語である。この仕事を引き受けた時、このテーマにいささか違和感があったことを憶えている。僕らは物語を作る時、常にこの起こりうる可能性を模索し、無数の選択肢の中からたった一つの道を選んで紡いでゆくのである。いうなればこの番組企画は、書き手にとっては物語を完成させる前に筆を置くに等しい行為なのである。物語を完成させない。最後のしかも重要な分岐点における主人公の選択とその顚末を両方とも描き、両方とも残したままにするのである。
それをそのままやるのではどうも面白くない。ここをなんとかできないものだろうか。当時の僕はそう考えた。そこで思いついたのが群像劇である。群像劇であれば、主人公が選ばなかったBという物語を主人公以外に選択させることによって、同じ世界で描くことが可能になる。つまり、登場人物たちに突きつけられた選択肢はそれぞれがそれぞれを選ぶことで、それぞれの〝ifもしも〟はそれぞれが代行してくれるわけだ。そこにおける〝ifもしも〟はメタファとしてしっかり担保されてもいる。
こうして書いた物語があった。
タイトルは『少年たちは花火を横から見たかった』。
花火が丸いか平べったいかというネタはスタッフと話している時に思いついた。
「花火ってなんかあれって妙に立体感がなくて平べったく見えるよね」
僕は素朴な疑問を口にしただけだった。するとスタッフの一人が言ったのである。
「え? 平べったいでしょ?」
僕は平べったく見えるとは思いつつ、実際はどこから見ても球形だと思っていたので、平べったいと思っている人がいるのが驚きだった。同時に自分の考えが一瞬まちがっていやしないかと不安になった。これで行こう。即決した。
ところがこれをプロデューサーの石原隆さんに見せると、石原さんは失笑しながら、
「これってつまり〝ifもしも〟じゃないですよね?」
「‥‥ええ、まあ」
僕は素直に瑕疵を認めた。自分のアイディアが〝ifもしも〟という企画の持つジレンマを解決する画期的な発明だと信じつつ、片方でそれが既に〝ifもしも〟ではなくなっている事にも気づいていた。タイムマシンの物語においてタイムパラドックス問題を解消しようとした挙げ句、タイムマシンを物語からカットしてしまった。僕がしでかしたのはそういうことだった。
石原さんにしても、(またこいつ、こういうデタラメを考えやがって)と思われたことだろう。石原さんと作った作品に『GHOST SOUP』と『FRIED DRAGON FISH』というのがあった。かたやゴーストスープという謎のスープを巡るクリスマス物語、かたや幻の魚を飼うアサシンと女探偵のサスペンス。しかしこれらはいずれも『La Cuisine』という一話完結のドラマシリーズで、テーマは料理だった。『料理の鉄人』や『王様のレストラン』を手がけた石原さんらしい企画だったが、ゴーストスープなる料理は死者の魂が飲むと天国に行けるという架空の料理であり、フライドドラゴンフィッシュという料理は、幻の魚が間違ってフライにされ食べられてしまったという、いわば単なる間違いの産物であり、僕が作ったこの二作品は、料理をネタにドラマを作るというコンセプトからは大きく逸脱していた。要はお題に対してどのくらい想像力を膨らませ、解釈の限界に挑戦するのか、それが僕のひとつのテーマでもあった。結局はエンターテインメントだ。ルールが大切とはいえ、それに囚われて完成品がつまらなくては意味がない。『La Cuisine』のボツ企画には『Water』というのもあった。〝水〟である。〝水〟もある意味料理だろうと。相当無茶な解釈である。
僕の手がけた作品のほとんどは深夜を主戦場としていたが、こういう無茶を許してくれるフィールドが深夜ドラマにはあった。しかし今回は木曜の午後八時。お茶の間をターゲットにしたゴールデン枠だった。さすがにこういう場所で無茶な企画を通すのは難しい。タイトルもNGだった。番組のルールでは、タイトルは『〇〇〇〇、□□するか、△△するか』としなければならない、とあった。ところがこちらが考えたのは『少年たちは花火を横から見たかった』である。ルールに従う意思が全くない。我ながらかなり破天荒であった。
しかしプロデューサーの石原隆さんは素晴らしい方で、僕の我儘を汲み取ってくださり、一年待って二時間ドラマでこれをやらないかと提案してくださった。そちらでやれば、『ifもしも』にこだわらずにできるというわけである。ところが僕は勿体無くもこれをお断りしてしまったのである。そしてちゃんと『ifもしも』として書き直して来ますと言って局を後にした。
横浜の片隅でバイトをしながらひとまずドラマを作るディレクターにまで上り詰めることができた。そこまで行けたのは、コネというにはあまりにか細い人とのつながりのおかげだった。まるで綱渡りするように仕事を受け、作り、納品し、喜んで頂けたとしても、次があるかはわからない。失望されたら確実に次はない。失敗は許されない。そういう追い詰められた状況の中で、仕事を与えられることの有難さを痛感していた僕は、石原さんの有難い提案ではあったが、結果この『ifもしも』をパスしてしまっては、僕の中では負けなのであった。そして自分がより美味しい仕事を選ぶようになったら、それはもう倫理の崩壊である。作品とは子供のようなものであり、誕生する時と場所を選ばない。僕が作れば生まれてくる作品も、パスすれば影も形もないのである。
この題材はここで生まれたがっている。当時の僕はそんなことを直感的に感じていたのかも知れない。
僕は本を書き直した。そして書き上げた台本が『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』だった。我ながら唸った。Aの物語はなずなが母親に腕を摑まれ無残にも家に連れ戻されるという結末である。典道はただそれを呆然と見送るのみである。そしてBの物語は、なずなと典道の駆け落ち物語だ。この二つは『ifもしも』だから共存するのであって普通に書いたのでは成立しない。唸ったというのはこの点だった。一年待って二時間ドラマとして作ったら、このアイディアは出てこなかった。
脚本のクライマックス部分には最後の最後まで迷った。撮影も最後の一日を残して数日の休みがあった。その間にもなかなか結末を決めきれず、そんなある日、どこか感傷的にでもなっていたのか、こんな日誌のような雑文を書いている。
(このつづきは、本編でお楽しみ下さい)
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