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連載

椰月美智子「ミラーワールド」 vol.36

【連載小説】「大多数の女は、男をバカにしていると思います。幼い頃から当たり前に女性の特権を享受しているから気が付かないんです」椰月美智子「ミラーワールド」#5-4

椰月美智子「ミラーワールド」

※本記事は連載小説です。

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やまもとりよう事件ってあったじゃないですか」
 中林さんが言う。その事件なら知っていた。一時期、ワイドショーで頻繁に取り上げられていた。総理付きの記者であった春日律子に薬を盛られ、涼真がレイプされたという事件だ。
「少し前までのわたしは、涼真が噓をついているんだと本気で思っていたんですよ」
「でも今は、そうは思ってないってことですよね」
 山田さんの言葉に、中林さんは観念したようにゆっくりとうなずいた。
「女男差別をなくすことこそが、人間社会、文化発展に向けての最大の近道であって、最大の効果だと、ぼくは思っているんです。逆にいうと、女男差別をどうにかしない限り、この世の発展は見込めない。どろどろとしたヘドロのような女性中心主義が、あらゆる社会活動を停滞させていると思うんです」
 ここで山田さんは一度トンッ、とテーブルを打った。
「ほら、あの政治家のおばあさん、国会で男性を単細胞扱いして社会問題になって謝罪会見したけど、そこでまた『従順な男性が減ってきて、世も末だ』なんて言って、結局引退に追い込まれましたよね。引退会見でも記者の男性をチンカス呼ばわりして。ああいうババアが日本を動かしてるんですから、それこそ世も末ですよ」
 おばあさんからババアになったな、と隆司はひそかに思う。
「『男はただの精子マシーン』って言った政治家もいましたね。あのオバサンは若手男優へのセクハラ行為で裁判になりましたよね。マッチョな男を手下につけて、男優を脅かして襲わせたんですよね。本当に卑劣極まりない!」
 今度は、テーブルをこぶしで叩いた。山田さん、ずいぶん興奮しているなあと、隆司はおかしくなる。これまでのイメージとはだいぶ違う。
「こういう発言をすると、今度は男性を優遇しすぎているとか、逆に女性蔑視だとか言う人が出てくるんですけど、そもそものスタートラインが女男では違ってるって話なんですよ。女だらけの社会で少数の男が声をあげても、まともな話し合いすらできないんですよ」
 唾を飛ばし気味に山田さんが言ったところで、中林さんが小さく笑い、
「まさに少し前までのわたしがそうでしたよ」と言った。
「男性の権利の擁護とか、男性蔑視とか、リベラルとか、本当にくだらないと思ってました」
 隆司は、ふむふむと聞いていた。恥知らずな政治家たちは嫌いだが、遠い世界の話だと思っていたし、男性の権利についても、そりゃあ不公平だとは思うけれど、結局はそこまでだった。愚痴を言って終わり。次の日に持ち越さない程度の話題だった。
「あのね、ここだけの話ですけど」
 山田さんが声をひそめる。
「……実はね、離婚のきっかけになったのは、妻の職場でのパワハラ、セクハラなんです」
「職場というと、学校ですか?」
 山田さんの奥さんは教師だと聞いたことがある。
「妻は男性新人教師をいびってたんです。ひどいことをしたというのに、まったく反省の色がない。女で年上ならば、なにをしてもいいと勘違いしてるんだ」
 似たようなニュースがあったなと隆司は記憶をさぐる。
「自分の妻がそんなことをしていたなんて、耐えられないですよ。人間失格じゃないですか」
 山田さんからしたら、とても耐えられることではないだろう。山田さんと山田さんの元妻さんはまったく考え方が違うし、ぜんぜんタイプが異なるようだ。よその夫婦というのは、本当にわからないものだと、そんなことを隆司は思う。
「うちは結婚するときに、妻に『守ってあげる』って言われたんです。『すすむちゃんのことを守ってあげる』って。当時はそう言われてうれしかったんですが、こないだふいにその言葉を思い出したら、なんか違うんじゃないかって思ったんです。男をすごくバカにした言葉だなあって」
 中林さんが自嘲気味に笑った。妻の暴露大会だ。
「大多数の女は、男をバカにしていると思います。そう言うと、バカになんてしていないと女性は言いますが、幼い頃から当たり前に女性の特権を享受しているから気が付かないんです。さっきも言いましたが、スタートラインがまるで違うんです。立法、行政、司法、医療、スポーツ、教育、文化、トップにいるのは女ばかりです。まずは、女と男の頭数を同じにしなければならない。女性には、女の特権を自覚するところからはじめてほしいものです」
 確かにどこの世界も決定権を持つのは女ばかりだよなあと思う。理容室SUMIDAを実際に運営しているのは義父と隆司だが、代表者は毎日パチンコ三昧の義母の名前になっている。
 デラックスベリーパフェのグラスの底に残ったラズベリーが思った以上にすっぱくて、隆司は口をすぼめた。中林さんと山田さんのデザートを見ると、ほとんど減っていない。
「溶けますよ」
 隆司が声をかけると、二人はいそいでスプーンを動かした。
「こないだ妻と少し言い争いをしたとき、男の存在意義なんてほとんどないに等しいと言われました。無駄な精子を放つだけのピエロだと。世の中の夫婦の子どもたちの、一体どれくらいが本当の子どもだと思ってるの? と」
「どういう意味ですか?」
 意味がわからずに、隆司は中林さんに聞き返した。
「子どもの父親は本当にあなたですか? ってことです。女性は自分が産むから自分の子に違いないけれど、父親が誰かなんてわからないと」
 ゾワッと鳥肌が立った。
「怖いこと言わないでくださいよう」
「うちの妻は医者なんですが、子どもと父親の血液型が一致しないケースがけっこうあるそうなんです。外見があまりにも異なるとかね」
 まさか、まひるとともかが自分の子じゃないってことはないよな……、と一瞬不安がよぎる。
「でも、『産みの母より育ての父』って言いますしね」
 そう言って微笑む中林さんと目が合い、あっ、と思った。中林さんの妻さんはもしかして、暗に子どもたちの父親が中林さんではないと言いたかったのだろうか……。隆司は喉が詰まったようになって、水を一気に飲み干した。
「コーヒーおかわりしてきます」
 席を立ったついでに、腰をぐるりと回した。ちょっとお茶でも、ということで来てみたが、なんだか頭がパンパンになってきた。指先で軽く頭皮マッサージを施す。席に戻ったところで、入れ違いに山田さんと中林さんがドリンクバーへ向かう。
「コーラなんて飲むの、ひさしぶりですよ」
 中林さんがコップを掲げて笑う。おれはよく飲みますよと隆司が言うと、若いですねえ、と返ってきた。その笑顔を見て、前とはずいぶん顔つきが変わったと隆司は思った。角が取れて穏やかな表情になっている。
 理容師をしていると、お客さんの顔の変化は手に取るようにわかる。それは太ったとか瘦せたとか物理的なことではない。突然険しい顔つきになったり、柔和な顔になったりするのだ。お客さんと話しているうちに、なにかあったことがわかる。妻さんとのケンカ、職場でのイジメ、子どもの不登校、新しい恋、高額の宝くじが当たったというのもあった。
 中林さんは、きっと蓮くんのことで新しいステージに立ったのだろうと思った。そしてそれは中林さんにとって、きっといい場所に違いない。蓮くんの事件は辛すぎたけれど、それを飛び越えて新しい場所を見つけたのだろうと。そこまで思い、これまでの中林さんの苦労と葛藤に胸が詰まる。
「そろそろ出ましょうか。ちょっとなんて言って、だいぶ長居してしまいましたね」
「有意義な時間でした。誘ってくださってありがとうございました」
「たのしかったです、勉強になりました」
 隆司の言葉が締めとなり、店を出た。冷たい風がひゅーっと首元に入ってきて、思わず衿を合わせる。まだまだ寒いけれど日足は確実に長くなった。春は近い。


