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連載

椰月美智子「ミラーワールド」 vol.35

【連載小説】「大多数の女は、男をバカにしていると思います。幼い頃から当たり前に女性の特権を享受しているから気が付かないんです」椰月美智子「ミラーワールド」#5-3

椰月美智子「ミラーワールド」

※本記事は連載小説です。

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 年が明けた。喪中ということもあり、おせちの用意もせず初詣にも行かなかったが、そのせいか思いがけず穏やかな正月となった。
 姉家族と母の同居話はどんどん進み、隆司は引っ越しのあれこれを手伝った。荷物を片付けながら、程度のいい紙袋やリボンなどをきれいにまとめていた父に涙したり、隆司が小学生時代に作った工作品が出てきたりしてなかなか荷物の整理は進まなかったが、忘れていたさまざまな思い出が蘇ってきて、それはそれで素敵な時間とも言えた。
「おれたちもそういう歳になっちゃったねえ。親が死ぬとか、介護とかさ」
 休み明け、店に来たたっちゃんが言った瞬間、義父がバサッと雑誌を落とした。わざとなのか、たまたまなのかはわからない。たっちゃんの肩がビクッと揺れる。
「その節は、お心遣いどうもありがとうね」
 父の訃報を知り、たっちゃんはすぐに香典を持ってきてくれた。
「どう? いい色になったんじゃない」
 隆司は手鏡を持って、たっちゃんの後頭部を正面の鏡に映した。白髪染めが終わったところだ。
「うん、いいね。長さもちょうどいいし。サンキュ」
 ケープを取って椅子を回し、たっちゃんが立ち上がる。そのタイミングで、義父がほうきで床に落ちたたっちゃんの髪の毛を、たっちゃんに向かってはきはじめた。たっちゃんはステップを踏むような足どりで毛をかわした。義父の行動は、すでにギャグになっている。たっちゃんは、苦笑しながら店をあとにした。
「デリカシーのない、好かん男だ」
 義父のつぶやきに、隆司はあやうくうなずきそうになった。

