menu
menu

連載

椰月美智子「ミラーワールド」 vol.25

【連載小説】当たり前に目の前に広がる女男格差。男が被っている理不尽さにハッと我に返るのだ。 椰月美智子「ミラーワールド」#4-1

椰月美智子「ミラーワールド」

※本記事は連載小説です。

前回までのあらすじ

男は男らしく、子育てに励み家事をする。女は女らしく、家族のために稼ぐ。それが当たり前の日常世界。池ヶ谷辰巳は学童保育で働きながら専業主夫をこなし、中林進は勤務医の妻と中学生の娘と息子のために尽くし、澤田隆司は妻の実家に婿入りし義父とともに理容室を営んでいた。それぞれが息苦しい毎日のなかで、妻と子を支えようと奮闘してきた。そんな中、中林の中一の息子・蓮が塾の帰りに暴漢に遭ってしまい……。

第七話

 誰にもなんにも言ってないのに、どういうわけか事件のことがうわさになってる。
「ぼくちゃん、かわいいねー」
「いやん、やめてえ」
「だって、そんなにかわいい顔してるんだもーん」
 廊下を歩いていると、女子たちがぼくに聞こえるようにわざと変な声を出す。そのたびにぼくの心は、少しずつ削られていく。
 事件のあと、ぼくは一週間学校を休んだ。
れん、大丈夫か」
 休み明け、Aくんに声をかけられた。
「インフルエンザだったんだって? 大変だったな」
「あ、ああ、うん」
「あんま無理すんなよ」
「ありがとう」
 Aくんの背中を見てると、ぼくはひどくほっとして安心できる。削られた心が修復されて、ざわめいていた感情が徐々にしずかになって落ち着くんだ。Aくんのおかげでぼくは生きていられるし、Aくんがいるから生きていきたいって思うんだ。
 でも、こんなぼくをAくんは許してくれるだろうか。汚れたぼくを嫌いにならないでいてくれるだろうか。そんなことを考えると、ぼくは叫び出したくなる。

    *****

池ヶ谷辰巳

 は事件発覚以来、家でずっと不機嫌を通している。不機嫌でいればすべての問題が解決するかのように、不機嫌でいれば家族を当たり前に従わせることができるかのように、不機嫌でいれば自分が勝者になれるかのように。
 由布子の新人教師イジメについては、現在学校内で話し合いが持たれているらしい。イジメに加担していた教師は由布子以外に二人。その二人とも、由布子と同じように夫も子どももいる中年女性だ。自分の子どもと言ってももいいような年齢の新人教師をイジメるという神経には、絶句するほかない。
 由布子たちの愚行は、由布子から聞いた以外にもたくさんあって、なかでも新人教師が個室トイレに入っているところを上から覗いて撮影したという、その動画が証拠となっていると聞いた。ニュースで騒がれている新任教師いじめと、まるで同じだ。その動画を撮ったのは由布子で、由布子自ら新人教師にその動画を送りつけたというのだから、開いた口がふさがらない。新人教師がその動画を校長に見せ、そこで問題が発覚したらしい。
 妻は告発されたと言っていたが、実際は校内止まりの状況だ。由布子は、なんでもかんでも大げさに言う。おそらく、校長にチクられたことを「告発」と表現したのだろう。自分の立場が悪くなると、物事を大きく言う癖は昔からだ。
 校長は当然ながら公にはしたくないらしく、被害教師になんとか話をつけているところだそうだ。示談で済むなら、由布子たちにも好都合だろう。
 たつは、そんな甘っちょろいことをしてないで、さっさと教育委員会なり警察なりに話を持っていくべきだと思っている。加害教師たちは、訴えられて免職させられればいいのだ。卑劣きわまりないことをしたのだから、当然の報いだ。いっそのこと、辰巳が密告してやろうかとも考えたが、被害者本人が示談を希望しているのかもしれず、思いとどめた。公にしたくない気持ちもわかるからだ。
 辰巳は残り物で昼食をとりながら、新聞を広げた。妻によるDVの特集記事が掲載されていた。精神的DVとしては、大声で怒鳴る、無視をする、脅す、見下す、馬鹿にする、従うように強要する等があった。由布子にも大いに当てはまる。
 性的DV、経済的DVについても書いてあったが、我が家に関してはこれらの被害はなかった。由布子は経済についてはすべて辰巳任せで、月五万円の小遣いさえあれば文句は言わなかったが、値の張るものを購入するときだけは小遣いとは別に金を要求された。
 辰巳も、由布子と同じ額の小遣いが欲しかったが、そんなことをしたら家計は回っていかない。住宅ローン、水道・光熱費、食費、教育費、いくばくかの貯蓄。毎月出て行くお金は多い。
 辰巳は酒もタバコもやらないし、服も量販店の安価なものでかまわない。趣味といったら読書ぐらいで、学童保育で働くまではよく図書館通いをしていた。
 辰巳は毎月二万円ずつ、自分の通帳に積み立てている。ほぼお金を使うことはないので、実質的にこれが辰巳の小遣いとなっている。五年前までは一万円だったが、それでは自分の働きに見合わないと思い、二万円に変えた。けれどその二万円をもらうことにすら、罪悪感のようなものがつきまとう。家事全般、子どもの世話を一手に引き受けているというのに、まったくおかしな感情だ。
 離婚はすべての準備が整ってから、妻に切り出そうと考えている。家のローンはあと十二年残っているが、この家は由布子の名義だから辰巳には関係ない。
 学資保険に入っているので、こうしゆんの教育資金に関しては大きな心配はないだろう。辰巳の学童保育の給与はほとんど手つかずで残っているし、いくばくかの貯金もある。引っ越しのあれこれ、新居の敷金、必要最低限の家具や電化製品。出て行くものは多いが、来春からは復職するし、なんとかなるはずだ。
 新聞を片付け、折り込みチラシに目を通そうとしたところで、げんなりした。思わずため息が出る。男性の股間を強調するようなモデルの写真。下半身に、不自然な濃い陰影をわざとほどこしている。更年期女性用のビタミン剤の宣伝に、なぜ若い男性モデルを起用するのかわからない。辰巳はすぐさま小さく折りたたんで、古紙を処分する袋に放った。

▶#4-2へつづく

◎全文は「小説 野性時代」第208号 2021年3月号でお楽しみいただけます!


「小説 野性時代」第208号 2021年3月号


紹介した書籍

関連書籍

おすすめ記事

MAGAZINES

小説 野性時代

最新号
2024年3月号

2月25日 発売

ダ・ヴィンチ

最新号
2024年3月号

2月6日 発売

怪と幽

最新号
Vol.015

12月22日 発売

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP