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連載

佐藤亜紀「喜べ、幸なる魂よ」 vol.5

【連載小説】頭脳明晰な双子の姉ヤネケが養子ヤンと取り組んだ「性の探求」とは? 佐藤亜紀「喜べ、幸なる魂よ」#1-5

佐藤亜紀「喜べ、幸なる魂よ」

※本記事は連載小説です。

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 ヤネケの反応はまるで違っていた。彼のベッドに寝転がって、まともに読んでるのかと思うような速度で頁をめくると、うん、と言って本を閉じた。
「中に出てくる行為は十二種類だ。そのうち二つは既にやっている。三つは別に気の利いた女中が、一つは犬が要る。残り六種類を順に試そう」
 最初に試したのはお互いの性器を舐め合うことだった。ヤンは気に入ったが、ヤネケは、舐めた後のヤンの顔がべたべたなのは滑稽だと言った。そうなると次にやるのは指で弄ることで、細心の注意を払ってやったつもりでも、ヤネケは痛がり、うまく行かなかった。お互いの尻の穴に指も突っ込んでみた。台所から持ち出したラードを使うと上手く行ったが、臭いがきついのでもう少し上等な何かを調達する必要があることを確認した。ヤネケを四つん這いにして後ろから犯すこともやった。これは非常に具合が良かった。お互いの尿もコップに取って飲んだ。何が面白いのかちっともわからなかった。
 ラードかよ、と言ってグーテルスはげらげら笑い、次の時にはなんだかわからないが半固形の脂の塊みたいなものをくれた。次から次へと変な本を持って来た。後で必ず首尾を訊いた。上手くいったもの、とても気に入ったもの、全く訳がわからなかったもの、どちらかが拒否したので試せないもの、身体的に無理だったもの。グーテルスは慰めてくれた。いやこれ無理だろ書いてるだけだろ、ってのもあるんだよ、気にするな。
 気にするも何もない。こんなこと本当はやりたくないんだ、とヤンは打ち明けた。「おれ普通にやるのが一番好きだよ。変なことしなくたって十分楽しいよ。そう思わない?」
 女にそう言ってみろ、とグーテルスは言った。
 ヤネケとの実験はあるところから地獄巡りのような有様になった。朝便器に出してからびた大便を食うことは流石にできない、とヤンは拒否した。縛り上げて嫌がる芝居をするヤネケを犯すことになっていたが、性器は全く何の反応もしないので諦めるしかなかった。逆もやってみた。ヤネケが余りに脅すのでヤンは本気で怯えて危うく大声を出すところだったが、それで終った後、ヤネケは、あんまり面白くなかった、と言った。むちの準備もした。房のようになっていて先に金具の付いた凶悪なやつだ。だが、いざやるという段になると、ヤンは怖くなった。ヤネケの意気込みがすごすぎたからだ。
「絶対嫌だ」
 じゃあ、先に叩いていいよ、と言って、ヤネケは小さな丸いお尻を突き出した。
「こんなもんで叩いたら傷だらけになる」兵隊上がりの仲買人が見せてくれた背中の傷跡を思い出した。しかもこんな凶悪そうな鞭で叩かれた訳ではなかったのだ。ヤネケの滑らかな尻にあれよりい傷が残ることを考えただけで耐えられなかった。
「あたしがいいって言っても?」
「駄目だ」
 結局、お互いの尻を平手で叩くことで妥協が成立した。折り重なったままヤネケが本気で叩いた時、ヤンは飛び上がったが、その後は手加減してくれた。十回叩いて、今度はヤンが叩く側に回った。出来るだけそっと叩いたつもりだったが、ヤネケの尻は薔薇色になり、それはヤンを幾らか満足させた。
 ああいうのは、とグーテルスは言った。「やりすぎてもう何も感じなくなった遊び人だの爺さん婆さんだのがすることだ。お前やお友達に必要なことじゃないのさ」
 寝てるのかな、と思うくらいに微動だにせず、ヤネケはヤンの肩に頭を乗せ、寝間着も脱いで真っ裸の体をヤンの体に押し当てていた。お互いの体の温かさが快かった。エデンの園では、とヤネケは言った。
「みんな幸せに暮らしていた。鳥も、獣も、蛇や蜥蜴とかげも。川や池の魚たちも。青草や果物しか食べなかったら平和だよね」
 うん、とヤンは相槌を打った。
「動物たちはみんな繁殖行為をした。増えろ、って神様に言われていたから。そこら中で幸せに交わって、ころころ子供を産んだ。産むとアダムとイヴのところに連れて行った。小さな可愛い子供たちを見ると二人が喜ぶから」
「蜥蜴も?」
