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連載

こざわたまこ「夢のいる場所」 vol.1

【新連載】夢と現実の才能の狭間でもがく、〝こんなはずじゃなかった〟私たちの人生。こざわたまこ「夢のいる場所」#1-1

こざわたまこ「夢のいる場所」

   1

 隣の席の男が、うつらうつらと舟をいでいる。それに気づいたのは、舞台も終盤に差し掛かった頃のことだった。偶然出会ったかに見えた男女が実は並行世界のなんちゃらかんちゃらで、タイムリープがどうこうという超重要なシーンだ。ストーリーの展開とともに、役者達の熱量もぐんぐん上がっている。しかし、その熱量に比例するように、男の睡魔もピークに達したらしい。
 男はついに私の右肩に体をもたれて、ぐうぐうと盛大にいびきをかき始めた。肩をゆすってみても、反応はない。仕方なく強めの力で押し返すと、男の体がバランスを崩し、膝の上に抱えていたチラシの束が床に散らばった。前列に座っていた女性がこちらを振り向き、迷惑そうに眉をひそめる。どうやら連れと思われたらしい。いくらなんでも理不尽過ぎやしないだろうか。
 カラーレンズの黒縁メガネにハンチング帽、ジャケットにTシャツといういかにも業界人風のファッションに身を包んだその男は、開演前ギリギリ、諸注意のアナウンスが終わったタイミングで会場にやって来た。当然スマホの電源なんて切るはずもない。この時点で、嫌な予感はしていたのだ。
 しばらくすると、男のポケットからエレクトリカルパレードの曲にも似た間抜けなメロディが流れ始めた。よほど急ぎの用件なのか、着信が切れる気配はない。しかし当の本人は、いつの間に目を覚ましたのか、さも「劇に集中してますよ」という顔で正面を向いている。着信音は、三回目のリピートを経てやっと止まった。
 ようやく会場が落ち着きを取り戻したかに見えたその時、さっきまでよどみなく台詞せりふそらんじていたはずの役者が突然声を詰まらせた。どうやら、台詞をど忘れしたらしい。ひとつ前の台詞からやり直そうとするも、なかなかくいかない。遠目にも、彼の冷や汗がすごいことになっているのがわかる。もし本当にタイムリープが使えるなら、この人を五分前の世界に戻してあげたい。
 こんな風に、客席のトラブルが唐突に役者の集中力を絶ってしまうことがある。周りのアドリブでなんとかそのシーンは立て直したものの、一人の役者の不調をきっかけに、今度は芝居全体のリズムが崩れてしまった。物語自体はクライマックスに差し掛かっているにもかかわらず、芝居のノリが悪い。客席にも散漫な空気が流れ始めている。
 役者の一人が巻き返しを図るように、感情に任せて舞台装置のテーブルに拳をたたきつけた。ところが、勢い余って飲みかけのペットボトルをひっくり返してしまう。ペットボトルの中身が辺りに飛び散る。それが演出なのか、アクシデントなのか、私には最後までわからなかった。

