小説をめぐる、破格のデビュー作――杉江松恋の新鋭作家ハンティング『標本作家』
杉江松恋の新鋭作家ハンティング

小川楽喜『標本作家』書評
書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
今回は、ハヤカワSFコンテスト受賞作。
なんと小説はその創造主である人間よりもはるかに長く生き延びたか。
小川楽喜『標本作家』(早川書房)は壮大な物語である。舞台となるのが西暦八〇万二七〇〇年、すでに人類は滅亡し〈玲伎種〉なる高等知的生命体の管理下に置かれている地球、という遥かな遠さ。しかしそこで題材とされるのは小説なのである。人間の頭脳から生み出され、同じ人間によって読まれる。人間の所産であり、人間そのものを写しとった存在でもある小説だ。舞台の遠大さと題材の近さの対比がまず魅力的である。
物語の初めに語り手を務める〈私〉は十九世紀、ヴィクトリア朝イギリスに貴族の娘として生まれたメアリ・カヴァンという女性だ。彼女が暮らすのは第一章の題名にもなっている〈終古の人籃〉である。籃とはかご、すなわち人間の収容施設だ。遠い昔に人類は滅んでいたが、地球に到来した〈玲伎種〉は一部の人間を過去から再生し、この施設に収容して実験を開始した。かつては地球上に複数が設けられていたが、次第に減少し、今ではごく僅かを残すのみになってしまった。そのうちの一つがメアリのいる場所で、かつてはロンドンと呼ばれた地である。
メアリのいる〈終古の人籃〉で暮らすのは十人の再生された作家だ。〈玲伎種〉にとって人類の文明はとるに足らないものであったが、唯一芸術分野における創造性にだけは研究の必要が見出された。そのため過去において秀でた能力を発揮したものが選ばれ、不死固定化処置を受けて施設内で創作行為に携わることになったのである。不死であるから時間には制限がなく、何百年、何千年をかけて作品は生み出されてきた。メアリは作家ではなく、十人の創作をとりまとめる〈巡稿者〉である。現在で言う編集者とその役割はほぼ重なる。
メアリが〈終古の人籃〉の将来に漠然とした不安を感じている場面から第一章は始まる。作家たちの小説に対する〈玲伎種〉の評価が次第に低くなっていたからだ。それは執筆方式の問題だとメアリは考える。〈終古の人籃〉では共著が行われていたのである。中心となるのは十九世紀のイギリスにおいてもメアリと面識のあった唯一の作家、セルモス・ワイルドだ。彼には「館内に居住する人間の才能や作風を感じとって、それを自分のものとして認識できるようになる精神状態」である〈異才混淆〉の能力が与えられていた。それによって他の作家たちの異なった知性を我が身に集め、書くべき小説のプロットを作成して各人に振り分けるのである。メアリはこの方式こそが小説の質を落としている原因、災禍であるとし、セルモスに一人で書くことを勧める。
〈玲伎種〉という読者が絶対的な存在となって作家がそれに隷属すること。複数人が寄り集まって書くことでかえって作品が棄損されるという皮肉。作中で描かれるこうした現象から一つの小説観が見えてくる。それが作者自身の見方であるか、あるいは本書のために作ったものであるかはわからないのだが、この小説観を柱にして物語は展開していくのである。
〈終古の人籃〉に暮らす作家たちの多くにはそれぞれモデルがいる。中心人物であるセルモス・ワイルドはオスカー・ワイルドだ。彼は皮肉に満ちた人物として描かれ、肖像画に描かれた美貌がその人の不幸と反比例的に直結するという『痛苦の質量』が代表作と告げられる。
作家の夫やその芸術仲間たちとサロン的な集まりで交わした会話が元で怪奇小説の傑作をものしてしまう女性、ソフィー・ウルストンは『フランケンシュタイン』の作者であるメアリー・シェリーだろう。〈終古の人籃〉に加わる条件として彼女が〈玲伎種〉に要求したのは、自分が小説を書かなかった歴史を見せることだった。ウルストン以降、どんな怪奇小説が書かれても、そこに登場する怪物たちは彼女が創造したものの亜種になってしまった。そうではない歴史がありえたかを知りたいというのである。
二十二世紀に生きたとされるミステリー作家ロバート・ノーマンは架空の存在である。少なくともまだ、二十一世紀の現時点では。彼の生きた時代には仮想空間を実現する技術が進み、読者がミステリー小説の中に飛び込むことが可能になっていた。その〈解しがたき倫敦〉というゲームに数多くのシナリオを提供したのがノーマンだったのである。彼は過去の作家たちが創造した名探偵たちを活き活きと動かすことができた。今で言えば二次創作の天才か。ミステリーには先人の業績を継承して発展させていく伝言ゲームの要素がある。その性質自体を体現したキャラクターということができるだろう。ノーマンのようにジャンル自体を象徴するような形で生み出された作家も〈終古の人籃〉にはいる。
十人の作家を一人ひとり訪ねてメアリが共著の中止を説く第二章「文人十傑」までが前半部、次の第三章「痛苦の質量」で転調が行われ、物語はがらりと変貌する。作者は十の個性に溢れた小説観の持ち主たちを登場させることでまず横に膨らみを持たせ、次いでそこまでの物語で読者が抱いた先入観を逆手にとって驚きを味わわせ、そのことで小説についての分析をさらに深めていくのである。「文人十傑」の章で作家たちの肖像を詳細に描いてみせたのは、つまるところ小説とは人間を描くものであるという主張であろう。作家の人間性が書いたものには現れ、読者は物語の向こうに作家の顔を見るという小説観である。
本書は第十回ハヤカワSFコンテスト受賞作である。SF的な着想を土台にして壮大な楼閣が築かれた。「小説の小説」として、読む者を魅了してやまない記念碑的な作品である。作者の小川はテーブルトークRPGなどを手がけるグループSNEに所属していた時期がある。本書以前に単著『百鬼夜翔 闇に濡れる獣――シェアード・ワールド・ノベルズ』(監修・友野詳。角川スニーカー文庫)などの単著があるが、そのころとは別の作家と見做すべきだろう。ゆえにデビューから三作目までを対象とする本連載で取り上げた。破格のデビュー作、末頼もしい才能の誕生だ。