 一月末にPTA本部の集まりがあった。副会長のなかばやしさんは来ないだろうと思っていたが、隆司が会議室に入ったときにはすでに着席していた。
 いつ会長、二年書記のみずしまさん、会計のいのうえさん、一年書記のいけさん。全員がそろっている。
「すみません、お待たせしました」
 時間ぴったりだったが、隆司がいちばん遅かった。では、はじめましょうか、と五木会長が口火を切り、中林さんと池ヶ谷さんが進めていった。
 中林さんは以前と変わらない様子だったが、他のメンバーのほうが緊張しているのが見てとれた。中林さんに名指しされた水島さんや井上さんは挙動不審だったし、隆司自身、中林さんに意見を聞かれて思わず口ごもってしまう場面もあった。
 池ヶ谷さんだけが相変わらず、細かい言い回しやレジュメの文章で気になるところを指摘してみんなを多少困惑させるという通常運転ぶりで、今日ばかりはそれが場を和ませてくれた。PTA本部会は一時間もかからずに終わり、解散となった。
「澄田さん、少しお時間ありますか?」
 靴を履こうとしたところで声をかけられた。中林さんだ。
「お茶でもいかがですか」
「えっ、ああ、ええ、はい」
 うわずった声でそう答えたとき、池ヶ谷さんがやって来た。
「池ヶ谷さんもご一緒にどうですか? 三人でお茶でも」
 中林さんが誘うと、池ヶ谷さんは、いいですよとうなずき、そのまま三人で最寄りのファミレスに寄ることになった。
 コーヒーを飲みながら、めずらしいメンツだと隆司は思った。中林さんと池ヶ谷さんはタイプや考え方が違うと感じていたし、PTA総会での男性のお茶いれについて、池ヶ谷さんが異議を唱えたことに中林さんは呆れていた。
「あっという間に年が明けたと思ったら、じきに立春ですね」
 中林さんが言い、池ヶ谷さんが、本当に一年ってあっという間ですね、とうなずいた。隆司は、立春っていつだっけ? とカレンダーを思い浮かべる。
「池ヶ谷さん、来年度から復職されるそうですね」
「そうなんですよ。中林さん、よくご存じですね」
「息子に聞きました」
 二人の会話にドキッとする。息子というのは蓮くんのことだ。蓮くんと、池ヶ谷さんの息子の俊太くんは同じクラスだ。
「池ヶ谷さんの復職って?」
 と、隆司は聞いてみた。
「ええっと、その前にちょっといいですか?」
 池ヶ谷さんが手を拝むような形にして、さえぎる。
「ぼく、離婚したんですよ。旧姓に戻ったので、池ヶ谷じゃなくやまなんです」
「ええっ!」
 思わず頓狂な声が出た。
「そ、そうだったんですか」
「子どもたちは池ヶ谷姓のままです。親子で名字が違うのは少々面倒なのですが、旧姓に戻ることは譲れないところでしたので」
 隆司はあやふやにうなずいた。親子で姓が異なってもいいのだと、はじめて知った。
「この春から教師として働きます。十七年ぶりですかね」
「わあ、先生ですか! 池ヶ……じゃなかった、山田さんのイメージにぴったりですね」
 隆司が名字を言い直すと、二人は笑った。
 それからPTA活動について少し話し、担任の先生や部活動、高校受験の話題となり、三人で情報を共有した。中林さんは上の娘さんが三年生で受験真っ只中ということもあり、参考になる話をたくさんしてくれた。
「山田さん、澄田さん」
 中林さんが改まって名前を呼ぶ。
「息子のことでは、いろいろとお騒がせしました。俊太くんとまひるちゃんは、蓮と同じ一年生ですので、今日はおびがてら誘わせて頂いたんです」
「お詫びだなんて、そんな……」
「そうですよ。中林さんが詫びる必要なんてまったくありません。蓮くんのこと、本当に胸を痛めています。あってはならない事件です。断固許されることではありません」
 山田さんの言葉に、隆司も大きくうなずいた。
「人生というのは、思いもよらないことが起こるものなんだとつくづく思いました。幸せな生活というのは、いつ崩れるかわからない積み木の上に立っているようなものなのだと」
 中林さん、うまい表現をするなあと、不謹慎ながら隆司は思った。うますぎて違和感があるほどだ。もしかしたら、事前に用意してきた言葉なのかもしれない。
「いろいろ考えさせられました。世界が百八十度変わりました」
 隆司は、なんと言葉をかけていいのかわからず黙っていた。
「この世は不条理です」
 コーヒーをひとくち飲み、ソーサーに戻したところで山田さんが言った。その言葉を受け、中林さんがゆっくりとうなずく。
「……ええ、でもわたしは、不条理だけれど不公平だと思ったことはありませんでした。けれど、蓮のことで、わたしたちが生きている世の中はずいぶんと不公平だったのだと気付きました。身に沁みました」
 隆司は話の流れが読めず、「不公平っていうのは?」とたずねた。
「賃金格差、地域格差、教育格差、女男格差……たくさんありますけど、わたしはこれまで、そういうのはぜんぶ当事者の責任だと思っていました。努力しなかったのはその人のせいだし、そういう運命に生まれたのだから仕方がないと……。でも蓮のことがあって、そんな考え方は間違っていたのではないかと思いはじめました」
 山田さんはじっと耳を傾けている。
「例えば、政治に文句があるなら、文句がある人が総理大臣になって好きなように変えればいいじゃないかと思っていました。総理大臣にもなれないくせに文句を言うのはおかしいと。きれいごとを並べ立てて、弱者にばかり肩入れする人たちを敬遠してました。多数決こそが正しい、少数派の意見なんてどうでもいいと。蓮のような被害に遭った男性たちについても、すべては自己責任だと思っていました……」
 途中、中林さんの声がかすれた瞬間があって、隆司はびびった。びびったけれど、それを気取られないようがんばって平静を装った。
「でも、そんなことはないんです。蓮は悪くない。悪くないのに、まるで蓮が罪を犯したかのような扱いを受けている……」
 中林さんの目に光るものを見て、隆司は慌てて目をそらした。
「男というだけで、損をしていることの多さにようやく気付けました。虐げられていると言ってもいいかもしれません」
 山田さんが大きく相づちを打つ。
「ぼくも今回の離婚のあれこれで、女男格差の多さに改めてうんざりさせられました。自分にできることは小さいですが、黙っていたらなにも変わらない。声を上げ続けなければ、なかったことにされてしまう。あっ、そうだ。今度ぼく、デモに参加するんです。男性解放運動を基本とした、フラワーデモです」
 山田さんの言葉に中林さんが身を乗り出した。フラワーデモというのは、確か性暴力に抗議する運動のことだよなと隆司は思い、ここにまひるがいたら、さぞかし二人と話が合うだろうと想像した。
「それ、いつですか?」
 山田さんは、あとで詳細をLINEしますね、とスマホを掲げた。
 中林さんは蓮くんの事件以来、山田さん寄りになったってことだなと、隆司は頭のなかを整理する。
「澄田さん、どうかしましたか? ずいぶんしずかですね」
 山田さんが微笑んだ。隆司は、二人の気持ちや方向性がよくわかったし、共感したいところもたくさんあった。けれど、どうやってこの話に入っていったらいいのかわからなかったし、なんの知識もない自分が軽い調子で賛同するのもどうかという思いもあり、身を縮めるようにして話を聞いていたのだった。
「あ、あの、おれ、デザート注文してもいいっすか? なんか甘いものが食べたくって」
 取りつくろうように隆司が言うと二人は一瞬きょとんとした顔をして、どうぞどうぞと同時に言い、それから互いに顔を見合わせて笑った。
「ぼくも食べようかな」
 山田さんが言い、中林さんが、わたしも、とメニューを取った。結局、隆司がデラックスベリーパフェ、山田さんがコーヒーゼリー、中林さんがミニショコラパフェを注文した。
 糖分を補給したせいか、だいぶ頭のなかがすっきりしてきた。隆司は昨年秋に父が亡くなり、一人ではなにもできない母が残されたことを話し、理容室の女性客にセクハラまがいのボディタッチをされたことを話した。山田さんと中林さんは、首がもげそうなほどうなずいて聞いてくれた。

▶#5-4へつづく
◎全文は「小説 野性時代」第209号 2021年4月号でお楽しみいただけます!


「小説 野性時代」第209号 2021年4月号


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