 カーテンコールが終わり、アンケート用紙から顔を上げると、すでにほとんどの客が席を立っていた。会場には物好きなファンが数人残っているだけだ。舞台上には、使い終わった小道具や紙吹雪の残骸が散らばっている。ついさっきまで、ここで行われていたことがうそのようだ。
 劇場の扉をくぐると、狭いロビーにかなりの数の人がひしめき合っていた。混雑でちょっとした身動きをとるのも一苦労だ。劇団の制作スタッフらしき男性が、繰り返し注意を呼びかけている。近隣の方の迷惑になるので、劇場の外での歓談はご遠慮ください。
 ごった返す中には、ついさっきまで舞台に上がっていた役者もいた。芝居を終えたばかりという解放感も手伝ってか、皆一様にすがすがしい顔をしている。小劇場と呼ばれる小さな小屋では、役者が公演後に観客の見送りをするという奇妙な文化が根付いている。関係者同士の挨拶の場でもあるし、役者にとっては自分のチケットノルマに貢献してくれた観客への御礼も兼ねている。来てくれてありがとう、とか、おもしろかったよ、とか、似たり寄ったりな言葉がそこら中を飛び交っていた。
いいづかさん! 来てくれたんですか」
 その中でもひときわ大きな、よく通る声。彼女が姿を現した瞬間、ロビー内の空気がにわかに色めき立つのがわかった。トレードマークの赤いワンピースが目にまぶしい。彼女はこの公演の作・演出担当でもあり、劇団の責任者でもある新進気鋭の劇作家だ。
「やあ、ちゃん」
 呼びかけに答えた男の顔がそこで初めて視界に入り、目を疑った。飯塚と呼ばれたその男は、ついさっきまで私の隣に座っていた居眠りスマホ野郎だった。飯塚は、観劇中一度たりとも外すことのなかったハンチング帽をかこのタイミングで脱ぎ捨てて、れ馴れしく女の肩に手を添えた。
「お疲れ様。なかなかよかったよ。ハプニングも上手いこと処理してたし」
 白々しいにも程がある。そのハプニングは誰が引き起こしたと思っているのか。少なくとも、公演時間のほとんどを眠って過ごし、スタッフの注意を破って延々スマホを鳴らし続けた男がいていい台詞じゃない。客席のどこかで舞台を見守っていたであろう演出家の彼女が、そのことに気づいていないはずがないのに。
「今回、気合い入ってたんじゃないの。お父さん、もうに来た?」
「いえ、父はまだ。自分で言うのも何なんですけど、新境地なんです。父にも楽しんでもらえるかなって。飯塚さんはどうでした?」
 男がそれになんと答えたのかまでは、聞こえなかった。どうせ聞こえたとしても、大したことは言っていない。こんなやつでも招待客扱いなんだろうなと思うと腹が立ってくる。私の払った三千八百円を返せと思う。そもそもあの劇に、それだけの価値があったのだろうか。
 正直、舞台は最悪だった。主演の男はぎゃーぎゃーうるさいだけで何を言ってるのか全然聞こえないし(その上台詞を飛ばした)、客演の女優はここぞという時だけやけにエモーショナルな芝居を披露してくるし、複数回公演を観に来ているであろう固定ファンが序盤のなんでもない台詞でゲラゲラ笑ってるし、小劇場の悪いところをかき集めて全部のせでお送りしてます、みたいな最低の芝居。昔の彼女なら、いのいちばんにつまらないと切り捨てていそうな内容だと思った。
「すみません、ちょっと」
 その時だった。彼女がぐるりと首を回し、ロビーを見渡した。慌てて顔を背ける。一瞬だけ、目が合った、ような気がした。とつに、苦い記憶がよみがえる。血のように赤いワンピースと、ゆがんだ口元。あんたは結局、そこまでの人間なんだね。
「あ、ほつ君! ちょうど良かった、こっちこっち。この子、うちの新人です。今のうちに飯塚さんに紹介しときたくて」
 続けて彼女の口から飛び出した言葉に、ほっと胸をで下ろす。
「あれ、ゆめ?」
 安心したのもつかの間、心臓が凍りついた。
「おい、夢だよな? おーい。あの、ちょっとすみません、通ります。なあ、俺だよ、俺」
 よりによって、こんなところで知り合いに出くわすなんて。一刻も早くこんな所からはおさらばしたいのに、人混みが邪魔をしてなかなか前に進めない。声の主はこっちの事情なんか御構い無しに、ずんずん近づいてくる。
 無理に抜け出そうとしたら、思い切り他人の足を踏んでしまった。ロビーでグッズ販売の列に並んでいたらしい女性が、痛っ、と悲鳴を上げる。すみません、と頭を下げると、その列の先で過去公演のシナリオブックやDVDの他、オリジナル商品として劇団員のサイン入りTシャツが並べられているのが目に入った。プリントされているのは主宰自らデザインしたキャラクターらしいけど、正直素人臭くて目も当てられない。何が劇団公式キャラだ。何がサイン入りTシャツだ。アイドル商法もいいところじゃないか。
「なあ、夢ってば」
 はっとして我に返ると、ついに後ろから肩を叩かれた。観念して、振り返る。続けて目に飛び込んできた彼の姿に、あ、と声が漏れた。
 学生時代、頻繁に脱色剤をあてがわれていた髪の毛はすっかり地毛の色を取り戻し、短く切りそろえられている。上下のスーツと、くたびれた通勤かばんしわの入った薄茶色の革靴。そのどれもが、社会人としての彼を過不足なく物語っていた。
「……しよう?」
「だから、そうだって言ってんじゃん。なんで無視するかな」
 数年ぶりに再会したかつての友人は、そう言ってあきれたように手を差し出してきた。十年前、大学の構内で初めて声を掛けてきた時と同じ、人懐こそうな笑みをその顔に浮かべて。

#1-2へつづく
◎第 1 回全文は「カドブンノベル」2020年1月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年1月号

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