【連載】横溝正史ミステリ&ホラー大賞創設によせて 第3回 恒川光太郎
横溝正史ミステリ&ホラー大賞創設によせて
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長い歴史を持つ「横溝正史ミステリ大賞」と「日本ホラー小説大賞」が統合し、ミステリとホラーを対象とした「横溝正史ミステリ&ホラー大賞」として募集を開始しました(締切は9月30日)。これを記念し、歴代受賞作家の皆さんからメッセージをいただきました。
第3回は、『夜市』で、第12回日本ホラー小説大賞〈大賞〉を受賞した恒川光太郎さんです。
>>第2回 伊岡瞬
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ホラー小説というジャンルの定義の話である。ホラー映画ならば、「追い詰めて怖がらせる」という共通項がある。どうも文芸のホラーは映画ほど明快でわかりやすい定義がない。
そもそもホラー小説とは何か。横溝正史も、小泉八雲もディストピアSFも、ゴジラも、カフカや安部公房の不条理も、中国伝奇も、みなホラー小説といって括ることができてしまう。不穏な成分を含んだものならこれはホラー小説だということができる。一方、自信をもってこれはホラー小説ではないといいきることはできない。得体のしれない世界なのである。
日本ホラー小説大賞が創設されたとき、私は多感で孤独な大学生だった。当時の書店では『リング』『らせん』が大ヒットしていて『パラサイト・イヴ』が100万部のベストセラーを記録し、『玩具修理者』が不気味な妖星のごとく輝いていた。90年代のホラーブームの頃である。私はあっさりとホラーで括られた文芸にはまった。日本ホラー小説大賞には文芸たるもの、斬新な設定や、既成作品の類型パターンから外れたものこそを讃えるべしという選考基準が、はっきり存在していたと思う。待つ方は何がくるかわからない。実際、同賞の門から毎年(あるいは2年に1度)姿を現わすものに、作風の共通項は少なく、しいていうなら独特な風格と得体のしれなさが共通していた。
創設時は1ファンだったが、第12回でデビューして同賞出身作家になった。学生時代からこの賞の作品群を読み続けていなければ、そしてデビュー作を書き上げたときにこの賞がなかったら、作家になっていなかった可能性が高い。非常に愛着のある賞である。デビューから十数年が過ぎた今、ホラー小説とは何かといえば、やはり、得体のしれないものと答えるより他はない。今年も、新たな得体のしれぬ異形の子が、夜の机の上で産声をあげるのであろう。私は門の前で怪物が姿を現わすのをじっと待っている。
恒川 光太郎(つねかわ・こうたろう)1973年東京都生まれ。2005年『夜市』で第12回日本ホラー小説大賞〈大賞〉を受賞しデビュー。同作で直木賞候補に。14年『金色機械』で日本推理作家協会賞を受賞。著書に『雷の季節の終わりに』『秋の牢獄』『南の子供が夜いくところ』『スタープレイヤー』『ヘブンメイカー』などがある。
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