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連載

椰月美智子「ミラーワールド」 vol.34

【連載小説】父が倒れ、ひとり母が残った。墓のことなんて考えたことなかったが、自分もそういう年頃になったんだな。 椰月美智子「ミラーワールド」#5-2

椰月美智子「ミラーワールド」

※本記事は連載小説です。

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 父が倒れたと、埼玉の姉から電話があったのは、コンビニに行くのにもコートが必要になってきた秋の日の午後だった。これまで風邪ひとつ引いたことのない頑健な父だったので、驚いた。理容室SUMIDAの大きな窓からは、抜けるような青い空が見えていて、その広々とした美しさと、電話の内容とのギャップが不思議だった。
 すぐに行け、と背中を押してくれたのは義父だ。隆司の予約のお客さんについては、義父がすべて連絡を取るから大丈夫だと請け合ってくれた。
 隆司は車を飛ばして埼玉の病院へ急いだ。飛び込んだ病室のベッド脇で、母と姉がぼうぜんと立っていた。
「お母さん、姉貴」
 声をかけると、姉は隆司の顔を見て首を振った。間に合わなかったのだ。

 父は近所のスーパーでパートとして働いていたこともあって、お通夜にはたくさんの弔問客が訪れてくれた。急性心筋梗塞。職場のトイレで倒れたらしかった。享年六十三。
 隆司が最後に電話で話したのは、義父が手術をすることになったと実家に連絡したときだった。父は、隆司が義父の愚痴をいくらこぼしても、決して同調したり隆司の味方についたりすることはなく、お義父さんを助けてあげなさい、とそればかりを言っていた。婿に行ったんだから、すみ家のルールに従いなさいと。
 義父も父の人柄をわかっていたのか、隆司の両親に対しては昔から好意的だった。やさしくて気が利いて、誰からも好かれる父だった。
 母は、通夜、告別式と終始呆然としており、まるで頼りにならなかった。声も出さず涙すら見せずに、背中を丸めてただ座っていただけだ。段取りはほとんど姉が一人でつけた。
 母が声をあげて泣き崩れたのは、火葬を終えて白いお骨になって戻ってきた父を見たときだった。お父さーん、やだよう、お父さーん、とこれまで聞いたこともないような声で、子どものように泣きじゃくった。隆司もたまらずもらい泣きしてしまった。このときの母の声は、この先ずっと忘れられないだろうと思う。
「お母さんには、近いうちに家に来てもらおうと思ってるわ」
 葬儀のすべてが終わったあとで、姉が言った。
「おさんはいいって?」
 思わず聞いていた。母の同居で負担が増えるのは義兄だ。姉は微妙に首を傾げて、しょうがないよね、とため息をついた。
 姉は自動車部品関連会社で働いており、義兄は洋品店で販売員のパートだ。家事のほとんどは義兄が担っている。高校生の息子二人との四人家族。
「お母さん、今も嘱託として働いてるから、まあなんとかなるでしょ。一日中家にいるわけじゃないし、基本穏やかな人だし」
 母と父は小さなアパートに二人暮らしだったが、母は新しいバスタオルが仕舞ってある場所もわからないだろうし、洗濯機の使い方すら知らないだろう。すべて父が甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
 隆司と姉は、その小さなアパートで育った。住んでいるときは特に不自由を感じなかったが、今改めて見るとなんて狭かったのだろうと思う。姉は結婚を機にアパートを出て、母たちと同じ市内に家を建てた。
「幸い使っていない和室が一つあるし。夫もいずれは、って思ってたみたいだから」
「そっか、お義兄さんに感謝しなくちゃ。姉貴、どうもありがとう」
「でもまさか、お父さんが先に逝くとはね。あんなに元気だったのに。病気とは無縁のお父さんが死んじゃって、しょっちゅうあちこち悪くして、病院通いしてたお母さんが残されるなんて皮肉なものだよね」
 本当に、と隆司は深々とうなずいた。
「なんか、今回のことがあって、女も家事を覚えなくちゃなあってつくづく思ったわ。だって、わたしもお母さんのこと言えないもの。今回の喪服だって、一体どこにあるのかさっぱりわからなかったし」
 姉はそう言って頭を振った。
「特にうちは男の子二人だから、お婿に行っちゃったら夫婦二人きりだもん。万が一のことも考えて、簡単でもいいから自分が食べるものぐらいは作れないとね」
 そうだね、と隆司はうなずいた。
「あんたのところはどう? 隆司が全部やってるんでしょ?」
「うん、まあね」
「絵里さん、警察官だから仕方ないか」
 警察官=忙しい。家事をしなくていい。という思考だろう。
 隆司は、自分が妻より先に死んだ場合のことをふと考えたが、絵里が困ることは特になさそうだと思った。食事が作れなかったら出来合いで済ませるだろうし、洗濯は乾燥まで洗濯機任せだろうし、掃除だってお掃除ロボットを手に入れれば済むことだ。家事に悩まされることなく、臨機応変にやっていくことだろう。多少さみしい気もしたが、母のように抜け殻になられるよりはマシだと思った。