 店のドアをコツコツと叩く音。ガラスドアの向こうに義母の姿があった。義父がドアに走り寄り外に出る。隆司はお客さんの髪をカットしながら、ちらちらと様子をうかがった。義父がポケットから財布を出して、何枚かの札を義母に渡しているようだった。思わずため息がもれた。金の無心か。店先でいい加減にしてくれ、と思う。
「では、シャンプーに入りますので、こちらにどうぞ」
 なるべく義母たちの姿をお客さんの目に触れないようにして、シャンプー台に案内した。
「パチンコですか?」
 お客さんが退けたタイミングで義父にたずねた。義父はなにも言わない。
「店先はどうかと思いますよ。お客さんの目に入りますし」
 嫌みっぽい言い方になってしまったが、本当のことだから仕方ない。
「……気を付けるよう言っておく」
「お義父さんって女性に厳しいときもありますけど、おさんに関しては寛容ですよね」
「夫婦なんだから当たり前だろ」
「こないだ、まひるの中学のパパさんたちと話したんですけど、夫婦間の役割分担で女男差別に気が付く人も多いみたいですよ」
 義父は隆司を見て、はんっ、と口を曲げた。
「くだらない。どうでもいいわ、そんなもん。おれは、自分の欲しいものは自分が働いた金で買いたい。妻の稼ぎなんてあてにしない。それだけだ」
 そのわりに、隆司の売り上げに対して口うるさいではないか、と心のなかでひそかに反論する。
「お義母さんだけは特別ってわけですね」
 呆れて言ったが、義父からの反論はなかった。見れば、義父の頰が心なしか赤らんでいる。驚いた。そして、なんだそういうことか、と思った。女男同権とか女男平等とか、そんなこととはまったく関係ないところで、義父はただ義母のことが好きなのだ。
 隆司だってそうだ。絵里のことが好きだから、まあしょうがないという部分が大きい。でも好きだからこそ、自分の気持ちもわかってもらいたいし、女男差別についても一緒に考えてもらえたらうれしい。そんなことをつらつらと考え、おれもかなり成長したなと、隆司は苦笑した。

▶#5-5へつづく
◎全文は「小説 野性時代」第209号 2021年4月号でお楽しみいただけます!


「小説 野性時代」第209号 2021年4月号


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