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連載

加藤実秋『メゾン・ド・ポリス6 退職刑事と引退大泥棒』 vol.5

【連載小説】誘拐された少女の祖父・然治が失踪。少女の父には犯人からメールが届き――。 加藤実秋「メゾン・ド・ポリス6 退職刑事と引退大泥棒」#5

加藤実秋『メゾン・ド・ポリス6 退職刑事と引退大泥棒』

※本記事は連載小説です。

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「紬!」
 スマホの画面に顔を近づけ、禄郎さんが叫んだ。ひよりと他の捜査員、刑事たちは動画に見入る。紬ちゃんに目立ったケガはなく、着衣は拉致された時と同じパーカーとジーンズ。撮影場所の部屋はある程度広いが、声の響き方からして倉庫などではない。ひよりが頭を巡らせていると、紬ちゃんはさらに言った。
「怖いよ。助けて。早く家に——」
 言葉を遮るように画面が揺れ、紬ちゃんが消えて新聞のアップになる。紙面の上端には、今日の日付が印刷されていた。犯人側からの「人質は生きている」というメッセージだ。紬ちゃんのすすり泣きの声が聞こえ、紙面は小刻みに震えた。
「紬! パパだよ!」
 禄郎さんも涙声になり、叫ぶ。再び画面が揺れ、新聞の前に紙が差し出された。A4サイズのコピー用紙で、中央にワープロの文字で「1千万円用意しないと娘を殺す。受け渡しの時間と場所は後で知らせる」と書かれている。そこで動画は終わった。
「貸して下さい——おい!」
 逆探知班の捜査員が引ったくるように禄郎さんのスマホを取り、仲間の元に戻った。
「刑事さん、紬は?……一千万円用意しなきゃ。そんなお金、うちには——美郷!」
 混乱して騒ぎ、禄郎さんは立ち上がってドアに向かおうとした。それを被害者対策班の刑事が引き留め、原田とひよりも、
「大丈夫です。お金は銀行から借りられるように、警察が手配します」
「紬ちゃんは無事ですよ。やはり共犯者がいたんです」
 と言ってなだめた。
 何とか落ち着きを取り戻し、禄郎さんは美郷さんの元に行った。原田が指揮本部に報告の電話をかけ、ひよりはダイニングテーブルの後ろに移動し、逆探知班の作業を見守った。
 禄郎さんのスマホをテーブルの中央に置き、逆探知班の捜査員たちはそれぞれの作業に没頭している。手前の一人は、スマホで誰かと話しながらノートパソコンを操作していた。液晶ディスプレイに表示されているのはアルファベットと数字、記号の羅列で、動画が添付されていたメールのIPアドレスだろう。これを元に、メール送信者が誰でどこから送ったかを突き止めるのだ。
 十五分ほどして、電話を切った原田が隣に来た。
「ホシの割り出しと交渉は続けるとして、然治はどうする? 地取りは、収穫なしだったからな」
「ええ。また電話があれば、動画の話をして出頭を促すんですけど」
 捜査員たちを見守りながら、ひよりは答えた。
「メゾン・ド・ポリスのみなさんの出番じゃねえか? 年寄り同士だし、なにかわかるかも」
「元警察官とは言え、民間人ですよ。頼ってどうするんですか」
 実はひよりの頭にも、おじさんたちの顔が浮かんでいた。しかし昨日帰り際に迫田に言われたことを思い出し、意地になってしまった。
「わかりました!」
 スマホで誰かと話していた捜査員が、こちらを振り向いて言った。
「ホシはフリーメールを使い、スマホから動画を送信していました。通信事業者に照会してもらったところ、送信者が判明しました」
 捜査員は続け、メモを差し出した。ひよりがメモを受け取り、原田はスマホを構えながら「ご苦労さん。引き続き頼む」と告げてドアに向かった。