 母は分家でだい寺がなかったので、急きょ寺をさがして墓を建てることになった。母は、自分の本家の宗派も知らなかった。慌てて伯母に連絡して日蓮宗だとわかり、葬儀社経由で日蓮宗の寺の住職に通夜と告別式の読経をお願いしたのだった。自分の本家のことまで、父任せにしていたらしかった。
「女が残されると困ったもんだ」
 家のことをなにひとつ把握していない母に、親類の男たちは呆れ顔だった。
「なあ、姉貴。みきそうが婿に行ったら、もりやま姓ってなくなるの?」
 幹也と宗也というのは、姉貴のところの息子の名前だ。
「うーん、仕方ないよね。どっちかが嫁養子に来てくれるような彼女を連れて来てくれればいいけど、そんなこと強要できないしね」
 今回の墓の建立については、かなり揉めた。息子たちが婿に行ったら、墓は姉夫婦の代で終わりとなる。実際その可能性のほうが大きいのに、墓を建てる必要があるのかと。
「本当に迷ったけど、とりあえずお父さんとお母さんの供養まではわたしがするって決めたわ。お母さんも手を合わせる場所がないと、張り合いがないだろうしね。子どもたちが婿に行ったら、それはそれでそのときに考えてもらうわ。負の遺産になりそうで申し訳ないけど」
 隆司は墓のことなんてこれまで考えたこともなかったが、自分もそういう年頃になってきたのだとつくづく感じた。幸い、澄田のほうは長女である義母が家を継いだので、すでに墓はある。義母の両親が眠っている墓だ。
 いずれはそこに、義母、義父が入り、絵里や自分が入るのか……、とそこまで考え、同じ墓に入るのは嫌だなあと漠然と思った。死んだあとの世界のことはわからないが、よその家に間借りするような感じがした。どちらかを選べるなら、実家の墓のほうが居心地良さそうだ。
「死んだあとも苦労するのは男のほうか……」
 思わずつぶやく。
「ん、なあに?」
 姉に聞き返され、なんでもないと首を振る。
「でもさ、もしかしたらお父さんの思いやりなのかもね」
 姉が言った。
「だってもしお父さんが介護状態にでもなってたら、お母さん、それこそ無理だったよ。なーんにもできないんだから。負担がぜーんぶうちに来て共倒れだったかも」
 姉は冗談みたいに笑ったが、想像すると恐ろしかった。隆司も息子として、しょっちゅう実家まで出向くことになっていただろう。
 結局父は、家族の負担がいちばん少ないような死に方をしてくれたのだ。
「お父さん、どうもありがとう。天国でゆっくり休んでください」
 父の遺影に手を合わせて隆司は何度も礼を言い、実家をあとにした。

▶#5-3へつづく
◎全文は「小説 野性時代」第209号 2021年4月号でお楽しみいただけます!


「小説 野性時代」第209号 2021年4月号


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