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試し読み

行きすぎた世界に立ち止まった私たちが、新たな社会を構築するには? 世界最悪からよみがえった日本の環境をたどる『環境再興史』を試し読み

感染症の世界史』で話題の石弘之さんは、実は環境の専門家。新聞記者として、研究者として、国連機関の一人として、長く世界の自然環境を見続けてきました。なかでも劇的な変化を遂げているのが日本です。かつて世界最悪とまでいわれながら、いかにしてよみがえったのでしょうか。
 私たちは今、拡大の一途だったグローバル化、新自由主義化に対し、立ち止まって考えることを迫られています。どのように行きすぎを回復させ、新たな世界を構築すればいいのでしょうか。
 現代社会にも通じる、石さんの視点が盛り込まれた『環境再興史』の「はじめに」を公開します!

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 こんな事実を知っているだろうか。日本の環境が劇的に回復した証である。

  • 乱獲と生息地の破壊で33羽まで減ったタンチョウや鶴が、保護が実って1800羽を超えるまでに回復した。
  • 埋め立てで干潟を失った東京湾で水遊びのできる人工ビーチも増え、海水浴場は29ヵ所、潮干狩り場は15ヵ所まで増えた。
  • 東京・神奈川の境を流れる多摩川は、川沿いの学校では授業で水泳や水遊び、生き物の観察をしている。アユが年間1000万尾以上も、遡上する。
  • 最悪の大気汚染都市に数えられた神奈川県川崎市は、政令指定都市の中では人口増加率、出生率、婚姻率ともにナンバーワン。もっとも住みたい町、にランクインした。
  • 大気も海洋も汚染が進行した福岡県北九州市は、世界の環境都市のモデルになり、世界中の環境保護の専門家が訪れ、毎年のように環境の国際会議が開催される。
  • 大気汚染の元凶として多くの訴訟事件が起きた四日市や北九州などのコンビナート地帯は、工場夜景を楽しむクルーズで大にぎわい。工場萌えも増えている。
  • 「水清ければ魚すまず」が現実のものとなって、瀬戸内海や有明海などの20都市は海がきれいになった分、海水の栄養分が不足して、 海苔やワカメなどの養殖に被害が出はじめた。そのため排水の「下限基準」を設けて下水処理水を流し込む検討をはじめている。世界でも例のない基準だろう。

雪原の上でタンチョウが舞う。優雅な求愛のダンス。


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 公害、自然破壊といわれた時代から50年以上も環境問題に関わってきた。この間に、日本は政治、経済、社会が大きく変わり、世界の主要経済国にのし上がった。人類史のなかでもあまり例のない激変の時代だった。第二次世界大戦が終わったのは5歳のときだった。記憶に残る東京の街は、文字通り焼け野原で建物は跡形もなく消えていた。ただ、抜けるような青空と遮るものがない空を染めた夕焼けが、今でも心に残る。
 この大戦で、日本は310万人の命、そして1500万人が住む家を失った。国内総生産、GDPは半減した。日本にとっては、これまでに経験したことのない最大、最悪の環境破壊でもあった。誰もが生きるのに必死だった。一方で、焼け残った公園や墓地や寺社境内には生き物がいち早く戻ってきた。生き物少年、だった私は、植物や鳥や虫を追いかけるのに忙しい毎日だった。
 戦災からよみがえって「東洋の奇跡」といわれる成長をつづけ、家のなかにはモノが増え、生活は豊かになっていった。だが、慎み深く自然と共生しながら生きてきた日本に、米国式の大量生産・消費・廃棄の生活スタイルが流れ込んできた。
 私はこの時代を、環境の変化、という裏側から見つめてきた。新聞記者として、内外の大学の研究者として、国連機関や国際機関の一員として。おそらく、これだけの環境の変化を経験した最初で最後の世代だろう。

