【連載小説】メールの送信元の家に踏み込んだ警察。そこには新たな遺体と、然治の姿が! 加藤実秋「メゾン・ド・ポリス6 退職刑事と引退大泥棒」#6
加藤実秋『メゾン・ド・ポリス6 退職刑事と引退大泥棒』
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※本記事は連載小説です。
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「マルヒ逃走! 海老根町三丁目の海老根ハウス前の通りを、駅方向に向かっている。緊急配備を求む」
後ろの松島が無線機に告げている間に、非常階段を下りきった。原田は然治さんの後を追い、ひよりも続いた。周囲を見て脇道を進んだが、然治さんの姿はなかった。
「二手に分かれよう。お前は駅方面を捜してくれ」
原田は告げ、傍らに建つビルに入って行った。頷き、ひよりは歩を進める。間もなく大通りに出て、人と車が増えた。
電車もタクシーも、防犯カメラで足が付く。あの身軽さならどこかに隠れて、暗くなってから移動するはず。それにしても、どうなってるの? 心の中で呟き、改めて驚きながらひよりは小走りに歩道を進んだ。
賑やかな場所を避け、裏道を歩いた。住宅の庭先やビルの外壁なども注意深く見たが、然治さんの姿はなかった。時刻は間もなく正午。秋晴れで日射しも強く、ひよりはワイシャツの背中が汗ばむのを感じた。
十分ほどすると、大通りからパトカーのサイレンが聞こえてきた。緊急配備が敷かれればヘリコプターでの捜索も行われるはずだから、任せようか。そう考えつつ歩いていると、視界の端を何かがかすめた。はっとして立ち止まり、ひよりは視線を傍らに向けた。
小さなビルが二棟建っていて、わずかな隙間がある。隙間の先は別の裏道で、そこを見覚えのある白髪頭が横切ったのだ。
ひよりは裏道を走り、三十メートルほど行って止まった。傍らにはさっきとは別のビルとビルの隙間がある。じっと見守っていると五秒後、然治さんの横顔が隙間を横切った。胸が高鳴り緊張も覚え、ひよりはさらに走った。然治さんがいる裏道に抜ける道か隙間はないかと探したが、見当たらない。裏道はどちらも駅前の大通りに通じているので、待ち伏せして然治さんを確保しよう。シミュレーションしつつ、ひよりは足を速めた。
前方に、大通りを行き来する人と車が見えてきた。気づけば、傍らに真新しく大きなオフィスビルがある。玄関のガラスドアの向こうに広いロビーが見え、その先に反対側の玄関のドアが見えた。
再び胸が高鳴り、頭の中がぱっと明るくなった。壁に「通り抜け禁止」の貼り紙があったがひよりは構わずドアを開け、ビルに入った。
ロビーを進むとガードマンが、「すみません」と声をかけてきた。ひよりは歩きながら警察手帳を出し、ガードマンにかざした。それを見て、通りがかりのサラリーマンが驚いている。昼休みで、ロビーは混み合っていた。
裏道も人が増える。市民が危険だ。ひよりはさらに緊張し、小走りになりながら腰の拳銃のホルスターに手をやり、ボタンを外した。
反対側の玄関のドアから出て、ひよりは裏道に向き直った。制服姿のOL数名が歩いていて、その背中越しに、こちらに歩いて来る然治さんを見つけた。距離は約二十メートル。
ひよりに気づき、然治さんは立ち止まった。くるりと身を翻し、裏道を駆け戻る。
「待ちなさい!」
叫んで、ひよりも駆けだした。ぎょっとしてOLたちが身を寄せ合い、ひよりはその脇を抜けて然治さんを追った。走りだして間もなく、裏道の向こうから制服姿の警察官が二名近づいて来るのが見えた。
「マルヒです!」
然治さんを指して伝えたが、警察官たちには聞こえなかったようだ。挟み撃ちにされると感じたのか、然治さんは立ち止まって方向転換し、傍らの古いビルに入った。
