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連載

こざわたまこ「夢のいる場所」 vol.2

夢と現実の才能の狭間でもがく、〝こんなはずじゃなかった〟私たちの人生。こざわたまこ「夢のいる場所」#1-2

こざわたまこ「夢のいる場所」

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 壁を挟んだ向こう側から、かすかに場内のざわめきが聞こえてくる。建物を出てすぐのベンチに腰を下ろすと、外はすっかり秋の気配に満ちていた。どこからか、キンモクセイの香りが漂ってくる。劇場と言っても閑静な住宅街の片隅だけあって、辺りはとても静かだ。スタッフが神経質になる理由もわかる。
「ほれ」
 翔太からペットボトルを受け取ると、指先にほのかな温かみが伝わってきた。自販機で好きなものをおごってくれるというので、ホットのミルクティーを選んだ。翔太は翔太で、缶コーヒーを買ったらしい。そういえば、翔太は学生時代もよく砂糖入りのコーヒーを飲んでいた。これがいちばん早く脳に糖分が回るんだ、と言って。
「なんつーか、その。全然変わってないな」
 しつこいくらいその台詞を繰り返すので、何回言うの、と返すと、だよな、と言って翔太も笑った。
「私達、来年三十だよ。変わってない、ってことはないでしょ」
「……そっか。そう、かもな」
 しばらくして、翔太が口を開いた。
「あのさあ」
「え?」
「あれ、読んだ? 当日パンフの」
「……うん」
「なんか、すげーよな」
 なんか、すごい。翔太はそう言ったきり、また黙り込んでしまった。でも、翔太が何を言おうとしているかは、すぐにわかった。
 客席に用意されたチラシの束には大抵、他劇団の公演のお知らせの他、キャストとスタッフの名前が書かれた配役表、そして演出からのメッセージが記されたパンフレットが入っている。いわゆる、演出の言葉というやつだ。その日、公演のパンフレットにはこんな言葉がつづられていた。
『作・演出 ほうじよう莉花より客席の皆様へ』
『私の戯曲はよく私小説的だ、と言われる』
『それが褒め言葉なのかどうか、自分ではよくわからない。ただ毎公演、自分のはらわたをき出すような気持ちでキーボードを叩いていることは確かだ』
『つまりこれは、紛れもなく私の人生から絞り出された言葉たちである。と同時に、私がかつて愛した男たち、私を愛さなかった男たち、私が愛したかった、結果的に愛することがかなわなかった女たちに向けた、いささかしつけな果たし状でもある』
『この果たし状がどうか、今この文章を読んでいるあなたの胸を搔き乱すものでありますように』
 そこまで読み返して紙を裏返し、チラシの束ごと自分のリュックに押し込める。しばらくすると翔太が、今日きように聞いたんだけどさ、と口を開いた。
「最近もちょくちょくテレビ出てるんだって? すげーな、芸能人じゃん」
「……そんなことないよ」
 翔太が言っているのはおそらく、今年の春に出演した深夜ドラマのことだ。最近と言っても、もう半年近く前のことになる。出演俳優の一人がたまたま同じ事務所に所属していたという理由でねじ込んでもらえた、バーター出演。端役中の端役で、出演時間は全部合わせて三十秒にも満たない。ましてや、次の仕事につながるわけでもない。私の元に転がり込んでくるのは、いつもそういう仕事ばかりだ。
「謙遜すんなって。ドラマとかも出てるんだろ? やっぱお前、すごいよ。才能あるって」
「違うって。ほんとに、そんなんじゃない」
 強い口調で言い返すと、翔太は戸惑ったような顔で口をつぐんだ。気まずい沈黙が流れる。ごめん、とつぶやくと、翔太はもごもごと口を動かしたまま、結局何も言わなかった。
 そのまま黙っているのは忍びなくて、今日子は元気、と聞いてみると、翔太は少しだけほっとした顔で、おお、とうなずいた。