 日本列島は、大気や水の汚染が起こりにくい自然条件に恵まれている。四面を海で囲まれ、潮の干満と海流で洗われ、豊かな降水量にめぐまれ、河川は急流で、強い季節風が吹く。にもかかわらず、1960年代から70年代にかけて、日本は、世界最悪の汚染、という烙印を押された。大気や水質や土壌は汚染され、騒音や悪臭に脅かされ、野生動物は姿を消した。


1960年代の多摩川の汚染。下水の整備が遅れたまま人口が増え、水質は急速に悪化。家庭洗剤の泡が水面を覆っている。


 各地で公害病が発生して法廷でその責任や補償が争われた。
 かつての「軍事的膨張主義」が「経済的膨張主義」に取って代わったとしか思えない現場も各地で目撃した。東南アジアでは熱帯林を大量に伐り出し、遠洋漁業という名の下に他国近海に漁船団を送り込んだ。電子ごみや廃プラスチックを海外に押しつけた。国連総会のある欧州の代表の演説にこんな一節があった。
「ソ連の軍事的脅威と日本の経済的脅威がなければ、世界はどんなに平和だろうか」
 こうした時代をくぐり抜けて、私たちは環境問題のかなりの部分を克服してきた。まだ問題は抱えているものの、大気や水質や土壌、廃棄物量や化学物質汚染といった数字で示される環境の指標をみても、世界のお手本といわれるまでに環境を取り戻した。

 環境改善の実感がわかない人のために、こんな私の経験を話したい。
 私の育った都内の家からは、遠くに富士山の頭がわずかにのぞいていた。小学校から高校まで、富士見坂(東京・文京区護国寺)を上り下りして通学していた。文字通り、ビルの隙間から富士山が見えた。
 東京から富士山が望める年間の日数は、大気汚染の目安にもなる。東京・武蔵野市の成蹊学園は、生徒がさまざまな気象データを測定している。そのひとつとして1963年から半世紀以上も、学校から83キロ離れた富士山が目視できるか、毎日屋上から観測している。
 高度経済成長期だった1965年には、年間わずか22日しか見ることができなかった。だが、自動車の排ガスや工場の排出規制が進み、東京の乾燥化もあって大気は透明度を取り戻していき、2014年は過去最高の年間138日にまで増えた。
 私にとっての隅田川の思い出は、花火大会と切っても切り離せない。子どものころ、毎年家族で見物にいくのが夏休みの最大行事だった。当時は、両国の川開き、と呼んでいた。江戸時代からつづく日本最古の花火大会であり、舟遊びや川面かわもの屋台などの庶民のリクリエーションの場として愛された。この光景を描いた浮世絵が数多く残されている。
 花火大会は、1941年から戦中戦後は中断していたが、48年に再開された。しかし、高度経済成長期に下水や工場廃水が隅田川に流れ込み、川の水質は急激に悪化した。1950年代に入って有害ガスや悪臭がたちこめ、魚も貝も姿を消し、花火大会の会場にも悪臭が漂って、ついに1961年、「川開き」は中止された。
 230年近くつづいた花火大会の中止は、地元の人びとにとっては衝撃だった。自治体や地元町会や地域の企業は、川の浄化・環境改善に立ち上がった。住民と川を隔てていた高いコンクリート堤防も一部で取り壊されて自然に近い状態に戻された。下水道の整備が進められ、東京都区部の下水道普及率は1994年には100%を達成した。この結果、2000年前後から水質は大きく改善し、過去20年以上連続で国の環境基準をクリアしている。隅田川の支流の日本橋川では、2012年から地元の団体や小学生らがサケの稚魚の放流をはじめた。


東京の夏の風物詩でもある隅田川花火大会


 近年私は、地球規模の環境問題に取り組んできたが、本書ではあえて日本国内の公害・環境問題にしぼった。子どものころから追いかけてきた野鳥の復活、そしてかつて取材のために何度も訪ねた東京湾、多摩川、川崎市のケーススタディからスタートしたい。

(この続きは本書でお楽しみください)



石弘之『環境再興史 よみがえる日本の自然』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321802000139/


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