「蜥蜴の子って可愛いじゃない。ちっちゃいのにちゃんと蜥蜴の恰好をしてる。魚たちも川から声を掛けて、子供たちが立派にすいすい泳ぐところを見せた。だけどそのうち、動物たちは疑問を持った──自分たちはどんどん増えてるけど、アダムとイヴは増えない。エデンの園には小さなアダムも小さなイヴもいない。そもそも二人はとても仲良しだけど、裸で戯れ合うだけで何もしない。これは変だ、と思って、動物たちは訊いてみた。どうして交わらないんですか、って。やり方を知らないのかもしれないと思って、目の前でやって見せさえした。随分幸せそうねえ、とイヴが兎に訊くので、兎は目を細めて答えた──幸せですよ、だってとても気持ちがいいし、その後はお互いのことがもっと好きになるし、可愛い子供たちまで生まれるんですから。
 だけどアダムとイヴは小さなふかふかの仔兎たちに名前を付けて撫でたり抱いたり遊んでくれたりするだけで、自分たちは交わろうとしなかった。
 動物たちは思い悩んだ。悩みはどんどん大きくなり、自分だけで抱え込めなくなると、他の動物たちと集まって話し合った。どうして交わらないんだろう、どうして増えないんだろう。小さなアダムやイヴもいたら、きっともっと楽しいのに。まだ子供だから、と豹が言うのでしばらく待ってみた。だけど何も変わらなかった。二人で戯れ合って、抱き合って、いつも仲良しなのに何もしない。
 何度目かの集会の時に、あれは知恵が足りないんだろう、と羊が言った。体ばっかり大きくても子供なんだ。多分いつまでもあのまんまだよ。
 すると、それまで黙っていた蛇が、じゃあ知恵を付けてやろうじゃないか、と言った──おれはどうすればいいか知ってるよ」
 ヤンは唸った。彼には穿うがち過ぎの話だった。所謂いわゆるフランス式の機知エスプリというやつ。こつを覚えれば幾つでも捻り出せるとヤネケは言うが、自分の頭はそんな風に飛んだり跳ねたりするにはフラマン風に鈍重すぎる。
「知ってる? アダムとイヴを園から追い出す時、神様が着せてやった衣が何でできてたか」
無花果いちじくの葉っぱじゃないの」
「レヴィアタンの皮だってユダヤ人は言ってる。レヴィアタンの雌を釣り上げて、皮を剝いでなめして、仕立てて着せてやった。身は塩漬けにして、いざという時の為に取ってある、って。神様がレヴィアタンの塩漬けに用のある時、って何だろ。まさか食べないよね?」
 ううん、とヤンはさも考えているようなふりをして唸った。実際には、声を聞いているだけだった。すると突然ヤネケは小声で、子供ができた、と言った。
「え?」
「いや、ほんとに。月のものが来てない」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
「医者に見せた?」
「マティリスの伯父貴に見せることになると思うけど」ファン・デール夫人の医者の兄のことだ。「それも含めて段取りを考えてる」
「段取り、って、何の」
「多分騒動になる。この騒動を、あんたも私も無事に切り抜けなきゃならない」
「切り抜けられるの」
「切り抜けなきゃ。追い出されたくないでしょ。明日、始める。そうしたら当分、こんな風に一緒にはいられなくなる」ヤネケはヤンの頰に唇を触れた。「その後も多分色々ある。でもちょっとの辛抱だからね」
 ヤネケが言っていたようなことは、表面上何も起こらなかった。ファン・デール氏は不機嫌で、ファン・デール夫人は顔色が悪かったが、それだけだった。テオは知らんぷりで、ヤンも何も知らないふりを続けなければならなかった。ヤネケは姿を消した。体の具合が悪いので田舎にやった、と夫人は説明した。
 いやもうすげえ騒ぎ、とテオは面白そうに言った。「親父は怒り狂ってヤネケを叩くし、ヤネケは泣き叫ぶし、泣き叫びながら、こんなことになるって知らなかったもの、って言うし。姉貴が何も知らないなんてある訳ないのにな」
「何て言ったんだ」
「ピカルディから来た蛇っぽい若い男に誘われて教会でやったって」
 ヤンは溜息を吐いた。若い娘が騙されて、教会の告白室の中で処女を失う──それはあの忌々しい猥本の一冊にあった話だ。実際に教会まで行って、神父の入る箱の中に潜り込むところまでは行った。もう少しで実際にやるところだった。誰か若い娘が来て、告解をお願いします、と言うまでは。
 あたしたち神父じゃありません、とヤネケは堂々と答えた──それでもよければ聴きますが。
 若い娘は息を吞んだ。逃げ去る足音がした。ヤネケは扉の金網に顔を押し付けるようにして様子を窺いながら、あれはまずいねえ、と言った。「なんかとんでもないことしたって言ってるようなもんじゃない」
 それから二人で逃げ出した。告げ口でもされたら堪らないからだ。

(このつづきは「小説 野性時代」第210号 2021年5月号でお楽しみください)
◎第1回全文は「小説 野性時代」第209号 2021年4月号でお楽しみいただけます!


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小説 野性時代 第209号 2021年4月号


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