 ひよりが署のセダンを運転し、メモの住所に向かった。柳町北署管内の外れの海老根えびねちょうで、大通りの端にセダンを停めると、既に数台の警察車両が到着していた。
 古い商店と住宅、新しい高層ビルが混在する狭い脇道を歩いて行くと野次馬と数名の制服姿の警察官の姿があり、その奥に立入禁止の黄色いテープが渡されていた。ひよりと原田は警察官に挨拶してテープをくぐり、奥に進んだ。
 前方の電柱の陰に水越とその部下の刑事たち、新木と松島がいた。近づいて目礼したひよりと原田に松島は、
「四階の右端だ」
 と告げ、顎で前方を指した。電柱の陰から慎重に首を突き出したひよりの目に、鉄筋五階建ての古びたマンションが映った。ベランダと掃き出し窓が等間隔で並んでいて、四階の右端の窓にはカーテンが引かれている。この部屋の住人が動画の送信者で、氏名は米山よねやま新太あらた。歳は三十二歳で、職業不詳だ。他の住人たちは退避させたらしく、マンションはしんとしている。
 しばらくすると、黄色いテープの手前に一台のトラックが停まった。車体は青く塗装され、脇に白い二本線が走っている。
 トラックの荷室のドアが開き、男性が十人ほど降りて来た。フェイスシールド付きの黒いヘルメットをかぶり、濃紺の出動服を着て、背中に「SIT」の文字が入った黒いプロテクターを装着している。誘拐や立てこもり、爆破事件などのスペシャリスト、警視庁特殊犯捜査係、通称SITの隊員たちだ。野次馬が見守る中、隊員たちはテープをくぐり、列を作ってこちらに駆け寄って来た。全員拳銃を携帯し、ごついグローブをはめた手で樹脂製の防弾盾を持っている隊員や、ドアを破るための鉄製の破城槌はじょうついを下げている隊員もいる。
 隊員たちは、ひよりたちの後ろで立ち止まった。先頭にいた隊長らしき大柄な男性が何か指示すると、隊員たちは頭を低くして中腰になり、電柱の陰から出た。そのまま一列で並んで建物に張り付くようにしてマンションに接近し、エントランスから中に入る。間もなくマンションの側壁にある非常階段に半数の隊員たちが姿を現し、階段を上がり始めた。エレベーターを使う隊員と分かれ、四階に向かうのだ。
 非常階段で四階に着いた隊員たちは、非常口から中に入った。姿は見えなくなったが、隊長が手にした無線機からは、度々隊員たちからの報告が流れる。
 ふいに無線機からの声が途絶え、隊長は隣の水越に何か言った。水越が返事をし、隊長は間を空けずに無線機に告げた。
「突入!」
 ひよりと原田が顔を上げた数秒後、マンションからどしん、ばたんというくぐもった音が聞こえて来た。どんどんと足を踏みならすような音が続き、米山の部屋のカーテンが揺れた。その様子をひよりと原田、他の警察官たちが息を詰めて見守る。
 ジジッと隊長の無線機が鳴り、隊員の声が流れた。
「現場より隊長。突入成功。居間に男性が倒れています。死亡している模様」
「紬ちゃんは?」
 水越が訊ね、隊長は無線機に問いかけた。
「女児は? 小川紬ちゃん、九歳だ」
「確認しましたが、いません! 男性だけです」
 隊員の答えを聞き、水越はこちらを振り返った。
「行くぞ」
「はい」
 隊長を除く全員が返し、歩きだした水越に続いた。
 エントランスからマンションに入り、水越と本庁の刑事、新木はエレベーターホールに向かった。ひよりと原田、松島は非常階段のドアに向かう。
 非常階段を降りて来る隊員たちとすれ違いながら白手袋をはめ、四階に上がった。開いたドアから廊下に入り、すぐ横の部屋に向かう。
 サンダルや革靴が脱ぎ散らされた三和土たたきを抜け、土足で踏み込む。松島、原田に続いて廊下を進みながら、ひよりは開いたドアの奥のトイレとバスルーム、キッチンを確認した。隊員たちは退室していたがほこりが舞い、ざわついた空気が満ちている。
 突き当たりには、ベランダに面した居間と和室があった。居間の中央の倒れた椅子と斜めになったソファの間に、男性が横たわっていた。歳は六十前後か。ごま塩頭を短く刈り込み、目をかっと見開いている。黒いジャージに包まれた小太りの体の左胸には、ナイフが突き刺さり血がにじんでいた。