ひよりもビルに入ると、正面の階段を駆け上がって行く足音が聞こえた。迷わず、ひよりも色褪せた緑色のビニールタイルが貼られた階段を上がり始めた。
二階に出た。向かいに狭い廊下があり、曇りガラスのドアが並んでいる。オフィスビルらしくドアの向こうには明かりが点っているが、廊下に
三階、四階、五階……。ちょっと前に米山のマンションでも階段を上り、脇道と裏道を走っているのでさすがに息が切れ、脚も重たくなってきた。しかし、頭上から聞こえてくる然治さんの足音は軽快だ。
汗だくになりながら、六階まで上りきった。しかしまだ屋上に通じる階段があり、その奥のドアが閉まるばたんという音が、ひよりの耳に届いた。
手すりにつかまりながら階段を上がり、短い通路を進んだ。突き当たりのドアの前まで行き、ひよりは呼吸を整え、片手を腰の拳銃に当てた。もう片方の手でドアのノブを掴み、壁に身を寄せてドアを小さく開ける。周囲を確認してからドアを大きく開け、屋上に出た。
黒ずんだコンクリートが敷かれた四角い空間で、思いのほか広い。前方に、走って行く然治さんの背中が見えた。突き当たりには大人の
「止まれ! 撃つわよ」
ひよりは腰から拳銃を引き抜き、両手で構えた。塀まで数歩という位置で、然治さんは立ち止まった。
「動かないで。両手を頭の横に上げて」
銃口を然治さんの脚に向け、告げる。然治さんは素直に両手を上げた。
銃口を固定し、ひよりは注意深く前進した。片手を下ろして、腰の後ろのホルダーから手錠を出す。然治さんが口を開いた。
「マンションの死体は、米山新太じゃない。俺の昔の仲間だ」
「仲間? 何の?」
手を動かさずに問うと、然治さんは両手を上げ前を向いたまま答えた。
「俺の頼みで、紬を誘拐した犯人を捜していた。仲間はパソコンやネットの専門家だから、息子のスマホを見張っていて誘拐犯から動画が送られたとわかったんだ。送り主を突き止めて俺より先にあのマンションに行ったのはいいが、殺されちまった」
「言い逃れも、ごまかしも通用しないわよ」
そう返し手錠を握ったひよりだが、然治さんの言葉はウソだとは思えない。然治さんが、顔を少しこちらに向けた。
「説明する。銃を下ろしてくれ」
「動くな!」
ひよりは拳銃を構え直し、然治さんは顔を前に戻した。
「金を払っても、紬は帰って来ないぞ。犯人の狙いは、この俺だ」
「どういう意味?」
思わず銃口を下げ、ひよりは訊ねた。その隙を突いて、然治さんは駆けだした。突き当たりまで行き、塀に飛び乗る。そしてひよりが反応する間もなく、一旦膝を曲げてから塀の笠木を蹴り、空中に飛びだした。ひよりがいるビルの隣には同じ高さで造りも似たビルがあり、一メートルほどの間隔が空いている。
数秒後、然治さんは隣のビルに飛び移ったかと思えた。しかし塀の笠木への着地が浅かったのか後ろ向きに倒れそうになり、然治さんは両手をバタつかせた。
「危ない!」
そう叫び、ひよりも塀に走った。転落したかと思ったが、然治さんは両手で笠木につかまり、隣のビルの側壁にぶら下がっていた。
体が勝手に動き、ひよりは拳銃と手錠を腰に戻して笠木に上がった。然治さんと同じように膝を曲げて勢いを付け、下を見ないようにしてジャンプした。無事に隣のビルに着地し、塀を下りて然治さんの元に行く。太く厚みのある指は、幅十五センチほどの笠木をがっちり掴んでいた。だが体重がかかって小刻みに震え、下からは然治さんの荒い呼吸も聞こえてきた。
「私の肘につかまって下さい。引っ張り上げるから、壁をよじ登って」
見下ろして早口で告げると、然治さんは歪めた顔を上げ、頷いた。
ひよりはジャケットを脱ぎ、塀の前に膝をついて座った。両肘を然治さんの手に寄せ、両手で脇から然治さんの腕を掴む。
「いいですよ。つかまって!」