「ほら、去年から店変わって店長になったんだよあいつ。たまには声掛けてやって。最近夢から連絡がないって寂しがってたし」
 ふと、今日子は私のことを翔太にどんな風に話しているんだろう、と思った。落ちぶれた元同級生? 一発屋の女優? 今日子がそんなこと言うはずないのに、次から次へと湧き上がってくる黒い気持ちを抑えきれずに、首を振った。
「……私、そろそろ帰るね。明日、早いんだ。その、オーディションとか色々あって」
 これ、ありがと。すっかりぬるくなったミルクティーのふたを閉めて立ち上がると、翔太が、なんだ、やっぱり忙しいんじゃん、と言って頰を緩めた。あえてそれを、否定はしない。翔太は自分の信じたいように物事を信じる。昔からそういう人だ。今は多分、それでいい。明日の予定なんかひとつもなくて、ましてやこの先半年間はテレビの出演どころか舞台のオファーすらなく、いつ切られるかもわからない派遣先のコールセンターが今の私の主な収入源なんだとしても。
「夢」
 振り返ると、翔太が飲みかけの缶コーヒーを地面に置いて、自分の鞄の中をあさっていた。あったあった、とうれしそうに顔を上げる。
「芸能じ、あーいや、プロの役者にこんなん見せるの、恥ずかしいんだけどさ」
 差し出されたのは、くしゃくしゃになった一枚のチラシだった。
「俺、新しく自分の劇団立ち上げたんだ。次は十二月なんだけど」
 自分で言ってからチラシに目を細め、うわ、もう二ヶ月もないのか、と顔をしかめる。チラシの表には、大きく「劇団アキレスとうさぎ」の文字が印刷されている。それが新しい劇団名なのだろう。作・演出の欄には、わたり翔太の名前があった。
「今は俺が脚本も書いてて」
 翔太が早口で続ける。
「一年に最低二回は公演打つってコンセプトでさ。結構頑張ってるだろ、社会人劇団にしては。それで今度、役者集めも兼ねたワークショップがあるんだけど、よかったら」
 翔太が言い終わらないうちに、ごめん、と頭を下げた。チラシとともに差し出された翔太の腕が、空を切るように宙ぶらりんな角度で止まっている。
「そういうのはちょっと、難しいかな。事務所との契約とかあるし、マネージャーとも相談しなきゃだし」
 咄嗟に、噓をついていた。けれど、翔太は私の言葉を信じたらしい。だよな、と言ってあっさり引き下がる。
「ごめん、変なこと言って。でもよかったら、次の公演だけでも観に来てよ。絶対面白いやつ作るから」
 たくの脚本に負けないくらい、と言った後、翔太は何故か自嘲的な笑みを浮かべた。ほとんど押し付けるみたいに、チラシを渡す。その横で、劇場からまた一人、また一人と観客が帰っていく。それを見て、そろそろ空いたかな、と翔太が呟いた。
「……実は今、知り合いからわりと大きめの企画に声掛けてもらってて。普段は社会人として働きながら、舞台監督とかやってる人なんだけど。その人が、この劇団手伝ってるんだよね。それで、挨拶しとこうかなって。まだオフレコなんだけど、内容聞いたら夢もびっくりすると思う」
 どうだ、俺も意外と売れっ子だろ、と言って翔太が笑う。
「じゃあ俺、ちょっと行ってくるよ」
 コーヒーを飲み干し、ゴミ箱に放り投げた。見慣れた背中が、人の波に紛れて遠ざかっていく。途端にそれが、しくなった。
「あの」
 思ったより、大きな声が出た。翔太が、驚いたように足を止める。
「すぐ出演どうこうってのは、あれだけど。練習に顔出すくらいなら、どうにかなるかも」
 久しぶりに、今日子の顔も見たいし。ほとんど言い訳でもするみたいに、その一言を付け加えた。私の意図が上手く伝えられたのかは、わからない。翔太はしばらくの間、呆けたように口を開けて、私を見つめていた。自分から声を掛けたくせに、私がそれにどう答えるかなんてまるで想像していなかったみたいな、そういう顔だった。