 ひよりと原田、松島が寝室の押し入れやキッチンを見回っていると、水越と本庁の刑事、新木が居間に到着した。
「死後間もないな」
 脇に立って男性を見下ろし、水越は言った。顔色や出血の状況からして、その通りだ。本庁の刑事の一人も言う。
「仲間割れでしょうか。紬ちゃんがいたような痕跡はありませんが」
 これもその通りで、この部屋には家具や食器、布団などは置かれているが、ほとんど使われた様子がない。新木がひよりを振り向いた。
「鑑識を呼べ」
「はい」
 頷いてスマホを出したが、電波が弱い。廊下に移動しても電波は弱いままなので、玄関から外に出た。それでも状況は改善されず、ひよりは非常階段の踊り場に出た。ようやくアンテナが四本立ち、署の番号を呼び出した。発信ボタンをタップしようとした時、背後でがらりと音がした。振り向くと、マンションの側壁にある米山の部屋の窓が開いている。さっきちらっと覗いたが、あそこはバスルームのはずだ。
 原田さんかな。現場検証の前に、窓を開けちゃまずいでしょ。そう思いながら見ていると、窓から顔が突き出された。白髪頭に、ベージュの作業用ベスト。然治さんだ。
「えっ⁉」
 ひよりは声を上げ、然治さんがこちらを見る。目が合うなり、然治さんは言った。
「あの男を殺したのは、俺じゃない」
「何やってるんですか。どうしてここに」
 ひよりは返し、窓の横にある踊り場の柵に歩み寄った。しかし然治さんは、
「説明してるヒマはない。だが、俺はやってない」
 と告げ、両手を窓枠の下端に乗せた。バスタブの縁に立っているらしい。古い建物だからか、バスルームにしては窓が大きい。ひよりも柵から身を乗り出し、言った。
「何をするんですか。もう逃げられませんよ」
 しかし然治さんは両手で体を支えて勢いを付け、窓の外に上半身を乗り出した。
「危ない!」
 ひよりは叫んだが、然治さんはひょいと足を乗せて窓枠によじ登ってしまった。そして体を斜め前方に伸ばし、両手で側壁に取り付けられた雨樋を掴んだ。
 まさか。ひよりが思ったとたん、然治さんは両足で窓枠を蹴り、雨樋に飛びついた。
「ちょっと——誰か! 小川然治がいます」
 ドアを振り向き、ひよりは訴えた。が、然治さんはするすると雨樋を下りて行く。その動きは慣れていて、地上から十メートル以上あるはずなのに平然としている。
「どうした⁉」
 原田と松島が踊り場に駆け込んで来た。「あそこです!」とひよりは指さしたが、然治さんは既に雨樋を二階の位置まで下りている。
「あの野郎!」
 原田が非常階段を駆け下り、ひよりと松島も続く。その間にも然治さんは雨樋を下り続け、地上まで一・五メートルほど残して地面に飛び降りた。それもまた慣れた動きで、着地のスムーズさは忍者のようだ。
「おい。然治が逃げるぞ!」
 非常階段を駆け下りながら原田が叫び、それを聞きつけた制服姿の警察官二名が、脇道からマンションの敷地に駆け込んで来た。然治さんも走りだしているので、鉢合わせの格好になる。
「止まれ!」
 警察官一名が、然治さんに飛びかかった。しかし然治さんはひらりと脇に避け、走り続ける。
「こら!」
 もう一名の警察官が腕を伸ばし、然治さんの作業用ベストを掴んだ。すると然治さんは立ち止まって腰を落とし、片方の肘を曲げて警察官のみぞおちを打った。短い声を漏らし、警察官は背中を丸めた。その隙に然治さんは警察官の手を振りほどき、再び走りだした。
「然治さん!」
 非常階段を下り続けながら、ひよりは然治さんの背中に呼びかけた。しかし然治さんは走り続け、マンションの敷地から脇道に出た。周囲を見て、黄色いテープが張られているのとは逆方向に走り去った。

(つづく)


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