声をかけると、然治さんは右手、左手の順に笠木から離し、ひよりの肘につかまった。とたんに両腕と両肩がずしんと重くなり、ひよりは背中を丸めて前のめりになる。
「引っ張るから、上って。せーの!」
かけ声とともに股を開き、然治さんの腕をしっかり掴んで手前に引いた。唸り声がしてひよりの肘を掴んだ手が上下に揺れ、然治さんも必死に側壁を蹴り上がろうとしているのがわかる。しかし、
「うおっ!」
という声がして、ひよりの腕と肩にかかる重みが増した。然治さんが足を滑らせたのか。
「く~っ!」
塀に寄りかかって体を支え、両手で掴んだ腕を引っ張った。然治さんも壁を蹴り上がろうとしているが、上手くいかない。ひよりは両手が痺れ、力が抜けていくのを感じた。
「もういい。手を離せ」
然治さんが言った。股をさらに開き歯を食いしばりながら、ひよりは返した。
「よくない! 離しません」
だが足の力も抜け、然治さんはずるずると落ちていく。それに引っ張られて、ひよりの上半身は塀の外に出る。
このままじゃ、私も落ちる。そう悟り、でも然治さんの腕から手を離すつもりはなく、ひよりは強い焦りと恐怖を覚えた。
ふいに、然治さんがひよりの肘から両手を離した。然治さんの体は一気に落ち、引っ張られたひよりも、頭から転落しそうになる。
助けて! 心の中で叫び目を閉じた時、がくんと衝撃があって引っ張られる力が止まった。目を開けると、ひよりの左右から腕が伸び、然治さんの二の腕を掴んでいる。
「よし!」
「いきます」
斜め上で聞き覚えのある声がして、伸びた腕が然治さんを引き上げる。自然にひよりの手が然治さんの腕を離れ、同時に誰かがひよりの肩を掴んで屋上の床に座らせてくれた。
「間一髪。ケガはないかな?」
肩を掴んだ手が離れ、頭上から低く甘い声がした。見上げると、藤堂。白衣姿でウインクしてくる。
「えっ⁉」
思わず声を上げたひよりの目に、紺色のジャージの上下を着た迫田と、黒いジャンパーとチノパン姿の惣一郎も映った。然治さんを床に座らせ、無事を確認している。
「なんで?」
驚き、再度藤堂を見上げる。その視界の端に、杖をついてにこにこと立つ伊達が映った。藤堂が言う。
「昨日ひよこちゃんが帰った後、手を回して小川紬ちゃんの事件を知ったんだ。捜査協力を申し出ようと思ったんだけど、迫田さんが『ひよっこが言ってくるまで手は貸すな』って言い張ってさ。でも放っておけないから、ずっと見守ってたんだよ」
「ずっと? ここに来るまでも?」
信じられずに問うと、迫田が振り返った。
「米山の部屋の確認が甘いし、ホルスターのボタンを外すタイミングは早すぎる。あれじゃ拳銃が市民に丸見えだ。騒ぎになったら、どうするつもりだ」
「はあ。すみません」
つい頭を下げてしまう。迫田は鼻を鳴らし、そっぽを向いて胸の前で腕を組んだ。
取りあえず立ち上がろうとすると、藤堂に立てた指を横に振るというベタなジェスチャーで止められた。藤堂は惣一郎の肩を叩き、促すように片手で
そんなにイヤか。イラッとしながらも「ありがとうございます」と言い、ひよりは惣一郎の手を借りて立ち上がった。藤堂が拍手し、伊達は笑顔でみんなを眺めている。
「あんたたちは、一体」
ぼそりとした声に、ひよりとおじさんたちが首を回した。床に座り込んだ然治さんが、呆然とこちらを見ている。迫田が何か返そうとした時、然治さんは、
「あんた。あの時の」
と呟いた。その目は伊達に向けられている。笑みを崩さず、伊達は軽く会釈をした。
「お久しぶりです」
然治さんが絶句する。バラバラと、空からヘリコプターの飛行音が聞こえた。
(このつづきは本書でお楽しみください)
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