がわさん、だよね。俺のこと、覚えてる? ほら、火曜1限で一緒の」
 翔太と初めて会話を交わしたのは、大学に入学して半年がち、ようやく授業の雰囲気にも慣れ始めた頃のことだった。同じ授業で遅刻ばかりしている赤毛の男の子がいることは、以前から知っていた。その子が学内の演劇サークルに所属しているらしい、ということも。
 その頃、学園祭を間近に控え、構内はあきらかに浮き足立っていた。そこかしこでサークルの集まりが開かれているせいか、食堂もいつもの二割増しで人が多い。と言っても、私にはあまり関係のないことだ。大手サークルの入部の時期はとっくの昔に過ぎている。これからどこかのサークルに所属する当てもない。
「ここ、座っていい?」
 私が答える前に、翔太は向かいのテーブルにトレイを置いて、席についた。そのまま、大盛りのカレーをスプーンですくう。仕方なく、私ものびかけたうどんをすすることにした。汁に浸った油揚げの食感が、妙に心もとない。
「おい、まだ相手なんも答えてねーぞ」
 そう言って翔太の頭を叩いたのは、翔太よりも背の高い、一見気難しそうな雰囲気の男の子だった。ぶっきらぼうな口調で、さいとうです、と自己紹介した彼も実は同じ語学の授業を取っていた、という事実は随分後になってから知った。
「お前、またゼミの人誘ってんの? そろそろ煙たがられてない?」
「余裕で煙たがられてるね。だからゼミ以外の人に声かけてんの」
 翔太はそう言って、再びこちらに身を乗り出した。
「ね、長谷川さん。役者とかやってみる気、ない?」
「え」
「俺、演劇サークルに入ってるじゃん。いつもチラシ配ってるっしょ? 今度の学園祭も、教室借りて劇やるはずだったんだけど……。色々あって、めちゃってさ。全然人が足りてないんだよね」
 揉めたのはお前のせいだろ、と横からすかさずツッコミが入る。
「だって、これ以上先輩らに任せておけないじゃん。俺らの方が絶対面白い劇作れるって。お前もそう思うだろ?」
 斉藤と名乗った彼は、翔太の言葉を肯定も否定もしなかった。肩をすくめ、黙って紙パックのジュースを啜る。あっという間にカレーを平らげた翔太がこちらに向き直り、それでね、と話を続けた。
「ゼミの奴らは自分のサークルがあるから無理とか言うし、そもそも演劇に興味ある奴がいなくてさ。役割的なこと伝えとくと、俺が演出で、拓真が脚本。あ、拓真ってのはこいつね。あと今日子っていう女子がいて、その子は裏方とかヘルプみたいな感じなんだけど」
「……私、無理だと思う」
 翔太の説明を遮るようにして、ようやく言葉を発することができた。拓真が隣で、声ちっさ、と呟く。
「え、なんで?」
「なんで、って。だって無理だよ。そもそも私、人前とか苦手だし。その、声も小さいし。私が役者なんて、絶対無理。観たい人なんていないよ」
 すると、それまで黙って私の話を聞いていた拓真が、ようやく口を挟んだ。
「長谷川さん、だっけ」
「そう、ですけど」
「長谷川さんってあれでしょ、友達いない人でしょ」
 反論する間もなく、あ、だから一人でお昼食べてんだ。なるほど、と言って拓真が笑う。一人でしやべって、一人で納得したらしい。翔太がさすがに、おい拓真、ととがめるような視線を送った。しかし彼は、あっけらかんとした口調で続けた。
「それが悪いとかは言ってねーよ。いいじゃん別に、友達なんかいなくたって。それを本人が恥ずかしいと思ってることの方がよっぽど問題なんじゃねーの」
 そう言って、まっすぐこちらの視線を捉えてくる。どうやら本当に、悪気はないらしい。結局根負けして、私が目をらすはめになった。
 たしかに私には、友達がいない。地元でもそうだったし、大学に入ってからもやっぱり無理だった。だって、こういう性格だから。喋るのが苦手で、自分の意見を伝えるのが苦手で、ちっとも人付き合いがうまくいかない。そんなこと、自分が一番よくわかっている。
「……とにかく、私には無理」
「でも、興味はあるんじゃないの。演劇」
 翔太はまだ食い下がってくる。なんでこんなに自信たっぷりに勧誘できるのか、わからない。すると翔太は、きょとんとした顔で続けた。
「だって長谷川さん、この前の公演観に来てくれたでしょ」
 驚いて、翔太の顔を見返す。なんで知ってるの。どうして。隣で聞いていた拓真が、マジで? 全然気づかなかった、と素っ頓狂な声を上げた。当然だ。誰にも見つからないように行ったつもりだ。人一倍周囲の目を気にして、こっそり足を運んだつもりだった。観劇の後は一番に会場を出たし、アンケートも残していない。どこで気づかれたんだろう。
「長谷川さん。舞台から客席の顔って、意外とよく見えるんだよ」
 翔太はそう言って、得意げに笑って見せた。その横で、確かにな、と拓真が頷く。
「俺、毎回授業でチラシ配ってたんだけど、来てくれたの長谷川さんだけだったんだ。自慢じゃないけど。だから覚えてる」
 それマジで自慢にならねーよ、どれだけ人望ないんだ、と拓真が呆れたように呟いた。
「うるせーな。そんで俺、なーんかビビッときたんだ。俺、人を見る目には自信あるんだよね。長谷川さん、絶対役者の才能あると思うんだよ」
 え、と顔を上げると、翔太がテーブルにひれ伏し、懇願するように私の目を見つめていた。
「だからさ。一緒に、演劇やろうよ」

#1-3へつづく
◎第 1 回全文は「カドブンノベル」2020年1月号でお楽しみいただけます!


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