読みながら、青空が見えたんだ――『櫓太鼓がきこえる』杉江松恋の新鋭作家ハンティング
杉江松恋の新鋭作家ハンティング
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書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
今回は、相撲でいえば正面から見事に寄り切った一冊。
読みながら、青空が見えたんだ。
鈴村ふみ『櫓太鼓がきこえる』は、集英社の主催する第三十三回小説すばる新人賞を授与された、作者のデビュー作だ。それを読みながら、たしかに何度か、抜けるような空の青が眼前に浮かび上がってきた。爽やかな小説である。
晴天十日と言うように、江戸時代の相撲興行は寺院の境内などで露天にて行われていた。興行の始まりを告げる寄せ太鼓を聴いてやってきた観衆は、大空に突き立てられるように並べられた、色とりどりの幟がまず目に入る。昨日までは何もなかった場所に突然現れた相撲場という異空間。その非日常が胸をときめかせたのであろう。今は屋根の下で行われるようになったが、やはり相撲には青空がよく似合う。
『櫓太鼓がきこえる』は相撲小説である。だが、主人公は力士ではなく、裏方ともいえる呼出だ。橋本篤は入学した高校になじめずに一ヶ月で中退、両親との仲も険悪になって家にいられなくなったところ、角界好きの叔父に勧められて朝霧部屋に入門することになった。第一章「秋場所」の段階で入って四ヶ月、しろうとに毛の生えたような呼出である。
この職歴の浅さが主人公と読者の間を詰めてくれる。角界の人間になりきれていない篤にとっては、いろいろなことがまだ新鮮だ。呼出は取組みをする力士の名を呼び上げるだけの仕事ではない。裏方全般が勤めなのである。重要なものの一つに土俵築がある。会場に運び込んだ土を盛り上げ、タコやタタキと呼ばれる道具でそれを叩き固めていく。巨人たちの体重を受け止められるだけの強度をもたせなければいけないのだから重要な作業だ。土俵には神が宿るという。土俵の真ん中にはあらかじめ十五センチ平方の穴があけられていて、そこに鎮め物と呼ばれるお供えが埋め込まれる。そうした豆知識は相撲に少し詳しい読者なら先刻承知のことだろうが、何事も新鮮に見える篤の目によって描写されることで、単なる蘊蓄披露ではなくて土俵を中心とした世界を構成する要素として、ぴたり、ぴたりと嵌っていく。このへんの情報の出し方が巧い作者だ。
青空の話をしなければならなかった。『櫓太鼓がきこえる』は新米呼出の成長小説である。九月の「秋場所」で始まり、七月の「名古屋場所」で幕を下ろす。一年六場所を使って篤の変化を描いていくわけだ。「秋場所」では相撲の世界にまだ馴染めず、はじのほうでうろうろしているだけだった篤だったが、次の「九州場所」では自分から大先輩の進さんに、自分の呼び上げを聞いてもらえないか、とお願いするのである。
――翌日の休憩時間、篤は会場裏に広がる海の前に立っていた。進さんがここに来るように指定してきたのだ。九州場所の会場の裏には港があり、海を一望できる。昼間の海は、太陽の光を反射して、いっそう青く澄んで見えた。
この玄界灘に向かって、進さんと篤は声を張り上げ、呼び上げの稽古をするのだ。そうか、だから第二章が九州場所なのか。海がすぐそばにある福岡国際センターなのか。言うまでもなく海と空の青は、迷いを振り払って篤が呼出という仕事に向き合い始めたことの象徴である。物語の初めに秋場所を持ってきたのは、主人公の心境変化にこの青を合わせたいという計算だったのだろう。読み始めた段階では、ちょっと変わった題材だな、というくらいの関心だったのに、この場面を目にした瞬間、小説の文章に自分の気持ちが吸い寄せられていくのを感じた。ここから一気におもしろくなっていく。
篤を巡る人々の描き方もいい。篤がお世話になっている朝霧部屋には六人の力士が属している。全員が幕下で、いわゆる養成員である。部屋頭の春昇こと武藤は幕下十五枚目前後までつけていて、そろそろ入幕を狙える期待株だ。幕下上位は相撲ファンならご存じのとおり、幕内から落ちてきた者もいれば、付け出しから出発するエリートもいる、というように競争が熾烈な激戦区だ。武藤もその壁に突き当たる。彼以外にも、武藤よりも先輩ながら番付では彼に追い越されてしまった坂口、最年長者ではあるがすでにちゃんこ長の役目のほうが比重が大きくなっている山岸、山岸に次ぐ年長者で東京っ子だから口は悪いが気風はいい小早川、若手では生真面目な性格の柏木、その同期で明るく格闘技全般が好きな宮川と、六人それぞれに相応の個性が与えられている。六章で一人ひとりに光が当てられることにより、朝霧部屋という集団が小説全体で読者に印象づけられる仕掛けである。
芸界と同じで相撲部屋の師弟も、入門したときから実の親子以上の強い絆で結ばれるようになる。その関係性もさらりと描かれている。ちょうどいい相撲小説、と言うべきか。
もちろん新人の第一作なのだから完璧ではない。いろいろ注文をつけたくなった箇所もある。たとえば「初場所」はちょっと登場人物に心情を語らせすぎではないかとか、「夏場所」では嫌な性格の人間に悪役が振られているけど、これは型通りなのでむしろ善人に同じ台詞を言わせた方がよかったのではないかとか。でも好みの問題かもしれず、エンターテインメントとしてはこのくらい押したほうが読者に届くということもある。少しぎこちなく感じられるくだりだって、たぶん作者が経験を重ねれば気にならなくなるだろう。そういうわけで、重箱の隅をつつかなければ、ほぼ満点といっていいデビュー作なのだ。細かいついでに書いてしまうと、意地悪な光太郎という先輩呼出の使い方が巧かった。主人公に声をかけてくるアキという女性ファンがいるのだが、彼女に話の展開で依存しないところもいい。
小説を読みながら気になったのが、クライマックスを何にするのか、という問題だ。スポーツ小説で最も重要なのは試合の場面で、そこで読者を興奮させなかったら意味がない。でもこの小説は、力士ではなくて裏方である呼出が主人公なのだ。いったいどうする。どうやって話を盛り上げるんだ、とページをめくりながらどきどきしてしまった。こんなに作者の心配をしながら読んだのもひさしぶりだ。肝腎の結末については、期待を裏切られることはなかった、とだけ書いておこう。なるほど、そうか。そういうことができるのか。相撲でいえば、横に変化せず、正面から勝負した上で見事に寄り切った印象。この作者、きっとどんどん巧くなる。